上 下
5 / 21
第一章

5,眠れない夜(★)

しおりを挟む

 クライヴと私。

 交わらないはずの二人が、偶然にも出逢った。

 接点などまるでないけれど、今こうして同じ場所で同じ時間を共有してる。

 不思議だ。

 私が召喚されたのは、必然だったのよ。

 根拠のない確信を抱いていた。

 胸の内に生まれた炎を燃え上がらせるのも、消せるのもクライヴしかいない。

 抱き合った夜はクライヴは必ず、ルシアを腕の中に抱え込んで眠る。

 窮屈な位、密着して体が二人で一つになっちゃったみたいに感じて。

 ふいに眠りから揺り起こされた私は、無防備な寝顔に釘付けになった。

 寝ている時は、まるで子供みたいだ。

 彼は私が、見ていることに気づいてはいないだろう。

 目を覚ましてしまわない内にじっくり堪能しておこう。

 手を伸ばして頬に触れる。すべすべしてて柔らかい。

 彼は何を食べてるのだろう。

 細いのに適度に筋肉ついてるし……。

 やだ、何考えてるのかしら。彼のことを考えていると、名前を呼ばれた。

 隙間なく身を寄せられ、苦しいほどだ。

「ルシア……」

 首筋に触れる吐息、甘い声。

 楔を打ち込まれて、息をつめた。

 横向きの体勢で、貫かれると、普段と違う快感に身が震えた。

 飽きてしまわないかと、不安に思う心は、

 激しく、抱かれることで霧散する。何も考えられなくなる。

 互いの脚の間を伝うのは、混じりあった体液。

 水音が立つほどに、彼と混ざりあっていると思う。

 頂きごとふくらみを愛撫されて、喘ぐ。
 行き場のない指先でシーツを引っ掻いた。掴もうにも力が入らない。

 この体勢では、口づけもできない。その事が悲しく、求める心が嫌になる。

(クライヴが求めるから、私はわがままになるのよ)

