王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする

葉山あおい

文字の大きさ
37 / 81
本編 

第二十九話 地獄の猛特訓と必勝のカツサンド

しおりを挟む
「――違う。その解釈では六十点だ」

 深夜の北の塔。静まり返ったリビングに、シルヴィスの冷徹な声が響いた。普段の気怠げな様子はどこへやら、現在の彼は教鞭――実際には指示棒代わりの短い杖を手にした、鬼の家庭教師と化していた。

 テーブルの上には、塔のように積み上げられた歴史書、法典、そしてマナーの教本。その向こう側で、エレナは目の下に隈を作りながら、必死に羊皮紙にペンを走らせている。

「王国の憲法第十三条における『貴族の責務』とは、単なる領地経営のことではない。有事の際における軍事力の提供と、王家への絶対的な忠誠、そして『ノブレス・オブリージュ』により、民の安寧を守る精神的支柱となることだ。既に一度教えたはずだが……記憶力に自信があるのではなかったか?」

「も、申し訳ありません……。関連判例の方と混同しておりました」

「言い訳無用。罰として、過去の判例集をあとで三回書き写せ」

「はい……」

 エレナはガクリと項垂うなだれた。シルヴィスのスパルタ教育は、予想を遥かに超えていた。

 彼は天才だ。魔術にしか興味がないように見えるが、一度読んだ本の内容は忘れず、複雑な法解釈も一瞬で理解する。ゆえに、所詮は秀才であるエレナが「なぜ覚えられないのか」が理解できないらしく、その指導は容赦がなかった。

「……はぁ。休憩だ。これ以上やっても効率が落ちる」

 時計の針が深夜二時を回ったところで、ようやくシルヴィスが杖を置いた。

 エレナはその場に突っ伏した。

「死ぬかと思いました……。シルヴィス様、教え方が厳しすぎます」

「これでも手加減している。……メイド長が言ったんだろう? 『首席で合格しろ』と。侍女を目指す令嬢の中には、生まれた頃から侍女になるためだけに教育を受けて来た者もいると聞く。生半可な知識では勝てんぞ」

 シルヴィスの言葉はもっともだった。筆記試験の範囲は膨大だ。歴史、文学、法学、数学、魔術理論、芸術論。これらを短期間で詰め込まなければならない。

「……ですが、腹が減っては戦はできませんね」

 エレナはよろよろと立ち上がると、キッチンへと向かった。疲れた脳には、ガツンとくるエネルギーが必要だ。そして何より、今の自分には勝つための験担ぎが必要だった。

「お夜食をご用意します」

 十分後。香ばしい匂いと共に運ばれてきたのは、四角くカットされたサンドイッチだった。ただし、中身はいつもの上品なハムやキュウリではない。分厚い豚肉に衣をつけて揚げた、揚げたてのカツレツだ。たっぷりのキャベツと共に、特製のソースを絡めてパンに挟んである。

「『特製・必勝カツサンド』です」

「……カツ?」

「はい。『勝つ』という言葉にかけています。東方の国では、勝負事の前に食べる縁起物だとか」

 シルヴィスは鼻で笑ったが、その手は素早くサンドイッチに伸びていた。大きく口を開けてかぶりつく。サクッ、という小気味よい音が深夜のリビングに響いた。

「……ん」

 シルヴィスの目が開かれる。衣はサクサク、中の豚肉はジューシーで柔らかい。噛むたびに溢れる肉汁を、少し酸味の効いた濃厚なソースと、シャキシャキのキャベツが受け止める。そして、それらを包み込むパンはしっとりと柔らかい。勉強で疲弊した脳と体に、肉の脂と炭水化物の暴力的な旨味が染み渡っていく。

「美味い。……このソース、隠し味にマスタードと……蜂蜜か?」

「ご名答です。ピリッとした刺激で目を覚ましつつ、糖分で脳の疲れを取れるように」

「ふん、計算高いな」

 シルヴィスは二切れ目を掴みながら、口元についたソースを拭った。

「……悪くない味だ。これを食えば、確かに勝てそうな気がしてくる」

「でしょう? さあ、食べて精をつけてください、先生。……朝まで付き合っていただきますからね」

 エレナが不敵に微笑むと、シルヴィスは「望むところだ」とニヤリと笑い返した。

 カツサンドの湯気が、二人の戦意を煽るように立ち上っていた。

***

 翌日の午後。エレナは試験の願書を提出するため、王宮の中央棟にある広場を訪れていた。そこは、煌びやかなドレスや洗練された外出着に身を包んだ、若い令嬢たちで溢れかえっていた。

