私は弱虫令嬢ではいられません! 〜時の魔女の復讐代行〜:時計塔に消えた令嬢

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Case 1:時計塔に消えた令嬢

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 時は、誰にも等しく与えられるものではない。
 ある者には祝福として、ある者には呪いとして。

 そして、ときに——
 時の流れそのものが、誰かの復讐に巻き込まれることがある。

 *

 時の魔女、エルナは静かな空間に身を置いていた。
 歯車が無数に組み合わさった白銀の空間。そこは現実世界と時間線の狭間に存在する、“観測者の部屋”だった。

 彼女は、すべてを見通す存在だ。
 過去も未来も、無限に枝分かれする可能性の道も、手のひらの上に転がっている。だが彼女はもう、“ただ眺める”ことに飽きていた。

 だから、こうして遊びを始めたのだ。

 名づけて、《魂寄せの歯車》。
 死んでもなお強い怨念を残す魂を、自動的にこの部屋へと呼び寄せる魔法装置。
 魔女は、その魂に憑依し、過去の世界に潜り込み、真相を暴き、復讐を遂げる。

 舞台は整っている。あとは、客人が来るのを待つだけ。

 ——そして、霧が立ち上る。

「……来たわね」

 エルナの声は、深く、冷たい。

 空間に淡い青白い光が灯り、一人の少女の姿が浮かび上がる。
 ドレスに身を包み、怯えた目で周囲を見渡す少女。だが、その体は霧のように不安定で、魂の形そのものだった。

「お願い……助けて……私……殺されたの……!」

「名前を聞かせて」

「エリス。エリス・フォルティア。フォルティア伯爵家の娘……昨夜の舞踏会で、私は……」

 言葉に詰まり、声が震える。
 だがその奥に潜む感情は、確かなものだった。

 ——怒り。強く、純粋で、濁っている。
 これほどまでの怨念を抱えた魂は、めったにない。

「面白そうね。その復讐、私が代行してあげるわ」

 魔女は微笑み、歯車の中心へと手を差し伸べた。

「ただし、私が望むのは真実。それだけよ。あなたの無念を晴らすのは、真実だけなの」

 *

 魔法陣が発動し、空間がぐらりと揺れる。
 時間の歯車が逆転し、魔女の意識が“過去”へと流れ込んでいく。

 ——時は、再び動き出す。



第一章:舞踏会の仮面

 眩い光と音の中で、目を覚ました。
 香水の甘い香り、耳に届くワルツの調べ。煌びやかなドレスの裾が擦れる音。

(ふぅん……ここが“現場”ね)

 魔女エルナは、今やエリス・フォルティアとして、舞踏会の会場に立っていた。
 過去の時間線、事件が起きる“前夜”の世界。すでに魂の記憶から、この日の終わりに彼女が“時計塔から転落死する”ことは確定している。

 ——ただし、それは“このまま放置すれば”の話だ。

 目の前には社交界の華が咲き誇っていた。
 フォルティア家の広大な館には、各貴族の子弟が集い、舞踏会が繰り広げられている。だが、魔女の視線はすでに冷静だった。

(さて、まずは関係者の観察からね)

「エリス、こっち!」

 軽やかな声が響く。
 淡いラベンダーのドレスを着た少女、ヴィオラ・カリーナが手を振っている。彼女は、エリスの親友として長年付き合いがあったらしい。

 エルナは記憶をなぞるように、優雅に歩み寄る。

「こんばんは、ヴィオラ。今日はとても綺麗ね」

「ありがとう。でも、エリスの方が……ねえ、本当に結婚しちゃうの? アベル様と」

 言葉の端に、微かなひびが入っている。笑顔は保たれているが、その奥に潜む感情は……不穏。

(いいわね。“嘘の微笑み”は最初に疑うべきポイントよ)

 ヴィオラは続けて言った。

「今日は……とても大切な夜よね。思い出になるといいね」

 その言葉に、エルナは微笑み返す。

「そうね。忘れられない夜にしましょう」


 しばらくして、会場の奥から別の人物が現れる。
 黒髪に整った顔立ち、金色の瞳。若き侯爵家の当主、アベル・セリオン。

「エリス、君を探していた」

 エルナ——いや、エリスの肩を軽く抱き、笑みを浮かべる。表向きは完璧な婚約者。だが、その目には計算された温度がある。

(……ねぇ、あなた。何を隠してるの?)

