食欲不振の竜王様と、捨てられ聖女の硬い食卓

葉山あおい

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本編

第四十二話 小さな命と竜王の狼狽

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 オリエント皇国との「食料同盟」締結から数ヶ月。

 ドラゴニアの食卓には、東方から輸入された「米」や「醤油」を使った新メニューが並ぶようになり、リリアナが食べる料理も、作る料理のバリエーションは飛躍的に広がっていた。

『超圧縮・黒曜石おにぎり』

『ミスリル米のチャーハン』

『鋼鉄せんべい(醤油味)』

 どれもイグニスや兵士たちに大好評で、城内は平和そのものだった。

 ――はずだったのだが。

 ある朝の食堂。リリアナはいつものように、イグニスの向かいに座り、朝食を摂ろうとしていた。

 今日のメニューは、焼きたての『アダマント・トースト』に、たっぷりのバターを塗ったもの。

「……うっ」

 香ばしいバターの香りが鼻を掠めた瞬間、突然、世界が回ったような目眩と、胸の奥からこみ上げる不快感に襲われた。

「リリアナ?」

 ガリガリとトーストを齧っていたイグニスが、すぐに異変に気づいた。

「どうした、顔色が悪いぞ。……また働きすぎか? まさか、毒!?」

 彼は血相を変えて立ち上がり、リリアナに駆け寄った。リリアナは口元を押さえ、首を横に振るのが精一杯だった。毒ではない。でも、体の中の魔力が、お腹のあたりに急速に吸い取られていくような、奇妙な感覚がある。

「医者を呼べ!! 今すぐにだ!!」

 イグニスの雷のような怒号が城中に響き渡った。

 数十分後、寝室。リリアナはベッドに横たわり、竜人の老医師の診察を受けていた。

 イグニスは部屋の隅で、まるで檻の中の熊のようにウロウロと歩き回り、爪を噛んでいる。

「……ふむ」

 医師が聴診器を離し、髭を撫でた。

「おい、どうなんだ! リリアナは助かるのか!? どんな希少な薬草でも俺が採ってくる、だから――」

「落ち着いてください、陛下」

 医師は苦笑し、リリアナと、そして陛下を交互に見て、穏やかに告げた。

「ご病気ではありません。……ご懐妊ですよ」

 時が止まった。イグニスが、口を開けたまま固まった。

「……は?」

「ですから、リリアナ様のお腹に、新しい命が宿っております。魔力の吸い上げが激しいのは、お子様が竜の血を強く引いている証拠でしょう」

 医師の言葉が、リリアナの頭の中で反響する。

(……赤ちゃん。私と、イグニス様の……)

「……俺の子、だと?」

 イグニスが、恐る恐るベッドに近づいてきた。

 その表情は、かつて見たことがないほど崩れていた。驚き、歓喜、不安、そして深い愛おしさ。感情が飽和して、言葉が出てこないようだ。

「リリアナ……」

「はい、イグニス様」

 彼はベッドの脇に膝をつき、震える手でリリアナの手を握り、そして布団の上からそっとお腹に触れた。

「ここに……俺たちの子がいるのか」

「ええ。とても元気なようで、わたくしの魔力をすごい勢いで食べていますわ」

「そうか……そうか……!」

 イグニスの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。最強の竜王が、子どものように泣いていた。

「ありがとう……ありがとう、リリアナ。約束する。俺が、この命に代えても、お前とこの子を守り抜く。世界中のあらゆる敵から、飢えから、寒さから、絶対に守ってみせる!」

 彼はリリアナの手を額に押し当て、誓いの言葉を紡いだ。その熱量に、リリアナも涙が止まらなかった。

 新しい命。それはリリアナたち夫婦にとって、何よりの満腹をもたらす幸福の始まりだった。
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