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第二章

11、私を魔界に連れてって♪(1)

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 クライヴが、魔法陣の部屋を訪れると既にルシアが待っていた。

 クライヴが授けた愛用の杖をしっかりと握り締め、前方を見据えている。

 淀みのない瞳。

 結界の張られた部屋は、他の部屋への影響を防ぐことができるので魔術勝負には最適の場所だった。
 地下の庭園だと、クライヴが魔術を使えば、どんな被害が及ぶかわからないが、

 ここなら、魔力の及ぶ範囲は結界内のみ。

 条件に関しては同じだが、魔術師として並々ならぬ力量を持つ

 クライヴと、まだ修行して二ヶ月にも満たないルシアでは、

 明らかにルシアが不利だ。

 クライヴは、正々堂々と勝負はするつもりだが、

 ルシアを傷つける事態は避けるつもりでいた。

 本気を見せつけたら、ルシアを死に至らしめてしまうのは、分かりきっている。
 考えるべくもなく。

 ルシアも、理解しているはずだ。

 これは、魔術を教えたクライヴとの力試しであって、殺し合いではない。
 好きだと悟った女を傷つける趣味などクライヴにはなかった。

 心は傷つけてきたかもしれないが、身体まで傷つけるなど、人道から外れている。

(俺が、人としての大切な心を取り戻せたのもルシアのおかげだな)

 こちらに向かって一生懸命向かってくるルシアを見ると、

 奇妙な気持ちと嬉しい気持ちが綯い交ぜになる。

 遊び(ゲーム)だなんて、軽い気持ちはない。

 有意義な時間を持てたことに感謝すら覚えている。

 楽しくて、心が躍るという気持ちを久々に味わった。

 これも、一瞬の快感だろうか。

 昂(たかぶ)る気持ちが、押さえられない。





 怜悧な美貌に最近は甘さが加わった気がする。

 ルシアは、不謹慎ながら闘いが始まる前から、クライヴに見とれていた。

 彼の真摯な眼差しには、熱がこもっており妖しささえもあった。
 寝台(ベッド)で愛し合う時のような色香さえ、漂わせてルシアと対峙している。

 視線を絡ませ、心をぶつけるかのように。

(ああ、そうなのだわ。魔術ってこんなに、心を躍らせてくれるものなのよ。
 相手の命を奪うものではなく、力をぶつけ合って相手をもっと知れるから楽しい)

 クライヴは、ルシアの方を見て顎をしゃくった。

(はい!)

 カシャン。

 杖を振る。

 開始の合図をクライヴに知らせた。

 クライヴは、口元を歪ませて剣を宙に掲げて空を切った。

 ルシアの目の前に、剣の切っ先を突き出してくる。

 挑戦的な眼差しは、彼女を求める獣のよう。

「……いい目だ。そんなにきらきらさせて。

 俺と交わるより楽しいんだな」

「な……!? 」

 触れるか触れないかの距離で剣を下げる。

 クライヴは言い放ったセリフなど気にもせずルシアに向かってくる。
 動揺した自分が嫌になった。

(彼はからかっているだけなのに)

 ルシアは、気を引き締めて呪文を唱え始めた。

 瞳を閉じて呪文を唱え始めたルシアの動向を見守るクライヴ。

 杖から放たれた魔法が、クライヴに向かってくる。

 緑と赤の入り混じった、風と炎を合わせた魔術。

 焔を纏う風をクライヴは、腕をかざしてかき消した。

 ルシアが、クライヴを睨み据える。

 クライヴが、剣を一閃すると稲妻が、ルシアの頭上に下りた。

 ルシアは杖を翳したが、受け止めきれず

 衝撃で転倒してしまった。

「ルシア」

 クライヴが駆け寄ろうとした時、ルシアは杖を支えに立ち上がっていた。

 手を顔の前で振って、大丈夫とアピールする。

 力は加減していても、与えるダメージは大きかった。

 こんな勝負、受けるものではなかったとクライヴは、

 一瞬、思ったが、断ったらルシアを軽んじることになっただろう。

(憎しみあっている者同士でもないのに、これ以上、愛しい人を傷つけたくない)

