1 / 14
第一話:上品な仮面と、ぐうたらな本音
しおりを挟む
王宮の朝は静かに始まる。
静かで、厳かで、息苦しい。まるで儀式のような一日が、毎日繰り返されている。
「アリシア殿下、本日のご予定ですが――」
朝食の前、執務室にて。
扉を開けて入ってきたのは、私の侍従であるリュミエール。彼女は私にとって、ただひとり“本当の顔”を知る人物でもある。
私は椅子に座ったまま、目だけで彼女を見る。
口は閉じたまま、まっすぐな視線で。無表情、無言、でも感じよく。
「まずは第九会議室にて、経済評議会の定例報告を。その後、外交資料の確認。そして午後からは、帝都学術院の代表者とお茶会形式の懇談を。夜は……」
「……リュミエール」
「はい」
「私、まだ死んでないわよね?」
「……存命です。お美しく、そしてお元気に見えます、殿下」
「なら、なんで毎日が仏壇みたいに堅苦しいのかしらねぇ……」
ふぅ、と小さくため息をつく。
気を抜いた声が漏れてしまったけど、ここには彼女しかいないからいい。
部屋の外では、まだ「聡明で高貴な第五皇女」アリシアが仮面をかぶって座っていることになっている。
「……今日も全部こなさなきゃ、ダメ?」
「ええ。皇女として振る舞われる限りは、手は抜けません」
「……もふもふ……」
「何ですか」
「もふもふさせて……お願い……」
「おやめください、まだ朝です」
私は椅子に深く沈みこみながら、恨めしそうに天井を見上げる。
上品な皇女の仮面は、誰も見ていないところでだけ剥がせる。私は、誰かの理想像を生きているだけで、本当は――
ぐうたらが好き。
お菓子が好き。
柔らかくてあたたかくて、ふわふわした生き物が大好き。
それだけで十分なのに。
それ以上の“何か”を期待されていることが、ずっと、息苦しかった。
⸻
「アリシア殿下の提案は、先日の法案にもとづくものかと」
「ふむ……やはり貴族院における発言力は、第五皇女の方が上だな」
「ご静粛に。殿下はお言葉が少ないのです。静かなる威厳こそが、真の皇位継承者の資質というものでしょう」
(しゃべらないだけなのにね)
会議室で交わされる貴族たちの言葉を、私はただ聞いている。
そう、聞いている“だけ”。
意見は言わない。表情も変えない。ただ、誰よりも整った姿勢で、静かに微笑む。それだけで、評価されてしまう。
この王宮において、「黙っている女」は最も“都合がいい”。
(でも、本当の私は――)
心の中ではツッコミを入れている。
(ていうかさ、この法案。農地改革の皮をかぶった利権拡大案でしょ? なにそれ堂々と出してくんの図太いなあ、ほんと)
でも、顔には出さない。誰にも見せない。それが、私の“仕事”。
政治も、会議も、血縁も。全部“仮面の世界”。
その仮面を、母はよく褒めてくれた。
「アリシアは、皇帝の器よ」って。
いつも、私の努力を当然のように受け止めていた。
でも、私は――一度だって、それを“望んだことはない”。
⸻
夜、私はようやく部屋に戻り、ドレスを脱いで寝巻きに着替える。
姿見に映る自分の顔は、少し疲れて見えた。
「……私、今日、何かをしたのかな」
問いかけても、答える者はいない。
会議に出て、資料に目を通して、笑って、頷いて、それで終わり。誰かの言葉で一日が終わる。
自分の言葉では、何も始まらない。
(私の“意志”って、どこにあるんだろう)
机の上に、古びた羊皮紙が一枚。
母が残した“遺書”。
『あなたは皇帝になるのよ。私の誇りよ、アリシア』
その文字を見て、私はふと手を伸ばした。
何度も読んだ。内容は暗記している。
でも――なんとなく、その夜は、読まずにいられなかった。
「……ほんと、意地悪ね。お母様って」
私はそう呟いて、羊皮紙を持ち上げた。
蝋燭の火がゆらゆらと揺れ、部屋に淡い明かりを投げている。
その火が――偶然にも、羊皮紙の端に落ちた。
「あっ……!」
思わず手で叩いて火を払おうとしたけれど、火は燃え広がることなく――光に変わった。
羊皮紙の表面に、青白い光が走る。
そして、浮かび上がる“別の文字”。
『さて、これを読んでる頃には私もあの世かしら? ごめんね、アリシア。言ってなかったけど、実は――』
「……は?」
目が、文字を追う。
『お父様以外にも、ちょっと……ね? まぁ、楽しかったのよ、いろいろ』
「はああああああああああ!?」
私は羊皮紙を机に叩きつけた。
なにそれ!?!?!?!?!?!?!?
