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第二章
14、ユグドラシル(1)
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クライヴが振り翳した剣が、ケルベロスの体に命中し、
凄まじい勢いでケルベロスが、クライヴの上に倒れこんだ。
巨大な獣の下敷きになったクライヴにルシアは悲痛な声をあげ、駆け寄る。
「クライヴ!!」
クライヴの魔術の効力が消えたのか、防護壁が破れてしまっていたため、動けたのだ。
張り裂けんばかりの声で叫ぶ。
ケルベロスから攻撃を受けたわけではない。
決定打となる攻撃を与えたのだ。
「クライヴ……」
今度は蚊の鳴くような声を漏らしたルシアに、
ホークスが、いなないた。
大丈夫だと言っているみたいだった。
ルシアを慰めるのではなく、主を信じているから。
ルシアはホークスに頷く。
あの大きな体が、上に乗ってきたら、無事ですむはずもないと不安は大きい。
クライヴの上に覆いかぶさっていたケルベロスは、ゆっくりと身を起こし、彼から離れた。
ルシアが心細くないようケルベロスを呼び寄せてくれたクライヴ。
きっと、こちらに呼ぶのには力を使っただろうに。
(彼が心細くないように案じてくれた彼を助けてあげたい)
ルシアは、愛しい人の側に跪いた。
「クライヴ」
頬に触れて、名前を呼ぶ。
何度呼んでもクライヴは目を覚まさない。
ぺちぺちと頬を叩いたら、ようやく意識を取り戻したのか、
苦悶の表情を浮べて唸った。息も荒いしとても苦しそうだ。
圧しかかられた衝撃で、クライヴはかなりの痛手を負った。
クライヴの真横に伏せたケルベロスは、体を弛緩させている。
「ケルベロス……さん?」
『……何だ』
「あなたの方が、傷は浅いみたいね。
あれだけクライヴの攻撃を受けたのにさすが地獄の番犬だわ」
『久々に気分が高揚した。クライヴは
退屈しない男だな。以前にも増して腕を上げていて驚いた。
私にあそこまで力を奮わせたのは、奴が初めてだ』
ケルベロスの口調は、深い傷を負っているとは思えない。
少なくともルシアにはそう感じられた。
「だったら、お願いがあります。
クライヴを助ける方法を教えてください。
彼は黒魔術師だから治癒系の魔術を使えません。
助けたいけど助けられないのが歯痒いわ。
お願い。何か知ってるなら教えて!
私は彼が助かるならどんなことだってできる」
ルシアの強い言葉に、ケルベロスが、ほうと息をついた。
『あの冷血な男も変ったようだ。清らかな乙女に想われているのだから』
「ケルベロスさん?」
『私にも責任があるといえばあるしな……』
やけに人間染みた言葉にルシアは、驚いた。
『ユグドラシル……世界樹が魔界には存在する。
その世界樹からとれる雫を飲ませるといい。
ここからもそう遠くはないが、魔界には多くの魔物が存在する。
大の男を抱えてそこまで行くのは、人間の娘にはちと厳しい道のりだろうな」
「何処へだって行きます。クライヴを助けるためならば、行けるわ」
『 お前は、私が案内しよう』
『ありがとうございます」
「ですが、ケルベロスさんも怪我をしているし、門の守りはどうするのですか?」
『心配は無用だ。お前を気に入ったからな。ユグドラシルがある場所まで連れていこう』
ケルベロスの言葉にルシアは胸を震わせた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて連れて行ってもらうことにします」
元々大物なルシアは、魔獣に対して必要以上の恐怖は抱かなかった。
柔軟な心の持ち主だったからこそすんなり言葉を受け入れたのである。
『クライヴを我の上に』
ルシアは、クライヴをそっと抱え起こして、ケルベロスの上に乗せた。
いくら細身でも相手は長身の男。
半ば引きずる形になってしまいルシアは、心中でクライヴに謝った。
『行くとしよう』
ケルベロスは、ルシアと宙を飛んでいるホークスに向けて言った。
門が重い音を立てて開かれる。
人間の娘と青年、魔物2匹の奇妙な旅が始まった。
(どうしてこんなことになってしまったの)