 ルシアの心に気づいたのか、顎をつかまれ、上向かせられる。

 荒々しい口づけが、唇を割った。唾液が、肩へと零れていく。

 背中に腕を回せば、力強く抱き返され、

 押し寄せる波に感覚を研ぎ澄ませる。

 これは恋の延長線上の行為だって、知っていた。

 クライヴの気持ちは関係なかった。

 彼が好きだから抱かれたのだ。

 きっと出逢ったあの日から、あの瞳に恋をしていた。

「……あっ、だめぇ!」

 過去を空想していると、クライヴは容赦なく腰を振って、

 ルシアを追いつめた。

 うつ伏せの体勢で、受け入れる。

 勢いよく迫ってくる飛沫に、今度こそルシアは意識を飛ばした。





 金の髪の少女が胸元に頬を寄せている。

 しっとりと汗ばんだ肌が、やけに生々しい。

 ぐっと抱き込む。

 骨が軋む強さで腕を回せば、ルシアは苦し気に眉を顰めた。

 何処から呼び寄せたのかもしれない少女に、

 触れてしまった。もう取り返せくなったのかもしれない。

「くっ……馬鹿な」

 魔術を教える者と教えられる者の関係で止まれなかったことには悔いはない。

 彼女の言う師匠と弟子ごっこから、一歩も二歩も踏み出し、

 いつか後悔する日が来るとしても、手に入れた悦びに溺れている自分。

 できれば知りたくないが、知らなければならないだろう

 ルシアという少女の素性。

 同じ時代に存在している者かどうかも不明だ。

 謎めいた少女のことを俺は知らなければ。

 けれど、今宵は、彼女の香りに酔いしれていたい。

 柔らかな肢体に指を添わせ、唇を寄せれば、

 甘い声が返ってくる。

 それは本能を疼かせる媚薬。 



「ん……」

 ルシアはゆらり、身を起こす。

 首筋や胸元を含め上半身に赤い印が散りばめられていて

 シーツを引っ被った。

 全身が、上気し燃え上がっている。

 確信犯は、ルシアの腕を引っ張りシーツに引きずり込む。

 がばとシーツの中から顔を覗けたクライヴの瞳には、悪戯めいた光が宿っていた。

「眠れないんですか」

「分かってるなら付き合えよ」

「だって……もう、何度も」

 頬がかあっと熱くなる。

 昨日の夜、お互いの過去を語り合った後、寝室に移動した二人は

 縺れ合うようにベッドに倒れこんだ。

 それから、何度となく愛し合っている。

「お前が来てから俺はよく眠れるようになった」

「……えっ?」

「抱き合うようになってからは特に」

 にやりと口の端を吊り上げて、彼は再び覆い被さってきた。

  胸元に手で触れるとルシアの鼓動は早鐘を打っていた。

「や……っん」

 くすぐったくて身を捩る。

 腰をくねらせれば体ごと捕らえられた。

 長身のクライヴに抱きしめられればすっぽりとその内に身が収まってしまう。

 背中に腕を回して爪を立てる度に、熱で滾った体を押しつけられる。

 汗が弾け飛んで甘酸っぱい香りが、漂っていた。

 逃げないから、離れないように捕まえてて。

 ルシアの心中の願いが届いてるのか、抱く腕の力は緩まることはない。

 浮き上がっては沈む。

 絡めた指先からは熱さが伝わってくる。

 生身の人間の持つ熱が。

「……駄目っ」

 クライヴの背中に、赤い筋が走った。

 限界を迎えたルシアを追い駆けてクライヴも、熱を解き放ち、

 彼女に覆い被さってきた。

 肩を上下させ、息を整えると二人は眠りの淵へと堕ちていった。







 穏やかな眠りから、目覚めた。

 ルシアは、クライヴの腰に抱きついたままだ。

 しょうがないなと揺り起こすと、まどろむ彼女は目を擦った。

「傷がつくぞ」

 擦る手をさり気なく掴んで下ろさせると、ぱちぱちと瞬きするルシア。

 本格的に寝とぼけているらしい。

「おはよございます」

 寝起きのルシアは舌足らずに喋った。

「言葉ぐらいまともに喋れ」

「寝起きくらい大目に見てくださいよ」

「ふざけるな」

 じっと睨むと、ルシアは怯んだ振りをした。

 遊んでいるのが分かるから、お互いふざけていた。

 じゃれ合っているみたい。

 ルシアは都合よく解釈していた。

 舌打ちするクライヴにもまったく動じていない辺り大物だ。

 勿論、彼も本気で怒っているわけではなかったが。

「……ルシア」

 じゃら。クライヴはルシアの首筋にかけられたクロスのチェーンを指で掬いあげた。

 急に肌に触れられた刺激でルシアはびくんとした。

 冷たい指が鎖骨の上にある。

 ルシアは切ない表情で、チェーンの鎖を持つクライヴの手の平に自分のそれを重ねた。

「なあに?」

 ぐいと引っ張られ、前のめりになる。

 チェーンが長い為、首に引っかかる危険がないと考えての行動だ。

「俺もお前も背負っている過去を消すことはできやしない。

 だから、咎めるつもりもない」 

 クロスは神官の娘だから持っている物。

 今で手放せないのは、今まで過ごしてきた日々への憂いだろうか。

 クライヴは想い出を肌身離さずにいるルシアが可愛らしく思えた。

「クライヴ……」

 目を大きく見開くルシアにクライヴが、だがなと耳元で囁く。

「無駄に色っぽいんだよ」

「はい!? 」

「どうせ無自覚なんだろ。

 俺がこれを見てどう感じるかなんて考えもしない。

 誘ってると思われても無理ないな」

 よりクライヴに密着する形になったルシアはしどろもどろに口をぱくぱくさせる。

 クロスに唇で触れたクライヴを見て目を疑った。

「これは魔除けです!」

「役に立ってないじゃないか。俺はこうしてお前に触れてるんだから」

「……クライヴは魔じゃないから近づいても大丈夫なの」

「お前が聖なら、俺は魔だよ。まるで鏡合わせだ」

「どうして、そんな風に言わなくてもいいじゃないですか」

「俺が闇であるのに対してお前は光そのものだ。

 容姿も何もかも。時折眩しくて痛いんだ。

 その光に触れていると苦しくなるのに、触れられずにいられない。

 鮮烈な光は俺にとって毒なんだ。

 もう全身を回って、抜けやしない」