この数年、母の言葉に縛られて、私はずっと頑張ってきたのに!?
寝る間も惜しんで政策考えて、貴族と笑顔で握手して、その裏で胃薬飲んで、モフモフ欲を抑えてたのに!!!
なんで今さら「いろいろあった」って!?!?!?
「もう、やだ……! 無理! やってられない!!」
私はその夜、泣きそうになりながら、部屋を飛び出した。
たった一通の手紙が、私を――“皇女”という檻から解き放った。
静かで、厳かで、息苦しい。まるで儀式のような一日が、毎日繰り返されている。
「アリシア殿下、本日のご予定ですが――」
朝食の前、執務室にて。
扉を開けて入ってきたのは、私の侍従であるリュミエール。彼女は私にとって、ただひとり“本当の顔”を知る人物でもある。
私は椅子に座ったまま、目だけで彼女を見る。
口は閉じたまま、まっすぐな視線で。無表情、無言、でも感じよく。
「まずは第九会議室にて、経済評議会の定例報告を。その後、外交資料の確認。そして午後からは、帝都学術院の代表者とお茶会形式の懇談を。夜は……」
「……リュミエール」
「はい」
「私、まだ死んでないわよね?」
「……存命です。お美しく、そしてお元気に見えます、殿下」
「なら、なんで毎日が仏壇みたいに堅苦しいのかしらねぇ……」
ふぅ、と小さくため息をつく。
気を抜いた声が漏れてしまったけど、ここには彼女しかいないからいい。
部屋の外では、まだ「聡明で高貴な第五皇女」アリシアが仮面をかぶって座っていることになっている。
「……今日も全部こなさなきゃ、ダメ?」
「ええ。皇女として振る舞われる限りは、手は抜けません」
「……もふもふ……」
「何ですか」
「もふもふさせて……お願い……」
「おやめください、まだ朝です」
私は椅子に深く沈みこみながら、恨めしそうに天井を見上げる。
上品な皇女の仮面は、誰も見ていないところでだけ剥がせる。私は、誰かの理想像を生きているだけで、本当は――
ぐうたらが好き。
お菓子が好き。
柔らかくてあたたかくて、ふわふわした生き物が大好き。
それだけで十分なのに。
それ以上の“何か”を期待されていることが、ずっと、息苦しかった。
⸻
「アリシア殿下の提案は、先日の法案にもとづくものかと」
「ふむ……やはり貴族院における発言力は、第五皇女の方が上だな」
「ご静粛に。殿下はお言葉が少ないのです。静かなる威厳こそが、真の皇位継承者の資質というものでしょう」
(しゃべらないだけなのにね)
会議室で交わされる貴族たちの言葉を、私はただ聞いている。
そう、聞いている“だけ”。
意見は言わない。表情も変えない。ただ、誰よりも整った姿勢で、静かに微笑む。それだけで、評価されてしまう。
この王宮において、「黙っている女」は最も“都合がいい”。
(でも、本当の私は――)
心の中ではツッコミを入れている。
(ていうかさ、この法案。農地改革の皮をかぶった利権拡大案でしょ? なにそれ堂々と出してくんの図太いなあ、ほんと)
でも、顔には出さない。誰にも見せない。それが、私の“仕事”。
政治も、会議も、血縁も。全部“仮面の世界”。
その仮面を、母はよく褒めてくれた。
「アリシアは、皇帝の器よ」って。
いつも、私の努力を当然のように受け止めていた。
でも、私は――一度だって、それを“望んだことはない”。
⸻
夜、私はようやく部屋に戻り、ドレスを脱いで寝巻きに着替える。
姿見に映る自分の顔は、少し疲れて見えた。
「……私、今日、何かをしたのかな」
問いかけても、答える者はいない。
会議に出て、資料に目を通して、笑って、頷いて、それで終わり。誰かの言葉で一日が終わる。
自分の言葉では、何も始まらない。
(私の“意志”って、どこにあるんだろう)
机の上に、古びた羊皮紙が一枚。
母が残した“遺書”。
『あなたは皇帝になるのよ。私の誇りよ、アリシア』
その文字を見て、私はふと手を伸ばした。
何度も読んだ。内容は暗記している。
でも――なんとなく、その夜は、読まずにいられなかった。
「……ほんと、意地悪ね。お母様って」
私はそう呟いて、羊皮紙を持ち上げた。
蝋燭の火がゆらゆらと揺れ、部屋に淡い明かりを投げている。
その火が――偶然にも、羊皮紙の端に落ちた。
「あっ……!」
思わず手で叩いて火を払おうとしたけれど、火は燃え広がることなく――光に変わった。
羊皮紙の表面に、青白い光が走る。
そして、浮かび上がる“別の文字”。
『さて、これを読んでる頃には私もあの世かしら? ごめんね、アリシア。言ってなかったけど、実は――』
「……は?」
目が、文字を追う。
『お父様以外にも、ちょっと……ね? まぁ、楽しかったのよ、いろいろ』
「はああああああああああ!?」
私は羊皮紙を机に叩きつけた。
なにそれ!?!?!?!?!?!?!?
