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4章 日食
三角関係
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翌朝、僕は誰よりも早く登校した。教室のドアを開けると、そこには昨日と同じ場所で、窓の外を眺めている陽葵の姿があった。
「陽葵……! 良かった、ちゃんといてくれた…。」
僕が駆け寄ると、陽葵はくるりと振り返り、パッと花が咲いたような笑顔を見せた。
『あ、悠真くん、おはよう! うん、ちゃんとここにいたよ。夜の学校、意外と楽しかったんだから』
「楽しかった? 怖くなかったのか?」
『最初はお化けが出たらどうしようってドキドキしたけど、よく考えたら私もお化けみたいなものだし、仲間じゃん!って思って。校舎をぐるぐる回って探し回ったんだけど、結局誰もいなかったよ』
ケラケラと笑う陽葵の陽気な姿に、昨夜の不安が少しずつ溶けていく。彼女が笑っているだけで、この非日常が幸せだと思えてくるから不思議だ。
『あ、でもね、夜中に大きなトラックが校門の前をすごいスピードで走り抜けていったの。音が凄くてびっくりしちゃった。悠真くん、登下校は本当に気をつけてね!』
「……分かった、気をつけるよ。陽葵は優しいな。」
そんな話をしていると、栞が登校してきた。彼女は陽葵がいるであろう空間に視線を向け、昨夜相談した「図書室潜伏計画」について、改めて話をした。
『……でも、本当に大丈夫かな? 二人に迷惑かけちゃうし……』
「大丈夫だよ。ただ……そうだな、トイレに行くタイミングだけは気をつけないとな。警備員と鉢合わせたら、不審者として捕まっちゃうからね!」
僕が茶化すように言うと、陽葵は『あはは!』と声を弾ませた。
『もし警備員さんが来たら、私がすぐに教えるね! 昨日も警備員さんの目の前で思いっきり手を振ってみたんだけど、ぜーんぜん気づかれなかったもん』
「……ぷっ、あはは!」
僕が思わず吹き出すと、栞が不思議そうに目を広げた。「……悠真くん? 急にどうしたの?」
「いや、ごめん。陽葵がさ、昨日警備員の目の前で手を振って遊んでたけど全然気づかれなかったって笑ってて。もし見回りが来たら自分が真っ先に教えるから大丈夫だって言ってるんだ。」
僕がそう伝えると、栞はあきれたように、でもどこか感心したように口角を上げた。
「……警備員さんには同情するわね。でも、そんな風に明るく振る舞えるのは、いかにも陽葵らしいというか。彼女のその強さに、今は救われるわね。」
『えへへ、お役に立ちますよ!』
陽葵は得意げに胸を張る。その無邪気な笑顔に、僕の緊張が少しだけ和らぐのを感じた。
「……ただ、さっき『朝まで出られない』って言ったけど、それは文字通りの意味よ。図書室の外にあるトイレにも、朝まで行けないからね」
栞の念押しに、僕は少し顔を引きつらせた。
「あ……そうか。じゃあ、水分補給も計画的にしないとな。トイレだけは本当に気をつけないと……って、気をつけようがないか。行けないんだから」
僕が苦笑いしながら言うと、陽葵も「それは大変だね」とクスクス笑っている。
その日の授業中、僕の様子は今までと見違えるようだった。
魂が抜けたようだった僕が、背筋を伸ばし、時折、陽葵がいた席を優しい目で見つめると急に笑顔になる。
クラスメイトたちは、何もない空間に微笑みかける姿をどこか不思議そうに、そして少しの不気味に感じながら眺めていたが。
けれど、今の僕にはそんな視線はどうでもよかった。
陽葵がそこにいる。それだけで、僕はこの心は満たされるんだ。
やがて放課後のチャイムが鳴り、部活動も終わり校舎から音が消えた。夕日が海に沈み始める中、栞が静かに僕たちのもとへ歩み寄ってきた。
「……準備はいいわね、悠真くん」
彼女の手には、図書室の使い込まれた鍵が握られていた。どこにでもある普通の鍵だけど、今の僕にとっては、陽葵との時間を守るための唯一の「希望」に見えた。
栞は周囲を一度鋭く見渡すと、手際よく鍵を差し込み、音を立てないようにゆっくりと扉を開けた。
「……入りなさい。翌朝、私が開けに来るまで、何があっても中から鍵を開けちゃダメよ。警備員が外を通っても、息を潜めてやり過ごすの」