 アベルはそっと耳打ちする。

「少し、外に出ないか? この喧騒では……話せないことがある」

 エルナは頷いた。
 探る価値は、ありそうだった。
第2章:3秒の真実

 

 フォルティア邸の西翼にそびえる古びた時計塔。
 会場から離れたその場所には、ひと一人がようやく通れるほどの螺旋階段が、薄暗い空間をぐるぐると這い上がっていた。

 エルナは静かに、その階段を登る。
 ——この場所こそが、エリスの“死”の現場。落下したのは、塔の最上階からだった。

(魔力が……残ってる)

 数段登った時点で、彼女は気づいた。空気の中に、ごく微細な魔法干渉の残滓が漂っている。
 香のように鼻腔をくすぐる、どこか甘い香り。それと微かに残る、火照りと混乱を誘う感覚。

(幻覚剤……しかも、空気に溶け込むタイプ。誰かが意図的にここに撒いた)

 ドレスの裾を持ち上げ、階段をさらに進む。
 塔の上階に近づくにつれ、空気の歪みが強くなる。

 それは、過去に誰かが強い意志を込めて残した“魔力の癖”。

(この波形……間違いないわ。誰かの魔法回路が“ここで発動”してる)

 ——塔の最上階。風が強く吹き込み、開けた展望台が広がる。
 そして、彼女は足を止めた。床に刻まれた、肉眼では見えない簡易誘導魔法陣の跡。そこに残っていたのは、明らかに“人為的”な魔法の痕跡だった。

(誰かがエリスをこの場所に誘導した。自然にここへ来るように仕向けて、さらに意識を操作する幻覚剤で判断力を奪った。そして——落下させた)

 事実、記録されていた死体の状態は“自殺”と分類されていた。誰にも突き落とされた形跡はなく、階段を登る様子も、周囲に目撃された様子もなかった。

 ——だが、それは全部“操作された”事実。

 エルナは瞳を細めた。ここで、彼女は時間魔法を発動する。

「《リテンション・フリーズ》——時よ、止まれ」

 空間が揺れ、すべてが静止した。風の音、落ち葉の動き、光の波。すべてが凍りつく。

 使用可能時間は、3秒間。それ以上は、この世界線の構造に干渉しすぎてしまう。

(この一瞬に、全てを見る)

 彼女の目には、通常では見えない細部が浮かび上がった。
 床の縁に散った魔法薬の粉末。塔の欄干に微かに残る焼け焦げた指紋。そして、足跡——複数の魔力反応。

(1人じゃない……エリス以外にも、この塔に“誰か”が登っていた)

 直後、時間が流れ出す。世界が一斉に息を吹き返し、風がまたエルナの髪を揺らした。

「……ふぅ。これは、“事故”じゃない」

 何者かが、魔法を用いて記録を操作した。
 この塔に来た形跡、音、存在の痕跡を消し、幻覚で自殺に見せかけた——完璧な“魔術犯罪”。

 しかも、魔力の“癖”がある。
 記憶の中から、彼女はその魔力を知っていた。

(……ヴィオラ)

 長年、エリスの側にいて、同じ学院で学んだ少女。
 控えめで、陰に徹しながらも、精神誘導系の魔法だけはずば抜けて優れていた。
 そして何より、**彼女の魔法には、ある“癖”**がある。魔力の流れが二重螺旋を描く、独特のサイン。それが、この魔法陣に——刻まれていた。

(まさか、あの子が?)

 だが、何かがおかしい。あまりに“雑”だ。

 彼女の魔法は、繊細で完璧なはず。
 それがなぜこんなにも“未完成”の状態で残っていたのか?

(わざと? それとも、誰かに“操られていた”?)