この数年、母の言葉に縛られて、私はずっと頑張ってきたのに!?
寝る間も惜しんで政策考えて、貴族と笑顔で握手して、その裏で胃薬飲んで、モフモフ欲を抑えてたのに!!!
なんで今さら「いろいろあった」って!?!?!?
「もう、やだ……! 無理! やってられない!!」
私はその夜、泣きそうになりながら、部屋を飛び出した。
たった一通の手紙が、私を――“皇女”という檻から解き放った。
12
あなたにおすすめの小説
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セリフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セリフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セリフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセリフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセリフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セリフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています
22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」
そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。
理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。
(まあ、そんな気はしてました)
社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。
未練もないし、王宮に居続ける理由もない。
だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。
これからは自由に静かに暮らそう!
そう思っていたのに――
「……なぜ、殿下がここに?」
「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」
婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!?
さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。
「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」
「いいや、俺の妻になるべきだろう?」
「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」
死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について
えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。
しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。
その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。
死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。
戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。
冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
『二流』と言われて婚約破棄されたので、ざまぁしてやります!
志熊みゅう
恋愛
「どうして君は何をやらせても『二流』なんだ!」
皇太子レイモン殿下に、公衆の面前で婚約破棄された侯爵令嬢ソフィ。皇妃の命で地味な装いに徹し、妃教育にすべてを捧げた五年間は、あっさり否定された。それでも、ソフィはくじけない。婚約破棄をきっかけに、学生生活を楽しむと決めた彼女は、一気にイメチェン、大好きだったヴァイオリンを再開し、成績も急上昇!気づけばファンクラブまでできて、学生たちの注目の的に。
そして、音楽を通して親しくなった隣国の留学生・ジョルジュの正体は、なんと……?
『二流』と蔑まれた令嬢が、“恋”と“努力”で見返す爽快逆転ストーリー!
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる