王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする

葉山あおい

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本編 

第三十九話 侍女の新しい制服ととろけるクロックマダム

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 翌朝。北の塔に差し込む朝日の中で、エレナは鏡の前に立っていた。そこに映っているのは、いつもの白いエプロンと飾り気のないメイド服を着た自分ではない。

 見習いの時よりも上質な深い紺色の生地で仕立てられた、落ち着きのあるロングドレス。襟元と袖口には控えめなレースがあしらわれ、腰には銀の刺繍が入ったサッシュベルト。それは、王宮における正式な侍女の制服だった。

「……身が引き締まる思いですね」

 エレナは鏡の中の自分に向かって、にっこりと微笑んだ。

 昨日、修了パーティーの夜にシルヴィスから渡された辞令。今日からエレナは、名実ともに『宮廷魔術師団長専属侍女』である。

 掃除や洗濯といった肉体労働が主だったメイドとは異なり、侍女の仕事は主人の身の回りの世話、スケジュール管理、来客対応、そして時には主人の名代として振る舞うこともある。とはいえ――。

「やることは、変わりませんけどね」

 エレナはドレスの袖を肘まで捲り上げると、気合を入れるようにパンッ!と頬を叩いた。侍女だろうがメイドだろうが、この北の塔における最優先事項は一つ。生活能力皆無の主人に、人間らしい生活を維持提供すること。

 ***

 主寝室の扉を開けると、そこには予想通り、毛布にくるまった巨大な芋虫が転がっていた。

「シルヴィス様、朝ですよ。起きてください」

「……ううん。あと五年寝かせろ……」

「冬眠する熊ですか。ほら、今日は師団の定例会議がありますよ」

 エレナが容赦なくカーテンを開け放つと、シルヴィスは「目が、目がぁ……」と呻きながらのそりと起き上がった。寝癖だらけの銀髪を揺らし、不機嫌そうにエレナを見る。しかし、その視線が彼女の姿を捉えた瞬間、ピタリと止まった。

「……あ?」

「おはようございます、シルヴィス様。本日から正式に着任いたしました、専属侍女のエレナです」

 エレナがスカートの裾をつまんで優雅に一礼すると、シルヴィスは目をぱちくりとさせ、やがてバツが悪そうに視線を逸らした。

「……ふん。昨日の今日で、随分と様になっているじゃないか」

「お褒めに預かり光栄です」

「馬子にも衣装、とは言わんがな。……悪くない」

 素っ気ない言葉だが、耳が少し赤い。彼なりの精一杯の賛辞であることを知っているエレナは、ふふっと笑みをこぼした。

「ありがとうございます。では、お着替えを手伝いますね」

 侍女の権限を行使し、エレナはシルヴィスを洗面所へ追い立てた。顔を洗わせ、寝癖を直し、団長のローブを着せる。

 その手際の良さはメイド時代と変わらないが、立場が変わったことで、エレナの心には以前よりも強い責任感と、ほんの少しの甘やかな高揚感があった。

 ***

 身支度を整えた後は、朝食の時間だ。記念すべき侍女としての初仕事。メニューは、少しリッチで、それでいてシルヴィスの眠気を吹き飛ばすようなものを選んだ。

「お待たせいたしました。『特製・クロックマダム』です」

 テーブルに置かれたのは、香ばしい焼き色がついた厚切りの白パンだった。だが、ただのトーストではない。パンの間には上質なハムとグリュイエールチーズが挟まれ、上からは濃厚なベシャメルソースがたっぷりとかかっている。

 そして頂上には、プルプルの半熟目玉焼きが鎮座し、黒胡椒がパラリと振られていた。

「……パンか。だが、いつものトーストとは違うな」

「はい。ナイフとフォークで召し上がってください」

 シルヴィスがナイフを入れる。ザクッ、というパンの焼けた音と共に、半熟卵の黄身がとろりと決壊し、白いベシャメルソースと混ざり合ってパンの山肌を流れ落ちる。その視覚的暴力に、シルヴィスの喉がゴクリと鳴った。

 ソースと黄身、そしてチーズが絡み合った部分を、大きめに切り取って口へ運ぶ。

「……っ」

 濃厚だ。バターと牛乳で丁寧に作られたベシャメルソースのクリーミーなコク。そこにハムの塩気と、チーズの旨味が重なり合う。パンはソースを吸ってしっとりとしているが、耳の部分はカリッと香ばしい。