 香水の匂いと、華やかな笑い声。地味なメイド服姿のエレナが足を踏み入れると、一瞬にして周囲の空気が変わった。

「あら……?」

「あの方、北の塔の……」

「メイドがここになんの用かしら?」

 ひそひそとした囁きが、さざ波のように広がる。好奇心、侮蔑、そして嘲笑。貴族社会特有の、異物を見る冷ややかな視線が突き刺さる。

 エレナは背筋を伸ばし、表情一つ変えずに受付へと進もうとした。その時、行く手を遮るように、数人の令嬢たちが立ちはだかった。

「ごきげんよう。……エレナさん、とおっしゃいましたわね?」

 中心にいたのは、鮮やかな真紅のドレスを着た、燃えるような赤毛の美女だった。扇子を優雅に揺らしながら、エレナを見下ろす視線は強烈だ。

「お初にお目にかかります。私はマーガレット・ドラクロワ。……以後、お見知り置きを」

 ドラクロワ辺境伯家。クローデル家と並ぶ国境の守り神。数代前まで、知らぬ者なしと言われたほどの武の名家。最近は政略が乏しくなく領地経営に力を入れているようだが、内務省、外務省、諸外国に至るまで、依然として強い影響力を持っている。そしてマーガレットは、今回の試験において、筆頭合格候補と噂される才女だった。

「丁寧なご挨拶、恐れ入ります。エレナ・フォスターと申します」

「不躾で申し訳ないのだけれど……貴女、本気で受けるおつもり?」

「はい、そのつもりです」

 マーガレットは呆れたように溜息をついた。

「いくら素養があっても、『身の程を知る』という言葉はご存じなかったようね。ここは、選ばれた者が王家への忠誠を示す神聖な場。少しばかりお掃除やお洗濯が得意だからって、メイドが記念受験で汚していい場所ではありませんのよ」

 取り巻きの令嬢たちが「そうですわ」「恥ずかしい」とクスクス笑う。

 普通の平民なら、その威圧感に萎縮して逃げ出すだろう。だが、エレナは昨夜のカツサンドの味と、シルヴィスの言葉を思い出していた。

(――俺の侍女になるなら、完璧に仕上げてやる)

 あの偏屈な天才が、自分のために時間を割き、信じてくれているのだ。こんなところで怯んでいては、彼の隣に立つ資格はない。周囲の嘲笑にも、エレナの表情筋はピクリとも動かなかった。ただ、硝子玉のような瞳が静かにマーガレットを射抜いただけだ。

「ご忠告、痛み入ります」

 温度のない声。それは王宮の廊下で誰もが恐れた『鉄の女』の声だった。

「ですが、掃除洗濯も極めれば『道』となります……同様に、侍女としての素養も、身分ではなく実力で示せると信じておりますので」

 抑揚のない、けれど絶対的な自信に満ちた言葉に、マーガレットは一瞬気圧されたように言葉を詰まらせた。

「……!」

「それでは、試験会場でお会いしましょう。マーガレット様」

 エレナは優雅に一礼すると、呆気に取られる令嬢たちの横をすり抜け、堂々と願書を受付に提出した。背中に突き刺さる視線は、先ほどよりも鋭く、そして熱を帯びていた。それはもはや異物を見る目ではなく、敵を見る目に変わっていた。

(宣戦布告、してしまいましたね)

 エレナは小さく息を吐き、拳を握りしめた。もう後戻りはできない。北の塔のメイドと、名門貴族の令嬢たち。プライドを懸けた女たちの戦いの火蓋は、切って落とされた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王宮地味女官、只者じゃねぇ

宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。 しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!? 王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。 訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ―― さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。 「おら、案内させてもらいますけんの」 その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。 王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」 副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」 ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」 そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」 けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。 王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。 訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る―― これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。 ★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。

