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本編
第二十八話 鉄の女の懇願とメイド長の条件
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食材がいっぱいに入ったカゴを持ち、息を切らして王宮の回廊を駆け抜けるメイドの姿に、すれ違う衛兵や文官たちがぎょっとして道を空けた。
普段なら「廊下を走るのはマナー違反です」と冷ややかに注意するはずの鉄の女――エレナ・フォスター自身が、なりふり構わず走っているのだから、彼らが驚くのも無理はない。
エレナは心臓が早鐘を打つのを感じながら、王宮の奥にある一室――メイド長室の重厚な扉の前に立った。カゴを置き、呼吸を整え、乱れた髪とエプロンを素早く直す。
コン、コン。ノックの音は、決意の固さを表すように強かった。
「お入りなさい」
中から聞こえたのは、聞き慣れた、厳しくも落ち着いた声だった。エレナは扉を開け、入室するなり最敬礼をした。
「失礼いたします。北の塔専属メイド、エレナ・フォスターです。マーサ様に折り入ってお願いがございます」
執務机に向かっていた老婦人――メイド長マーサは、眼鏡の奥の瞳を細めてエレナを見た。
「あら、珍しい。貴女が定例報告以外でここに来るなんて。……それに、随分と気迫に満ちた顔をしているわね」
「はい。本日は、私の進退に関わることで参りました」
エレナは一歩前に進み出ると、真っ直ぐにマーサを見据えた。
「私を、王宮の『侍女見習い』に推薦していただけないでしょうか」
部屋の空気が止まった。マーサはペンを置き、ゆっくりと両手を組んだ。その表情から、穏やかさが消える。
「……本気で言っているの? エレナ」
「本気です」
「貴女は平民よ。侍女は貴族の令嬢が務めるもの。その不文律を、貴女ほど理解している人間はいないはずでしょう?」
「存じております。ですが、今の私にはそれが必要なのです」
エレナは言葉を続けた。シルヴィスの専属侍女になりたいこと。彼を守り、支えるためには、メイドという立場では限界があること。そして何より、彼と対等に向き合うために、自分自身の殻を破りたいこと。
「身の程知らずの願いであることは重々承知しております。ですが、騎士団長様より、マーサ様がかつて王妃殿下の侍女を務められ、準男爵の爵位をお持ちだと伺いました。貴女様の推薦があれば、侍女見習いとしての道が開けるかも、と」
そこまで一気に言うと、エレナは絨毯に額を擦り付けんばかりに深く腰を折った。
「お願いします、マーサ様。私に、侍女への道を開いてはいただけないでしょうか」
プライドの高い鉄の女が、なりふり構わず懇願している。その姿を、マーサは静かに見下ろしていた。やがて、深いため息が部屋に落ちた。
「……頭を上げなさい」
エレナが顔を上げると、マーサはどこか懐かしむような、遠い目をして窓の外を見ていた。
「昔の私を見ているようだわ。……私もね、平民出身だったのよ」
「え……?」
「ただの仕立て屋の娘だった私が、王妃殿下にお仕えしたくて、血の滲むような努力をして侍女になった。爵位はその功績で賜ったものよ。……だから、平民が侍女になることの過酷さは、誰よりも知っているつもり」
マーサは厳しい視線をエレナに戻した。
「いばらの道よ。貴族の娘たちからは妬まれ、いじめられる。失敗すれば『これだから平民は』と嘲笑われる。貴女の今の『完璧なメイド』としての評価すら、地に落ちるかもしれない。……それでも、やる覚悟はある?」
「あります。泥水だって啜ってみせます」
即答だった。その瞳には、一点の迷いもない。マーサはふっと口元を緩め、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。
「いいでしょう。その心意気に免じて、推薦状を書いてあげます」
