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本編
第四十一話 東方からのスパイス
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月明かりの下、黒竜城の中庭は異様な熱気に包まれていた。
祭りの宴会騒ぎは一時中断し、兵士も市民も固唾を飲んで中央を見つめている。
対峙するのは、我らが竜王イグニスと、東の大国オリエント皇国の第三皇子に仕えるという謎の少年。
「……本気でやるの? リリアナ様」
隣でリコが心配そうに囁く。リリアナは頷きつつ、祈るように手を組んだ。
「大丈夫よ。イグニス様は手加減ができる方だし、ジン様も無謀な突撃をする方には見えません。これは……そう、食後の運動よ」
そう言い聞かせるリリアナの目の前で、ジンがスッと剣を構えた。彼が抜いたのは、ドラゴニアの大剣とは異なる、細身で優美な片刃の剣。
「参ります」
挨拶が終わるか終わらないかの刹那。
シュンッ!
ジンの姿が掻き消えた。
「速いっ!?」
観客がどよめく。
瞬きする間にイグニスの懐へと潜り込み、その細剣を一閃させる。
狙うは首元。だが、殺気はない。あくまで一太刀を入れるための鋭い軌道。
ガギィィィン!!
金属音が夜空に響いた。ジンの剣を止めたのは、イグニスの左腕――そこに展開された、漆黒の竜鱗だった。
「……ほう」
イグニスがニヤリと笑う。
「蚊が止まったかと思ったぞ。だが、速さは褒めてやろう」
「硬いですね……! これでもオリエントではかなり強いほうだと自負しているのですが」
ジンは即座にバックステップで距離を取った。彼の額には汗が滲んでいるが、その表情は楽しげだ。
「それに、驚きました。先程食べた『鋼鉄ポテトフライ』……あれの腹持ちが異常に良い。動くたびに、胃の腑から熱いエネルギーが湧き上がってきます」
「だろう? リリアナの料理は、食えば食うほど強くなる」
イグニスは自慢げに胸を張った。ジンは剣を正眼に構え直し、深く息を吐いた。
「では、そのエネルギーを全開放して、もう一撃!」
ジンが再び加速する。今度は直線ではない。残像を生むような変則的な動きで王を翻弄し、死角から鋭い突きを放つ。
イグニスはそれを、最小限の動きで――時には指先で弾き、時には鱗で受け止め、余裕綽々で捌いていく。
傍から見れば、舞踏のような美しい攻防だった。東の『柔』と『速』。竜の『剛』と『堅』。異なる強さがぶつかり合い、火花を散らす。
そして数合の後。ジンの剣先が、イグニスの胸元のボタンを一つ、弾き飛ばした。同時に、イグニスの拳がジンの鼻先寸前でピタリと止まっていた。
その拳から放たれた風圧だけで、ジンの長い黒髪が激しく後ろへなびく。
「……そこまで!」
ザイード将軍が叫び、二人の間に割って入った。
静寂が訪れる。ジンは剣を収め、ふぅ、と息を吐いて苦笑した。
「……完敗です。ボタン一つ飛ばすのが限界とは。もしあの拳が当たっていたら、私は今頃、隣の山まで飛んでいっていたでしょう」
「フン。なかなかやるではないか。俺の服に傷をつけた人間は、お前が初めてだ」
イグニスも拳を下ろし、満足げに頷いた。どうやら、男同士の奇妙な友情のようなものが芽生えたらしい。
「さて、賭けの結果ですが」
ジンはリリアナに向き直り、優雅に一礼した。
「一太刀は入れましたが、実質的な敗北です。王妃殿下を連れ帰ることは諦めましょう」
「当然だ」
イグニスが鼻を鳴らす。しかし、ジンは商売人の目を光らせて続けた。
「ですが、この『鋼鉄ポテト』や『爆弾串』の有用性は身を以て知りました。そこで提案です。レシピの提供……いえ、『技術提携』といきませんか?」
「技術提携?」
リリアナが首を傾げると、ジンは懐から小袋を取り出した。
封を開けた瞬間、ツンとした刺激的で、食欲をそそる香りが漂った。
「これは……スパイス!?」
「はい。我がオリエント皇国特産の香辛料です。それから、我が国には『米』という穀物や、『醤油』という調味料もあります」
米! 醤油!
その単語を聞いた瞬間、リリアナの料理人魂に火がついた。
ドラゴニアの食材は肉と根菜ばかりで、味付けも塩とハーブのみと単調になりがちだった。もし東方の調味料が手に入れば、料理のレパートリーは無限に広がる。『激硬煎餅』や『超圧縮おにぎり』、『ドラゴニア風角煮』……夢が広がる!
「イグニス様!」
リリアナはイグニスに詰め寄った。
「提携しましょう! 私のお料理レシピと引き換えに、オリエントの調味料と穀物を輸入するのです! これは国益に関わる重大事案です!」
「リ、リリアナがそこまで言うなら……」
リリアナの勢いに押され、イグニスもタジタジだ。
ジンは計算通りとばかりに微笑んだ。
「交渉成立ですね。……では、これよりドラゴニアとオリエントは、食における同盟国となりましょう」
こうして、祭りの夜の決闘は、まさかの食料同盟締結へと繋がった。
最強の「硬さ」を持つドラゴニア料理に、東方の「香り」と「味」が加わる。それは、さらなる美食の誕生を予感させる出来事だった。
***
一方その頃。サザランド王国の公爵邸では、腹痛からようやく回復したセバスチャンが、新たな報告に頭を抱えていた。
「ド、ドラゴニアがオリエントと国交を結んだだと……!?」
リリアナを取り巻く世界は、彼女の料理と共に、ますます大きく、強固なものへと変わろうとしていた。
祭りの宴会騒ぎは一時中断し、兵士も市民も固唾を飲んで中央を見つめている。
対峙するのは、我らが竜王イグニスと、東の大国オリエント皇国の第三皇子に仕えるという謎の少年。
「……本気でやるの? リリアナ様」
隣でリコが心配そうに囁く。リリアナは頷きつつ、祈るように手を組んだ。
「大丈夫よ。イグニス様は手加減ができる方だし、ジン様も無謀な突撃をする方には見えません。これは……そう、食後の運動よ」
そう言い聞かせるリリアナの目の前で、ジンがスッと剣を構えた。彼が抜いたのは、ドラゴニアの大剣とは異なる、細身で優美な片刃の剣。
「参ります」
挨拶が終わるか終わらないかの刹那。
シュンッ!
