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地獄、それは予告もなく始まる
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「……目、開いてますか?」
「開いてるわよ……」
私は、地面に突っ伏しながら言った。正確には、地面に溶け込んでいた。
もはや私と床の境界線は曖昧で、このまま地中へフェードアウトできるんじゃないかと本気で思っていた。
「お嬢様、初日ですので、まだ“準備運動”です」
「準備運動で殺す気だったの……???」
数時間前──。
私は、“なんか知らんがバレていて”、何の前触れもなく訓練場に担ぎ込まれた。
言い訳も逃げ道も一切ナシ。
「ではまず、身体強化の基礎を見直します」
「え、そこから!?」
「基礎がすべてです。あなたの強化は“速い”が、“粗い”」
「なにそれ!? 私の身体強化、雑ってこと!?!?」
「はい」
「即答しないで!?!?」
そこから、私の精神と肉体を限界のさらに上まで追い詰める、
“筋繊維断裂して再生するまでを1日で3回やる訓練”が始まった。
しかも、その地獄を見下ろすギャラリーには、なぜかあの子までいた。
──王太子の娘、リシェル・フォン・ルクレツィア。
「ふふ……やってるわね、エリシア」
「……見てないで、助けて」
「わたくし、応援はしてあげるわ。“がんばれー”」
「棒読み!!!」
どういう神経をしているのか、あの子はすっかり“エリシア=遊び相手”とインプットされてしまったらしく、
毎日のように訓練場に顔を出しては、命を削っている私を見物していた。
……いや、実はそれだけじゃない。
あの子は“ちゃんとわかっている”。
自分が王族であり、護られる存在であるということ。
それを自覚しているからこそ、私のことを遊び半分で見ているわけじゃない。
──この訓練の意味も、きっと理解してる。
(くそぅ……立場的にも、精神的にも……完全に“格上”じゃない……)
でも、それでも私は──
「──お嬢様、次は武器訓練です」
「え、さすがにまだ身体動かない……」
「ならば、動くまで待ちます。その後“二倍”にしましょう」
「“優しさ”とは──!?」
そう、私は“やる”しかない。
逃げることは許されないし、
ここで這い上がらなければ、“誰も守れない”。
そして、鬼畜Aによって連れてこられた“もう一人”が私の隣に並んだ。
──ラグナ。あの、脱出劇の中で共に走った獣人の少年だ。
「よぉ、令嬢。地獄は初めてか?」
「え、あなたは慣れてる感じ……?」
「ま、俺も“選ばれちまった”からな。これから一年、よろしくな」
彼はニカッと笑って、拳を突き出した。
その拳には、血と泥と、“生き延びてきた者”の力がこもっていた。
私は、少しだけためらってから、その拳に自分の手を重ねた。
「……よろしく」
その瞬間、私の中で何かがカチリと音を立てた。
これは、ただの地獄じゃない。
これは“チーム戦”だ。
「──目標は一年後。護衛任務完遂」
鬼畜Aの静かな声が、訓練場に響いた。
「それまでに死ななければ、貴族でも王族でも、獣人でも関係ありません。“戦える人材”として認めましょう」
「……やってやるわよ」
私はそう呟いて、剣を構えた。
痛みも、疲労も、情けなさも。
すべてを剣に込めて、この地獄の先へ踏み出す。
──それが、私が“ヴァルムント家の令嬢”として与えられた、最初の“任務”だから。
そしてその頃、遠く離れた執務室では──
「……本当に、娘を“あの子”に預けるつもりか?」
王太子の問いに、公爵はワイングラスをゆらりと傾け、静かに微笑んだ。
「おや、あの子はもう“預かって”おりますよ」
「……随分と手荒な預かり方だったように見えたが」
「手荒に見えるのは、期待しているからです」
公爵の瞳には、冷たい光が宿っていた。
「我がヴァルムント家の“黒鉄”の継承は、すでに始まっております」
「“令嬢”ではなく、“武器”として育てると?」
「……物はすぐに手に入ります。しかし、“人材”は育てるものです」
「その育て方が、常軌を逸していると言っているんだ」
「はて、そうでしょうか?」
公爵は窓の外、遠くの訓練場に視線を向けながら、淡く笑った。
「──あの娘は、“王冠”にふさわしい盾になりますよ」
目を開けた瞬間、私はまず“今日が何曜日なのか”を考えた。
……いや、曜日って何だっけ。
というか、今日って“今日”なの?
