その腕は、やさしい地獄

沙夜

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京のかりそめ

第十四話「理由のいらない優しさ」

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穏やかな寮生活とは裏腹に、私の心は常に焦燥感に駆られていた。
日中は、手がかりを求めて京都中の図書館を渡り歩いた。郷土資料、民俗学、果てはオカルトや理論物理学の専門書まで、僅かでも異世界に繋がりそうな本を片っ端から読み漁る。しかし、そこに書かれているのは荒唐無稽な魔術の話か、到底理解できない数式ばかりだった。
夜は布団に潜り込み、スマートフォンの小さな画面を頼りに、ネットの世界を彷徨った。「異世界 転移」「パラレルワールド 帰り方」。思いつく限りのキーワードで検索をかけても、ヒットするのは出来のいい小説や、信憑性のない都市伝説だけ。

一度だけ、なけなしのお金を使って、超電導リニアで埼玉の地元まで戻ったこともある。
あの日の同じ時間に、同じバスに乗れば、何かが変わるかもしれない。そんな藁にもすがる思いで試してみたが、結局何も起こらなかった。私の家があった場所には、今日も知らない家族が住む、知らない家が建っているだけだった。

考えうる限りの全ての方法が、行き止まりにぶつかる。
時間だけが、無情に過ぎていく。

その夜、私はリビングのソファで、膝を抱えてうずくまっていた。
もう、どうすればいいのか分からない。尽きるかと思っていた涙が、また後から後から込み上げてくる。
途方に暮れて静かに泣いていると、ふわり、と隣のソファが軋む音がした。

顔を上げると、いつの間にかそこに伊織先輩が座っていた。彼は何も言わず、マグカップを二つ持っていた。その片方を、私の前に、ことり、と静かに置いてくれる。
湯気の立つカップから、甘いココアの香りがした。

「……ありがとう、ございます」
「どういたしまして」

彼は、それ以上何も聞いてこなかった。
どうして泣いているのか、何に悲しんでいるのか、一切尋ねない。ただ、私が落ち着くまで、静かに隣に座っていてくれる。その理由のいらない優しさが、張り詰めていた私の心を、ゆっくりと溶かしていった。

別の夜には、こんなこともあった。
いつものように二人でコーヒーを飲んでいる時、彼がぽつりと尋ねてきたのだ。

「美緒ちゃんは、ご家族とは連絡、取ってへんの?」

その言葉に、私は心臓を掴まれたように、びくりと体を硬くした。
何と答えればいい?
『私の家族は、この世界にはいないから』?
そんなこと、言えるはずがない。言葉に詰まり、俯いてしまった私を見て、伊織先輩は全てを察したように、穏やかな声で言った。

「……ごめん。踏み込んだこと、聞いたね」

彼は、それ以上は何も追求しなかった。
きっと、「親の都合で家を出ている」という私の表向きの事情の裏に、何か複雑な家庭の悩みがあるのだと、そう解釈してくれたのだろう。
私の嘘を、それ以上暴こうとはしない。その繊細な気遣いが、たまらなく嬉しかった。

この世界に来てから、私の周りには常に分厚い壁があった。誰にも本当のことは言えず、たった一人で戦っている。
でも、伊織先輩と一緒にいる時だけは、その壁を少しだけ忘れることができた。
彼は、私の心の、一番柔らかい場所に、そっと寄り添ってくれる。

この優しさが、いつか私を駄目にしてしまうかもしれない。
そんな予感を覚えながらも、私は彼に惹かれていくのを、もう止めることができなかった。
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