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第十四章
相棒の誓い
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廃ビルでの死闘から、一夜が明けた。
健介は、瓦礫と化したリビングだった場所で、静かに朝日が昇るのを眺めていた。全身を走る激痛と、失った日常への喪失感。だが、彼の心は、不思議なほどに静かだった。覚悟が、恐怖を上回っていた。
『……くそっ!』
脳内に響くダリアの声は、怒りと、それ以上に、どうしようもない無力感に苛まれているようだった。
『カシウスめ、人間などを引き入れて……! 今すぐ奴の喉笛を掻き切りたいというのに、我はこの様だ! この器から離れることもできず……!』
その悲痛な叫びに、健介は、不謹慎ながらも少しだけ口元を緩めた。
(あんたもな)
彼は、心の中で、静かにツッコミを入れた。
(いや、カシウスは人間を『引き入れた』のかも知れないが、あんたは人間に『入った』方だろう)
健介の思考を読んだダリアが、一瞬、絶句したのが分かった。
やがて、彼女は、悔しそうに、しかし、どこかおかしたそうに、か細い声で答えた。
『……それを言われると、ぐうの音も出んわ。…それも含めて、今の我は、無力じゃ』
その弱々しいが、人間味のある響きを聞き、健介は静かに立ち上がった。
朝日が、遠くに見える街並みを照らし出している。だが、彼が帰るべき家は、もうどこにもなかった。家族も、思い出も、全て、昨夜までのものだ。
だが、失って初めて、守るべきものの本当の価値を知った。
「一人で行けないなら、俺も行けばいいんだろう」
健介は、誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
『……何を言う。正気か、ケンスケ』
ダリアの声に、戸惑いが混じる。
「正気だ」と健介は続けた。「このままじゃ、俺の家族が危ないままだ。ゼノスを倒しても、また次の刺客が来るんだろう? カシウスとかいう奴と、それをそそのかした『人間』を叩かない限り、俺たちの平穏は永遠に脅かされ続けるんだ。家族を本当に守るためには、根本を断つしかない」
彼は、自らの左腕を見つめた。
「それに……もう、お前だけの問題じゃない。俺は、お前のおかげで、失いかけていた全てを取り戻せた。会社でも、家族とも……。今度は、俺がお前を助ける番だ」
ダリアは、しばらく黙り込んだ後、健介の覚悟を試すように、厳かに告げた。
『だが、言っておくぞ、ケンスケ。一度、我の世界に渡れば、再びこの世界に戻れる保証はどこにもない。それでも、行くのか?』
健介は、朝日が照らす街並みを見つめた。そこには、彼が守りたいと願う、妻と娘の穏やかな暮らしがある。
彼は、不敵に、そして少しだけ寂しそうに笑った。
「おいおい、今更、水臭いこと言うなよ。俺たちは『相棒』なんだろ?」
ダリアは、しばらく黙り込んだ。そして、健介の脳内に響いたのは、これまでにないほど、穏やかで、そして力強い声だった。
『……ああ。相棒、だ。……そして、ケンスケ。お主に、感謝する』
「それはお互い様だ。俺も、あんたに感謝してる」
二人はそれ以外、もう何も言わなかった。
ただ、健介の左腕に、温かい何かが流れ込むのを感じた。
「それで、どうやってあんたの世界に行くんだ?」
健介が尋ねると、ダリアは、彼らの進むべき道筋を、静かに語り始めた。
『観測者だ。カシウスが反乱を起こした時、私を裏切らなかった、数少ない味方だ。彼らと合流できれば、再び我の世界への道を開くことができる』
『そもそも、我をこの世界に逃がしたのは、本国に残った観測者たちだ。彼らが最後の力で次元の道を開き、我をこの世界に送ったのだ。この地にいる同胞たちと再起するためにな』
そして、ダリアはこう付け加えた。『そして、この世界にいる同胞たちもまた、ただ待っていたわけではあるまい。あの日からずっと、忠義の者どもが、我を探し続けていたはずだ。……この我自身が、力を完全に隠蔽する禁呪を使ったせいで、彼らにも見つけられずにいただけよ』
『彼らには、定期的に集い、情報を交換するための『接触点』が、いくつか存在する。その中でも、最も重要な接触点の一つが、この国にある、とある酒場じゃ』
ダリアの記憶から、健介の意識に、断片的なイメージが流れ込んでくる。
それは、彼女がかつて目にした、観測者からの報告書に添付されていた、一枚の写真の記憶だった。
薄暗い、地下へ続く階段。重厚な木の扉。そして、扉に刻まれた、青い獅子の紋章。
「青い獅子……ブルームーン、いや、ブルーライオンか……」
健介は、ボロボロの体を引きずって瓦礫の中から探し出したスマートフォンで、思い当たるキーワードを打ち込んでいく。「バー」「地下」「青い獅子」。
いくつかの候補が表示されたが、ダリアが伝える「古い煉瓦造り」という特徴と一致するのは、市内の歓楽街にある、一軒のジャズバーだけだった。
「……あったぞ、ダリア。これだ」
健介が、スマートフォンの画面を自らの目に映す。
『……間違いない。ここじゃ』
健介は、立ち上がった。体はボロボロだったが、その目には、明確な光が宿っていた。
やるべきことは、決まった。
まず、会社に退職のけじめをつける。
そして、最後に一度だけ、妻と娘の顔を見ておく。