「……あれ、ここどこ?」
見上げた天井は見慣れた自室のはずなのに、なぜか別世界にいるような感覚だった。
腕も、足も、首も、痛い。いや、痛いを通り越して“感覚がない”。
ゆっくりと身を起こそうとして──そのままベッドに沈み込んだ。
「……ちょ、動けないんですけど?」
口だけは元気だった。口だけは。
(昨日の夜……いや、正確には“今朝方”まで……)
思い出した瞬間、頭の中が赤黒く染まった。
──あれは訓練じゃない。拷問だ。
「もう……ほんとに……なんだったのよ、あれ……」
***
回想。
「夜間訓練を追加します」
「え、追加って今から!?」
「戦場に“昼夜の区別”はありません」
「いやいやいや、戦場って何!? 私、貴族の令嬢なんですけど!!?」
「では、貴族の令嬢として戦えるようになりましょう」
そう言って鬼畜A──正式には“訓練教官レオン”だけど、私は心の中でずっと“鬼畜A”と呼んでいる──は、
笑顔も怒気もない顔で“夜間用の訓練場”へと私を放り込んだ。
暗闇の中で、音だけを頼りに動く訓練。
息を殺し、気配を消し、わずかな物音の中で敵の位置を特定する訓練。
「……視覚に頼るから、すぐ“芯”を外すんです」
「じゃあ、どうしろってのよ……!!」
「“聴覚”と“第六感”を鍛えてください」
「無茶言わないで!!!!」
それでも、私は──やった。
やらされた。やるしかなかった。
ただの“剣の素振り”だけじゃない。
走って、転んで、押さえつけられて、寝技まで叩き込まれて。
獣人の少年ラグナと組まされ、気づけば“格闘”の実戦形式に突入していた。
「ほら、もっと体重をうまく乗せてこいよ、お嬢」
「うるさい!!! あんたのその尻尾、千切るわよ!!!」
「やれるもんならやってみな」
「やるからな!!?」
もう感情と筋肉がぐちゃぐちゃだった。
そうして、意識がぷつんと切れたのが、訓練場の端の土の上だった。
***
(……で、気づいたらこのベッドの上ってわけか)
部屋に誰かが運び込んでくれた形跡がある。
毛布もかけ直されていたし、傷にも回復魔法がうっすら残っていた。
「……さすがに、倒れたら止めるのね……」
それが優しさなのか、ただのメンテナンスなのか、判断できないのが悔しい。
(ていうか……これ、今日もあるのかな……?)
答えは、部屋の扉をノックする音がすべてを物語っていた。
「お嬢様、訓練の再開まで一時間を切っております」
「うっそでしょ……」
「本日は午前中、戦術座学と戦場における判断シミュレーション。午後から魔力制御の実践。夜は昨日と同じく夜間訓練を予定しております」
「いや、詰め込みすぎでしょ!!!???」
思わず絶叫した私の声は、もちろん誰にも届かず、扉の向こうから淡々とした返答が返ってきた。
「“一年後”まで、あと三百六十五日ですから」
「地獄の始まりが丁寧すぎる……」
それでも──私は起き上がる。
ベッドの上で、ぐっと拳を握りしめる。
「やってやろうじゃない……!」
これが、“ヴァルムント家の令嬢”としての道ならば。
いや、もはや“令嬢”とか言ってられない。
これは──
「……戦場に出る者の覚悟、ってやつでしょ」
私は、痛む体に鞭を打って、立ち上がった。
窓の外では朝日が差し込んでいたけれど、私にとってはただの“次の地獄の鐘”だった。
(……というか、マジで一年間こんなの続くの?)
