陽葵の笑顔に僕は夢中だ。

そら

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2章 日常が壊れる。

意味のない勉強会

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 窓から差し込む眩しいほどの朝日。目が覚めた二日目、別荘は昨日の埃っぽさが嘘のように、澄んだ空気に包まれていた。
 
 この日の僕らは、まるでおままごとのような「家事」に没頭した。

 「じゃーん! 陽葵特製、ちょっと形は悪いけど愛情たっぷりの目玉焼きだよ!」
 
 不慣れな手つきでフライパンを振る陽葵 が、少し焦げた皿をテーブルに並べる。僕の予備のTシャツをだぼだぼに着て、袖を何度も捲り上げながら笑う彼女の姿に、僕は不意に呼吸を忘れた。
 
 栞は、そんな僕の横顔を、ただ静かに見つめていた。彼女の手元では、コーヒーを注ぐ細い筋が、カップの縁ギリギリでぴたりと止まった。

「陽葵、醤油。……悠真くん、そんなに急いで食べなくても誰も取らないわよ」
 
 栞は自分のカップをテーブルに置いた。コツ、という少しだけ硬い音がして、水面に波紋が広がる。

 陽葵が僕を見て「美味しい?」と首を傾げる。僕はただ熱心に頷くことしかできなかった。笑い声と湯気の向こうで、栞は一口もコーヒーを口に運ばないまま、冷めていくカップの持ち手をなぞっていた。
 
 午後は、栞の指導のもとで「勉強会」が開かれた。
 
 もう学校に戻れる保証なんてどこにもない。それでも、ペンを握り、教科書を開く。そうすることでしか、僕たちは「変わらない日常」という幻想を守ることができなかった。それは一種の、切実な逃避だった。

「うぅ……栞が先生になったら絶対怖いよ。悠真くん、助けて……」
 
 陽葵が泣きつくように僕の二の腕を掴み、ノートを覗き込んでくる。細くて、柔らかい体温が伝わってくる。僕は心臓の音をバレないように、必死にペンを動かした。
 
 ふと、横から影が差した。
 
 栞が、僕のノートの隅を指差している。そこには、僕が無意識に書き殴っていた、陽葵の横顔のスケッチがあった。
 
 栞の指先が、その鉛筆の跡をなぞるように動いた。けれど、彼女は何も言わない。
 
 ただ、持っていたシャーペンの芯を、カチ、カチと必要以上に長く出し、それからまたゆっくりと戻した。彼女の視線は僕の描いた陽葵の目元に固定され、瞬きひとつしなかった。

「……悠真くん。ここの公式、間違えてる」
 
 栞は、自分のノートを閉じた。バタン、と乾いた音が静かな部屋に響く。
 
 彼女はそのまま、窓の外に広がる森へと視線を投げた。組んだ膝の上で、彼女の左手は自分の右手の指先を、痛いほどの力で握りしめていた。

「……ごめん。書き直すよ」

「いいえ。……陽葵、次の問題に進むわよ。もうすぐ日が沈むから」
 
 栞は立ち上がり、カーテンの端を少しだけ整えた。その仕草はあまりに丁寧で、まるで自分の中にある「何か」を必死に繋ぎ止めているようだった。

「あはは! 栞、そんな怖い顔しないでよ。はい、次の問題解くから。ね、悠真くん!」

 陽葵が楽しそうに笑いながら消しゴムを動かす。その振動がテーブルを伝ってくる中で、栞だけが、色のない横顔で夕闇を見つめていた。
 
 僕が陽葵に向ける気持ち…。陽葵が僕に寄せる無邪気な信頼。その輪の中に、どうしても入れない自分を自覚しているかのように。
 
 栞の背中に向けた僕の視線は、彼女の心のささくれに気づくことなく、再び陽葵の笑顔へと吸い寄せられていった。
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