クライヴは、痛みのせいで意識が朦朧としている。
いくら強大な力を持つ魔術師だろうが、所詮はただの人間。
不死身でもない。
大怪我をすれば簡単に命を落すことだってある。
命を落とさせないためにルシアは懸命になっているのだ。
ケルベロスを恨む心はない。
彼はクライヴの為にこうして
ルシアをユグドラシルの元まで連れて行ってくれようとしている。
ケルベロスが、クライヴを認めているからこそ
ルシアの熱意に負けたからこそ起きた奇跡だった。
ぱたぱたと羽音を立てながらホークスが、頭上を飛んでいる。
「あの……ケルベロスさん? 」
『どうかしたか、人間の娘』
「私はルシアです。そう呼んでください」
にっこり笑うと魔獣が目を瞠った。
『あ、ああ。ルシアだな』
ルシアはこくりと頷き、クライヴに向き直った。
熱くも寒くもない魔界の大気は、過ごしにくいことはない。
ただ辛そうに顔を歪めたままのクライヴが心配でたまらなかった。
ルシア一人であったなら、平静を保っていられたか自信がなかった。
クライヴの手の平を握り締める。
「クライヴ……」
「……ル、シア」
普段、ルシアの手の平を温かく包み込んでくれる
大きな手の平は、指先が何度か震えたのみでそれ以上は動かない。
ルシアの握り締めた手を握り返す力は、ないのだ。
苦しげな声を漏らしながらもルシアの名前を呼ぶクライヴに
ルシアは、鼻の奥がつんとするのを感じた。
泣かずにいるのが精一杯だった。
握り返されない手の平をそれでも強く握る。
沈んでしまった気分を慰めようとホークスが、彼女の周りを飛び回る。
『クライヴが選んだ女……』
ケルベロスの独り言は空に溶け掻き消える。
ルシアは、胸元のネックレスのクロス部分を握り締めて祈った。
どうか、無事にユグドラシルまで辿り着けますよう。
早く元気になってほしい。
倣岸不遜で、余裕に満ち溢れたライアン・クライヴに。
「私が必ず助けるから」
(それまで頑張って)
ルシアは目元を拭って歩き出す。
ホークスは、生まれた世界で血が騒ぐのか、生き生きと翼をはためかせている。
ルシアは、ふと抱いた疑問を口にしてみた。
「あの、ケルベロスさん、クロスを身につけてるんですけど
影響ありません? もし苦しかったら言ってくださいね」
ルシアはどうやら本気らしい。首を傾げてケルベロスを覗きこんでいる。
ケルベロスは面白おかしそうに喉を鳴らす。
今更にも程があるのだ。
影響がでるならとっくに出ている。
『とっくに気づいていたが、そんなもの私に効くはずないだろう。
その辺をうろついている雑魚ならともかくな。その鳥に関しては、
クライヴの使い魔だから影響が及んでいないだけだ』
ケルベロスは、とっくに気がついていてもおかしくはないことを根気強く説明した。
「よかった」
ルシアはほっとした笑みを浮べた。
クライヴを背負ったケルベロスが前、ルシアがその後ろをついて歩いている。
ホークスは、ルシアの頭上を飛んでいた。
砂漠に似ているけれども違う。
乾いた大地では、魔界の生物達が力強く生きていた。
住む世界が違うだけで、恐ろしいことは何もないのだ。
人間は、姿・形に囚われ過ぎる。
ルシアは、色々な生物を目にする度その思いを強くした。
ケルベロスが言った通り下級の魔物は、ルシアに近づくこともできない。
強い魔物が立ちはだかってもケルベロスが相手をしてくれた。
ルシアには分からない魔界の言語で、彼は魔物と話をしているようだった。
敵にしたら恐ろしいが、味方にしたら何て心強いのだろう。
ルシアとケルベロスとホークス。
考えてみたら奇妙な取り合わせだ。
馴染んでいるルシアに、ケルベロスはつくづく大物だと思った。
そんなことは露知らずルシアは、てくてくと歩く。
クライヴを助けたいという強い感情がルシアを突き動かす原動力になっていた。
ケルベロスが、休憩を持ちかけるまで歩みを止めようともしなかったのだ。
朝も昼も夜もが存在しない世界だから、時間の感覚を失くしたせいもあるだろう。
空には常に白い太陽が、昇っている。
草花が生い茂り、真ん中には水を湛えた泉。
オアシスと呼ばれる場所で、ケルベロスがルシアを振り向いた。