 その瞬間、エルナは直感的に理解した。
 この事件には、“もう一人”のプレイヤーがいる。

 ヴィオラは実行犯であって、首謀者ではない可能性——つまり、**“裏の黒幕”**が存在する。

 魔女は塔からゆっくりと階段を下りながら、口元に薄い笑みを浮かべた。

「いいわ……ようやく面白くなってきたじゃない」

 そしてその笑みは、仄暗い予感をはらんでいた。

 この事件は、まだ終わらない。むしろ、これが始まりなのだ。
3章:魂の目撃者

 

 フォルティア邸の中庭に、静かな風が吹いていた。
 まだ舞踏会は続いている。貴族たちは夜の華やぎに酔い、シャンデリアの光が揺れていた。

 だが、エルナ——いや、エリスとしての彼女は、もう一つの情報源に目を向けていた。

 フィン・クルーズ。
 ヴィオラの従兄にあたる青年で、魔術工学の研究員。普段は王都の工房に籠もっているが、今日に限ってこの舞踏会に顔を出していた。
 そして——“事件の夜”、時計塔の裏手で“何かを見た”とされる人物だった。

 エルナは塔の裏側、厩舎へと通じる小道に彼を見つけた。
 真鍮のゴーグルを首に掛け、くたびれたコートのポケットから煙草を取り出している。

「……火、要る?」

「ええ、ありがとう」

 彼女は慣れた仕草で煙草を断り、代わりに問いかけた。

「ねぇ、フィン。この間、塔の近くで……何かを見たって言ってたわよね?」

「……あぁ。まぁ、誰に話しても信じないと思ったけど」

 彼は煙を吐きながら、空を見上げる。

「“光”だ。階段の最上階、窓のすぐ下あたり。ふわっと青白い光が漏れてた」

「青白い……魔法の発動痕?」

「たぶんな。だけど、妙だったんだ。普通、魔法って発動の瞬間に光るだろ? でもあれは、まるで“誰かが記録された魔法を再生してた”みたいだった」

 エルナの表情がわずかに変わる。

(記録魔法……!)

 それは通常、魔導具に魔法や映像、感情を“記録”し、後から再生できる技術。
 王都でもごく一部の工房でしか取り扱われない——高度な魔術工学。

「……見せてくれない? あなたが使ってた魔道具」

「……やっぱりな」

 フィンは口の端を上げた。

「俺、あの夜、好奇心でちょっと仕掛けを残してたんだ。“現場の魔力痕”を一時的に記録する魔道針。塔の中腹にひとつ、設置しておいた。盗撮みたいなもんだけど……」

 彼は懐から、小さな金属製の箱を取り出した。側面には歯車と水晶の埋め込まれた複雑な魔法回路が走っている。

「これが、例の“録画”だよ。直接見るには、魔術干渉フィルターが要るけど——君なら、いけるんだろ?」

「……ええ。十分に」

 彼女は装置に手をかざすと、指先に淡い時の魔力を込めて接続した。

 次の瞬間——映像が、脳裏に流れ込んでくる。

 

 ——暗い塔の中、誰かがゆっくりと階段を上る足音。
 フードを被った人物。手に小瓶。何かを床にまきながら、魔法陣を刻んでいく。

 その指先から流れる魔力は……二重螺旋。

(……ヴィオラ。やはり彼女が、魔法を仕掛けた)

 だが、映像はそこで終わらない。

 フードの人物が階段を登り切る少し前——背後から、もう一つの影が現れる。

 黒いコート。金色の瞳。男が塔の途中までついて来ていた。

(アベル……!)

 しかし男は一定の距離を保ち、決して“正面から関与しているようには見えない”行動を取っていた。
 あたかも、自分は“無関係な傍観者”であるかのように。

 映像が終わり、彼女は静かに息を吐いた。

 

「……ありがとう、フィン。とても助かったわ」

「で、これって……事件か?」

「……まだ“事件”にはなってない。でも、これからなるわ。間違いなく」

 

 彼女はそう言い残し、再び舞踏会のホールへと歩き出した。
 仮面の下の真実が、少しずつ剥がれ始めている。

 ——犯人はひとりじゃない。
 そして、この殺人は“誰かの意志”ではなく、“複数の意志”によって仕組まれたもの。

 それを暴くには、まだ足りないピースがある。
 でも、時間は動いている。少しずつ、しかし確実に。

 

 そして魔女はまた一歩、真相へと近づいた。
第4章:魔道の記憶

 

 夜の空気が肌を撫でる中、エルナはフォルティア家の書斎に身を潜めていた。
 この部屋には、エリスの成長記録、魔法訓練日誌、そして彼女自身の手による“思念記録”が保管されている。

