王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする

葉山あおい

文字の大きさ
36 / 81
本編 

第二十八話 鉄の女の懇願とメイド長の条件

しおりを挟む
 食材がいっぱいに入ったカゴを持ち、息を切らして王宮の回廊を駆け抜けるメイドの姿に、すれ違う衛兵や文官たちがぎょっとして道を空けた。

 普段なら「廊下を走るのはマナー違反です」と冷ややかに注意するはずの鉄の女――エレナ・フォスター自身が、なりふり構わず走っているのだから、彼らが驚くのも無理はない。

 エレナは心臓が早鐘を打つのを感じながら、王宮の奥にある一室――メイド長室の重厚な扉の前に立った。カゴを置き、呼吸を整え、乱れた髪とエプロンを素早く直す。

 コン、コン。ノックの音は、決意の固さを表すように強かった。

「お入りなさい」

 中から聞こえたのは、聞き慣れた、厳しくも落ち着いた声だった。エレナは扉を開け、入室するなり最敬礼をした。

「失礼いたします。北の塔専属メイド、エレナ・フォスターです。マーサ様に折り入ってお願いがございます」

 執務机に向かっていた老婦人――メイド長マーサは、眼鏡の奥の瞳を細めてエレナを見た。

「あら、珍しい。貴女が定例報告以外でここに来るなんて。……それに、随分と気迫に満ちた顔をしているわね」

「はい。本日は、私の進退に関わることで参りました」

 エレナは一歩前に進み出ると、真っ直ぐにマーサを見据えた。

「私を、王宮の『侍女見習い』に推薦していただけないでしょうか」

 部屋の空気が止まった。マーサはペンを置き、ゆっくりと両手を組んだ。その表情から、穏やかさが消える。

「……本気で言っているの? エレナ」

「本気です」

「貴女は平民よ。侍女は貴族の令嬢が務めるもの。その不文律を、貴女ほど理解している人間はいないはずでしょう?」

「存じております。ですが、今の私にはそれが必要なのです」

 エレナは言葉を続けた。シルヴィスの専属侍女になりたいこと。彼を守り、支えるためには、メイドという立場では限界があること。そして何より、彼と対等に向き合うために、自分自身の殻を破りたいこと。

「身の程知らずの願いであることは重々承知しております。ですが、騎士団長様より、マーサ様がかつて王妃殿下の侍女を務められ、準男爵の爵位をお持ちだと伺いました。貴女様の推薦があれば、侍女見習いとしての道が開けるかも、と」

 そこまで一気に言うと、エレナは絨毯に額を擦り付けんばかりに深く腰を折った。

「お願いします、マーサ様。私に、侍女への道を開いてはいただけないでしょうか」

 プライドの高い鉄の女が、なりふり構わず懇願している。その姿を、マーサは静かに見下ろしていた。やがて、深いため息が部屋に落ちた。

「……頭を上げなさい」

 エレナが顔を上げると、マーサはどこか懐かしむような、遠い目をして窓の外を見ていた。

「昔の私を見ているようだわ。……私もね、平民出身だったのよ」

「え……?」

「ただの仕立て屋の娘だった私が、王妃殿下にお仕えしたくて、血の滲むような努力をして侍女になった。爵位はその功績で賜ったものよ。……だから、平民が侍女になることの過酷さは、誰よりも知っているつもり」

 マーサは厳しい視線をエレナに戻した。

「いばらの道よ。貴族の娘たちからは妬まれ、いじめられる。失敗すれば『これだから平民は』と嘲笑われる。貴女の今の『完璧なメイド』としての評価すら、地に落ちるかもしれない。……それでも、やる覚悟はある?」

「あります。泥水だって啜ってみせます」

 即答だった。その瞳には、一点の迷いもない。マーサはふっと口元を緩め、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。

「いいでしょう。その心意気に免じて、推薦状を書いてあげます」

「ありがとうございます……!」

「ただし!」

 マーサの声が鋭くなった。

「条件があります。来月行われる『王宮侍女選抜試験』。これに首席で合格すること」

「しゅ、首席ですか!?」

「当たり前よ。平民が特例で入るのなら、誰からも文句が出ないほどの実力を見せつけなければならない。筆記、礼法、実技、教養……全てにおいて満点を取るつもりで挑みなさい。もし二席以下なら、推薦は取り消します」

 それは、あまりにも高いハードルだった。受験者の多くは、幼い頃から英才教育を受けてきた貴族の令嬢たちだ。彼女たちを抑えてトップに立つなど、至難の業だ。だが、エレナは不敵に笑った。

「……望むところです」

「ふふ、その減らず口があれば大丈夫そうね」

***

 北の塔に戻ったエレナを迎えたのは、心配そうにエントランスをうろうろしていたシルヴィスだった。

「遅いぞ。買い出しにどれだけ時間をかけているんだ」

「申し訳ありません。少し、寄り道をしておりました」

 エレナはバスケットを置き、シルヴィスに向き直った。

「シルヴィス様。ご報告があります」

「なんだ」

「マーサ様より、侍女見習いになるための選抜試験への推薦をいただきました。……来月、私は試験を受けます。そして必ず合格して、自分の力で貴女様の侍女になってみせます」