『そろそろ休もう』
「……ええ」
少し不服そうなルシアにケルベロスは呆れた。
無鉄砲さはクライヴに似ている気がする。
『お前まで倒れても面倒は見ないぞ』
「は、はい」
『案ずるな。このオアシスを抜ければ、ユグドラシルには、じきに着く』
「中間地点ってところですか?」
『そうだな』
ホークスはルシアの隣りで羽を休めている。
乾いた空気の世界にいるせいか水周りで過ごすのは、心地よかった。
ルシアは、ケルベロスの上に乗せられていたクライヴを、
ケルベロスの手を借りて静かに地に横たえた。
ルシアが、口移しでクライヴに水を与えている。
唇から零れ顎から伝い落ちても、彼女は何度でもクライヴに水を与えた。
『 まったく、ライアン・クライヴは幸せものだ』
クライヴに水を飲ませた後、ルシアも泉で喉を潤す。
木陰を見つけると隣にクライヴを休ませて、自分も隣りに横たわる。
生い茂った草がクッション代わりとなってくれるのだ。
ルシアは、クライヴの手の平を握ったまま、とろとろと眠りに引き込まれていった。
ケルベロスもホークスも魔物は眠りを必要としない。
ケルベロスは、ルシアが眠っている間見張りをする役目を担っていた。
ルシアは、穏やかな眠りの中にいるらしく、無防備な姿を晒していた。
ここでケルベロスが気紛れを起こしてクライヴを殺し、ルシアにも襲いかかったら
とは考えもしないのだろう。寧ろ安堵さえ覚えているようなのだから。
……ケルベロスにはそんな気は毛頭なかったが。
ルシアの危機の折にはホークスが、力及ばずともルシアを庇い果てるのだろう。
主の命を全うして。
『久々に、愉快な気分だ』
魔界の門を訪れる物好きはここ最近いなかった。
数年前、久々に訪れた人間がクライヴ・フォン・フェアウェル(公爵位を持つ黒魔術師)
だったのだが、まさかこんなことになるとは、とケルベロスはくつくつと笑う。
クライヴのことを大層気に入ったケルベロスは、魔界の住人達に
彼の事を広めていた。一風変わった魔術師がいると。
ことのほか、退屈嫌いのケルベロスはクライヴのような変わり者を好む。
彼の恋人であるルシアも同じ匂いがするから
ほうっておけないのかもしれない。
勿論、ルシア自身のことも気に入っていたが。
結論づけたケルベロスは、辺りに気を配る。
気配を感じて逃げていく魔物ばかりで、ケルベロスもほっと胸を撫で下ろす。
厄介な魔物に狙われないといいのだが。
ケルベロスと同じ魔獣と呼ばれる人間の言語を理解し、操る
上級の魔物達と相対するのは少々面倒だ。
話がつく相手ならよいが、そうでなければ闘うのも止むを得ない。
ユグドラシルまであと半分だが、残りの道程は今までよりもずっと厳しいだろう。
ケルベロスは息を吐き出した。
(なるようにしかならないだろう)
鋭い眼差しを光らせている。
固い表情を崩さないまま。
ぱちぱちと瞬きして、ルシアは目を覚ました。
瞼を擦る。
今は咎められることはないのねと少し寂しい気持ちもあった。
ルシアが、瞼をこすると、傷つくからやめろと、クライヴは、不器用にその手を取り苦笑いした。
眠っている間、ずっと番をしてくれていたらしいケルベロスが、ルシアに視線を向けている。
『よく眠っていたな』
「は、はい。ごめんなさい、ケルベロスさんも休みたいのに。
今度は私が番をしてますから、休んでください」
『私は眠らずとも、動かなければ体を休ませられるのだ。ルシアに番ができるはずもないだろう。
その気持ちは嬉しいがな』
ルシアは途端に顔を赤らめた。
そうだ。できるはずもない。
ケルベロスは強大な力を持つ魔物で、見張りなど立てずとも
自身ですべて解決できるだろう。
『よく休めたようだな』
ルシアはケルベロスの問いかけに胸に手を当ててぺこりと一礼をした。
立ち上がった彼女は、ケルベロスの体の上にクライヴを乗せるのを手伝った。
彼は相変わらずぐったりしているが、身を休めたことで
幾分顔色はよくなっている気がした。
「もう少しだけ辛抱(しんぼう)して下さいね」
「ル……シア、悪い」
ルシアの手を握り申し訳なさそうな表情を見せたクライヴに
ふるふると頭を振り、ルシアは柔らかく笑う。