「分かってる。あ、陽葵が言ってたけど、警備員は夜の10時には帰宅してたみたいなんだ。だから、警備員が帰ったら栞に連絡するよ」
僕がそう伝えると、栞は少しだけ表情を緩めた。
「そう……陽葵の情報なら正確でしょうね。連絡、楽しみにしてるわ。でも、くれぐれも見つからないように。いいわね?」
栞は短くそう言うと、僕と陽葵が中に入ったのを見届けてから、外側からカチャリと鍵を閉めた。
完全に、閉じ込められた。
夕暮れの光が窓から差し込み、長い本棚の影が巨大な怪物のように床に伸びている。昼間は生徒が勉強や読書をしている憩いの空間が、今は僕ら2人のためにある秘密基地に変わっていた。
『……本当に、二人きりになっちゃったね』
陽葵が本棚の影から顔を出して、少し照れくさそうに笑った。僕も、いざ二人きりになると急に鼓動が速くなるのを感じて、誤魔化すように鼻の頭を掻いた。
『あ、悠真くん、私、栞を見送ってくる!』
「え? でも、栞には陽葵の姿は見えないんだぞ」
『ううん、いいの。気持ちが大事なんだから!』
そう言って、陽葵はすり抜けるように図書室の壁の向こうへ消えていった。
陽葵は廊下を軽やかに進み、栞の背中を見つけた。けれど、栞は下駄箱の方へは向かわず、自分たちの教室がある方向へと歩いていく。
『あれ? 栞、忘れ物かな?』
陽葵はニコニコしながら、聞こえないと分かっていても栞に話しかけ、その後を追った。
教室に入った栞は、真っ直ぐに悠真の席へと向かった。そして、信じられないほど慈しみに満ちた、熱を帯びた瞳で悠真の机をそっと撫でた。
「……ごめんなさい。陽葵、悠真くん……」
栞は消え入りそうな声で謝りながら、その場に崩れ落ちるように悠真の椅子に座った。彼女の目からは大粒の涙が溢れ、机の上にポツリと落ちる。
そして、栞は悠真がいつも触れている机の表面に、祈るように、愛おしそうに、そっと唇を寄せた。そのまま顔を隠すように突っ伏し、肩を震わせる。
陽葵は、その光景をただ呆然と見つめていた。
栞が隠し持っていた、あまりにも深くて重い「悠真への想い」…。親友だと思っていた彼女が、自分がいなくなった場所で、どんな想いで悠真の隣に立っていて…。そして私を「探す」のを手伝ってくれていたのか。
『……っ!』
心臓を直に掴まれたような衝撃に襲われ、陽葵はたまらずその場から逃げ出した。ショックと言葉にできない複雑な感情を抱えたまま、彼女は悠真の待つ図書室へと全力で走り出した。
「陽葵……! 良かった、ちゃんといてくれた…。」
僕が駆け寄ると、陽葵はくるりと振り返り、パッと花が咲いたような笑顔を見せた。
『あ、悠真くん、おはよう! うん、ちゃんとここにいたよ。夜の学校、意外と楽しかったんだから』
「楽しかった? 怖くなかったのか?」
『最初はお化けが出たらどうしようってドキドキしたけど、よく考えたら私もお化けみたいなものだし、仲間じゃん!って思って。校舎をぐるぐる回って探し回ったんだけど、結局誰もいなかったよ』
ケラケラと笑う陽葵の陽気な姿に、昨夜の不安が少しずつ溶けていく。彼女が笑っているだけで、この非日常が幸せだと思えてくるから不思議だ。
『あ、でもね、夜中に大きなトラックが校門の前をすごいスピードで走り抜けていったの。音が凄くてびっくりしちゃった。悠真くん、登下校は本当に気をつけてね!』
「……分かった、気をつけるよ。陽葵は優しいな。」
そんな話をしていると、栞が登校してきた。彼女は陽葵がいるであろう空間に視線を向け、昨夜相談した「図書室潜伏計画」について、改めて話をした。
『……でも、本当に大丈夫かな? 二人に迷惑かけちゃうし……』
「大丈夫だよ。ただ……そうだな、トイレに行くタイミングだけは気をつけないとな。警備員と鉢合わせたら、不審者として捕まっちゃうからね!」
僕が茶化すように言うと、陽葵は『あはは!』と声を弾ませた。
『もし警備員さんが来たら、私がすぐに教えるね! 昨日も警備員さんの目の前で思いっきり手を振ってみたんだけど、ぜーんぜん気づかれなかったもん』
「……ぷっ、あはは!」
僕が思わず吹き出すと、栞が不思議そうに目を広げた。「……悠真くん? 急にどうしたの?」
「いや、ごめん。陽葵がさ、昨日警備員の目の前で手を振って遊んでたけど全然気づかれなかったって笑ってて。もし見回りが来たら自分が真っ先に教えるから大丈夫だって言ってるんだ。」
