蛇に睨まれた蛙は雨宿りする

KAWAZU.

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Ep.11 昼下がりのスクリーンライト(前)≪曇り≫

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 始業のチャイムの音が、まだ壁の中でくぐもっている。連休の名残りが空気に残って、教室の気配はやや重たい。椅子の足元では、誰かの眠気が小さく丸まっていた。

「おはよ」

 白河が椅子の背にもたれて伸びをする。肩のスイが小さく身じろぎ、羽先で空間を撫でた瞬間、ざわめきの縁が一歩だけ遠のいた。蛍光灯の白が、机の天板に薄く反射している。朝の光より少し冷たいその白さに、まだ体温が追いつかない。

『おはよう、みんな』とスイ。
「おはよ。今日、天気“くもり”らしい」
「雨宮の予報は確率高そう」
「いや、俺もテレビの受け売りだから」

 他愛のない話で笑いながら席につく。

「んー? なんか今日、お前、表情やわらかい気がすんだけど」
「え?」

 白河の目尻がわずかに下がる。何か言おうと口を開きかけたとき、背後から軽い声が落ちてきた。

「おはよう、湊」

 反射で振り向くと、伏見 朱里。いつもの軽い調子で手を上げながら、通り過ぎていく。明るい茶の髪が、朝の光をわずかに返す。その一瞬が、視界の奥に残像みたいに焼きついた。

「……おはよう」

 遅れて返した挨拶は、朱里に向かういくつもの声に紛れて、届いたかどうかは分からない。朱里はすでに集まってきたクラスメイト達に囲まれながら笑いあっていた。いつもの場所、いつもの光景だ。
 次の瞬間、白河が「あ?今、“湊”って呼ばれてた?」と目を瞬かせる。

「え、あ、うん。そう、かも」
『いいことだよ~。名前って、風みたいなもんだし』とスイ。
『お前、恋の風邪でもひいたか?』とケロスケ。
「違うし。ケロスケはドラマ見過ぎ」

 小声で突っ込むと、白河が机の上でペンをくるりと回した。キャップが天板をコツ、と打つ。

「そういう変化、いいと思うけど。気になる時期だよな。“見られてる”ってさ」

 胸の奥がきゅっとなる。“見られる”というその一語だけで、呼吸の深さが変わる。
 目立たないように生きてきた体が、反射的に警戒してしまう。誰かに気づかれること。注目の視線はまだ、俺にはまぶしい。

 前方の席の男子が「伏見って誰とでも仲いいよな」とひそひそ。悪意はない。けれど、教室の空気の流れに自分も混ざっていくことを、久しぶりに感じた。

『心拍数上がってんぞ』とケロスケ。
(実況すんな)

 それでも、鼓動が速いのは自覚していた。
 身体の奥のどこかが、わずかに浮いている感じ。

(……客観的に見たら、たしかに“絵面”としては変だよな)

 あっちは真ん中で笑いを回す側、俺は端で消しゴムのカスをまとめる側だ。輪の温度は少し高い。俺は空調の当たる席にいる。同じフレームに入ると、空気がわずかに揺れる。その“気圧差”に、周りも俺も敏感だ。
 その境目に足をかけると、皮膚の内側がむず痒くなる。——目立ちたくない、の警報が小さく点滅した。

『気圧差に弱いカエルです』
(知ってる。でも、今日は立ち位置を直さずに挨拶は返せた) 

 違和感はある。けど、逃げ腰じゃないぶん、昨日までよりほんの少しはマシだ……たぶん。

 ノートの端を揃え、プリントの角と角を合わせる。紙が指になじんで、折り目を伸ばす度にで呼吸のリズムが戻っていく気がした。

(曇りの日の光ってこんなにやさしかったっけ)

 そんなことを思う朝は、たぶん悪くない。
 
 ◇

 午後一の生物の授業が終わると、クラス委員の佐々木が前に出た。黒板の隅に粉が薄く溜まって、窓際の風でかすかに舞う。

「この課題ノート、放課後に生物準備室へ持ってってくれる人、いる?」

 間が空いた。机の列が均等に沈黙する。時計の秒針の音だけが前に出る。喉が勝手に動いた。

「あ、はい」
(——あ)

『はい病、再発~』とケロスケ。

(……治療中なんだけど)

 もう断れない。分かってた。
 それでも「押しつけられたんじゃない」と思いたくて、胸の中で言い訳を並べる。

 誰にも聞こえない声で反省しても、言葉はもう出てしまった。佐々木が安堵の笑顔で「助かる!」と言う。もう断れない。断らない、けど。また、いつもの俺だ。

(佐々木も困ってたし……これは俺が選んだ。押しつけられたんじゃない)

『って自分に言い聞かせる』
(かすり傷でも塩は塗らないで)

 ◇
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