 エルナの目的はただ一つ——記憶に残された“無意識の罪”を暴くこと。

 (……おそらく、エリスは知らなかった。自分が“加害者”でもあったことを)

 記憶に干渉するのは、本来なら禁術にあたる。
 だが、エルナは“観測者”としての特権と、魂との契約をもってその領域へと踏み込む。

「《リヴァイン・メモリア》——時間を超え、思念を映し出せ」

 彼女の指先が、思念日誌の上に触れると、淡く蒼い光が浮かび上がる。
 部屋の空間が変容し、景色が流れるように切り替わっていった。

 

 ——エリス、幼き日の記憶。
 学院の図書室。初夏の陽射し。小さな机を挟んで、二人の少女が向かい合っている。

「ねえ、ヴィオラ。どうしてあなたは、私の魔法の言い方を真似しないの?」

「え、えっと……だって、私は私なりのやり方でやってみたくて……」

「それじゃ、効率悪いのよ。あなたは私のやり方をそのまま覚えるべきよ。はい、もう一回」

 幼いエリスは悪意なく、無邪気に命じていた。
 “より正しい方法”を、“優しさ”で相手に押しつけていた。

 ヴィオラは小さく頷きながらも、瞳の奥に微かな曇りを宿していた。

 ——次の記憶。
 演習でペアを組まされた日。ヴィオラは見事な誘導魔法を発動させ、教官に褒められた。

「素晴らしい! カリーナ嬢の誘導魔法は、実に独自性がある」

「そ、そうでしょうか……?」

「ヴィオラ、やったわね!」とエリスが笑顔で抱きつく。

 だが、直後に彼女はこう続けていた。

「でも、もっと私の魔力の流し方を参考にしたら、もっと安定すると思うの。明日、また特訓しましょう?」

 その時、ヴィオラは小さく「はい」と頷いた。
 ——だが、その声は、まるで服従の呪文のように弱々しかった。

 

(……これは、“支配”よ)

 エルナは確信した。

 エリスは善意と好意に満ちた態度で、知らず知らずのうちにヴィオラの意志を奪っていった。

 ——“善意という名の呪い”。
 優秀で、まっすぐで、間違いのないエリスの言葉が、ヴィオラの“考える自由”を削り取っていったのだ。

 

 さらに、もっと奥の記憶。
 ある冬の日。ヴィオラが一人、涙を流していた。

「……どうして……エリスのこと、嫌いになれないの……?」

 独り言のような声だった。

「ずっと、私の心の中に、エリスがいる。私が何かを考えようとするたびに……“エリスだったらこうする”って声が聞こえるの。私……私、私が消えていく……!」

 

 その記憶を見終えたとき、エルナはゆっくりと手を離した。

(エリス……あなたは、加害者だったのよ)

 意図せずに、人を縛り、心を削った罪。
 ヴィオラが魔力の“癖”を失っていったのも、彼女自身の意志を抑え込んだ結果。

 ——そして今、彼女はその“支配”から抜け出すために、エリスを殺した。

 

 ……そう。これは復讐ではなく、“解放”だったのだ。

 

 エルナは震える指で思念日誌を閉じた。
 そこに書かれていたのは、エリスの最後のメモだった。

「ヴィオラが最近、冷たい。私のことを避けている。でも、どうしてだろう?
私は彼女のために、ずっと助言してきたのに。……あの子、変わってしまったの?」

 *

 変わったのではない。
 ようやく、“あなたから自由になろうとした”だけだった。

 

 魔女は深く息を吸い、再び闇の中へと歩き出す。

 ——真相は、もうすぐそこにある。
第5章:毒と嫉妬

 

 フォルティア家の舞踏会も、夜の深まりとともに落ち着きを見せ始めていた。
 中央のホールでは最後の組曲が始まり、貴族たちは名残惜しげに手を取り合っている。

 その隅で、誰とも踊らず、ワイングラスを傾けている女がいた。

 ——オルガ・ヴァレンティナ。
 社交界でも名の知れた“毒舌家”にして、魔法薬と香料の調合においては一流の技術を持つ者。
 普段は王都の錬金塔にこもっているが、なぜかこの夜は姿を見せていた。

