甘く残酷な支配に溺れて~上司と部下の秘密な関係~

雛瀬智美

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第一話『甘美で危険な香り。大蛇(バジリスク)の毒』

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初めて彼と会った日は、入社した日だった。
1週間の社内研修が行われるということで、挨拶に行った日のことは、今でも思い出せる。
初対面から、印象的な男性だった。

「三島優香(みしまゆうか)です。課長、よろしくお願いします」
眼鏡のブリッジを押し上げて、試し眇めつこちらを見た。
眼鏡の奥の瞳が、底知れないと思った。
私の後には同期入社の菜都子も挨拶に並んだ。
「三島さん、よろしく。分からないことがあったら聞いてね」
その完璧な微笑に、怯んだけれど、態度には出さず、何とかその場は乗り切った。
その日の昼休みのこと。
「……課長ってどう思った? 」
同僚であり友人の菜都子に問いかける。
「いい人そうだとは思ったけど……」
「……怖いくらいかっこよかったわよね 」
「ま、まさか、一目惚れ?
確かにすごく色気があってイケメンだったけど……薬指に指輪してたわよ。
上司をそういう目で見るのは」
「別にそこまで考えてないから。
あなたもよく見てるわよね」
「……目に入ったから」
「ふうん。でもあなたの観察眼はすごいわ」
彼女はきょとんとしたあと、小さく笑った。
過去の恋の傷を引きずったままだった
私は、課長に感じた違和感をなかったことにした。
(いくら、かっこいいからってありえないわ。結婚もしている上司でしょう)

それから、1年が過ぎて私と同僚の近藤菜都子(こんどうなつこ)は、入社二年目を迎えた。
課長とは、上司と部下の間柄のまま
特に変わっていなかったが初対面の時に感じた胸騒ぎをこの頃、感じている。
見つめられている気がして仕方なかった。