「あなたは早く元気になりたいって気持ちを強く持ってて下さいね」
「……ああ」
クライヴはルシアに肯定を示すように瞳を伏せた。
凄まじい勢いでケルベロスが、クライヴの上に倒れこんだ。
巨大な獣の下敷きになったクライヴにルシアは悲痛な声をあげ、駆け寄る。
「クライヴ!!」
クライヴの魔術の効力が消えたのか、防護壁が破れてしまっていたため、動けたのだ。
張り裂けんばかりの声で叫ぶ。
ケルベロスから攻撃を受けたわけではない。
決定打となる攻撃を与えたのだ。
「クライヴ……」
今度は蚊の鳴くような声を漏らしたルシアに、
ホークスが、いなないた。
大丈夫だと言っているみたいだった。
ルシアを慰めるのではなく、主を信じているから。
ルシアはホークスに頷く。
あの大きな体が、上に乗ってきたら、無事ですむはずもないと不安は大きい。
クライヴの上に覆いかぶさっていたケルベロスは、ゆっくりと身を起こし、彼から離れた。
ルシアが心細くないようケルベロスを呼び寄せてくれたクライヴ。
きっと、こちらに呼ぶのには力を使っただろうに。
(彼が心細くないように案じてくれた彼を助けてあげたい)
ルシアは、愛しい人の側に跪いた。
「クライヴ」
頬に触れて、名前を呼ぶ。
何度呼んでもクライヴは目を覚まさない。
ぺちぺちと頬を叩いたら、ようやく意識を取り戻したのか、
苦悶の表情を浮べて唸った。息も荒いしとても苦しそうだ。
圧しかかられた衝撃で、クライヴはかなりの痛手を負った。
クライヴの真横に伏せたケルベロスは、体を弛緩させている。
「ケルベロス……さん?」
『……何だ』
「あなたの方が、傷は浅いみたいね。
あれだけクライヴの攻撃を受けたのにさすが地獄の番犬だわ」
『久々に気分が高揚した。クライヴは
退屈しない男だな。以前にも増して腕を上げていて驚いた。
私にあそこまで力を奮わせたのは、奴が初めてだ』
ケルベロスの口調は、深い傷を負っているとは思えない。
少なくともルシアにはそう感じられた。
「だったら、お願いがあります。
クライヴを助ける方法を教えてください。
彼は黒魔術師だから治癒系の魔術を使えません。
助けたいけど助けられないのが歯痒いわ。
お願い。何か知ってるなら教えて!
私は彼が助かるならどんなことだってできる」
ルシアの強い言葉に、ケルベロスが、ほうと息をついた。
『あの冷血な男も変ったようだ。清らかな乙女に想われているのだから』
「ケルベロスさん?」
『私にも責任があるといえばあるしな……』
やけに人間染みた言葉にルシアは、驚いた。
『ユグドラシル……世界樹が魔界には存在する。
その世界樹からとれる雫を飲ませるといい。
ここからもそう遠くはないが、魔界には多くの魔物が存在する。
大の男を抱えてそこまで行くのは、人間の娘にはちと厳しい道のりだろうな」
「何処へだって行きます。クライヴを助けるためならば、行けるわ」
『 お前は、私が案内しよう』
『ありがとうございます」
「ですが、ケルベロスさんも怪我をしているし、門の守りはどうするのですか?」
『心配は無用だ。お前を気に入ったからな。ユグドラシルがある場所まで連れていこう』
ケルベロスの言葉にルシアは胸を震わせた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて連れて行ってもらうことにします」
元々大物なルシアは、魔獣に対して必要以上の恐怖は抱かなかった。
柔軟な心の持ち主だったからこそすんなり言葉を受け入れたのである。
『クライヴを我の上に』
ルシアは、クライヴをそっと抱え起こして、ケルベロスの上に乗せた。
いくら細身でも相手は長身の男。
半ば引きずる形になってしまいルシアは、心中でクライヴに謝った。
『行くとしよう』
ケルベロスは、ルシアと宙を飛んでいるホークスに向けて言った。
門が重い音を立てて開かれる。
人間の娘と青年、魔物2匹の奇妙な旅が始まった。
(どうしてこんなことになってしまったの)
クライヴは、痛みのせいで意識が朦朧としている。
いくら強大な力を持つ魔術師だろうが、所詮はただの人間。
不死身でもない。
大怪我をすれば簡単に命を落すことだってある。