 逡巡しているクライヴを見透かしたのかルシアは、

「クライヴ、私は怪我くらいかまいません……死にさえしなければ。

 私が少しでも強くなってるか、見極めてください」

 熱くなっているルシアに冷静さを取り戻させなければと

 考えるクライヴだったが、そうまで言わせておいて引き下がれなかった。

 ルシアは、魔術を使えるようになったと認めてほしいだけなのだ。それ以上、求めていない。

「……俺に火をつけてお前も性質(タチ)が悪いな」

「クライヴに火をつけることが、できるのは私だけでしょう」

 クライヴはあまりの眩さに息を飲む。金色の髪の乙女は、緩やかに微笑んでいた。

「そうだな。俺を焚きつけられるのはお前だけだよ。

 こんな勝負より抱いて寝台(ベッド)の上で、

 逝(イ)かせてやるから、早く茶番を終わらせようぜ」

「……か、からかうのはもうやめて! 」

 ルシアは顔を真っ赤にして反応している。

「お前は力を認めてほしいだけだろ。俺と殺し合いたいだなんて、思ってもないよな? 」

「……っ」

 ルシアは、悟られていたことに、困惑した。

 杖を握り直す。

「お前に魔術を教えたのは俺だが、今は恋人同士だ。

 契約の証で身体の関係を持ったことがきっかけたったが、

 今は、お前を欲で抱いたりする気持ちはない。

 愛しいから、触れたいんだ。こんな、闘いじゃなくてな。

 どうしてこんなことをこれ以上続ける必要がある? 」

 「私、クライヴの闘う姿が見たかったんです。

 普段は、見られない姿が見たかったから、

 無謀な勝負を申し出ました。勝てるなんて、

 これっぽっちも思ってません。
 そして、あなたが、私に力を振るうのを躊躇うことを分かっていて、

 馬鹿なことを頼みました。

 魔術が上達したことを見極めてほしいという気持ちだけなら、

 私が、使ってるところを見せればいいだけでしたね」

「全部分かっていて勝負したいなんて、いけない子だ」 

「歓喜に駆られて夢中になったあなたを目にすることができて

 無性に嬉しかったのよ! 眩しい程輝いているクライヴを見られて、どんなに喜ばしかったか」

「言っただろ。お前と肌を交わしているのが一番楽しいし、尊い時間だ」

 クライヴの腕が、ルシアの背中に回される。

「……私もあなたと心を通わせてひとつになる時間が、

 どれだけ愛おしいかわかりません。

 でも、こんな機会は二度とないからこそやめたくない……悪い子でごめんなさい」

 顔を上げた瞳の力強さに、クライヴは、心を奪われた。

「謝らなくていいんだ。おれも同罪だから」

 抱擁していた身体を離した2人は向かい合う。

 お互いの詠唱の声が静寂の中に響く。   

 同時に繰り出された魔法は、相殺しあう。

 威力が弱い方が、強い方に弾かれてしまうのは当然で、

 ルシアは、まともにくらう前に、すんでのところで避けた。

 荒い息を吐き出す。

 ルシアは、疲労を感じていた。

 まだ、まだ駄目と気力を振り絞り立ち向かうけれど

 爪先で踏ん張らないと立っていられない有様だ。

  消耗していく姿をクライヴはこれ以上見ていたくないと感じていた。

「気がすんだだろ」

 クライヴは憂いに満ちた顔でルシアを見つめた。

「……はい」

 悔しそうなルシアにクライヴは、腕を振り上げて、

 左肩の生地に穴が開いていることをルシアに見せた。

「一撃与えられたな」

 フッと笑うクライヴにルシアは、目を瞠る。

 信じられないことを確かめるように、クライヴの方に歩いてきて、傷を受けた左腕に指先で触れた。

「本当に……」

 ルシアは、自分が彼に攻撃を与えたことを実感していた。

「よくやったな、さすがに防ぎきれなかった。

 ほんのかすり傷だが、確かにお前の攻撃は俺に当たったんだ」

