蛇に睨まれた蛙は雨宿りする

KAWAZU.

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Ep.15 色玉の音、風鳴らし(前)≪曇り時々晴れ≫

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 ——体育祭編——
 登場人物

 雨宮 湊あまみや みなと:2年B組、図書委員。
 神代 怜かみしろ れい:2年A組、生徒会副会長。
 伏見 朱里ふしみ あかり:2年B組、放送部。
 白河 透真しらかわ とうま:2年B組、中等部からの友人。陸上部。
 —————————

 月曜の朝の空気は、どこか浮ついていた。声の大きさも、足音の響きも、少しだけ高い。体育館の床にはワックスの匂いが薄く残り、靴底が鳴るたびに光が揺れた。高い窓から落ちる光は淡く、熱だけがどこかに置いていかれたみたいだ。

 体育館の中央で、学年ごとの抽選が始まった。赤・白・青・黄の色玉が混ざった箱が、学年主任の手でゆっくりと揺すられる。
 前列の方から、笑い声と小さな悲鳴が上がる。運動部のエースが赤を引いたとか、去年のリレー王が同じチームだとか、そういう情報が波になって押し寄せては笑いと共に引いていく。

『イカサマなし確認……よし』

 ケロスケが、俺のポケットの内側で小声の実況をする。

(審判気取りか)

 隣ではスイが白河の肩の上で首をかしげ、羽先で空気をひと撫でするように僅かな淀みを払った。ざわめきの縁が、半歩だけ遠のく。スイの“空気を整える力”は、こういう時ほんとにありがたい。不安や緊張といった心のもやを少しだけ薄めてくれるのだ。けれど本人はたぶん、気づいていない。

 列が進む。ひとり、またひとり。俺の番が近づくにつれて、箱の縁に当たる光が少しずつ強くなる。手を入れると、ひんやりした玉の感触が指先を滑る。ひとつを掴み、引き上げた。

「青!」

 先生の声が拡声器に乗って体育館全体に響く。拍手。すぐ後ろの列から、別の声。「白!」——歓声が上がる。さらに別の場所から「黄!」と続き、天井が四色の音で震える。その響きが届くたび、何かが始まっていく特有のうっすらとした高揚感で、鼓動がほんの少しだけ早くなる。

「お、同じだ。青!」

 振り向くと、伏見 朱里が笑って拳を軽く上げていた。イエローブラウンの髪が、体育館の光で一段明るく見える。自然とまっすぐ届く声に、俺は小さく頷く。

「……うん」
(……よかった、同じで)

 そう思った瞬間、頬の筋肉が固まった。嬉しい。のに、それを表に出すのが怖い。でも、胸の奥のどこかがじんわり熱い。

 壇上脇には、生徒会と放送部の面々が並んでいた。神代 怜が、名簿と進行表を胸の高さで抱えて立っている。淡い灰色のカーディガンが目についた。姿勢がきれいだ、なんて見ていると、視線がふっと下りてきて、俺の手元の色玉で止まる。

「青、か」
「……あ、うん」
「よかったね。青、君のイメージに合う色だ」

 言葉自体は穏やかで、声も静かだった。けれど、響きの奥にほんの一瞬、温度の段差があった。明るく聞こえるのに、肌に乗る温度だけが少し足りない。どこか“曇りガラス越し”みたいな音。笑っているのかどうか分からなくて、返事が一拍遅れた。

「……ありがとう?」

 語尾が上ずる。神代は軽く首を傾け、すぐに前を向いた。その横顔が、いつもより整いすぎて見えて、逆に息が詰まる。何かを押し隠したみたいな静けさ。
 俺が何か変なことを言ったのか、反省点を探しているうちに、拡声器がハウリングしそうに一瞬だけ高音を拾った。その瞬間、周囲の視線が数粒こちらに集まる。

(やめてくれ。スポット当てられるの、苦手なんだ)

 神代が目を細めた。誰に向けてなのか分からない視線。ほんの一瞬、朱里の方へ流れたようにも見えた。気のせいだろう。胸の奥が、雨の前みたいに少し重くなる。
 白河は黄。遠くから親指を立てて見せた。スイが『ぴ』と短く鳴く。

(……なんだろ。空気の“温度”が、少し変わった気がする)

 抽選が終わり、体育館の外へ出ると、空気はさらにお祭りめいていた。廊下ですれ違う女子が「ふっしーって誰とでも仲いいよね」と笑った。そこに悪意はない。けど、“誰とでも”という言葉は、空調の風に紛れて小さな棘みたいに皮膚の内側を撫でた。
 
 教室に戻ると、まだその感触が残っていた。前の席の男子が「青、今年強いな。三年の陸上の先輩も青らしい」と言い、後ろの席の女子が「白の子羨ましい!王子がいるし」とひそひそ囁き合っている。
 格差、というほどじゃない。でも、常に何かしら話題に名前が挙がるような人たちの温度と、ああ、居たんだと空気のような存在感の俺の温度は、確かに違う。卑屈になるわけではないが、学校という半閉鎖的な場所にはいつも、目に見えない段差がある。それを無理に飛び越えようとすれば、きっと音が立つ。音が立てば、誰かが振り向いて、違和感を覚える。だから俺は、ただ静かに自分の段に立つ。

『気圧差に弱いカエルです』
(はいはい)

 そう返すと、白河が肘で俺の机を軽くつついた。

「青か。よかったじゃん」
「……まぁ」
「顔が固いぞ」
「普通だよ」
「“普通”、な。好きな言葉だな、お前」

 白河は笑って、それ以上は踏み込まない。

(“普通”って言葉は、盾だ。守りにも逃げにも使える。たぶん俺は、それに甘えてる)

 スイが羽先で空気を撫でる。ざわめきが少し柔らぎ、教室の光がやわらかくなった。
 窓の外では、グラウンドの白線が朝の光を拾って、淡く光っていた。

(体育祭。……波風立てずに終われますように)

『フラグ、立ったな』

(やめろ!)
 
 ◇
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