 宣言するエレナの顔は、夕日を受けて輝いていた。

 シルヴィスは一瞬きょとんとした後、嬉しさを隠しきれない様子でニヤリと笑った。

「……だが、試験勉強はどうするんだ? お前の教養は偏っているぞ」

「……それは、独学でなんとか……」

「馬鹿を言え。目の前に、国一番の天才がいるだろう?」

 シルヴィスはエレナの手を取り、ぐいっと引き寄せた。

「俺が教えてやる。歴史も、法学も、礼儀作法も……俺の侍女になるなら、完璧に仕上げてやる。スパルタだぞ、覚悟しておけ」

「……はい! よろしくお願いいたします、先生」

 こうして、北の塔での新たな生活が始まった。昼はメイドとして働き、夜はシルヴィスによる鬼の猛特訓。愛と根性と、美味しい夜食に彩られた受験勉強の日々が、幕を開けたのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王宮地味女官、只者じゃねぇ

宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。 しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!? 王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。 訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ―― さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。 「おら、案内させてもらいますけんの」 その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。 王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」 副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」 ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」 そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」 けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。 王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。 訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る―― これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。 ★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。

想定外の異世界トリップ。希望先とは違いますが…

宵森みなと
恋愛
異世界へと導かれた美咲は、運命に翻弄されながらも、力強く自分の道を歩き始める。 いつか、異世界にと想像していた世界とはジャンル違いで、美咲にとっては苦手なファンタジー系。 しかも、女性が少なく、結婚相手は5人以上と恋愛初心者にはハードな世界。 だが、偶然のようでいて、どこか必然のような出会いから、ともに過ごす日々のなかで芽生える絆と、ゆっくりと積み重ねられていく感情。 不器用に愛し、愛する人に理解されず、傷ついた時、女神の神殿で見つけた、もう一つの居場所。 差し出された優しさと、新たな想いに触れながら、 彼女は“自分のための人生”を選び初める。 これは、一人の女性が異世界で出逢い、傷つき、そして強くなって“本当の愛”を重ねていく物語です。

枯れ専モブ令嬢のはずが…どうしてこうなった!

宵森みなと
恋愛
気づけば異世界。しかもモブ美少女な伯爵令嬢に転生していたわたくし。 静かに余生——いえ、学園生活を送る予定でしたのに、魔法暴発事件で隠していた全属性持ちがバレてしまい、なぜか王子に目をつけられ、魔法師団から訓練指導、さらには騎士団長にも出会ってしまうという急展開。 ……団長様方、どうしてそんなに推せるお顔をしていらっしゃるのですか? 枯れ専なわたくしの理性がもちません——と思いつつ、学園生活を謳歌しつつ魔法の訓練や騎士団での治療の手助けと 忙しい日々。残念ながらお子様には興味がありませんとヒロイン(自称)の取り巻きへの塩対応に、怒らせると意外に強烈パンチの言葉を話すモブ令嬢(自称) これは、恋と使命のはざまで悩む“ちんまり美少女令嬢”が、騎士団と王都を巻き込みながら心を育てていく、 ――枯れ専ヒロインのほんわか異世界成長ラブファンタジーです。

虐げられていた次期公爵の四歳児の契約母になります!~幼子を幸せにしたいのに、未来の旦那様である王太子が私を溺愛してきます~

八重
恋愛
伯爵令嬢フローラは、公爵令息ディーターの婚約者。 しかし、そんな日々の裏で心を痛めていることが一つあった。 それはディーターの異母弟、四歳のルイトが兄に虐げられていること。 幼い彼を救いたいと思った彼女は、「ある計画」の準備を進めることにする。 それは、ルイトを救い出すための唯一の方法──。 そんな時、フローラはディーターから突然婚約破棄される。 婚約破棄宣言を受けた彼女は「今しかない」と計画を実行した。 彼女の計画、それは自らが代理母となること。 だが、この代理母には国との間で結ばれた「ある契約」が存在して……。 こうして始まったフローラの代理母としての生活。 しかし、ルイトの無邪気な笑顔と可愛さが、フローラの苦労を温かい喜びに変えていく。 さらに、見目麗しいながら策士として有名な第一王子ヴィルが、フローラに興味を持ち始めて……。 ほのぼの心温まる、子育て溺愛ストーリーです。 ※ヒロインが序盤くじけがちな部分ありますが、それをバネに強くなります ※「小説家になろう」が先行公開です(第二章開始しました)

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」 ※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】

iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。 小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

婚約破棄された令嬢は氷の公爵に拾われ、気づけば溺愛されていました~見下してきたあなた、後悔してももう遅いわ~

exdonuts
恋愛
婚約者である王太子に理不尽な罪をなすりつけられ、婚約破棄された公爵令嬢レティシア。 家族にも見放され、絶望の淵にいた彼女の手を取ったのは「氷の公爵」と呼ばれる冷徹な青年・アランだった。 愛を知らずに生きてきた彼の優しさが、傷ついたレティシアの心を少しずつ溶かしていく。 一方、過去の悪行が暴かれ始めた王太子とその取り巻きたち。 ざまぁが爽快、愛が深く、運命が巡る。 涙と笑顔の“溺愛ざまぁ”ロマンス。

処理中です...