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あなたのいる地獄へ
私の戦場
「奏! 走れ!」
あの夜、冷たく告げられた絶望の象徴。私の本当の名前。
それが今、私を逃がすための必死の叫びとなって、鼓膜を突き破った。
身体は、命令通りに出口へ向かって走り出そうとする。けれど、足が動かない。
振り返ってしまった。
自由になった片腕だけで、椅子を盾にしながら、多勢に無勢の状況で獰猛な獣のように向かっていく湊さんの姿を、見てしまった。扉の外から、鮫島の部下たちが銃を構えてなだれ込んでくる。絶望的な状況。
今、ここで私が逃げたら?
私はまた、ただ守られるだけの弱い女に戻るだけだ。彼が命懸けで作ってくれたこの好機を、自分のためだけに使うのか?
違う。
楓さんの言葉が、雷鳴のように頭の中で響く。
『覚悟を決めなさい。あの男の地獄についていく覚悟をよ』
私の地獄は、もうここだ。
私私は踵を返し、出口とは逆の方向へ――湊さんが戦う混乱の中心へと、走り出した。
手にした武器は、仲居の商売道具である、重い金属製のお盆。
「このアマがっ!」
部屋になだれ込んできた組員の一人が、私に気づいて銃口を向ける。
私は恐怖に目を閉じる代わりに、その男に向かって、全力でお盆を投げつけた。
ガン!と甲高い金属音が響き、お盆は男の銃を持つ手に当たり、狙いを逸らせる。その一瞬の隙を、湊さんが見逃すはずがなかった。彼は床を蹴り、別の組員の懐に飛び込むと、その男から拳銃を奪い取っていた。
銃声が、部屋に轟く。
けれど、敵の数は多すぎる。
私も、近くのテーブルにあったウイスキーのボトルを掴むと、手当たり次第に投げつけた。ガラスの割れる派手な音が、敵の神経を逆撫でする。高級クラブのVIPルームは、今や硝煙と怒号が渦巻く、私たちの戦場だった。
「奏! こっちだ!」
湊さんが、私を庇うように叫ぶ。
その時だった。部屋の扉が、外から吹き飛ぶような勢いで破壊された。
なだれ込んできたのは、鮫島の部下ではない。シゲさんを先頭にした、檜山組の屈強な男たちだった。
「若! ご無事ですか!」
シゲさんの叫び声と共に、戦いの趨勢は一瞬で決した。
あっという間に敵の組員たちは制圧されていく。シゲさんが私の腕を掴み、安全な壁際まで引き寄せてくれた。
「佳奈ちゃん、無事か!?」
「はい…!」
私は頷きながら、部屋の中央を見つめた。
湊さんは、もう私を見てはいなかった。
その血に濡れた瞳は、ただ一人、部屋の奥で呆然と立ち尽くす鮫島だけを捉えている。
獲物を前にした、龍の瞳だった。
私は、息を呑んでその光景を見つめていた。
心臓が、激しく高鳴る。それはもう、恐怖から来るものではなかった。
初めて、自分の意志で彼の地獄に飛び込み、彼の隣で戦った。
私はもう、守られるだけの存在ではない。
この人の隣に立つ。
その覚悟の本当の意味を、私は今、この硝煙の匂いの中で、ようやく理解したのだ。
あの夜、冷たく告げられた絶望の象徴。私の本当の名前。
それが今、私を逃がすための必死の叫びとなって、鼓膜を突き破った。
身体は、命令通りに出口へ向かって走り出そうとする。けれど、足が動かない。
振り返ってしまった。
自由になった片腕だけで、椅子を盾にしながら、多勢に無勢の状況で獰猛な獣のように向かっていく湊さんの姿を、見てしまった。扉の外から、鮫島の部下たちが銃を構えてなだれ込んでくる。絶望的な状況。
今、ここで私が逃げたら?
私はまた、ただ守られるだけの弱い女に戻るだけだ。彼が命懸けで作ってくれたこの好機を、自分のためだけに使うのか?
違う。
楓さんの言葉が、雷鳴のように頭の中で響く。
『覚悟を決めなさい。あの男の地獄についていく覚悟をよ』
私の地獄は、もうここだ。
私私は踵を返し、出口とは逆の方向へ――湊さんが戦う混乱の中心へと、走り出した。
手にした武器は、仲居の商売道具である、重い金属製のお盆。
「このアマがっ!」
部屋になだれ込んできた組員の一人が、私に気づいて銃口を向ける。
私は恐怖に目を閉じる代わりに、その男に向かって、全力でお盆を投げつけた。
ガン!と甲高い金属音が響き、お盆は男の銃を持つ手に当たり、狙いを逸らせる。その一瞬の隙を、湊さんが見逃すはずがなかった。彼は床を蹴り、別の組員の懐に飛び込むと、その男から拳銃を奪い取っていた。
銃声が、部屋に轟く。
けれど、敵の数は多すぎる。
私も、近くのテーブルにあったウイスキーのボトルを掴むと、手当たり次第に投げつけた。ガラスの割れる派手な音が、敵の神経を逆撫でする。高級クラブのVIPルームは、今や硝煙と怒号が渦巻く、私たちの戦場だった。
「奏! こっちだ!」
湊さんが、私を庇うように叫ぶ。
その時だった。部屋の扉が、外から吹き飛ぶような勢いで破壊された。
なだれ込んできたのは、鮫島の部下ではない。シゲさんを先頭にした、檜山組の屈強な男たちだった。
「若! ご無事ですか!」
シゲさんの叫び声と共に、戦いの趨勢は一瞬で決した。
あっという間に敵の組員たちは制圧されていく。シゲさんが私の腕を掴み、安全な壁際まで引き寄せてくれた。
「佳奈ちゃん、無事か!?」
「はい…!」
私は頷きながら、部屋の中央を見つめた。
湊さんは、もう私を見てはいなかった。
その血に濡れた瞳は、ただ一人、部屋の奥で呆然と立ち尽くす鮫島だけを捉えている。
獲物を前にした、龍の瞳だった。
私は、息を呑んでその光景を見つめていた。
心臓が、激しく高鳴る。それはもう、恐怖から来るものではなかった。
初めて、自分の意志で彼の地獄に飛び込み、彼の隣で戦った。
私はもう、守られるだけの存在ではない。
この人の隣に立つ。
その覚悟の本当の意味を、私は今、この硝煙の匂いの中で、ようやく理解したのだ。
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