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本編
第四十六話 休暇の願い出とアツアツのシーフードグラタン
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王宮でのドタバタを経て、エレナが北の塔に戻った頃には、日はすっかり落ちていた。
重い扉を開けると、リビングは暗く、どんよりとした空気が溜まっていた。
「……遅い」
ソファの中から、亡霊のような声が聞こえた。
シルヴィスは膝を抱えて座り込み、シフォンを抱き枕のようにギュッと締め付けていた。シフォンが「キュウ……」と助けを求めている。
「ただいま戻りました、シルヴィス様。……灯りもつけずに、何をなさっているのですか」
「お前が帰ってこないからだ。……昨日の俺の言葉が嫌で、逃げたんじゃないかと……」
天才魔術師団長が、捨てられた子犬のような目をしている。昨夜のプロポーズ。そして今朝の、エレナの機能不全。彼の中では「拒絶された」という不安が渦巻いていたのだろう。
エレナは胸が締め付けられるのを感じた。
(ああ、この方は……こんなにも不安がって待っていてくださったのですね)
だからこそ、中途半端なままではいけない。エレナは覚悟を決め、まずはエプロンをつけた。
「逃げも隠れもいたしません! お腹が空いたでしょう? すぐに夕食をご用意します」
「……食べる。お前の飯なら、毒が入っていても食べる」
「毒など入れませんよ。……元気が出るような、温かいものを作りましょう」
エレナが選んだのは、『特製・シーフードマカロニグラタン』だ。不安で冷え切った主人の心と体を温めるには、これしかない。
たっぷりのバターで小麦粉を炒め、牛乳を少しずつ加えて滑らかなベシャメルソースを作る。そこへ、白ワインで蒸した海老、ホタテ、そして玉ねぎとマッシュルームを投入。茹で上がったマカロニと合わせ、耐熱皿へ。
仕上げに、二種類のチーズ――コクのあるグリュイエールと、伸びの良いモッツァレラをたっぷりと散らし、パン粉を振ってオーブンへ入れる。
十分後。香ばしいチーズの焼ける匂いが、暗いリビングを満たした。
「お待たせいたしました」
テーブルに置かれたグラタン皿の中で、ソースがグツグツと音を立てている。狐色の焦げ目がついたチーズの下から、湯気が立ち上る。
シルヴィスは無言でスプーンを入れた。パリッ、トロッ。熱々のチーズが糸を引き、濃厚なホワイトソースが溢れ出す。フフ、と息を吹きかけて口へ運ぶ。
「……っ」
火傷しそうなほどの熱さ。だが、それがいい。濃厚なミルクの甘みと、魚介の旨味が口いっぱいに広がる。プリプリの海老と、ホクホクのマカロニ。優しい味が、凝り固まっていた胃袋を解きほぐしていく。
「……美味い」
「良かったです」
シルヴィスが夢中で皿を空にするのを待ち、食後の紅茶を淹れたタイミングで、エレナは切り出した。
「シルヴィス様。……折り入って、お願いがございます」
ピクリ、とシルヴィスの肩が跳ねた。彼はカップを握りしめ、恐る恐るエレナを見た。
エレナは居住まいを正し、真っ直ぐに彼を見つめた。
「私に、一週間の休暇をいただけないでしょうか」
「……休暇?」
予想外の言葉に、シルヴィスが瞬きをする。
「はい。明日より一週間、塔を留守にいたします。……どうしても、行かなければならない場所があるのです」
「それは……どこだ?」
「詳しくは申し上げられません。ですが、昨夜のシルヴィス様のお言葉に……真摯にお答えするために必要な旅です」
エレナは膝の上で拳を握りしめた。今のまま「はい」と答えるのは簡単だ。だが、それではただ守られるだけの存在になってしまう。
「私は、貴方様の隣に立つ資格を得たいのです。誰に後ろ指を指されることもなく、堂々と貴方様をお支えできる……そんな覚悟と許可をいただきに参ります」
「許可……?」
シルヴィスは首を傾げたが、エレナの瞳に宿る、かつて鉄の女と呼ばれた頃の強い光を見て、口をつぐんだ。彼女が決めたことだ。テコでも動かないだろう。そしてそれは、二人の未来のための行動なのだと、本能で理解した。
「……分かった。許可する」
シルヴィスは短く告げた。
「ただし、条件がある」
「はい、なんでしょう」
「一週間だ。一分でも過ぎたら、俺が迎えに行く。……たとえ地の果てだろうが、俺の全魔力を使ってお前を捜索し、連れ戻す」
それは、国一つを焼き払いかねない、魔術師団長の本気の脅しだった。
エレナは苦笑し、そして柔らかく微笑んだ。
「はい。必ず戻ってまいります。……貴方様の胃袋を掴んだまま、逃げたりはいたしません」
「……当たり前だ。俺の舌は、もうお前以外受け付けん」
シルヴィスはふいっと顔を背けたが、その耳は赤かった。
「それと、これを待っていけ」
彼が取り出したのは、小指の先ほどの小さな魔石だった。
「『風の加護』を込めてある。馬でも馬車でも、お前が乗るものの速度を上げ、疲労を軽減する。……気休め程度だが」
「ありがとうございます。……お守りにいたしますね」
エレナは魔石を大切にポケットにしまった。主人の不器用な優しさと、グラタンの温かさを胸に。
翌朝。エレナは必要最低限の荷物を持ち、まだ薄暗いうちに塔を出た。目指すは国境、クローデル侯爵領。最強にして最難関の友人が待つ場所へ。
