王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする

葉山あおい

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本編 

第三十七話 最難関のゲストと北の塔の果実

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「――次回の実技研修ですが、特別ゲストをお招きしての『模擬お茶会』となります」

 朝のホームルーム。教官が告げたその言葉に、教室の空気が一瞬で凍りついた。

 黒板に書かれたゲストの名前。それは、貴族令嬢であれば誰もがその名を聞いただけで震え上がる、社交界の生ける伝説だった。

『クローデル侯爵夫人 ベアトリス・クローデル』

「ベアトリス様……!?」

 思わず小さな悲鳴を上げたのはエレナ……ではなく、隣の席のマーガレットだった。彼女は真っ青な顔で扇子を握りしめている。

「ど、どうしましょうエレナさん! あの『氷の侯爵夫人』ですわ! 少しでも不作法があれば、その場で氷漬けにされて社交界から抹殺されるという噂の……!」

「……マーガレット様、それは流石に誇張表現かと」

「いいえ、事実ですわ! わたくしの従姉妹なんて、お茶会でスプーンの置き方を間違えただけで、笑顔で『お帰りあそばせ』と言われて泣いて帰ってきましたもの!」

 教室中がパニックに陥る中、エレナだけは冷静に、しかし内心では冷や汗をかきながら黒板を見つめていた。

(まさか、ここでベアトリス様がいらっしゃるとは……)

 以前、侯爵邸で対峙した時の記憶が蘇る。彼女はシルヴィスの母であり、エレナに壁を突きつけた張本人だ。

(うっ……悪寒が……)

***

「――というわけで、明日、ベアトリス様がいらっしゃいます」

 その夜。北の塔のリビングで、エレナは夕食の『特製・若鶏のクリーム煮』を配膳しながら報告した。スプーンを口に運んでいたシルヴィスが、ぴたりと動きを止める。

「母上は暇なのか……?」

「……それは存じ上げませんが、これはチャンスです。ベアトリス様は私がまだメイドだと思っていらっしゃるでしょうから、侍女として成長した姿をお見せできれば、シルヴィス様のお傍にいる者として、より一層の信頼をいただけるかもしれません」

 エレナは拳を握りしめた。

 課題は『ゲストをもてなす最高の一皿』。既存の高級菓子では、目の肥えたベアトリスを満足させることはできないだろう。何か、インパクトのある武器が必要だ。

「……シルヴィス様。ご相談があるのですが」

「なんだ」

「庭の『あれ』、収穫してもよろしいでしょうか?」

 エレナが指差したのは、窓の外――シフォンが復活させた薬草園を、シルヴィスが土魔術で調整した家庭菜園だ。

 そこには今、季節外れの真っ赤な果実が実っていた。

「……ルビー・ベリーの改良種か。まだ実験段階だぞ」

「ですが、味は絶品でした。あの酸味と香りは、市販のものとは比べ物になりません。あれを使って、タルトを焼きたいのです」

 シルヴィスは少し考え込み、やがて不敵にニヤリと笑った。

「……面白い。母上が、俺の作った果実を食ってどんな顔をするか、興味がある。……ただし、糖度が通常種の三倍はある。砂糖の量には気をつけろよ」

「はい! ありがとうございます!」

***

 そして迎えた、模擬お茶会当日。会場となった王宮のサロンには、張り詰めた緊張感が漂っていた。

 上座に座っているのは、濃紺のドレスを完璧に着こなしたベアトリス・クローデル。その鋭い眼光は、まさに氷の侯爵夫人の異名に相応しい。

「……次」

 ベアトリスの短い言葉と共に、令嬢たちが震える手でお菓子やお茶を差し出す。だが、その評価は辛辣だった。

「紅茶の温度が低すぎます。出直しなさい」

「ありきたりなマカロンね。どこのお店? ……ああ、あそこの。工夫がないわね」

 次々と撃沈していく候補生たち。そして、ついにエレナの番が回ってきた。

「失礼いたします」

 エレナは静かにワゴンを押して進み出た。

 ベアトリスの視線が、エレナを射抜く。その瞳には、かつて侯爵邸で見せた厳しい色が宿っていた。

「……久しぶりね、エレナ。まさか、侍女になっているとは思わなかったわ」

「お久しぶりでございます、クローデル夫人。本日は、心を込めておもてなしさせていただきます」

 エレナがテーブルに置いたのは、宝石のように輝く真紅のタルトだった。飾り気はない。だが、その艶やかな赤色は、見る者の目を奪う魔力を秘めていた。

「北の塔の『ルビー・タルト』でございます」

「……北の塔?」

 ベアトリスの眉がピクリと動く。エレナは紅茶を注ぎ、説明を続けた。

「使用しているベリーは、市場のものではありません。魔術師団の団長閣下が……いえ、北の塔の庭で、丹精込めて育てられた果実です」

「あの子が、植物を育てているですって……?」

 信じられないという顔で、ベアトリスはフォークを手に取った。サクッ。タルト生地の軽やかな音。そして、一口。

 口に入れた瞬間、ベアトリスの目が大きく見開かれた。強烈な、しかし上品な甘酸っぱさ。噛むたびに溢れる果汁は、まるで香水のように芳醇で、それでいて後味は驚くほど爽やかだ。何より――体の中から、ポカポカとした温かい力が湧いてくるのを感じた。それは、間違いなくシルヴィスの魔力の影響を受けた、優しいエネルギーだった。

「……」

 長い沈黙。会場中の令嬢たちが、固唾を飲んで見守る。やがて、ベアトリスはふぅ、と小さく息を吐き、口元のナプキンを置いた。

「……本当に生意気ね」

「……」

「あの子が……シルヴィスが、こんなに優しい味のものを作れるようになるなんて……」

 その声は震えていた。ベアトリスはエレナを見上げ、困ったように、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。

「……これも貴女のおかげなのかしら。……合格よ。文句のつけようがないわ」

「……ありがとうございます!!」

 ベアトリスの宣言に、会場がどよめいた。あの氷の侯爵夫人が、平民が作った菓子を認め、微笑んだのだ。

「ただし」

 ベアトリスは、エレナにだけ聞こえる声で囁いた。

「これからはクローデル夫人なんて他人行儀な呼び方は辞めて。特別に、ベアトリスと呼ぶことを許可するわ」

 それは、息子に仕える従者に対しての、最大限の敬意の表れだった。

「――はい! ベアトリス様!」

 エレナは深々と頭を下げた。北の塔の果実は、甘酸っぱく、そして確かな家族の絆の味がした。
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