(いや、無理じゃない?)
(でも、やるしかない……!)
──そしてこの日、私は知ることになる。
“本当の地獄”は、まだ序の口だったことを。
夜は、不思議な時間だと思う。
昼間はあれほど騒がしく、気を張りっぱなしだったこの館も、
深夜になれば静寂に包まれ、まるで全てが止まってしまったかのように思える。
そんな静けさの中──私の部屋の窓が、軽くノックされた。
「……リシェル?」
「うん、起きてた? ちょっとだけ、いい?」
私は静かに頷き、部屋の窓を開けた。
王女が、こんな時間に一人で行動するなんて本来ありえない。
でも、今夜のリシェルは「王女」ではなく──ただの、リシェルだった。
月明かりを背に、白いナイトローブを揺らしながら、彼女はふわりと私の部屋に入ってくる。
あんなに気が強くて、命令口調で、手に負えない子だったのに──今は妙におとなしい。
「……明日、帰るんだってね」
「うん。父様の予定が少し早まったみたい。……ちょっとだけ、寂しい?」
私は彼女の問いに答えず、ベッドの端に腰掛けた。
リシェルも、それを見て私の隣に座る。
ほんの数日間だった。
なのに、不思議なほどに濃密だった。
「エリシアと遊んでる時間、すっごく楽しかった」
「……私は、“遊ばれてた”って気しかしなかったけど」
「えへへ、でも、いろいろ教えてくれたでしょ? 剣の握り方とか、追跡ゲームとか……あと、足払いの受け身の取り方とか」
「それ、全部まともな遊びじゃないからね!?」
私のツッコミに、リシェルはくすりと笑う。
その横顔は、昼間の“わがまま王女”とはまるで違っていて──
すごく、普通の女の子に見えた。
「ねえ、エリシア」
「なに?」
「……ここって、不思議な場所だよね。あんなに冷たい人たちばっかりかと思ったら、優しい人もいるし、厳しい人もいて……でも、誰も嘘をつかない」
「え?」
「王宮って……言葉の半分くらいが“建前”なの。誰が誰の味方で、誰が敵か……何を言えば得になるか……そればっかり」
「……」
「でも、エリシアは違う。全部、本音でぶつかってくる。だから私、最初びっくりしたんだよ。こんな人、いるんだって」
それは──嬉しい言葉だった。
でも同時に、少しだけ苦い。
私は、“本音”しか持ってないだけだ。
“建前”なんて使えるほど器用じゃないから。
「……それで? 帰りたくなくなっちゃった?」
「ううん、帰るよ。だって、私は“あっちの世界”の人間だから」
「……」
リシェルは言う。
まるで、それが避けられない運命だと知っているかのように。
「でも──エリシアとなら、また会える気がする」
「え?」
「だって、エリシアって、どんどん“向こう側”に近づいてきてるじゃない?」
「……どっちの意味よ、それ」
「ふふ、秘密」
笑いながら、リシェルはそっと立ち上がる。
「じゃあね、エリシア。次に会うときは、たぶん“公的な場”になると思うけど──」
「私は“私”のまま行くよ」
「……」
「そのときも、ちゃんと“本音”で付き合ってね」
そう言って、彼女は窓辺へと戻っていく。
私は立ち上がり、そっと声をかけた。
「……また、遊んでくれる?」
リシェルは振り返り、ふわりと笑った。
「もちろん」
月明かりの中、その笑顔だけが強く心に残った。
──あの子は、きっと“本当の王女”になる。
“誰かを守れる”王女に。
そして、私は……その隣に立てるようにならなきゃいけない。
(……一年後)
自分に課せられた、“あの地獄の訓練”の意味を思い出す。
「……ああもう、ほんと逃げられないじゃん……」
私はベッドに倒れ込みながら、こっそり心の中でツッコミを入れた。
そして──深く、眠りに落ちた。
「開いてるわよ……」
私は、地面に突っ伏しながら言った。正確には、地面に溶け込んでいた。
もはや私と床の境界線は曖昧で、このまま地中へフェードアウトできるんじゃないかと本気で思っていた。
