王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする

葉山あおい

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本編 

第四十九・五話 氷の侯爵夫人の華麗なる嫁自慢

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 クローデル侯爵家の隣領。とある子爵が主催した夜会は、華やかな熱気に包まれていた。クリスタルのシャンデリアが煌めき、高価なドレスを纏った貴婦人たちが扇子を片手に談笑している。

 だが、どんなに美しい宝石よりも、貴族社会において価値があるのは情報だ。特に、最近の社交界の話題を独占しているのは、王宮にいる偏屈魔術師と、その傍らに立つ身の程知らずの女のことだった。

「ねえ、聞きました? クローデル侯爵家のシルヴィス様、まだあの女を傍に置いているそうですわよ」

「まあ、信じられない。婚姻したとはいえ、所詮は平民でしょう? 侯爵家の跡取りが、あんな身分の低い女に執心だなんて」

「噂では、何か怪しい薬でも盛っているんじゃないかって……」

 会場の隅、数人の貴婦人が、シャンパングラスを片手にひそひそと嘲笑を含んだ声を上げていた。

 エレナの実力は王宮内では周知の事実となりつつあったが、古い慣習に縛られた地方の貴族たちにとっては、依然として彼女は異物でしかない。

 そんな彼女たちの背後に、ふわりと冷たい風が吹いた気がした。

「――あら。随分と楽しそうですわね」

 凛とした、鈴を転がすような声。けれどその響きには、極北の氷河のような冷たさが含まれていた。噂話をしていた夫人たちが、弾かれたように振り返る。

 そこに立っていたのは、濃紺のベルベットドレスに身を包んだ、クローデル侯爵夫人ベアトリスだった。扇子で口元を隠し、優雅に微笑んでいる。だが、その瞳は一ミリたりとも笑っていない。

「ベ、ベアトリス様……! ごきげんよう」

「奇遇ですわね、こちらにいらしたなんて」

 夫人たちは慌てて取り繕い、愛想笑いを浮かべた。

 ベアトリス・クローデル。「氷の侯爵夫人」の異名を持つ彼女を敵に回すことが何を意味するか、社交界の人間なら誰もが知っているからだ。

 ベアトリスはゆっくりと歩み寄り、彼女たちのグラスを一瞥した。

「それで? 何か面白いお話でしたの? 怪しい薬、とか聞こえましたけれど」

「い、いいえ! 他愛のない噂話ですわ! ねえ?」

「は、はい! そうですわ! しようもない噂話です!」

「そう……。てっきり、わたくしの可愛い義娘むすめの話をしているのかとばかり……」

 サラリと言われた言葉に、夫人たちが息を呑む。ベアトリスは扇子をパチリと閉じた。

「ところで、うちの義娘が淹れる紅茶を、飲んだことはあって?」

「え、いえ、そのような機会は……」

「そう、お可哀想に。一度でもあの子の紅茶を飲んでしまえば、この会場で出された茶など、ただの泥水に思えてしまうでしょうね」

 ベアトリスはふっと溜息をつき、遠くを見るような目をした。

「温度、蒸らし時間、茶葉の選定。全てが完璧に計算され尽くした一杯。それを毎日飲める息子が、時々妬ましくなるの……」

 さらに彼女は、自身のドレスの胸元に輝くブローチを指差した。繊細な銀細工に、小さなエメラルドがあしらわれた上品な品だ。

「これ、あの子からの贈り物なの。先日、領地から旬の果物を送ったお礼にとね。……デザインのセンスも素晴らしいけれど、何より嬉しいのは、わたくしが好む色や形を、完璧に把握していることよ」

 ベアトリスは愛おしそうにブローチに触れた。

「媚びへつらうわけでもなく、高価な品で釣るわけでもない。ただ純粋に、相手を想い、相手が喜ぶことを完璧に成し遂げる。それはとても難しいことだと思うのだけれど、貴女方はどう思う?」

 問いかけに、誰も答えられない。これは、ただの自慢話ではない。

 ベアトリスは冷ややかな瞳で夫人たちを見回し、そして優雅に微笑んだ。

「あの子を悪く言っていいのは、私だけ。外野が勝手なことを言わないでいただけるかしら」

 それは、明確な警告だった。今後、エレナを侮辱することは、クローデル侯爵家への、そしてこのベアトリスへの宣戦布告と見なすという、最後通告。

 夫人たちは蒼白になり、「し、失礼いたしました……!」と逃げるようにその場を去っていった。

 周囲に静寂が戻ると、ベアトリスはふう、と小さく息を吐いた。扇子を開き、口元を隠す。その下で、彼女はほんの少しだけ、口元を緩めた。

「……まったく。あの子のせいで、敵が増えてかないませんわ」

 ベアトリスは夜空を見上げた。今頃、北の塔では、あの不器用な息子と、しっかり者の侍女が、温かい夕食を囲んでいることだろう。

「精々、お幸せになさいな。……私の自慢の子どもたち」

 氷の侯爵夫人の瞳には、月光よりも優しい、母としての温かな光が宿っていた。
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