「ありがとうございます……!」
「ただし!」
マーサの声が鋭くなった。
「条件があります。来月行われる『王宮侍女選抜試験』。これに首席で合格すること」
「しゅ、首席ですか!?」
「当たり前よ。平民が特例で入るのなら、誰からも文句が出ないほどの実力を見せつけなければならない。筆記、礼法、実技、教養……全てにおいて満点を取るつもりで挑みなさい。もし二席以下なら、推薦は取り消します」
それは、あまりにも高いハードルだった。受験者の多くは、幼い頃から英才教育を受けてきた貴族の令嬢たちだ。彼女たちを抑えてトップに立つなど、至難の業だ。だが、エレナは不敵に笑った。
「……望むところです」
「ふふ、その減らず口があれば大丈夫そうね」
***
北の塔に戻ったエレナを迎えたのは、心配そうにエントランスをうろうろしていたシルヴィスだった。
「遅いぞ。買い出しにどれだけ時間をかけているんだ」
「申し訳ありません。少し、寄り道をしておりました」
エレナはバスケットを置き、シルヴィスに向き直った。
「シルヴィス様。ご報告があります」
「なんだ」
「マーサ様より、侍女見習いになるための選抜試験への推薦をいただきました。……来月、私は試験を受けます。そして必ず合格して、自分の力で貴女様の侍女になってみせます」
宣言するエレナの顔は、夕日を受けて輝いていた。
シルヴィスは一瞬きょとんとした後、嬉しさを隠しきれない様子でニヤリと笑った。
「……だが、試験勉強はどうするんだ? お前の教養は偏っているぞ」
「……それは、独学でなんとか……」
「馬鹿を言え。目の前に、国一番の天才がいるだろう?」
シルヴィスはエレナの手を取り、ぐいっと引き寄せた。
「俺が教えてやる。歴史も、法学も、礼儀作法も……俺の侍女になるなら、完璧に仕上げてやる。スパルタだぞ、覚悟しておけ」
「……はい! よろしくお願いいたします、先生」
こうして、北の塔での新たな生活が始まった。昼はメイドとして働き、夜はシルヴィスによる鬼の猛特訓。愛と根性と、美味しい夜食に彩られた受験勉強の日々が、幕を開けたのである。
普段なら「廊下を走るのはマナー違反です」と冷ややかに注意するはずの鉄の女――エレナ・フォスター自身が、なりふり構わず走っているのだから、彼らが驚くのも無理はない。
エレナは心臓が早鐘を打つのを感じながら、王宮の奥にある一室――メイド長室の重厚な扉の前に立った。カゴを置き、呼吸を整え、乱れた髪とエプロンを素早く直す。
コン、コン。ノックの音は、決意の固さを表すように強かった。
「お入りなさい」
中から聞こえたのは、聞き慣れた、厳しくも落ち着いた声だった。エレナは扉を開け、入室するなり最敬礼をした。
「失礼いたします。北の塔専属メイド、エレナ・フォスターです。マーサ様に折り入ってお願いがございます」
執務机に向かっていた老婦人――メイド長マーサは、眼鏡の奥の瞳を細めてエレナを見た。
「あら、珍しい。貴女が定例報告以外でここに来るなんて。……それに、随分と気迫に満ちた顔をしているわね」
「はい。本日は、私の進退に関わることで参りました」
エレナは一歩前に進み出ると、真っ直ぐにマーサを見据えた。
「私を、王宮の『侍女見習い』に推薦していただけないでしょうか」
部屋の空気が止まった。マーサはペンを置き、ゆっくりと両手を組んだ。その表情から、穏やかさが消える。
「……本気で言っているの? エレナ」
「本気です」
「貴女は平民よ。侍女は貴族の令嬢が務めるもの。その不文律を、貴女ほど理解している人間はいないはずでしょう?」
「存じております。ですが、今の私にはそれが必要なのです」
エレナは言葉を続けた。シルヴィスの専属侍女になりたいこと。彼を守り、支えるためには、メイドという立場では限界があること。そして何より、彼と対等に向き合うために、自分自身の殻を破りたいこと。