「お嬢様、初日ですので、まだ“準備運動”です」
「準備運動で殺す気だったの……???」
数時間前──。
私は、“なんか知らんがバレていて”、何の前触れもなく訓練場に担ぎ込まれた。
言い訳も逃げ道も一切ナシ。
「ではまず、身体強化の基礎を見直します」
「え、そこから!?」
「基礎がすべてです。あなたの強化は“速い”が、“粗い”」
「なにそれ!? 私の身体強化、雑ってこと!?!?」
「はい」
「即答しないで!?!?」
そこから、私の精神と肉体を限界のさらに上まで追い詰める、
“筋繊維断裂して再生するまでを1日で3回やる訓練”が始まった。
しかも、その地獄を見下ろすギャラリーには、なぜかあの子までいた。
──王太子の娘、リシェル・フォン・ルクレツィア。
「ふふ……やってるわね、エリシア」
「……見てないで、助けて」
「わたくし、応援はしてあげるわ。“がんばれー”」
「棒読み!!!」
どういう神経をしているのか、あの子はすっかり“エリシア=遊び相手”とインプットされてしまったらしく、
毎日のように訓練場に顔を出しては、命を削っている私を見物していた。
……いや、実はそれだけじゃない。
あの子は“ちゃんとわかっている”。
自分が王族であり、護られる存在であるということ。
それを自覚しているからこそ、私のことを遊び半分で見ているわけじゃない。
──この訓練の意味も、きっと理解してる。
(くそぅ……立場的にも、精神的にも……完全に“格上”じゃない……)
でも、それでも私は──
「──お嬢様、次は武器訓練です」
「え、さすがにまだ身体動かない……」
「ならば、動くまで待ちます。その後“二倍”にしましょう」
「“優しさ”とは──!?」
そう、私は“やる”しかない。
逃げることは許されないし、
ここで這い上がらなければ、“誰も守れない”。
そして、鬼畜Aによって連れてこられた“もう一人”が私の隣に並んだ。
──ラグナ。あの、脱出劇の中で共に走った獣人の少年だ。
「よぉ、令嬢。地獄は初めてか?」
「え、あなたは慣れてる感じ……?」
「ま、俺も“選ばれちまった”からな。これから一年、よろしくな」
彼はニカッと笑って、拳を突き出した。
その拳には、血と泥と、“生き延びてきた者”の力がこもっていた。
私は、少しだけためらってから、その拳に自分の手を重ねた。
「……よろしく」
その瞬間、私の中で何かがカチリと音を立てた。
これは、ただの地獄じゃない。
これは“チーム戦”だ。
「──目標は一年後。護衛任務完遂」
鬼畜Aの静かな声が、訓練場に響いた。
「それまでに死ななければ、貴族でも王族でも、獣人でも関係ありません。“戦える人材”として認めましょう」
「……やってやるわよ」
私はそう呟いて、剣を構えた。
痛みも、疲労も、情けなさも。
すべてを剣に込めて、この地獄の先へ踏み出す。
──それが、私が“ヴァルムント家の令嬢”として与えられた、最初の“任務”だから。
そしてその頃、遠く離れた執務室では──
「……本当に、娘を“あの子”に預けるつもりか?」
王太子の問いに、公爵はワイングラスをゆらりと傾け、静かに微笑んだ。
「おや、あの子はもう“預かって”おりますよ」
「……随分と手荒な預かり方だったように見えたが」
「手荒に見えるのは、期待しているからです」
公爵の瞳には、冷たい光が宿っていた。
「我がヴァルムント家の“黒鉄”の継承は、すでに始まっております」
「“令嬢”ではなく、“武器”として育てると?」
「……物はすぐに手に入ります。しかし、“人材”は育てるものです」
「その育て方が、常軌を逸していると言っているんだ」
「はて、そうでしょうか?」
公爵は窓の外、遠くの訓練場に視線を向けながら、淡く笑った。
「──あの娘は、“王冠”にふさわしい盾になりますよ」
目を開けた瞬間、私はまず“今日が何曜日なのか”を考えた。
……いや、曜日って何だっけ。
というか、今日って“今日”なの?
