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Ep.16 色玉の音、風鳴らし(後)≪曇り時々晴れ≫
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◇
放課後、青チームの制作会議は、美術室前の広い廊下で行われた。団旗と横断幕、両方を仕上げるための打ち合わせだ。三年生が中心になって、素材の買い出し班、縫製班、塗装班、運搬班などの班分けをしていく。
「団旗班、こっちな。スローガンは決まったけど……誰か、文字が得意な人」
誰かの声に続いて、別の誰かが「図書委員の雨宮、字きれいだよ」と言った。反射的に顔を上げて、すぐに視線を落とす。頬の内側に小さな熱が灯った。図書委員で手書きPOPを作っているの、どこかで伝わってたんだろう。
「じゃ、雨宮、レタリング頼んでいい?」
「……あ、はい」
「助かる」
朱里がいつもの調子で、何でもないみたいにサムズアップを向けてくる。
「湊、いつも丁寧だし。頼りにしてる」
(そういうの、簡単に言うなよ⋯⋯)
けれど、悪くなかった。悪くないと思った自分に、少し驚いた。
デザインの話が始まり、「波とか水っぽい感じがいい」という声が出た。別の誰かが「グラデーション入れたい」と乗っかる。下描き用の紙に、青の色鉛筆を走らせた。俺の手は、こういうときだけ、自動でいい方向に動く。真ん中にひと粒の滴。そこから円が広がる。波紋。波紋。濃い青から薄い青へ。
「いいじゃん、それ」
「真ん中の滴がスタートで、外に広がる感じ。応援っぽいし」
朱里が肩越しに覗き込む。近い。呼吸の温度が、耳のあたりに触れた気がした。心臓が余計な跳ね方をして、ケロスケが『心拍、軽く上昇』と実況する。
(黙れ)
「このグラデ、きれいだな。青って落ち着くけど、ちゃんと力ある」
「……うん、水っぽい感じにしたくて」
「湊らしい。静かだけど、芯がある」
朱里は笑う。“水”。その言い方が、ちょっとくすぐったい。光の粒が髪に混ざって、見とれる。視線をそらせば楽なのに、そらす方が不自然で、結局動けなかった。
布を広げると、織り目が思ったより粗い。絵の具をよく飲みそうだ。団旗班と横断幕班、それぞれが場所を分けて作業を始める。俺と朱里は団旗班。筆とローラー、霧吹き、マスキングテープ。それぞれ必要な道具を挙げて、買い出しリストに書き出していく。
手を動かすたびに、周りの声や笑いが重なっていく。筆の音、テープのちぎれる音、誰かの冗談——ばらばらだったリズムが、いつの間にか同じ方向を向いた。
その中に自分の動きが混ざる瞬間、チームの一員になれた気がして、胸の奥がじんわり熱を帯びた。
◇
廊下を移動していると、体育館脇の倉庫が半開きで、台車とケーブルの束が見えた。放送部の後輩らしい子が養生テープと格闘している。生徒会の腕章をつけた先輩が、チェックリストに赤い印を入れていく。段ボールには太マジックで「テント杭」「スタンション」「延長コード(長)」と書かれているのが目についた。作業の音に、外の風の音が混ざる。
「これ、動線に引っかかるな」
聞こえてきた声に振り向くと、進行表を手にした神代がケーブルのルートを目で追っていた。顔はいつも通りの礼儀正しさで、声だけが少し低い。
「こっち側、去年まではこうだったけど——」
「危ないですね。ここ人が通る」
「じゃ、ここにまとめて、上から養生で押さえて。……資料棚の“安全マニュアル”、確認した?」
「あ、しました。ここに——」
後輩が取り出したのは、透明のクリアファイルに入った見覚えのある冊子だった。タイトル。見出し。図。表紙だけしか見えなかったが、先月、俺が神代に渡したものだ。余白の添え書き、チェックボックスの角に、自分の筆圧の癖がにじむ。
「これ、もう一度目を通しておいて。去年みたいな導線の交差、事前に潰せる」
神代が、いつもの温度で言う。俺は足を止めた。気づかれない距離で、見られているみたいな感覚に喉が乾いた。
(——俺じゃなくても、誰かがやったら同じだった。たぶん)
それでも、紙に残る自分の筆圧を見た瞬間、胸の奥の温度がじわっと上がった。
◇