それが済んだら、この酒場へ向かう。
健介は、朝日の中を、歩き始めた。
もう、彼の足取りに、かつてのような迷いはなかった。
健介は、瓦礫と化したリビングだった場所で、静かに朝日が昇るのを眺めていた。全身を走る激痛と、失った日常への喪失感。だが、彼の心は、不思議なほどに静かだった。覚悟が、恐怖を上回っていた。
『……くそっ!』
脳内に響くダリアの声は、怒りと、それ以上に、どうしようもない無力感に苛まれているようだった。
『カシウスめ、人間などを引き入れて……! 今すぐ奴の喉笛を掻き切りたいというのに、我はこの様だ! この器から離れることもできず……!』
その悲痛な叫びに、健介は、不謹慎ながらも少しだけ口元を緩めた。
(あんたもな)
彼は、心の中で、静かにツッコミを入れた。
(いや、カシウスは人間を『引き入れた』のかも知れないが、あんたは人間に『入った』方だろう)
健介の思考を読んだダリアが、一瞬、絶句したのが分かった。
やがて、彼女は、悔しそうに、しかし、どこかおかしたそうに、か細い声で答えた。
『……それを言われると、ぐうの音も出んわ。…それも含めて、今の我は、無力じゃ』
その弱々しいが、人間味のある響きを聞き、健介は静かに立ち上がった。
朝日が、遠くに見える街並みを照らし出している。だが、彼が帰るべき家は、もうどこにもなかった。家族も、思い出も、全て、昨夜までのものだ。
だが、失って初めて、守るべきものの本当の価値を知った。
「一人で行けないなら、俺も行けばいいんだろう」
健介は、誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
『……何を言う。正気か、ケンスケ』
ダリアの声に、戸惑いが混じる。
「正気だ」と健介は続けた。「このままじゃ、俺の家族が危ないままだ。ゼノスを倒しても、また次の刺客が来るんだろう? カシウスとかいう奴と、それをそそのかした『人間』を叩かない限り、俺たちの平穏は永遠に脅かされ続けるんだ。家族を本当に守るためには、根本を断つしかない」
彼は、自らの左腕を見つめた。
「それに……もう、お前だけの問題じゃない。俺は、お前のおかげで、失いかけていた全てを取り戻せた。会社でも、家族とも……。今度は、俺がお前を助ける番だ」
ダリアは、しばらく黙り込んだ後、健介の覚悟を試すように、厳かに告げた。
『だが、言っておくぞ、ケンスケ。一度、我の世界に渡れば、再びこの世界に戻れる保証はどこにもない。それでも、行くのか?』
健介は、朝日が照らす街並みを見つめた。そこには、彼が守りたいと願う、妻と娘の穏やかな暮らしがある。
彼は、不敵に、そして少しだけ寂しそうに笑った。
「おいおい、今更、水臭いこと言うなよ。俺たちは『相棒』なんだろ?」
ダリアは、しばらく黙り込んだ。そして、健介の脳内に響いたのは、これまでにないほど、穏やかで、そして力強い声だった。
『……ああ。相棒、だ。……そして、ケンスケ。お主に、感謝する』
「それはお互い様だ。俺も、あんたに感謝してる」
二人はそれ以外、もう何も言わなかった。
ただ、健介の左腕に、温かい何かが流れ込むのを感じた。
「それで、どうやってあんたの世界に行くんだ?」
健介が尋ねると、ダリアは、彼らの進むべき道筋を、静かに語り始めた。
『観測者だ。カシウスが反乱を起こした時、私を裏切らなかった、数少ない味方だ。彼らと合流できれば、再び我の世界への道を開くことができる』
『そもそも、我をこの世界に逃がしたのは、本国に残った観測者たちだ。彼らが最後の力で次元の道を開き、我をこの世界に送ったのだ。この地にいる同胞たちと再起するためにな』
そして、ダリアはこう付け加えた。『そして、この世界にいる同胞たちもまた、ただ待っていたわけではあるまい。あの日からずっと、忠義の者どもが、我を探し続けていたはずだ。……この我自身が、力を完全に隠蔽する禁呪を使ったせいで、彼らにも見つけられずにいただけよ』
『彼らには、定期的に集い、情報を交換するための『接触点』が、いくつか存在する。その中でも、最も重要な接触点の一つが、この国にある、とある酒場じゃ』
ダリアの記憶から、健介の意識に、断片的なイメージが流れ込んでくる。
それは、彼女がかつて目にした、観測者からの報告書に添付されていた、一枚の写真の記憶だった。
薄暗い、地下へ続く階段。重厚な木の扉。そして、扉に刻まれた、青い獅子の紋章。
「青い獅子……ブルームーン、いや、ブルーライオンか……」
健介は、ボロボロの体を引きずって瓦礫の中から探し出したスマートフォンで、思い当たるキーワードを打ち込んでいく。「バー」「地下」「青い獅子」。
いくつかの候補が表示されたが、ダリアが伝える「古い煉瓦造り」という特徴と一致するのは、市内の歓楽街にある、一軒のジャズバーだけだった。
「……あったぞ、ダリア。これだ」
健介が、スマートフォンの画面を自らの目に映す。
『……間違いない。ここじゃ』
健介は、立ち上がった。体はボロボロだったが、その目には、明確な光が宿っていた。
やるべきことは、決まった。
まず、会社に退職のけじめをつける。
そして、最後に一度だけ、妻と娘の顔を見ておく。
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