「……あれ、ここどこ?」
見上げた天井は見慣れた自室のはずなのに、なぜか別世界にいるような感覚だった。
腕も、足も、首も、痛い。いや、痛いを通り越して“感覚がない”。
ゆっくりと身を起こそうとして──そのままベッドに沈み込んだ。
「……ちょ、動けないんですけど?」
口だけは元気だった。口だけは。
(昨日の夜……いや、正確には“今朝方”まで……)
思い出した瞬間、頭の中が赤黒く染まった。
──あれは訓練じゃない。拷問だ。
「もう……ほんとに……なんだったのよ、あれ……」
***
回想。
「夜間訓練を追加します」
「え、追加って今から!?」
「戦場に“昼夜の区別”はありません」
「いやいやいや、戦場って何!? 私、貴族の令嬢なんですけど!!?」
「では、貴族の令嬢として戦えるようになりましょう」
そう言って鬼畜A──正式には“訓練教官レオン”だけど、私は心の中でずっと“鬼畜A”と呼んでいる──は、
笑顔も怒気もない顔で“夜間用の訓練場”へと私を放り込んだ。
暗闇の中で、音だけを頼りに動く訓練。
息を殺し、気配を消し、わずかな物音の中で敵の位置を特定する訓練。
「……視覚に頼るから、すぐ“芯”を外すんです」
「じゃあ、どうしろってのよ……!!」
「“聴覚”と“第六感”を鍛えてください」
「無茶言わないで!!!!」
それでも、私は──やった。
やらされた。やるしかなかった。
ただの“剣の素振り”だけじゃない。
走って、転んで、押さえつけられて、寝技まで叩き込まれて。
獣人の少年ラグナと組まされ、気づけば“格闘”の実戦形式に突入していた。
「ほら、もっと体重をうまく乗せてこいよ、お嬢」
「うるさい!!! あんたのその尻尾、千切るわよ!!!」
「やれるもんならやってみな」
「やるからな!!?」
もう感情と筋肉がぐちゃぐちゃだった。
そうして、意識がぷつんと切れたのが、訓練場の端の土の上だった。
***
(……で、気づいたらこのベッドの上ってわけか)
部屋に誰かが運び込んでくれた形跡がある。
毛布もかけ直されていたし、傷にも回復魔法がうっすら残っていた。
「……さすがに、倒れたら止めるのね……」
それが優しさなのか、ただのメンテナンスなのか、判断できないのが悔しい。
(ていうか……これ、今日もあるのかな……?)
答えは、部屋の扉をノックする音がすべてを物語っていた。
「お嬢様、訓練の再開まで一時間を切っております」
「うっそでしょ……」
「本日は午前中、戦術座学と戦場における判断シミュレーション。午後から魔力制御の実践。夜は昨日と同じく夜間訓練を予定しております」
「いや、詰め込みすぎでしょ!!!???」
思わず絶叫した私の声は、もちろん誰にも届かず、扉の向こうから淡々とした返答が返ってきた。
「“一年後”まで、あと三百六十五日ですから」
「地獄の始まりが丁寧すぎる……」
それでも──私は起き上がる。
ベッドの上で、ぐっと拳を握りしめる。
「やってやろうじゃない……!」
これが、“ヴァルムント家の令嬢”としての道ならば。
いや、もはや“令嬢”とか言ってられない。
これは──
「……戦場に出る者の覚悟、ってやつでしょ」
私は、痛む体に鞭を打って、立ち上がった。
窓の外では朝日が差し込んでいたけれど、私にとってはただの“次の地獄の鐘”だった。
(……というか、マジで一年間こんなの続くの?)
