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4章 日食
檻
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「陽葵、どこか心当たりはない? お母さんとあの男が、逃げ込みそうな場所?親戚の家とか、別荘とか……」
栞の問いに、陽葵はしばらく考え込んでから、力なく首を振った。
『……ううん。親戚とはずっと疎遠だったし、お母さんがどこかへ行くなんて話、聞いたことなくて。あの男の人のことも、私、全然知らないから……』
有力な手がかりは得られず、時間だけが過ぎていく。気づけば空は茜色に染まり、校庭の影が長く伸びていた。
「……そろそろ時間ね。今日は帰りましょう」
栞が腕時計を見ながら言った。
「陽葵、どうしたんだよ。早く行こう」
僕が振り返ると、陽葵は校門を数歩出たところで立ち止まり、困惑したように空中に手を伸ばしていた。まるでそこに見えないガラスの壁があるかのように、彼女の指先はそれ以上先へは進めない。
『……だめ。行けない。これ以上進もうとすると、体がぎゅっとなって……跳ね返されちゃうの』
「そんな……。陽葵は学校から離れられないのか?」
隣にいた栞が、冷静にその境界線を観察しながら呟いた。
「……意識がこの学校に強く縛り付けられているのね。もしかすると、陽葵を繋ぎ止めている核がここにあるのかも…。」
夕闇が迫る中、陽葵はこれ以上進めない事実に呆然としていた…。そんな彼女を見て、僕は反射的に口に出していた。
「……分かった。じゃあ、僕も学校に泊まる」
「ちょっと、悠真くん、馬鹿なこと言わないで」
栞が即座に割り込んだ。「何の準備もしてないのに学校に忍び込んでるのが見つかったら、警察に捕まるわよ」
陽葵も慌てて首を振る。『だめだよ、悠真くん! そんなの望んでない……っ』
「……見つからなきゃ大丈夫だろ」
食い下がる僕に、栞は諭すような厳しい口調で言った。
「もしバレたら停学、最悪は退学よ。そうなったら、二度と陽葵に会えなくなるのよ?」
「それは……」
言葉に詰まる僕を見て、栞は少し表情を和らげ、提案するように続けた。
「……明日なら、私が図書委員の当番だから。放課後に誰にも見つからずに鍵をかけることができるわ」
『でも、それでも栞に迷惑がかかるんじゃ……』
陽葵が心配そうに呟くが、僕は栞に向かって深く頭を下げた。
「栞、頼む。どうしても、陽葵と一緒にいたいんだ」
僕の下げた頭を、栞は一瞬だけ、ひどく寂しそうな表情で見つめていた。けれど、僕が顔を上げたときには、いつもの落ち着いた微笑みに戻っていた。
「……分かったわ。任せて。私にできるのは、それくらいだから」
「ありがとう、栞! ……陽葵、明日はずっと一緒だ」
陽葵は困ったように、でもどこか嬉しそうに微笑んだ。
『……二人とも、優しすぎるよ。分かった、楽しみにして待ってるね』
別れの時間が近づく。僕は校門の内側に残る陽葵に向かって、懇願するように伝えた。
「陽葵。……明日、朝一番に来るから。だから、絶対に…いなくなるなよ…。」
泣き出しそうな僕の顔を見て、陽葵は優しく微笑んだ。
『ふふっ、私は学校から離れられないんだから、どこにも行けないよ。心配しないで、悠真くん』
僕は何度も何度も陽葵の方を振り返りながら、名名残惜しい気持ちを引きずるように歩き出した。
「必ず明日、早く来るから!」
遠ざかる僕に向かって、陽葵は大きく手を振ってくれた。
『うん! 事故に気をつけて、慌てないで来てね!』
隣を歩く栞が、少し申し訳なさそうに視線を落とした。
「悠真くん、ごめんなさい。明日の夜、私は図書室に残ってあげられないの。……家政婦さんが監視役になってるせいで、夜は親と一緒にいないと出歩けなくて…。」
厳しい家庭環境に置かれている彼女の事情は知っていた。僕は努めて明るい声で返した。
「何言ってるんだよ。栞が協力してくれるだけで十分嬉しいよ。栞がいてくれて、本当に良かった」
僕が笑いかけると、栞はパッと表情を明るくした。それから二人の別れ道に着くまで、彼女はいつになく楽しそうに話を続けた。
栞と別れた後。僕はそのまま自分の家には向かわず、陽葵の家へと足を向けた。
学校から歩いてすぐの、通い慣れた通学路。陽葵と二人で、数えられないくらい歩いたはずのこの道。目をつぶっていても角の石ころ一つまで思い出せるほど馴染み深い場所なのに、たどり着いたそこは、僕の知っている「陽葵の家」ではなかった。
「……っ」
家の周囲には、あの忌々しい黄色い規制線が張り巡らされていた。パトカーが近くに停まり、無線機を持った警察官が鋭い視線で周囲を警戒している。かつての僕らの思い出の空間は今や、巨大な「証拠品」として厳重に封鎖されていた。
ふと、二階の窓に目が留まる。
あそこが、陽葵の部屋だ。
カーテンの隙間から、古ぼけたクマのぬいぐるみが、じっと外を見つめているのが見えた。
小さな頃、陽葵がいつも抱きしめていたあのぬいぐるみ。