「……そうですよね」

 ルシアは戸惑いつつ、笑った。

「もう茶番は終わりにしようか。

 おまえをいたぶり泣かせるのは抱いている時だけでいい」

 真実味が伝わってきてルシアは身を震わせた。

「真顔で言うんだから」

 涙を堪えて笑うルシアの頭をクライヴは、ぽんぽんと撫ぜてかき混ぜた。

「ルシア、お前はこの先魔術は使うな」

 ルシアは、きょとんとしたが、覚悟していたことだったため頷いた。
 もう、十分だ。

(彼を苦しませたくない)

「最初は気まぐれで魔術を教えたつもりだったが、少し後悔しているよ。

 自分が魔術を使えるようになったことが面白かったお前はのめりこんでいった。 

 黒魔術は危険だと言い聞かせたろう。

 認識はしているとは思うが、はらはらするんだ。

 俺の目には自分の限界も考えず魔術に没頭しているように見える。

 魔術師にならずともお前は俺の側にいればそれでいい。

 引き返せなくなる前に、魔術師もどきからは足を洗え」

 クライヴは、辛辣に言い放った。

「……はい、クライヴがそう言うのなら従います」

 ルシアの声は不自然なほど震えている。

「……ルシア」

 クライヴはそっと抱きよせた。

 魔術を教えた師としてよりも、恋人としてルシアのことを

 見つめていたクライヴは、魔術を使う必要性のなさを分からせたい一心で、きつい言葉を吐いた。

 それでも、ルシアは涙に頬を濡らすことなく、強気な眼差しを向けて、笑ってみせたのだけれど。

(さっきの泣きそうな顔を忘れられない)

「魔術を教えてくれてありがとうございました。

 私はあなたに寄り添う存在でいたいから、もう

 魔術を使いたいなんてわがまま言いません」

「短期間であれ程までに腕を上げたのに、魔術を止めろというのは酷だし

 勿体無いとも思うが、それ以上にお前が無茶をして消耗するのは、

 俺自身が堪えられなかった。これまでよく頑張ったな。

 俺は優秀な弟子をもてて幸せだよ」

「よかった……そう言ってもらえて」

 ルシアから漏らされた呟きは、

 クライヴの耳に酷くあどけなく届いた。

 グローブを嵌めた手でルシアの手を取る。

「楽しかった……って言ったら怒られちゃうかしら。

 あなたも不謹慎なのだから同じですよ?

 生きてるって強く感じられたの。魔術って結構気力も使うし

 神経を集中させないと使えないでしょう。

 何かにここまで夢中になれたのは初めてだったから。

 充実した日々を過ごせてクライヴに感謝です」

 茶化して笑うルシアの頬をグローブ越しに撫でる。

「無駄に可愛いこと言うなよ。めちゃくちゃにしてやりたくなる」

「えっ」

 クライヴは悪魔の笑顔になった。

「負けた場合のことを覚えてるんだろうな」

「な、何でしたっけ」

「惚(ほう)けたつもりか。まあいい、体に思い知らせてやる」

 くくくっと不気味な声を上げたクライヴに

 ルシアは大げさに身を震わせた。

 抱きしめる腕が強くなり、ルシアは体をくねらせる。

 逃げ惑うように反らせた体は、強引な男の腕に捕まえられてしまう。

「ルシア」

「……やっ」

 明らかに感じている顔で抗うルシアにクライヴは煽られる。

 引力に逆らえるはずもない。

 互いに欲しているのに、つれない

 素振りで相手の反応をうかがっているだけ。

「……クライヴ、お願いがあるんです」

 クライヴは、微妙な加減でルシアに刺激を加えてゆく。

 次第にくたっと体から力が抜けていくのにほくそ笑んでは、

 じれったい愛撫を続ける。

「何だ」

 耳たぶに唇をつけて直に息を吹きかければ、

 震える指先がクライヴの袖を掴んだ。

「魔界に連れていってください」

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