 そして何より、半熟卵のまろやかさが全てを包み込み、朝の胃袋に優しく、かつ強烈なエネルギーを注ぎ込んでくる。

「美味い……。グラタンとパンのいいとこ取りだな」

「ええ。西欧国発祥のカフェメニューです。『マダム』というのは、上に乗った目玉焼きを貴婦人の帽子に見立てた名前なんですよ」

「ほう……」

 シルヴィスは夢中でナイフを動かし続けた。

 足元ではシフォンが「キュウ!」と自分の分をねだり、エレナが用意したミニサイズのクロックマダムに噛み付いている。

 平和で、美味しい朝の光景。だが、その静寂は、玄関のノッカーが激しく叩かれる音によって破られた。

 ***

「ご、ごめんください! クローデル団長はご在宅ですか!?」

 エントランスに現れたのは、書類の束を抱えた若い魔術師だった。師団の事務方だろうか、顔面蒼白で汗だくだ。

 普段なら「うるさい、帰れ」とシルヴィスが追い返すところだが、今日のエレナは違う。彼女はスッと前に進み出ると、侍女としての毅然とした態度で応対した。

「いらっしゃいませ。宮廷魔術師団長専属侍女、エレナ・フォスターです。団長は現在、朝食を召し上がっております。ご用件は私がお伺いいたします」

 紺色のドレスに身を包み、凛とした表情で告げるエレナの姿に、若い魔術師はぎょっとして立ち止まった。

「せ、専属侍女!? あの噂は本当だったのか……。い、いえ、ですが緊急なのです! 南の湿地帯で発生した魔獣の討伐予算について、内務省が難癖をつけてきまして……団長の決裁印がないと予算が下りないのです!」

「予算申請、ですか」

 エレナは一瞬考え、二階のリビングに耳を澄ませた。

「……予算など知らん! 師団に属する者なら、その力を以てして力づくで予算を奪い取れ!」

「……だそうです」

「ひいいっ! そんなことしたら僕の首が飛びますぅぅ!!」

 泣き崩れる事務官。エレナはため息をつき、懐からシルヴィスのスケジュール管理手帖とペンを取り出した。

 侍女の仕事には、主人の公務の補助も含まれる。つまり、この程度のトラブル処理は彼女の管轄内だ。

「……貸してください」

 エレナは事務官から書類をひったくると、パラパラと中身を確認した。

「内務省が難色を示しているのは恐らく――、『その他雑費』の項目が不明瞭だからですね。雑費にしては金額が多すぎます。多少適当でも良いので、項目を増やしてください。それと、この申請書には過去の討伐実績の参照が抜けています」

「えっ……あ、はい……」

「私が修正案を入れておきます。これを書き直して、昼までに団長の机の上に。会議の合間に団長のサインを入れておきます」

 エレナは流れるような手つきで書類に修正を加え、呆然とする事務官に突き返した。

「え……あ、ありがとうございます! すごい、事務方より詳しいなんて……!」

「お褒めにあずかり光栄です」

 エレナがニッコリと笑うと、事務官は「女神だ……北の塔に女神がいる……」とうわ言のように呟きながら、ふらふらと帰っていった。

 ***

「……余計な仕事を増やしおって」

 リビングに戻ると、シルヴィスが不満げに紅茶を啜っていた。

「私の仕事は、シルヴィス様が研究に集中できる環境を整えることです。あのまま放置していれば、それこそ余計な仕事が増えていたと思いますよ」

「む……」

「それに、これからは私が窓口になりますから、シルヴィス様は『うん』か『いいえ』を言うだけで済みます」

 エレナが空になった皿を下げながら言うと、シルヴィスはバツが悪そうに視線を逸らし、ボソリと言った。

「……頼もしい侍女様だな」

「ええ。シルヴィス様が選んだ侍女ですから」

 エレナは誇らしげに胸を張った。新しい制服。新しい肩書き。けれど、やることは変わらない。この手のかかる天才魔術師の盾となり、剣となり、そして胃袋を掴んで離さないこと。

「さあ、お仕事の時間ですよ。……お昼は、昨日の残りのローストポークを使ったサンドイッチにしましょう」

「……マスタードを多めにしろ」

「はい、かしこまりました」

 北の塔の一日は、今日も美味しく、そして騒がしく始まっていく。侍女エレナの戦いは、まだ始まったばかりなのだ。
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