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線路は故郷へ続かない
第二話「腕で開く自動改札」
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バスが走り去った後も、私はしばらくその場から動けなかった。秋の冷たい風が頬を撫で、先ほどまでの混乱した頭を少しずつ冷やしていく。
何だったの、今のバス。新しいサービス? それとも何かの社会実験?
いくつもの疑問符が頭に浮かぶけれど、答えは出ない。考えていても仕方がない。とにかく、早く家に帰ろう。母が作ってくれた温かいシチューが、今すぐにでも食べたかった。
私は気を取り直して、見慣れた駅の入り口へと歩を進めた。ガラス張りの自動ドアを抜けると、蛍光灯の白い光と、人々が行き交う雑踏の音が迎えてくれる。うん、いつもと同じ。さっきのバスでの出来事が、まるで悪い夢だったかのように思えてくる。
ほっと胸をなでおろし、私は改札口へと向かった。学生鞄のサイドポケットから、定期入れを取り出す。猫のマスコットがついた、中学の頃から使っている年季の入ったものだ。
改札機に体を向け、ICカードをかざそうと手を伸ばした、その時。
「…………え?」
指が、空を切った。
いつもあるはずの、あの青白く光るICカードの読み取り部分が、どこにもないのだ。
私が使おうとした改札機だけじゃない。横に並ぶすべての改札機が、のっぺりとした平らなプラスチックで覆われている。まるで、初めからそんな機能は存在しなかったとでも言うように。
呆然と立ち尽くす私の横を、会社員らしいスーツ姿の男性が通り過ぎていく。彼は定期入れなど持っていなかった。ただ、曲げた右腕を、読み取り部分があるはずの場所に軽くかざす。
『ピッ』
軽やかな電子音と共に、パタン、とゲートが開いた。男性は何もなかったかのように、まっすぐホームへと向かっていく。
一人だけではない。学生も、おばあさんも、誰も彼もが、まるでそれが当たり前だというように、自身の「腕」をかざして改札を通り抜けていくのだ。
誰一人として、ICカードや切符を持っている人はいない。
――腕になにか巻き付けてるとかつけてるというわけではなかった。
ゴクリと、喉が鳴った。
バスの一件が、悪夢ではなかったのだと突きつけられる。ここは、私の知っている場所と、何かが決定的に違う。
後ろから人が来ている気配を感じ、私は慌てて列から外れた。壁際に寄り、行き交う人々をただ眺める。
どうしよう。どうすればいい? 駅員さんに聞く? なんて? 「ICカードをかざす場所はどこですか」って? そんなことを聞けば、きっと不審な顔をされるだけだ。
もう、試してみるしかない。
心臓が早鐘を打つのを感じながら、私はもう一度、改札機の前に立った。周りの人の動きを真似て、恐る恐る、ブレザーの袖の上から右腕を平らな部分に近づける。
もし、これでゲートが開かなかったら。もし、けたたましいブザーでも鳴り響いたら。
ほんの数センチの距離が、とてつもなく遠く感じた。
『ピッ』
祈るような気持ちでかざした腕先から、先ほどと同じ軽やかな音が響いた。目の前のゲートが、私を迎え入れるように静かに開く。
私は、息を止めたまま、そのゲートを通り抜けた。
通過した先で振り返ると、ゲートはもう冷たく閉ざされている。
バスの車掌が二人いたこと。運賃を払わずに降りたこと。そして、腕で開くこの自動改札。
あまりにも現実離れした出来事の連続に、思考が追いつかない。
(なんだか、すごくリアルな夢を見ているみたいだ)
そう思った瞬間、ふっと体の力が抜けた。そうだ、夢だ。きっと疲れていて、バスでうたた寝でもしてしまったのだろう。そうでなければ、こんな奇妙なことばかり起こるはずがない。
夢の中なら、おかしなことが起きても不思議じゃない。それなら、このおかしなルールに従って、早く家に帰るというゴールを目指せばいい。
私は妙に納得して、ホームへと続く階段を上り始めた。
夢だと分かれば、さっきまでの恐怖も少し和らぐ。むしろ、この夢がどんな結末を迎えるのか、少しだけ興味が湧いてくるくらいだった。
ホームに上がると、見慣れた電光掲示板が目に入る。
『普通 〇〇方面行き 17:32』
行き先も時間も、いつも通り。私はほっと息をつき、ホームのベンチに腰を下ろした。
もうすぐ、このおかしな夢も覚めるだろう。
そんな軽い気持ちで、私は迫ってくる電車のヘッドライトを待っていた。
何だったの、今のバス。新しいサービス? それとも何かの社会実験?