警察が土足で踏み込み、家族が捨てていった冷たい部屋の中で、それだけが以前と変わらぬ姿で、帰るはずのない持ち主を待ち続けている。
その孤独な姿が、今の陽葵の境遇と重なって、僕は鼻の奥が熱くなるのを堪えきれなかった。
栞の問いに、陽葵はしばらく考え込んでから、力なく首を振った。
『……ううん。親戚とはずっと疎遠だったし、お母さんがどこかへ行くなんて話、聞いたことなくて。あの男の人のことも、私、全然知らないから……』
有力な手がかりは得られず、時間だけが過ぎていく。気づけば空は茜色に染まり、校庭の影が長く伸びていた。
「……そろそろ時間ね。今日は帰りましょう」
栞が腕時計を見ながら言った。
「陽葵、どうしたんだよ。早く行こう」
僕が振り返ると、陽葵は校門を数歩出たところで立ち止まり、困惑したように空中に手を伸ばしていた。まるでそこに見えないガラスの壁があるかのように、彼女の指先はそれ以上先へは進めない。
『……だめ。行けない。これ以上進もうとすると、体がぎゅっとなって……跳ね返されちゃうの』
「そんな……。陽葵は学校から離れられないのか?」
隣にいた栞が、冷静にその境界線を観察しながら呟いた。
「……意識がこの学校に強く縛り付けられているのね。もしかすると、陽葵を繋ぎ止めている核がここにあるのかも…。」
夕闇が迫る中、陽葵はこれ以上進めない事実に呆然としていた…。そんな彼女を見て、僕は反射的に口に出していた。
「……分かった。じゃあ、僕も学校に泊まる」
「ちょっと、悠真くん、馬鹿なこと言わないで」
栞が即座に割り込んだ。「何の準備もしてないのに学校に忍び込んでるのが見つかったら、警察に捕まるわよ」
陽葵も慌てて首を振る。『だめだよ、悠真くん! そんなの望んでない……っ』
「……見つからなきゃ大丈夫だろ」
食い下がる僕に、栞は諭すような厳しい口調で言った。
「もしバレたら停学、最悪は退学よ。そうなったら、二度と陽葵に会えなくなるのよ?」
「それは……」
言葉に詰まる僕を見て、栞は少し表情を和らげ、提案するように続けた。
「……明日なら、私が図書委員の当番だから。放課後に誰にも見つからずに鍵をかけることができるわ」
『でも、それでも栞に迷惑がかかるんじゃ……』
陽葵が心配そうに呟くが、僕は栞に向かって深く頭を下げた。
「栞、頼む。どうしても、陽葵と一緒にいたいんだ」
僕の下げた頭を、栞は一瞬だけ、ひどく寂しそうな表情で見つめていた。けれど、僕が顔を上げたときには、いつもの落ち着いた微笑みに戻っていた。
「……分かったわ。任せて。私にできるのは、それくらいだから」
「ありがとう、栞! ……陽葵、明日はずっと一緒だ」
陽葵は困ったように、でもどこか嬉しそうに微笑んだ。
『……二人とも、優しすぎるよ。分かった、楽しみにして待ってるね』
別れの時間が近づく。僕は校門の内側に残る陽葵に向かって、懇願するように伝えた。
「陽葵。……明日、朝一番に来るから。だから、絶対に…いなくなるなよ…。」
泣き出しそうな僕の顔を見て、陽葵は優しく微笑んだ。
『ふふっ、私は学校から離れられないんだから、どこにも行けないよ。心配しないで、悠真くん』
僕は何度も何度も陽葵の方を振り返りながら、名名残惜しい気持ちを引きずるように歩き出した。
「必ず明日、早く来るから!」
遠ざかる僕に向かって、陽葵は大きく手を振ってくれた。
『うん! 事故に気をつけて、慌てないで来てね!』
隣を歩く栞が、少し申し訳なさそうに視線を落とした。
「悠真くん、ごめんなさい。明日の夜、私は図書室に残ってあげられないの。……家政婦さんが監視役になってるせいで、夜は親と一緒にいないと出歩けなくて…。」
厳しい家庭環境に置かれている彼女の事情は知っていた。僕は努めて明るい声で返した。
「何言ってるんだよ。栞が協力してくれるだけで十分嬉しいよ。栞がいてくれて、本当に良かった」
僕が笑いかけると、栞はパッと表情を明るくした。それから二人の別れ道に着くまで、彼女はいつになく楽しそうに話を続けた。
栞と別れた後。僕はそのまま自分の家には向かわず、陽葵の家へと足を向けた。
学校から歩いてすぐの、通い慣れた通学路。陽葵と二人で、数えられないくらい歩いたはずのこの道。目をつぶっていても角の石ころ一つまで思い出せるほど馴染み深い場所なのに、たどり着いたそこは、僕の知っている「陽葵の家」ではなかった。
「……っ」
家の周囲には、あの忌々しい黄色い規制線が張り巡らされていた。パトカーが近くに停まり、無線機を持った警察官が鋭い視線で周囲を警戒している。かつての僕らの思い出の空間は今や、巨大な「証拠品」として厳重に封鎖されていた。
ふと、二階の窓に目が留まる。
あそこが、陽葵の部屋だ。
カーテンの隙間から、古ぼけたクマのぬいぐるみが、じっと外を見つめているのが見えた。
小さな頃、陽葵がいつも抱きしめていたあのぬいぐるみ。
警察が土足で踏み込み、家族が捨てていった冷たい部屋の中で、それだけが以前と変わらぬ姿で、帰るはずのない持ち主を待ち続けている。
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