図書館の当番の日だった。
廊下を曲がって、体育祭準備で浮き立つ校舎から静かな方へ逃げる。半階分の階段を下りて、自動ドアを抜けると空気の密度が一段下がった。紙とインクの匂い、木の棚の軋む音。蛍光灯は半分だけ点いていて、窓から射す光と混ざって淡くなる。
貸出カウンターの上には返却された本の山。ページをめくる音が一枚ずつ時間を削っていくみたいで、息が合う。誰も声を出さない空間は、静かというより“整っている”。
椅子に腰を下ろすと、図書館の空気が肺に落ちてきて、やっと胸の真ん中が、いつもの位置に戻った。遠くの廊下から号令が響いて、ここに届く頃には、紙に吸い取られたみたいに静かになっていた。
◇
家に帰ると、曇り空はまだそのままだった。夕飯の下ごしらえをして、風呂の湯を張っておいて、机に座る。スマホを伏せていたけど、小さく震えた。
“AKARI”から——
《抽選、運が味方したな🦊》
指がいったん止まる。どこから返せばいいか、一瞬分からない。返す言葉に正解があるみたいに、考えすぎる癖は相変わらずだった。
《よろしく》
送信。白い吹き出しが、部屋の暗がりを一瞬だけ照らす。怖くない光。目に痛くない火。
『もっと何か言えんのか』
「そういうのは、徐々に」
『カエルの成長、徐々に』
思わず、笑ってしまう。ほんの少しだけ。
窓の外は、曇り時々晴れ。
ベランダの手すりに薄い光が乗って、すぐ雲に隠れた。明日から、本格的に準備が始まる。青い布の上に置いた下絵には、滴の中心、そこから広がる円。想像している自分が、楽しみなんだと気づく。
(“普通でいたい”って思うくせに、名前で呼ばれる日常が、少しだけうれしい)
両方の気持ちを両腕に持ったまま、呼吸を数える。三秒吸って、三秒止めて、三秒吐く。スイなら、こういうとき羽先で空気を整えるはずだ。
“誰とでも”の中の、ひとりでいい。そこに自分が混ざれたら、それでいいのに。机の端に、団旗のラフスケッチを広げる。真ん中の滴の位置を、鉛筆の先でほんの一ミリだけ、動かす。小さな調整。けれど、その一ミリで、絵の重心が変わる。それだけで、少しだけ世界と釣り合う気がした。
非日常のドアは、もう少しで開く。俺はその前で、靴ひもを結び直すみたいに、呼吸をそろえた。
放課後、青チームの制作会議は、美術室前の広い廊下で行われた。団旗と横断幕、両方を仕上げるための打ち合わせだ。三年生が中心になって、素材の買い出し班、縫製班、塗装班、運搬班などの班分けをしていく。
「団旗班、こっちな。スローガンは決まったけど……誰か、文字が得意な人」
誰かの声に続いて、別の誰かが「図書委員の雨宮、字きれいだよ」と言った。反射的に顔を上げて、すぐに視線を落とす。頬の内側に小さな熱が灯った。図書委員で手書きPOPを作っているの、どこかで伝わってたんだろう。
「じゃ、雨宮、レタリング頼んでいい?」
「……あ、はい」
「助かる」
朱里がいつもの調子で、何でもないみたいにサムズアップを向けてくる。
「湊、いつも丁寧だし。頼りにしてる」
(そういうの、簡単に言うなよ⋯⋯)
けれど、悪くなかった。悪くないと思った自分に、少し驚いた。
デザインの話が始まり、「波とか水っぽい感じがいい」という声が出た。別の誰かが「グラデーション入れたい」と乗っかる。下描き用の紙に、青の色鉛筆を走らせた。俺の手は、こういうときだけ、自動でいい方向に動く。真ん中にひと粒の滴。そこから円が広がる。波紋。波紋。濃い青から薄い青へ。
「いいじゃん、それ」
「真ん中の滴がスタートで、外に広がる感じ。応援っぽいし」
朱里が肩越しに覗き込む。近い。呼吸の温度が、耳のあたりに触れた気がした。心臓が余計な跳ね方をして、ケロスケが『心拍、軽く上昇』と実況する。
(黙れ)
「このグラデ、きれいだな。青って落ち着くけど、ちゃんと力ある」
「……うん、水っぽい感じにしたくて」
「湊らしい。静かだけど、芯がある」
朱里は笑う。“水”。その言い方が、ちょっとくすぐったい。光の粒が髪に混ざって、見とれる。視線をそらせば楽なのに、そらす方が不自然で、結局動けなかった。