 饒舌なクライヴにルシアは、息を飲んだ。

 低く呟かれた言葉に眩暈を覚える。

「私は光みたいに綺麗じゃないわ。あなたを独り占めしたいって

 醜い位の欲望を押さえるのに必死なんだから」

 ルシアの本音だった。

 クライヴと出会い共に暮らしていく中で、綺麗なだけでは生きられないことを知った。

「……時々大胆だな」

 クライヴに頭を抱え込まれ、頬を上気させる。

 ふわりと柔らかい金髪がさらりと背中を流れた。

 汗も乾いて張りついていた物が取れたのだ。

「恋が、大胆にさせたんです」

 ルシアの瞳は澄んでいた。

 クライヴはこの瞳が、無性に怖い時がある。

 きっとその内何もかも暴いてしまうのだろう。

 心ごと、掻き撫でられて、下手な誤魔化しなど効かなくなる。

 嘘を吐いているつもりはない。

 見せていないのだ。

 迷いが、心をくすぶっているせいで。

 早くどうにかしようと思いながら、このまま

 時を過ごすのも悪くないと感じている。

 己の弱さが、命取りになることは、クライヴとて重々承知なのだ。

 愚かしい逃避に、目を逸らしてはならない。

 答えは一つしかないじゃないか。

 いつかは、知らなければいけないことだ。

 彼女がこの先をクライヴと共に生きると選択しても元いた場所に

 戻ることを選んでも、知らないままで目隠しをしていることはできない。

「お前は何処から来たんだ、ルシア」

「……クライヴ?」

「人を召喚した場合どこから呼んだのかなんて分からないんだ。

 魔物なら、魔物の世界から呼び出すのだが、人間は……

 どの時代の者を呼んだのかなんて分からない。

 多大な精神エネルギーを消費することもあり、本来なら人を呼ぶこと

 は禁忌だ。俺は……、退屈を凌げるものが欲しくて

 禁を破り人間を召還した。結果、召還されたのが、ルシアで良かったと

 素直に言えるよ。お前は飽きないからな」

「人を玩具みたいに。心外です」

 この頃ルシアは、クライヴに対して遠慮のない物言いをする。

 びくびく脅えられるより余程いいとクライヴは思う。

「玩具ならとっくに用済みだったさ。

 身も心も引き裂いて絶望を味合わせた後殺しただろう。

 お前の言う通り気紛れだったならな」

 ルシアは、ぞくりとするものを感じた。

 恐ろしいが、この男なら平気でやってのけそうな気がした。

 目の前にいるクライヴに、恐怖を感じなくなったルシアだから冷静でいられるのだ。

「私は、アルディア暦147年のスフェルカの生まれです」

「スフェルカは同じだな」

「ということは、時代が違うって事?」

「今は、アルディア歴760年だ」

「私がいた時代より600年以上も未来だなんて……」

 時空を越えて、二人は出逢ったことになる。

 いつの時代からどんな人間を召喚するかも、後になってみないと

 分からない厄介さが、仇になったのかもしれない。

「城の中で過ごしていたから時代が違うなんて意識もしなかったろう。

 俺以外の他の人間と会っていないし、外の景色も見ていないとあれば」

 半ば、予想していたことだが、クライヴは平静を保つのが精一杯だった。

 生きる時代の違う者同士は、決して拘わってはならない。

 人が生きる上での暗黙のルールである。

 何故なら歴史を変える事になりかねないからだ。

 本来出遭うはずもない未来の人間と過去の人間が、こうして

 言葉を交わし、触れ合っている事実は抗いようもなく

 世界の理を歪めているということ。

 過去の時代で生きているはずのルシアが、

 その時代から突然消えて 未来で時を過ごしている。

 本来なら、アルディア歴760年ではルシアは過去の人間で、

 クライヴはアルディア歴147年では未だ存在していない。

 人を召還することの危険さを改めて思い知ったクライヴである。

 歴史を歪めて彼女を召還してしまったことを自分の責で対処しなければならない。

 たとえ、モラル等、塵(ちり)程度にしか気にしていないクライヴであっても

 犯してしまった罪の重さは、充分知っていた。

 いきなり沈黙したクライヴの隣で、瞬きし首を傾げている

 聖をその身に授かって生まれてきた少女。

「お前はどうしたい、ルシア」

「……頭の中が整理できてなくて混乱してるんです。

 私とクライヴが別の時代を生きる者同士だなんて考えもしなかったから」

「だろうな」

 言葉ほどクライヴの心の中は冷静ではなかった。

 表面に出ないだけで。

「何故、クライヴは、平然としていられるの!?」

「平然としてるように見えるのか。

 見えるとしたらお前はまだまだ俺のことを知らないってことだ」

「酷い……」

 クライヴは涙目になったルシアから目を逸らしてしまった。

 話をさり気なく軌道修正する。

「召還術を使ったのは、覚悟の上だった。他のどんな魔法を使う場合も同じだが。

 ルシア、お前の答えを聞かせてくれ」

「あくまでもあなたは私に言わせようとするのね。

 何て卑怯なの。この時代に残れって言ってくれたら

 私は迷いなくクライヴの側を選ぶのに」

 ぽろぽろと零れる涙を隠しもしないで、ルシアは崩れた表情でクライヴの前に対峙していた。

「俺にはお前にそれを言う権利も義務もない」

 冷たいとさえ感じられる台詞と口調だった。

 ルシアは素早く衣服を纏うと寝室のドアの方へ駆け出した。

 扉を開け放ち、振り返りもせずに去っていく。

 彼女が常に過ごしている庭園まで行くのだろう。

 クライヴは腕で顔を腕で顔を隠し、ベッドに仰向けに転がった。

 肩が震えている。

 彼は、泣いていた。

 とうに失くしたはずの涙を確かに流していた。

 静かに熱い物が手のひらに落ちては弾けていく。

「こんな男の下(もと)からさっさと消えて元の時代に帰れ、ルシア。

 お前は、ここにいるべきではないのだから」

 強がりに過ぎない想いを独りごちる。

 本心は別のところにあるとしても、

 結局楽になってしまいたかったのだ。一刻も早く。

しおりを挟む

処理中です...