 

 エルナはグラスを持ち、彼女に近づく。

「お久しぶりね、オルガ。今夜はずいぶん静かじゃない?」

「……令嬢の皮を被って、私に話しかけてくるなんてね。まるであなたが“別人”になったみたい」

 目が合った瞬間、鋭く突き刺すような声が返ってきた。

(……気づいてる? さすがね)

 だが、エルナは動じない。微笑を崩さず、言葉を重ねた。

「あなたの香料が最近、社交界で流行ってるそうね。心を穏やかにする……でも、場合によっては“幻覚作用”もあるとか?」

「ええ、適切に使えばの話だけどね。間違えば“事故”になる」

「たとえば、誰かを精神的に誘導したいときに使うとか?」

 

 オルガの目がわずかに細まった。

「そんな質問をしてくるなんて……何か“問題”でも起きたの?」

「ええ。死んだはずの私が、こうしてあなたに話しかけてるのよ。十分すぎる問題じゃない?」

 

 沈黙。
 オルガはグラスを置き、隣の椅子に腰掛けた。

「……ふぅ。面白くなってきたわ。じゃあ、“本題”に入ってあげる」

 

 彼女は手袋を外し、薬師特有の繊細な指先で机に軽く触れる。

「あなたの言う“香料”は、たぶん《ラサン・エフェル》よ。正式名は《記憶誘導性感応香》。幻覚と一時的な記憶の歪曲、情動の誘導に使える。ただし、単体では効果が弱い」

「つまり、“補助魔法”が必要ってことね」

「そう。精神誘導系の魔法と併用して、ようやく効果が出る。……誰が使ったの?」

「その答えが欲しくて、あなたに来たのよ。これを調合できるのは限られてる。あなたの工房の印が、塔の魔香残滓から検出されたわ」

 

 オルガは目を伏せ、苦笑する。

「……あの子ね、ヴィオラ・カリーナ。来たわよ、先週。配合を変えてほしいって、“彼女が自分を見てくれないから”って。最初は恋の相談だと思った。でも、あの時の彼女の目……あれは“執着”だった」

「あなたは、提供した」

「仕事よ。でも、罪悪感はある。……ただ、私もね、昔はエリスに“奪われた”人間なのよ」

「奪われた?」

「アカデミーの頃、彼女は何もかも輝いてた。優しさと自信をまとう天使。でも、その光は他の女の子たちの自尊心を焼き尽くす“太陽”でもあった。……ヴィオラも、たぶんあの頃から少しずつ焼かれていたのよ」

 

 エルナは息をついた。

(また、“善意の呪い”か)

 この事件において、エリスは確かに“殺された”。
 だが、彼女の存在そのものが、誰かを殺していた可能性もある。

「その香料は……アベル・セリオンも知ってた?」

 

 オルガの指がピクリと止まる。
 沈黙ののち、彼女は目を伏せて、答えた。

「……彼とは、商取引があった。“人の心を和らげる香り”を探していたって言ってたけど……彼が本当に欲しかったのは、“心を操る香り”だったんじゃないかしらね」

 

 そして最後に、オルガはぽつりと言った。

「あなたは彼らを許すの? ヴィオラを、アベルを」

「許すかどうかは私の仕事じゃない。私はただ、真実を記録するだけよ」

 *

 そしてその夜、魔女はついに全てを繋げる鍵を手に入れた。

 ——ヴィオラは香料と魔法でエリスを誘導した。だが、その“始まり”には、アベルの意思があった。

 複雑に絡み合った人間関係と感情。
 そのすべてが、この“完璧な殺人”を作り出した。

 

 舞踏会の最終曲が終わり、館に静寂が戻る頃。
 エルナは静かに、自らの結論へと歩み出した。
フォルティア邸の西棟にある、静かな応接間。
 魔女はそこに彼を呼び出した。アベル・セリオン——エリスの婚約者。事件当夜、すべての中心にいながら、誰よりも“関与していないように振る舞っていた”男。

 エルナは、その仮面を剥がすために、一人で彼と対峙した。

 

