王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする

葉山あおい

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本編 

第三十六話 鉄の女の弱点と月明かりのワルツ

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「――ストップ! ストップですわ、エレナ!」

 優雅なチェンバロの音色が流れる舞踏練習室に、ダンス教官の声が鋭く響いた。

 本日の研修課題は『ダンス』。侍女は主とも、その名代としても踊ることがあるため、必須のスキルである。

「エレナ。貴女のステップは正確無比です。足運びも、姿勢も、教本通り完璧です」

「はい。ありがとうございます」

「ですが……まるで騎士団の行進ですわ! 優雅さが欠片もありません!」

 教官は扇子でパンと手を打ち、嘆かわしげに首を振った。周囲の令嬢たちから、クスクスという忍び笑いが漏れる。

「見て、あの動き。カクカクしていて、まるで人形みたい」

「作法は完璧なのに、ダンスはダメなのね」

 そう、エレナにとってダンスは最大の鬼門だった。リズム感がないわけではない。ただ、常に効率と正確さを追求してきた彼女の体は、情緒やゆらぎを表現することに慣れていないのだ。

「エレナさん」

 休憩中、汗を拭うエレナにマーガレットが声をかけてきた。彼女は先程の練習で見事なステップを披露し、教官から絶賛されていた。

「ダンスは、ステップを刻む作業ではありませんわ。パートナーとの無言の会話……呼吸を感じて、身を委ねるものです。貴女のように『次は右足、四十五度』なんて考えていては、一生踊れませんわよ」

「身を委ねる……ですか」

「ええ。相手を信頼していなければ、踊ることなどできません」

 マーガレットの言葉は正論すぎて、エレナの胸に痛いほど刺さった。

(信頼して身を委ねる……。私に一番足りないものかもしれません)

***

 その夜。北の塔のリビング。夕食の片付けを終えたエレナは、箒を相手にステップの練習をしていた。

 ズザッ、ズザッ。畳み掛けるような足音が、静かな夜に響く。

「……何をしている」

 執務室から降りて来たシルヴィスが、不審なものを見る目でエレナを見つめていた。

「ダンスの練習です。明日の追試までに、なんとか優雅さを身に着けないと……」

「箒相手にか? 不気味な儀式にしか見えんぞ」

 シルヴィスは呆れたように溜息をつくと、ソファに座り込んだ。

「ダンスなんぞ、貴族の暇つぶしだ。だがあいにく、侍女には必須科目らしいな」

「はい。マーガレット様には『相手に身を委ねろ』と言われましたが、どうにも感覚が掴めなくて」

 エレナが肩を落とすと、シルヴィスはふんと鼻を鳴らし、立ち上がった。そして、エレナの目の前にすっと手を差し出した。

「……貸せ」

「え?」

「箒で練習して上手くなるわけがないだろう。……俺が相手をしてやる」

 エレナは目を丸くした。引きこもりで人嫌いの彼が、まさかダンスの相手をしてくれるとは。

「で、ですが、シルヴィス様はダンスがお嫌いでは……」

「違う。俺が嫌いなのは舞踏会のダンスだ。……お前と踊る分には、問題ない」

 シルヴィスは強引にエレナの手を取り、引き寄せた。予想以上に近い距離。彼の整った顔が目の前にあり、エレナの心臓が早鐘を打つ。普段の偏屈な表情とは違う、貴族然とした真剣な瞳。

「力を抜け。お前はガチガチすぎる」

「は、はい……」

「音楽がないな……」

 彼が指を鳴らすと、何もない空間から、弦楽器の優美な旋律が流れ始めた。魔術で生成された幻想的な音楽。月の光が差し込むリビングが、一瞬にして舞踏会場へと変わる。

「行くぞ。……俺に合わせろ」

 シルヴィスがリードを始める。その動きはかつて舞踏会で手を取ってくれた時のように、驚くほど滑らかで洗練されていた。エレナが考えようとする隙を与えず、自然に体を誘導してくれる。

「足元を見るな。俺を見ろ」

「は、はい」

「次はターンだ。……もっと力を抜け。俺が支えてやるから、倒れる心配などするな」

 彼の右手が、エレナの背中をしっかりと、けれど優しく支えている。その温もりが伝わってくると、不思議と体の強張りが解けていくのを感じた。

(ああ……これが、委ねるということ……)

 自分が動こうとしなくても、彼が導いてくれる。ただその流れに乗ればいい。鉄のように固まっていた心と体が、彼のリズムに溶かされていく。

「……悪くない」

 数分後。曲が終わると同時に、シルヴィスがポツリと言った。

「お前は基本が出来ているから、一度コツを掴めば飲み込みが早い。……それになんというか、軽いな」

「っ……! あ、ありがとうございます……」

 エレナは顔を真っ赤にして俯いた。月明かりの下、二人の影が重なる。ダンスの余韻と、鼓動の音が、部屋に満ちていた。

「……さて、レッスン料だ」

 シルヴィスはいつもの調子に戻り、ソファに座り直した。

「喉が渇いた。冷たいものが飲みたい。……フルーツをたっぷり使ったスムージーだ。出来るか?」

「はい! 最高のものをお作りします!」

 エレナは弾むような足取りでキッチンへ向かった。その背中からは、先程までの鉄の女のような硬さは消えていた。

***

 翌日のダンスレッスン。エレナのダンスは劇的に変化していた。基本の正確さはそのままに、指先の所作や視線の配り方に、柔らかな情緒が宿っていたのだ。

「……素晴らしいですわ! エレナ!」

 教官が扇子を叩いて絶賛する。パートナー役を務めたマーガレットも、目を丸くしていた。

「信じられませんわ。たった一晩で、どうやってこれほどの優雅さを身につけましたの? まるで、名うての貴公子と一晩中踊り明かしたようですわね」

「ええ、まあ……優秀な先生に恵まれましたので」

 エレナは曖昧に微笑んで誤魔化した。まさかその先生が、王宮一の偏屈魔術師であり、昨晩はスムージー一杯で雇われていたとは言えるはずもない。

(ふふ、今夜も何かご馳走を作らなくては)

 窓の外、遠くに見える北の塔を見つめながら、エレナは小さくステップを踏んだ。その足取りは、羽のように軽やかだった。
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