「身の程知らずの願いであることは重々承知しております。ですが、騎士団長様より、マーサ様がかつて王妃殿下の侍女を務められ、準男爵の爵位をお持ちだと伺いました。貴女様の推薦があれば、侍女見習いとしての道が開けるかも、と」
そこまで一気に言うと、エレナは絨毯に額を擦り付けんばかりに深く腰を折った。
「お願いします、マーサ様。私に、侍女への道を開いてはいただけないでしょうか」
プライドの高い鉄の女が、なりふり構わず懇願している。その姿を、マーサは静かに見下ろしていた。やがて、深いため息が部屋に落ちた。
「……頭を上げなさい」
エレナが顔を上げると、マーサはどこか懐かしむような、遠い目をして窓の外を見ていた。
「昔の私を見ているようだわ。……私もね、平民出身だったのよ」
「え……?」
「ただの仕立て屋の娘だった私が、王妃殿下にお仕えしたくて、血の滲むような努力をして侍女になった。爵位はその功績で賜ったものよ。……だから、平民が侍女になることの過酷さは、誰よりも知っているつもり」
マーサは厳しい視線をエレナに戻した。
「いばらの道よ。貴族の娘たちからは妬まれ、いじめられる。失敗すれば『これだから平民は』と嘲笑われる。貴女の今の『完璧なメイド』としての評価すら、地に落ちるかもしれない。……それでも、やる覚悟はある?」
「あります。泥水だって啜ってみせます」
即答だった。その瞳には、一点の迷いもない。マーサはふっと口元を緩め、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。
「いいでしょう。その心意気に免じて、推薦状を書いてあげます」
「ありがとうございます……!」
「ただし!」
マーサの声が鋭くなった。
「条件があります。来月行われる『王宮侍女選抜試験』。これに首席で合格すること」
「しゅ、首席ですか!?」
「当たり前よ。平民が特例で入るのなら、誰からも文句が出ないほどの実力を見せつけなければならない。筆記、礼法、実技、教養……全てにおいて満点を取るつもりで挑みなさい。もし二席以下なら、推薦は取り消します」
それは、あまりにも高いハードルだった。受験者の多くは、幼い頃から英才教育を受けてきた貴族の令嬢たちだ。彼女たちを抑えてトップに立つなど、至難の業だ。だが、エレナは不敵に笑った。
「……望むところです」
「ふふ、その減らず口があれば大丈夫そうね」
***
北の塔に戻ったエレナを迎えたのは、心配そうにエントランスをうろうろしていたシルヴィスだった。
「遅いぞ。買い出しにどれだけ時間をかけているんだ」
「申し訳ありません。少し、寄り道をしておりました」
エレナはバスケットを置き、シルヴィスに向き直った。
「シルヴィス様。ご報告があります」
「なんだ」
「マーサ様より、侍女見習いになるための選抜試験への推薦をいただきました。……来月、私は試験を受けます。そして必ず合格して、自分の力で貴女様の侍女になってみせます」
宣言するエレナの顔は、夕日を受けて輝いていた。
シルヴィスは一瞬きょとんとした後、嬉しさを隠しきれない様子でニヤリと笑った。
「……だが、試験勉強はどうするんだ? お前の教養は偏っているぞ」
「……それは、独学でなんとか……」
「馬鹿を言え。目の前に、国一番の天才がいるだろう?」
シルヴィスはエレナの手を取り、ぐいっと引き寄せた。
「俺が教えてやる。歴史も、法学も、礼儀作法も……俺の侍女になるなら、完璧に仕上げてやる。スパルタだぞ、覚悟しておけ」
「……はい! よろしくお願いいたします、先生」
こうして、北の塔での新たな生活が始まった。昼はメイドとして働き、夜はシルヴィスによる鬼の猛特訓。愛と根性と、美味しい夜食に彩られた受験勉強の日々が、幕を開けたのである。
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