想定外の異世界トリップ。希望先とは違いますが…

宵森みなと
恋愛
異世界へと導かれた美咲は、運命に翻弄されながらも、力強く自分の道を歩き始める。 いつか、異世界にと想像していた世界とはジャンル違いで、美咲にとっては苦手なファンタジー系。 しかも、女性が少なく、結婚相手は5人以上と恋愛初心者にはハードな世界。 だが、偶然のようでいて、どこか必然のような出会いから、ともに過ごす日々のなかで芽生える絆と、ゆっくりと積み重ねられていく感情。 不器用に愛し、愛する人に理解されず、傷ついた時、女神の神殿で見つけた、もう一つの居場所。 差し出された優しさと、新たな想いに触れながら、 彼女は“自分のための人生”を選び初める。 これは、一人の女性が異世界で出逢い、傷つき、そして強くなって“本当の愛”を重ねていく物語です。

枯れ専モブ令嬢のはずが…どうしてこうなった!

宵森みなと
恋愛
気づけば異世界。しかもモブ美少女な伯爵令嬢に転生していたわたくし。 静かに余生——いえ、学園生活を送る予定でしたのに、魔法暴発事件で隠していた全属性持ちがバレてしまい、なぜか王子に目をつけられ、魔法師団から訓練指導、さらには騎士団長にも出会ってしまうという急展開。 ……団長様方、どうしてそんなに推せるお顔をしていらっしゃるのですか? 枯れ専なわたくしの理性がもちません——と思いつつ、学園生活を謳歌しつつ魔法の訓練や騎士団での治療の手助けと 忙しい日々。残念ながらお子様には興味がありませんとヒロイン(自称)の取り巻きへの塩対応に、怒らせると意外に強烈パンチの言葉を話すモブ令嬢(自称) これは、恋と使命のはざまで悩む“ちんまり美少女令嬢”が、騎士団と王都を巻き込みながら心を育てていく、 ――枯れ専ヒロインのほんわか異世界成長ラブファンタジーです。

虐げられていた次期公爵の四歳児の契約母になります!~幼子を幸せにしたいのに、未来の旦那様である王太子が私を溺愛してきます~

八重
恋愛
伯爵令嬢フローラは、公爵令息ディーターの婚約者。 しかし、そんな日々の裏で心を痛めていることが一つあった。 それはディーターの異母弟、四歳のルイトが兄に虐げられていること。 幼い彼を救いたいと思った彼女は、「ある計画」の準備を進めることにする。 それは、ルイトを救い出すための唯一の方法──。 そんな時、フローラはディーターから突然婚約破棄される。 婚約破棄宣言を受けた彼女は「今しかない」と計画を実行した。 彼女の計画、それは自らが代理母となること。 だが、この代理母には国との間で結ばれた「ある契約」が存在して……。 こうして始まったフローラの代理母としての生活。 しかし、ルイトの無邪気な笑顔と可愛さが、フローラの苦労を温かい喜びに変えていく。 さらに、見目麗しいながら策士として有名な第一王子ヴィルが、フローラに興味を持ち始めて……。 ほのぼの心温まる、子育て溺愛ストーリーです。 ※ヒロインが序盤くじけがちな部分ありますが、それをバネに強くなります ※「小説家になろう」が先行公開です(第二章開始しました)

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

王宮に薬を届けに行ったなら

佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。 カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。 この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。 慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。 弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。 「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」 驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。 「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」 ※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】

iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。 小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

婚約破棄された令嬢は氷の公爵に拾われ、気づけば溺愛されていました~見下してきたあなた、後悔してももう遅いわ~

exdonuts
恋愛
婚約者である王太子に理不尽な罪をなすりつけられ、婚約破棄された公爵令嬢レティシア。 家族にも見放され、絶望の淵にいた彼女の手を取ったのは「氷の公爵」と呼ばれる冷徹な青年・アランだった。 愛を知らずに生きてきた彼の優しさが、傷ついたレティシアの心を少しずつ溶かしていく。 一方、過去の悪行が暴かれ始めた王太子とその取り巻きたち。 ざまぁが爽快、愛が深く、運命が巡る。 涙と笑顔の“溺愛ざまぁ”ロマンス。

処理中です...