「わざわざ、こんな夜更けに僕を呼び出すなんて……どうした、エリス?」

 アベルはワインを片手に、微笑みながら椅子に腰を下ろす。

「少し、話がしたかったの。昔のこと、そして……今夜のことも」

「ふむ、少し真面目な顔だな。まるで別人のようだ」

(ええ、実際に“別人”よ。あなたの知らない、真実だけを見つめる存在)

 

 エルナは軽く笑ってから、言った。

「ねえ、アベル。私のこと、どれくらい“本気で”愛していたの?」

「それは……どういう意味だ?」

「“愛していた”のか、それとも“必要としていただけ”なのか。
 政略的に、私との婚約が“最も効率がよかった”から?」

 アベルは微かに目を細めた。だが、すぐに笑った。

「僕はね、君のことを誇りに思っていた。優秀で、社交的で、美しく、誰からも認められる女性だった。そんな君と結ばれることは、僕にとっても“最高の選択”だった」

「……選択、ね。じゃあもし、私が“選ばれる価値”を失ったとしたら?」

 アベルの目がほんの一瞬、冷たくなった。

「——ならば、別の“選択肢”を取るだけだ」

 

 エルナは、その言葉に確信を得た。

(やっぱり、あなたは私を“道具”として見ていた。美しく飾られた“貴族の証明”として)

 

「……ヴィオラのこと、どう思ってる?」

「彼女か? 従順で、大人しく、悪くない子だ。……でも、僕にとっては“君の影”だったよ。彼女に興味を持ったことはない」

 嘘。少なくとも、それは“表向き”の答えだ。

 

「オルガが言ってた。あなたは、“心を操る香料”を探していたって」

 アベルの表情が固まる。

「君……どこまで知ってる?」

「ほとんど全部よ。塔での幻覚剤、誘導魔法、その“補助”となる香料。
 それらを組み合わせれば、貴族の令嬢一人を“自殺”に追い込むなんて、簡単な話」

「……なら、証明してみせろ。僕が“命令”した証拠がどこにある?
 ヴィオラが君を殺したくなる理由はいくらでもあるだろう?」

 

 エルナは微笑んだ。その余裕は、すでに“真実を見通した者”のものだった。

「あなたは、ヴィオラの心の隙を利用した。“感情増幅香”で不安と嫉妬を煽り、
 “彼女が自分の意思で動く”ように仕向けた。
 それならあなたの手は汚れない。何も命じていない。——でもね、それは“殺意の設計”よ」

 

 アベルは無言で立ち上がった。
 だが、表情は変わらない。いや、むしろ冷たく笑っていた。

 

「君は賢いな、エリス。……いや、エリスの顔をした、何者か」

「——!」

「君は僕の“婚約者”じゃない。だが、真実を追う者だ。ならば、教えてやろう」

 彼は窓際に歩み寄り、ゆっくりと語り出す。

 

「僕は、“理想の未来”を作ろうとしただけだ。
 エリスは、その中であまりに眩しすぎた。だからこそ、彼女には“死んでもらう必要”があった。
 そして、“誰かの手で”実行されるのが最も理想的だった」

「そのためにヴィオラを?」

「彼女は弱い。だからこそ、扱いやすい。悲劇に酔い、罪に震え、やがて崩れる。
 でもそれも、計画のうちだ。君たちは、“愛”を誤解してる。
 僕にとっての愛とは、**“意志を捻じ曲げても手に入れるべきもの”**だよ」

 

 魔女は言葉を失わなかった。
 それどころか、瞳の奥に微かな怒りの炎を宿した。

「あなたが愛していたのは、私じゃない。“私を利用することができる、あなた自身”よ」

 

 その言葉に、アベルの目がわずかに揺れた。
 だがすぐに笑みを作り、口を開く。

「ならば証明してみろ。証拠も、記録も、君の言葉には“法的な価値”はない。
 ……結局は、感情論だ。魔女が正義を語るとは、滑稽だな」

 

 エルナは静かに言い返した。

「いいえ、私は“記録者”。あらゆる真実は、私の《書庫》に刻まれる。
 たとえそれが表に出なくても——あなたは“過去に罪を刻まれた男”として、永遠に記録されるのよ」

 

 部屋を去るエルナの背に、アベルの冷笑が突き刺さった。
 だが彼は知らない。彼の罪は、すでに“書かれてしまった”ということを。

 

 そして、復讐の時は近づいていた。
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