王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする

葉山あおい

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本編 

第三十八話 修了パーティーと魔術師の不器用なエスコート

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 季節がひと巡りし、王宮の庭園が秋色に染まり始めた頃。エレナたち侍女見習いの研修期間は、終わりを告げようとしていた。

 最終日の夜。王宮の大ホールでは、見習いたちの門出を祝う修了パーティーが催されていた。

 これは単なる祝賀会ではない。これから仕えることになる主や、貴族社会への最初のお披露目の場でもある。ゆえに、見習いたちは皆、着飾ったパートナー――婚約者や兄弟、あるいは親戚のエスコートを受けて参加するのが慣例となっていた。

 しかし、煌びやかなシャンデリアの下、エレナは一人、壁際でグラスを磨いていた。

「……職業病ですわね、エレナ」

 呆れた声と共に現れたのは、淡いピンクのドレスに身を包んだマーガレットだ。彼女の隣には、パートナー役を務める実兄が控えている。

「ごきげんよう、マーガレット様。……つい、指紋が気になってしまって」

「今日は貴女も主役の一人ですのよ? 給仕は本職の方に任せなさいな」

 マーガレットは扇子でエレナの手元を軽く叩き、周囲を見回した。

「それにしても……やはり、あの魔術師様はいらっしゃらないの?」

「ええ。人混みと騒音が死ぬほど嫌いな方ですから。『行けたら行く』とは仰っていましたが、それは『行かない』と同義語ですので」

 エレナは苦笑して答えた。もちろん、誘わなかったわけではない。だが、シルヴィスが眉間に皺を寄せて「面倒だ」と言う姿が容易に想像できたため、強くは言えなかったのだ。彼にとって、社交の場はストレスの源泉でしかない。

「ふん。愛のない殿方ですこと。……まあいいわ。どうしてもパートナーがいないなら、わたくしの兄を貸して差し上げてもよろしくてよ?」

「マーガレット、失礼だぞ」

「あら、親切心ですわ」

 そんな軽口を叩き合っていると、不意に会場の入り口付近が大きくざわめいた。悲鳴に近い歓声と、どよめき。楽団の演奏が一瞬止まり、人波がモーゼの海のように割れていく。

「……何事かしら?」

 マーガレットが背伸びをした、その時だった。ざわめきの中心から、一人の男性が歩いてきた。

 漆黒の燕尾服に、真紅のタイ。普段の無造作な髪は整髪料できっちりと撫でつけられ、整いすぎた顔立ちが露わになっている。

 その冷徹な美貌と、周囲を威圧するような鋭い眼光。「北の塔の引きこもり」という汚名を返上し、「王宮随一の美貌の魔術師」としての本来の姿を見せつけたその男は――。

「……シ、シルヴィス様!?」

 エレナが素っ頓狂な声を上げた。シルヴィスは周囲の視線など意に介さず、一直線にエレナの元へと歩み寄る。そして、彼女の前でピタリと止まると、不機嫌そうに言った。

「……なんだ、その間抜けな顔は。主人が来てやったんだぞ」

「ど、どうされたのですか? その格好……それに、パーティーはお嫌いでは……」

「嫌いだ。うるさいし、香水の匂いで鼻が曲がりそうだ」

 シルヴィスは心底嫌そうに顔をしかめたが、すぐにふいと視線を逸らし、ボソリと付け加えた。

「だが……お前が一人で壁の花になっているのを想像したら、寝覚めが悪い」

「シルヴィス様……」

「それに、せっかく教えたダンスだ。錆びさせるわけにはいかんだろう」

 ちょうどその時、楽団が新たな曲を奏で始めた。ゆったりとした、優雅なワルツ。シルヴィスはエレナに向かって、恭しく手を差し出した。

「――踊るぞ、エレナ」

 それは命令ではなく、極上の招待状だった。エレナはグラスを近くのテーブルに置き、震える手で彼の手を取った。

「……はい、喜んで」

 二人がホールの中央に進み出ると、スポットライトが当たったかのように視線が集中した。

 エレナは緊張で体が強張りそうになったが、シルヴィスの手がしっかりと腰を支えてくれた瞬間、あの夜の記憶が蘇った。月明かりのリビング。箒代わりのレッスン。

(……大丈夫。彼に委ねればいい)

 曲に合わせて、二人は踊り出した。流れるようなステップ。完璧なシンクロ。シルヴィスのリードは力強く、エレナのドレスの裾が花のように舞う。かつて鉄の女と呼ばれ、ロボットのような動きしかできなかったエレナの姿はそこにはない。あるのは、愛する主に身を委ね、信頼しきった女性の、柔らかく幸せそうな表情だけだった。

「……あの子、本当に変わったわね」

 グラスを片手にその様子を見ていたベアトリスが、満足げに目を細める。

「……とてもお似合いの二人です」

 隣でマーガレットも、少し潤んだ瞳で二人を見つめていた。

 曲が終わると、会場に割れんばかりの拍手が巻き起こった。シルヴィスは「やれやれ」といった顔でエレナの手を引き、早足でバルコニーへと脱出した。

「……ふぅ。限界だ。帰るぞ」

「もうお帰りですか? まだデザートが……」

「こんな場所に長居したら蕁麻疹が出る。……それに」

 シルヴィスは夜風に当たりながら、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。それは、王宮からの正式な辞令書だった。

「お前の配属先が決まった。……読むまでもないだろうがな」

「はい」

「エレナ・フォスター。改めて、俺の侍女としてよろしく頼む」

 エレナは辞令書を受け取り、愛おしそうに胸に抱いた。そして、最高の笑顔で答えた。

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 星空の下、二人は寄り添って北の塔への帰路につく。パーティー会場の喧騒は、もう遠い。これから始まるのは、二人だけの、甘く騒がしい日常だ。
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