(いや、無理じゃない?)
(でも、やるしかない……!)
──そしてこの日、私は知ることになる。
“本当の地獄”は、まだ序の口だったことを。
夜は、不思議な時間だと思う。
昼間はあれほど騒がしく、気を張りっぱなしだったこの館も、
深夜になれば静寂に包まれ、まるで全てが止まってしまったかのように思える。
そんな静けさの中──私の部屋の窓が、軽くノックされた。
「……リシェル?」
「うん、起きてた? ちょっとだけ、いい?」
私は静かに頷き、部屋の窓を開けた。
王女が、こんな時間に一人で行動するなんて本来ありえない。
でも、今夜のリシェルは「王女」ではなく──ただの、リシェルだった。
月明かりを背に、白いナイトローブを揺らしながら、彼女はふわりと私の部屋に入ってくる。
あんなに気が強くて、命令口調で、手に負えない子だったのに──今は妙におとなしい。
「……明日、帰るんだってね」
「うん。父様の予定が少し早まったみたい。……ちょっとだけ、寂しい?」
私は彼女の問いに答えず、ベッドの端に腰掛けた。
リシェルも、それを見て私の隣に座る。
ほんの数日間だった。
なのに、不思議なほどに濃密だった。
「エリシアと遊んでる時間、すっごく楽しかった」
「……私は、“遊ばれてた”って気しかしなかったけど」
「えへへ、でも、いろいろ教えてくれたでしょ? 剣の握り方とか、追跡ゲームとか……あと、足払いの受け身の取り方とか」
「それ、全部まともな遊びじゃないからね!?」
私のツッコミに、リシェルはくすりと笑う。
その横顔は、昼間の“わがまま王女”とはまるで違っていて──
すごく、普通の女の子に見えた。
「ねえ、エリシア」
「なに?」
「……ここって、不思議な場所だよね。あんなに冷たい人たちばっかりかと思ったら、優しい人もいるし、厳しい人もいて……でも、誰も嘘をつかない」
「え?」
「王宮って……言葉の半分くらいが“建前”なの。誰が誰の味方で、誰が敵か……何を言えば得になるか……そればっかり」
「……」
「でも、エリシアは違う。全部、本音でぶつかってくる。だから私、最初びっくりしたんだよ。こんな人、いるんだって」
それは──嬉しい言葉だった。
でも同時に、少しだけ苦い。
私は、“本音”しか持ってないだけだ。
“建前”なんて使えるほど器用じゃないから。
「……それで? 帰りたくなくなっちゃった?」
「ううん、帰るよ。だって、私は“あっちの世界”の人間だから」
「……」
リシェルは言う。
まるで、それが避けられない運命だと知っているかのように。
「でも──エリシアとなら、また会える気がする」
「え?」
「だって、エリシアって、どんどん“向こう側”に近づいてきてるじゃない?」
「……どっちの意味よ、それ」
「ふふ、秘密」
笑いながら、リシェルはそっと立ち上がる。
「じゃあね、エリシア。次に会うときは、たぶん“公的な場”になると思うけど──」
「私は“私”のまま行くよ」
「……」
「そのときも、ちゃんと“本音”で付き合ってね」
そう言って、彼女は窓辺へと戻っていく。
私は立ち上がり、そっと声をかけた。
「……また、遊んでくれる?」
リシェルは振り返り、ふわりと笑った。
「もちろん」
月明かりの中、その笑顔だけが強く心に残った。
──あの子は、きっと“本当の王女”になる。
“誰かを守れる”王女に。
そして、私は……その隣に立てるようにならなきゃいけない。
(……一年後)
自分に課せられた、“あの地獄の訓練”の意味を思い出す。
「……ああもう、ほんと逃げられないじゃん……」
私はベッドに倒れ込みながら、こっそり心の中でツッコミを入れた。
そして──深く、眠りに落ちた。
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