(行ってまいります、シルヴィス様。……待っていてくださいね)
北の塔を振り返り、エレナは深く一礼すると、朝日の中を駆け出した。
重い扉を開けると、リビングは暗く、どんよりとした空気が溜まっていた。
「……遅い」
ソファの中から、亡霊のような声が聞こえた。
シルヴィスは膝を抱えて座り込み、シフォンを抱き枕のようにギュッと締め付けていた。シフォンが「キュウ……」と助けを求めている。
「ただいま戻りました、シルヴィス様。……灯りもつけずに、何をなさっているのですか」
「お前が帰ってこないからだ。……昨日の俺の言葉が嫌で、逃げたんじゃないかと……」
天才魔術師団長が、捨てられた子犬のような目をしている。昨夜のプロポーズ。そして今朝の、エレナの機能不全。彼の中では「拒絶された」という不安が渦巻いていたのだろう。
エレナは胸が締め付けられるのを感じた。
(ああ、この方は……こんなにも不安がって待っていてくださったのですね)
だからこそ、中途半端なままではいけない。エレナは覚悟を決め、まずはエプロンをつけた。
「逃げも隠れもいたしません! お腹が空いたでしょう? すぐに夕食をご用意します」
「……食べる。お前の飯なら、毒が入っていても食べる」
「毒など入れませんよ。……元気が出るような、温かいものを作りましょう」
エレナが選んだのは、『特製・シーフードマカロニグラタン』だ。不安で冷え切った主人の心と体を温めるには、これしかない。
たっぷりのバターで小麦粉を炒め、牛乳を少しずつ加えて滑らかなベシャメルソースを作る。そこへ、白ワインで蒸した海老、ホタテ、そして玉ねぎとマッシュルームを投入。茹で上がったマカロニと合わせ、耐熱皿へ。
仕上げに、二種類のチーズ――コクのあるグリュイエールと、伸びの良いモッツァレラをたっぷりと散らし、パン粉を振ってオーブンへ入れる。
十分後。香ばしいチーズの焼ける匂いが、暗いリビングを満たした。
「お待たせいたしました」
テーブルに置かれたグラタン皿の中で、ソースがグツグツと音を立てている。狐色の焦げ目がついたチーズの下から、湯気が立ち上る。
シルヴィスは無言でスプーンを入れた。パリッ、トロッ。熱々のチーズが糸を引き、濃厚なホワイトソースが溢れ出す。フフ、と息を吹きかけて口へ運ぶ。
「……っ」
火傷しそうなほどの熱さ。だが、それがいい。濃厚なミルクの甘みと、魚介の旨味が口いっぱいに広がる。プリプリの海老と、ホクホクのマカロニ。優しい味が、凝り固まっていた胃袋を解きほぐしていく。
「……美味い」
「良かったです」
シルヴィスが夢中で皿を空にするのを待ち、食後の紅茶を淹れたタイミングで、エレナは切り出した。
「シルヴィス様。……折り入って、お願いがございます」
ピクリ、とシルヴィスの肩が跳ねた。彼はカップを握りしめ、恐る恐るエレナを見た。
エレナは居住まいを正し、真っ直ぐに彼を見つめた。
「私に、一週間の休暇をいただけないでしょうか」
「……休暇?」
予想外の言葉に、シルヴィスが瞬きをする。
「はい。明日より一週間、塔を留守にいたします。……どうしても、行かなければならない場所があるのです」
「それは……どこだ?」
「詳しくは申し上げられません。ですが、昨夜のシルヴィス様のお言葉に……真摯にお答えするために必要な旅です」
エレナは膝の上で拳を握りしめた。今のまま「はい」と答えるのは簡単だ。だが、それではただ守られるだけの存在になってしまう。
「私は、貴方様の隣に立つ資格を得たいのです。誰に後ろ指を指されることもなく、堂々と貴方様をお支えできる……そんな覚悟と許可をいただきに参ります」
「許可……?」
シルヴィスは首を傾げたが、エレナの瞳に宿る、かつて鉄の女と呼ばれた頃の強い光を見て、口をつぐんだ。彼女が決めたことだ。テコでも動かないだろう。そしてそれは、二人の未来のための行動なのだと、本能で理解した。
「……分かった。許可する」
シルヴィスは短く告げた。
「ただし、条件がある」
「はい、なんでしょう」
「一週間だ。一分でも過ぎたら、俺が迎えに行く。……たとえ地の果てだろうが、俺の全魔力を使ってお前を捜索し、連れ戻す」
それは、国一つを焼き払いかねない、魔術師団長の本気の脅しだった。
エレナは苦笑し、そして柔らかく微笑んだ。
「はい。必ず戻ってまいります。……貴方様の胃袋を掴んだまま、逃げたりはいたしません」
「……当たり前だ。俺の舌は、もうお前以外受け付けん」
シルヴィスはふいっと顔を背けたが、その耳は赤かった。
「それと、これを待っていけ」
彼が取り出したのは、小指の先ほどの小さな魔石だった。
「『風の加護』を込めてある。馬でも馬車でも、お前が乗るものの速度を上げ、疲労を軽減する。……気休め程度だが」
「ありがとうございます。……お守りにいたしますね」
エレナは魔石を大切にポケットにしまった。主人の不器用な優しさと、グラタンの温かさを胸に。
翌朝。エレナは必要最低限の荷物を持ち、まだ薄暗いうちに塔を出た。目指すは国境、クローデル侯爵領。最強にして最難関の友人が待つ場所へ。
(行ってまいります、シルヴィス様。……待っていてくださいね)
北の塔を振り返り、エレナは深く一礼すると、朝日の中を駆け出した。
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