ジンの姿が掻き消えた。
「速いっ!?」
観客がどよめく。
瞬きする間にイグニスの懐へと潜り込み、その細剣を一閃させる。
狙うは首元。だが、殺気はない。あくまで一太刀を入れるための鋭い軌道。
ガギィィィン!!
金属音が夜空に響いた。ジンの剣を止めたのは、イグニスの左腕――そこに展開された、漆黒の竜鱗だった。
「……ほう」
イグニスがニヤリと笑う。
「蚊が止まったかと思ったぞ。だが、速さは褒めてやろう」
「硬いですね……! これでもオリエントではかなり強いほうだと自負しているのですが」
ジンは即座にバックステップで距離を取った。彼の額には汗が滲んでいるが、その表情は楽しげだ。
「それに、驚きました。先程食べた『鋼鉄ポテトフライ』……あれの腹持ちが異常に良い。動くたびに、胃の腑から熱いエネルギーが湧き上がってきます」
「だろう? リリアナの料理は、食えば食うほど強くなる」
イグニスは自慢げに胸を張った。ジンは剣を正眼に構え直し、深く息を吐いた。
「では、そのエネルギーを全開放して、もう一撃!」
ジンが再び加速する。今度は直線ではない。残像を生むような変則的な動きで王を翻弄し、死角から鋭い突きを放つ。
イグニスはそれを、最小限の動きで――時には指先で弾き、時には鱗で受け止め、余裕綽々で捌いていく。
傍から見れば、舞踏のような美しい攻防だった。東の『柔』と『速』。竜の『剛』と『堅』。異なる強さがぶつかり合い、火花を散らす。
そして数合の後。ジンの剣先が、イグニスの胸元のボタンを一つ、弾き飛ばした。同時に、イグニスの拳がジンの鼻先寸前でピタリと止まっていた。
その拳から放たれた風圧だけで、ジンの長い黒髪が激しく後ろへなびく。
「……そこまで!」
ザイード将軍が叫び、二人の間に割って入った。
静寂が訪れる。ジンは剣を収め、ふぅ、と息を吐いて苦笑した。
「……完敗です。ボタン一つ飛ばすのが限界とは。もしあの拳が当たっていたら、私は今頃、隣の山まで飛んでいっていたでしょう」
「フン。なかなかやるではないか。俺の服に傷をつけた人間は、お前が初めてだ」
イグニスも拳を下ろし、満足げに頷いた。どうやら、男同士の奇妙な友情のようなものが芽生えたらしい。
「さて、賭けの結果ですが」
ジンはリリアナに向き直り、優雅に一礼した。
「一太刀は入れましたが、実質的な敗北です。王妃殿下を連れ帰ることは諦めましょう」
「当然だ」
イグニスが鼻を鳴らす。しかし、ジンは商売人の目を光らせて続けた。
「ですが、この『鋼鉄ポテト』や『爆弾串』の有用性は身を以て知りました。そこで提案です。レシピの提供……いえ、『技術提携』といきませんか?」
「技術提携?」
リリアナが首を傾げると、ジンは懐から小袋を取り出した。
封を開けた瞬間、ツンとした刺激的で、食欲をそそる香りが漂った。
「これは……スパイス!?」
「はい。我がオリエント皇国特産の香辛料です。それから、我が国には『米』という穀物や、『醤油』という調味料もあります」
米! 醤油!
その単語を聞いた瞬間、リリアナの料理人魂に火がついた。
ドラゴニアの食材は肉と根菜ばかりで、味付けも塩とハーブのみと単調になりがちだった。もし東方の調味料が手に入れば、料理のレパートリーは無限に広がる。『激硬煎餅』や『超圧縮おにぎり』、『ドラゴニア風角煮』……夢が広がる!
「イグニス様!」
リリアナはイグニスに詰め寄った。
「提携しましょう! 私のお料理レシピと引き換えに、オリエントの調味料と穀物を輸入するのです! これは国益に関わる重大事案です!」
「リ、リリアナがそこまで言うなら……」
リリアナの勢いに押され、イグニスもタジタジだ。
ジンは計算通りとばかりに微笑んだ。
「交渉成立ですね。……では、これよりドラゴニアとオリエントは、食における同盟国となりましょう」
こうして、祭りの夜の決闘は、まさかの食料同盟締結へと繋がった。
最強の「硬さ」を持つドラゴニア料理に、東方の「香り」と「味」が加わる。それは、さらなる美食の誕生を予感させる出来事だった。
***
一方その頃。サザランド王国の公爵邸では、腹痛からようやく回復したセバスチャンが、新たな報告に頭を抱えていた。
「ド、ドラゴニアがオリエントと国交を結んだだと……!?」
リリアナを取り巻く世界は、彼女の料理と共に、ますます大きく、強固なものへと変わろうとしていた。
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