布を広げると、織り目が思ったより粗い。絵の具をよく飲みそうだ。団旗班と横断幕班、それぞれが場所を分けて作業を始める。俺と朱里は団旗班。筆とローラー、霧吹き、マスキングテープ。それぞれ必要な道具を挙げて、買い出しリストに書き出していく。
手を動かすたびに、周りの声や笑いが重なっていく。筆の音、テープのちぎれる音、誰かの冗談——ばらばらだったリズムが、いつの間にか同じ方向を向いた。
その中に自分の動きが混ざる瞬間、チームの一員になれた気がして、胸の奥がじんわり熱を帯びた。
◇
廊下を移動していると、体育館脇の倉庫が半開きで、台車とケーブルの束が見えた。放送部の後輩らしい子が養生テープと格闘している。生徒会の腕章をつけた先輩が、チェックリストに赤い印を入れていく。段ボールには太マジックで「テント杭」「スタンション」「延長コード(長)」と書かれているのが目についた。作業の音に、外の風の音が混ざる。
「これ、動線に引っかかるな」
聞こえてきた声に振り向くと、進行表を手にした神代がケーブルのルートを目で追っていた。顔はいつも通りの礼儀正しさで、声だけが少し低い。
「こっち側、去年まではこうだったけど——」
「危ないですね。ここ人が通る」
「じゃ、ここにまとめて、上から養生で押さえて。……資料棚の“安全マニュアル”、確認した?」
「あ、しました。ここに——」
後輩が取り出したのは、透明のクリアファイルに入った見覚えのある冊子だった。タイトル。見出し。図。表紙だけしか見えなかったが、先月、俺が神代に渡したものだ。余白の添え書き、チェックボックスの角に、自分の筆圧の癖がにじむ。
「これ、もう一度目を通しておいて。去年みたいな導線の交差、事前に潰せる」
神代が、いつもの温度で言う。俺は足を止めた。気づかれない距離で、見られているみたいな感覚に喉が乾いた。
(——俺じゃなくても、誰かがやったら同じだった。たぶん)
それでも、紙に残る自分の筆圧を見た瞬間、胸の奥の温度がじわっと上がった。
◇
図書館の当番の日だった。
廊下を曲がって、体育祭準備で浮き立つ校舎から静かな方へ逃げる。半階分の階段を下りて、自動ドアを抜けると空気の密度が一段下がった。紙とインクの匂い、木の棚の軋む音。蛍光灯は半分だけ点いていて、窓から射す光と混ざって淡くなる。
貸出カウンターの上には返却された本の山。ページをめくる音が一枚ずつ時間を削っていくみたいで、息が合う。誰も声を出さない空間は、静かというより“整っている”。
椅子に腰を下ろすと、図書館の空気が肺に落ちてきて、やっと胸の真ん中が、いつもの位置に戻った。遠くの廊下から号令が響いて、ここに届く頃には、紙に吸い取られたみたいに静かになっていた。
◇
家に帰ると、曇り空はまだそのままだった。夕飯の下ごしらえをして、風呂の湯を張っておいて、机に座る。スマホを伏せていたけど、小さく震えた。
“AKARI”から——
《抽選、運が味方したな🦊》
指がいったん止まる。どこから返せばいいか、一瞬分からない。返す言葉に正解があるみたいに、考えすぎる癖は相変わらずだった。
《よろしく》
送信。白い吹き出しが、部屋の暗がりを一瞬だけ照らす。怖くない光。目に痛くない火。
『もっと何か言えんのか』
「そういうのは、徐々に」
『カエルの成長、徐々に』
思わず、笑ってしまう。ほんの少しだけ。
窓の外は、曇り時々晴れ。
ベランダの手すりに薄い光が乗って、すぐ雲に隠れた。明日から、本格的に準備が始まる。青い布の上に置いた下絵には、滴の中心、そこから広がる円。想像している自分が、楽しみなんだと気づく。
(“普通でいたい”って思うくせに、名前で呼ばれる日常が、少しだけうれしい)
両方の気持ちを両腕に持ったまま、呼吸を数える。三秒吸って、三秒止めて、三秒吐く。スイなら、こういうとき羽先で空気を整えるはずだ。
“誰とでも”の中の、ひとりでいい。そこに自分が混ざれたら、それでいいのに。机の端に、団旗のラフスケッチを広げる。真ん中の滴の位置を、鉛筆の先でほんの一ミリだけ、動かす。小さな調整。けれど、その一ミリで、絵の重心が変わる。それだけで、少しだけ世界と釣り合う気がした。
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