命を落とさせないためにルシアは懸命になっているのだ。
ケルベロスを恨む心はない。
彼はクライヴの為にこうして
ルシアをユグドラシルの元まで連れて行ってくれようとしている。
ケルベロスが、クライヴを認めているからこそ
ルシアの熱意に負けたからこそ起きた奇跡だった。
ぱたぱたと羽音を立てながらホークスが、頭上を飛んでいる。
「あの……ケルベロスさん? 」
『どうかしたか、人間の娘』
「私はルシアです。そう呼んでください」
にっこり笑うと魔獣が目を瞠った。
『あ、ああ。ルシアだな』
ルシアはこくりと頷き、クライヴに向き直った。
熱くも寒くもない魔界の大気は、過ごしにくいことはない。
ただ辛そうに顔を歪めたままのクライヴが心配でたまらなかった。
ルシア一人であったなら、平静を保っていられたか自信がなかった。
クライヴの手の平を握り締める。
「クライヴ……」
「……ル、シア」
普段、ルシアの手の平を温かく包み込んでくれる
大きな手の平は、指先が何度か震えたのみでそれ以上は動かない。
ルシアの握り締めた手を握り返す力は、ないのだ。
苦しげな声を漏らしながらもルシアの名前を呼ぶクライヴに
ルシアは、鼻の奥がつんとするのを感じた。
泣かずにいるのが精一杯だった。
握り返されない手の平をそれでも強く握る。
沈んでしまった気分を慰めようとホークスが、彼女の周りを飛び回る。
『クライヴが選んだ女……』
ケルベロスの独り言は空に溶け掻き消える。
ルシアは、胸元のネックレスのクロス部分を握り締めて祈った。
どうか、無事にユグドラシルまで辿り着けますよう。
早く元気になってほしい。
倣岸不遜で、余裕に満ち溢れたライアン・クライヴに。
「私が必ず助けるから」
(それまで頑張って)
ルシアは目元を拭って歩き出す。
ホークスは、生まれた世界で血が騒ぐのか、生き生きと翼をはためかせている。
ルシアは、ふと抱いた疑問を口にしてみた。
「あの、ケルベロスさん、クロスを身につけてるんですけど
影響ありません? もし苦しかったら言ってくださいね」
ルシアはどうやら本気らしい。首を傾げてケルベロスを覗きこんでいる。
ケルベロスは面白おかしそうに喉を鳴らす。
今更にも程があるのだ。
影響がでるならとっくに出ている。
『とっくに気づいていたが、そんなもの私に効くはずないだろう。
その辺をうろついている雑魚ならともかくな。その鳥に関しては、
クライヴの使い魔だから影響が及んでいないだけだ』
ケルベロスは、とっくに気がついていてもおかしくはないことを根気強く説明した。
「よかった」
ルシアはほっとした笑みを浮べた。
クライヴを背負ったケルベロスが前、ルシアがその後ろをついて歩いている。
ホークスは、ルシアの頭上を飛んでいた。
砂漠に似ているけれども違う。
乾いた大地では、魔界の生物達が力強く生きていた。
住む世界が違うだけで、恐ろしいことは何もないのだ。
人間は、姿・形に囚われ過ぎる。
ルシアは、色々な生物を目にする度その思いを強くした。
ケルベロスが言った通り下級の魔物は、ルシアに近づくこともできない。
強い魔物が立ちはだかってもケルベロスが相手をしてくれた。
ルシアには分からない魔界の言語で、彼は魔物と話をしているようだった。
敵にしたら恐ろしいが、味方にしたら何て心強いのだろう。
ルシアとケルベロスとホークス。
考えてみたら奇妙な取り合わせだ。
馴染んでいるルシアに、ケルベロスはつくづく大物だと思った。
そんなことは露知らずルシアは、てくてくと歩く。
クライヴを助けたいという強い感情がルシアを突き動かす原動力になっていた。
ケルベロスが、休憩を持ちかけるまで歩みを止めようともしなかったのだ。
朝も昼も夜もが存在しない世界だから、時間の感覚を失くしたせいもあるだろう。
空には常に白い太陽が、昇っている。
草花が生い茂り、真ん中には水を湛えた泉。
オアシスと呼ばれる場所で、ケルベロスがルシアを振り向いた。
『そろそろ休もう』
「……ええ」
少し不服そうなルシアにケルベロスは呆れた。
無鉄砲さはクライヴに似ている気がする。
『お前まで倒れても面倒は見ないぞ』
「は、はい」