いくつもの疑問符が頭に浮かぶけれど、答えは出ない。考えていても仕方がない。とにかく、早く家に帰ろう。母が作ってくれた温かいシチューが、今すぐにでも食べたかった。
私は気を取り直して、見慣れた駅の入り口へと歩を進めた。ガラス張りの自動ドアを抜けると、蛍光灯の白い光と、人々が行き交う雑踏の音が迎えてくれる。うん、いつもと同じ。さっきのバスでの出来事が、まるで悪い夢だったかのように思えてくる。
ほっと胸をなでおろし、私は改札口へと向かった。学生鞄のサイドポケットから、定期入れを取り出す。猫のマスコットがついた、中学の頃から使っている年季の入ったものだ。
改札機に体を向け、ICカードをかざそうと手を伸ばした、その時。
「…………え?」
指が、空を切った。
いつもあるはずの、あの青白く光るICカードの読み取り部分が、どこにもないのだ。
私が使おうとした改札機だけじゃない。横に並ぶすべての改札機が、のっぺりとした平らなプラスチックで覆われている。まるで、初めからそんな機能は存在しなかったとでも言うように。
呆然と立ち尽くす私の横を、会社員らしいスーツ姿の男性が通り過ぎていく。彼は定期入れなど持っていなかった。ただ、曲げた右腕を、読み取り部分があるはずの場所に軽くかざす。
『ピッ』
軽やかな電子音と共に、パタン、とゲートが開いた。男性は何もなかったかのように、まっすぐホームへと向かっていく。
一人だけではない。学生も、おばあさんも、誰も彼もが、まるでそれが当たり前だというように、自身の「腕」をかざして改札を通り抜けていくのだ。
誰一人として、ICカードや切符を持っている人はいない。
――腕になにか巻き付けてるとかつけてるというわけではなかった。
ゴクリと、喉が鳴った。
バスの一件が、悪夢ではなかったのだと突きつけられる。ここは、私の知っている場所と、何かが決定的に違う。
後ろから人が来ている気配を感じ、私は慌てて列から外れた。壁際に寄り、行き交う人々をただ眺める。
どうしよう。どうすればいい? 駅員さんに聞く? なんて? 「ICカードをかざす場所はどこですか」って? そんなことを聞けば、きっと不審な顔をされるだけだ。
もう、試してみるしかない。
心臓が早鐘を打つのを感じながら、私はもう一度、改札機の前に立った。周りの人の動きを真似て、恐る恐る、ブレザーの袖の上から右腕を平らな部分に近づける。
もし、これでゲートが開かなかったら。もし、けたたましいブザーでも鳴り響いたら。
ほんの数センチの距離が、とてつもなく遠く感じた。
『ピッ』
祈るような気持ちでかざした腕先から、先ほどと同じ軽やかな音が響いた。目の前のゲートが、私を迎え入れるように静かに開く。
私は、息を止めたまま、そのゲートを通り抜けた。
通過した先で振り返ると、ゲートはもう冷たく閉ざされている。
バスの車掌が二人いたこと。運賃を払わずに降りたこと。そして、腕で開くこの自動改札。
あまりにも現実離れした出来事の連続に、思考が追いつかない。
(なんだか、すごくリアルな夢を見ているみたいだ)
そう思った瞬間、ふっと体の力が抜けた。そうだ、夢だ。きっと疲れていて、バスでうたた寝でもしてしまったのだろう。そうでなければ、こんな奇妙なことばかり起こるはずがない。
夢の中なら、おかしなことが起きても不思議じゃない。それなら、このおかしなルールに従って、早く家に帰るというゴールを目指せばいい。
私は妙に納得して、ホームへと続く階段を上り始めた。
夢だと分かれば、さっきまでの恐怖も少し和らぐ。むしろ、この夢がどんな結末を迎えるのか、少しだけ興味が湧いてくるくらいだった。
ホームに上がると、見慣れた電光掲示板が目に入る。
『普通 〇〇方面行き 17:32』
行き先も時間も、いつも通り。私はほっと息をつき、ホームのベンチに腰を下ろした。
もうすぐ、このおかしな夢も覚めるだろう。
そんな軽い気持ちで、私は迫ってくる電車のヘッドライトを待っていた。
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