僕がそう伝えると、栞はあきれたように、でもどこか感心したように口角を上げた。
「……警備員さんには同情するわね。でも、そんな風に明るく振る舞えるのは、いかにも陽葵らしいというか。彼女のその強さに、今は救われるわね。」
『えへへ、お役に立ちますよ!』
陽葵は得意げに胸を張る。その無邪気な笑顔に、僕の緊張が少しだけ和らぐのを感じた。
「……ただ、さっき『朝まで出られない』って言ったけど、それは文字通りの意味よ。図書室の外にあるトイレにも、朝まで行けないからね」
栞の念押しに、僕は少し顔を引きつらせた。
「あ……そうか。じゃあ、水分補給も計画的にしないとな。トイレだけは本当に気をつけないと……って、気をつけようがないか。行けないんだから」
僕が苦笑いしながら言うと、陽葵も「それは大変だね」とクスクス笑っている。
その日の授業中、僕の様子は今までと見違えるようだった。
魂が抜けたようだった僕が、背筋を伸ばし、時折、陽葵がいた席を優しい目で見つめると急に笑顔になる。
クラスメイトたちは、何もない空間に微笑みかける姿をどこか不思議そうに、そして少しの不気味に感じながら眺めていたが。
けれど、今の僕にはそんな視線はどうでもよかった。
陽葵がそこにいる。それだけで、僕はこの心は満たされるんだ。
やがて放課後のチャイムが鳴り、部活動も終わり校舎から音が消えた。夕日が海に沈み始める中、栞が静かに僕たちのもとへ歩み寄ってきた。
「……準備はいいわね、悠真くん」
彼女の手には、図書室の使い込まれた鍵が握られていた。どこにでもある普通の鍵だけど、今の僕にとっては、陽葵との時間を守るための唯一の「希望」に見えた。
栞は周囲を一度鋭く見渡すと、手際よく鍵を差し込み、音を立てないようにゆっくりと扉を開けた。
「……入りなさい。翌朝、私が開けに来るまで、何があっても中から鍵を開けちゃダメよ。警備員が外を通っても、息を潜めてやり過ごすの」
「分かってる。あ、陽葵が言ってたけど、警備員は夜の10時には帰宅してたみたいなんだ。だから、警備員が帰ったら栞に連絡するよ」
僕がそう伝えると、栞は少しだけ表情を緩めた。
「そう……陽葵の情報なら正確でしょうね。連絡、楽しみにしてるわ。でも、くれぐれも見つからないように。いいわね?」
栞は短くそう言うと、僕と陽葵が中に入ったのを見届けてから、外側からカチャリと鍵を閉めた。
完全に、閉じ込められた。
夕暮れの光が窓から差し込み、長い本棚の影が巨大な怪物のように床に伸びている。昼間は生徒が勉強や読書をしている憩いの空間が、今は僕ら2人のためにある秘密基地に変わっていた。
『……本当に、二人きりになっちゃったね』
陽葵が本棚の影から顔を出して、少し照れくさそうに笑った。僕も、いざ二人きりになると急に鼓動が速くなるのを感じて、誤魔化すように鼻の頭を掻いた。
『あ、悠真くん、私、栞を見送ってくる!』
「え? でも、栞には陽葵の姿は見えないんだぞ」
『ううん、いいの。気持ちが大事なんだから!』
そう言って、陽葵はすり抜けるように図書室の壁の向こうへ消えていった。
陽葵は廊下を軽やかに進み、栞の背中を見つけた。けれど、栞は下駄箱の方へは向かわず、自分たちの教室がある方向へと歩いていく。
『あれ? 栞、忘れ物かな?』
陽葵はニコニコしながら、聞こえないと分かっていても栞に話しかけ、その後を追った。
教室に入った栞は、真っ直ぐに悠真の席へと向かった。そして、信じられないほど慈しみに満ちた、熱を帯びた瞳で悠真の机をそっと撫でた。
「……ごめんなさい。陽葵、悠真くん……」
栞は消え入りそうな声で謝りながら、その場に崩れ落ちるように悠真の椅子に座った。彼女の目からは大粒の涙が溢れ、机の上にポツリと落ちる。
そして、栞は悠真がいつも触れている机の表面に、祈るように、愛おしそうに、そっと唇を寄せた。そのまま顔を隠すように突っ伏し、肩を震わせる。
陽葵は、その光景をただ呆然と見つめていた。
栞が隠し持っていた、あまりにも深くて重い「悠真への想い」…。親友だと思っていた彼女が、自分がいなくなった場所で、どんな想いで悠真の隣に立っていて…。そして私を「探す」のを手伝ってくれていたのか。
『……っ!』
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