『案ずるな。このオアシスを抜ければ、ユグドラシルには、じきに着く』
「中間地点ってところですか?」
『そうだな』
ホークスはルシアの隣りで羽を休めている。
乾いた空気の世界にいるせいか水周りで過ごすのは、心地よかった。
ルシアは、ケルベロスの上に乗せられていたクライヴを、
ケルベロスの手を借りて静かに地に横たえた。
ルシアが、口移しでクライヴに水を与えている。
唇から零れ顎から伝い落ちても、彼女は何度でもクライヴに水を与えた。
『 まったく、ライアン・クライヴは幸せものだ』
クライヴに水を飲ませた後、ルシアも泉で喉を潤す。
木陰を見つけると隣にクライヴを休ませて、自分も隣りに横たわる。
生い茂った草がクッション代わりとなってくれるのだ。
ルシアは、クライヴの手の平を握ったまま、とろとろと眠りに引き込まれていった。
ケルベロスもホークスも魔物は眠りを必要としない。
ケルベロスは、ルシアが眠っている間見張りをする役目を担っていた。
ルシアは、穏やかな眠りの中にいるらしく、無防備な姿を晒していた。
ここでケルベロスが気紛れを起こしてクライヴを殺し、ルシアにも襲いかかったら
とは考えもしないのだろう。寧ろ安堵さえ覚えているようなのだから。
……ケルベロスにはそんな気は毛頭なかったが。
ルシアの危機の折にはホークスが、力及ばずともルシアを庇い果てるのだろう。
主の命を全うして。
『久々に、愉快な気分だ』
魔界の門を訪れる物好きはここ最近いなかった。
数年前、久々に訪れた人間がクライヴ・フォン・フェアウェル(公爵位を持つ黒魔術師)
だったのだが、まさかこんなことになるとは、とケルベロスはくつくつと笑う。
クライヴのことを大層気に入ったケルベロスは、魔界の住人達に
彼の事を広めていた。一風変わった魔術師がいると。
ことのほか、退屈嫌いのケルベロスはクライヴのような変わり者を好む。
彼の恋人であるルシアも同じ匂いがするから
ほうっておけないのかもしれない。
勿論、ルシア自身のことも気に入っていたが。
結論づけたケルベロスは、辺りに気を配る。
気配を感じて逃げていく魔物ばかりで、ケルベロスもほっと胸を撫で下ろす。
厄介な魔物に狙われないといいのだが。
ケルベロスと同じ魔獣と呼ばれる人間の言語を理解し、操る
上級の魔物達と相対するのは少々面倒だ。
話がつく相手ならよいが、そうでなければ闘うのも止むを得ない。
ユグドラシルまであと半分だが、残りの道程は今までよりもずっと厳しいだろう。
ケルベロスは息を吐き出した。
(なるようにしかならないだろう)
鋭い眼差しを光らせている。
固い表情を崩さないまま。
ぱちぱちと瞬きして、ルシアは目を覚ました。
瞼を擦る。
今は咎められることはないのねと少し寂しい気持ちもあった。
ルシアが、瞼をこすると、傷つくからやめろと、クライヴは、不器用にその手を取り苦笑いした。
眠っている間、ずっと番をしてくれていたらしいケルベロスが、ルシアに視線を向けている。
『よく眠っていたな』
「は、はい。ごめんなさい、ケルベロスさんも休みたいのに。
今度は私が番をしてますから、休んでください」
『私は眠らずとも、動かなければ体を休ませられるのだ。ルシアに番ができるはずもないだろう。
その気持ちは嬉しいがな』
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そうだ。できるはずもない。
ケルベロスは強大な力を持つ魔物で、見張りなど立てずとも
自身ですべて解決できるだろう。
『よく休めたようだな』
ルシアはケルベロスの問いかけに胸に手を当ててぺこりと一礼をした。
立ち上がった彼女は、ケルベロスの体の上にクライヴを乗せるのを手伝った。
彼は相変わらずぐったりしているが、身を休めたことで
幾分顔色はよくなっている気がした。
「もう少しだけ辛抱(しんぼう)して下さいね」
「ル……シア、悪い」
ルシアの手を握り申し訳なさそうな表情を見せたクライヴに
ふるふると頭を振り、ルシアは柔らかく笑う。
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