今年も新入社員歓迎会が、課長を含めた同じ課のメンバーで開かれることになった。
去年の時は開いてもらう立場で緊張もありあまり楽しめなかった。
同じ日、同じ場所、同じ時刻とシチュエーションが同じだけど
今日は去年よりリラックスして楽しめるはず。
同僚の車で居酒屋に向かった。
アットホームな空気の中、時間が過ぎていく。
仕事終わりという開放的な気分も手伝い無礼講というのは
暗黙の了解だった。
羽目を外し醜態をさらすのは抵抗があったので、
私はアルコールは控えノンアルのチューハイのみ注文した。
飲んでも送ってくれると同僚は言ったがにはなれない。
三杯目の炭酸を飲んでいたら、眼鏡をかけた優男風の男性が話しかけてきた。
何故、同僚はこんな時に側にいないのだろう。
課長はほんの少し距離を開け私の方をじっとりと見つめていた。
「課長は、おいくつなんですか?」
「33。君からすればおじさんかな」
「おじさんには見えませんけど」
「俺に興味を惹かれる?」
「それこそ面倒くさいことになりそうで」
 課長が、顔を覗きこんだので、頭(かぶり)を振った。
(上司のくせにこの男は! )
「上司と部下の距離なんて、壊してしまえばいい」
握られた手の力が強くなる。
色香を滲ませた眼差しが、全身を刺し貫いて、私を動けなくさせた。
「……危険な匂いがしてたまらないから、
怖いんです……やめて」
「おや、君は勘が鋭い」
意味深な笑顔に、気圧(けお)される。
「……戻ります」
握られた手を払って、立ち上がる。
「乾杯ー! 」
上司にお酌とかそういう面倒くさいことは、強要されない。
会費は、会社持ちだ。
せっかくなので、しっかり食べて飲んで楽しんで帰ろう。
「三島さん、デュエットしないか?」
「えっ……、デュエット!? 」
「一人で歌うのは、気が引けてね……
俺を助けてよ」
懇願する眼差しに媚が見えた。
(上司なのに男の眼差しでこっちを見ないでよ)
カラオケやビンゴゲーム何でもありの新入社員歓迎会だった。
会社の飲みの席で歌うなんて、苦行だと思いながら1人じゃないならいいかと、
課長の誘いに乗ってみた。
(その選曲、ないんじゃないの! )
入れられたのは、三年目の浮気。
昔に流行ったデュエット曲で、だらしのない男と、それに絆される女という内容だ。
許(ほだ)してるくせに。
(課長……! )
あろうことか、課長は肩を抱いてきた。
ノリノリで浮気を正当化する歌を熱唱する。
私も悪ノリして、どうしようもない女になりきった。音程は外してないはずだ。
課長は浮気ソングを純愛ソングに変えるほど、爽やかに歌いこなしている。
「……酔ってるんですか。上司と部下の距離じゃありませんよ」
肩を抱いた手を振り払えないくせに、問いかけている。
「酔ってるって言えば、近づく口実になるかな?」
課長は、耳元で囁いてくる。
皆、アルコールが入っているせいか周りからは何の反応もないのが幸いだったが。
「な、何仰ってるんですか! 既婚者が部下に色目を使って」
「……気分が悪い。すまないが、
風に当たりたいから、ついてきてくれ」
唖然とした。
こちらの意思もかまわずに、課長は私の腕を引いて、居酒屋の外に連れ出す。
「……俺が結婚しているかについてだけどね」
課長は、指輪を見せながら笑った。
夜空の下、照明に照らし出された顔は、妖しい。
「……いや、別に話さなくても」
「聞いてほしい。三島さんには」
断ろうとしたが、強引に押し切られる。
店の外で段になっている所で座っている。
密接な距離感に、胸が騒いだ。
(……酔っていないのにおかしい)
「これは、女避けのためにしている紛い物(フェイク)の指輪だ。結婚指輪じゃないよ」
「え……!」
一年前、ときめいてしまったけれど、
諦めていた自分を嘲笑(あざわら)いたい。
「驚いて口を押さえてる顔もいいね。そそるよ」
「悪い冗談はやめて下さい」
課長は、深遠な笑みを浮かべている。
「冗談にしたくないな」
膝に置いた手のひらに大きな手が重なった。
「女に寄って来られるのは、面倒くさいから指輪をしてる。
自分が気に入った存在なら、いくらでも近づきたいけれどね」
(な、何なの……この人)
課長が先に店内に戻り私も後ろからついていった。
歓迎会は、あっけなく終わった。
課長が、妖しげに私を惑わせたのは、
一時の気の迷いだ。そう思おうとした。
胸が張り裂けそうなくらい苦しかった。
あの瞳に見つめられると、動けなくなる。
初対面から、彼を意識していたのかもしれない。
認めたくない事実だった。

それから、しばらくの間は上司と部下の関係のまま揺らぐことはなかったのだが、
GWに入る時、いきなり課長に呼び出された。
皆(みんな)の目がない屋上である。
「……こんな所に呼び出すなんて、
何の御用(ごよう)ですか」
白々しい問いかけだった。
仕事の内容なら課長のデスクの前で話せばいい。
わざざわ人目を避けるのは、意味があるのだ。
「来なくてもよかったんだよ。プライベートな内容だって、
想像ついてただろ」
「なっ……! 」
「歓迎会の時は公私の区別もせず危険な上司と思われただろうね」
「自覚はあったんですか」
「そりゃあね。でも謝るつもりはないし、
なかったことにもしないから」
課長は、悪びれていなかった。
「……課長、私に何で気安く接してくるんでしょう」
「考えても分からないのかい?」
「考えることは、放棄しました」
(この男は、凄まじく危険だと本能が告げていた)
「なら、考えなくていいよ。君が俺を受け入れるか、拒絶するかは自由だけど、
考えるより、その時の感情に溺れるのもいいんじゃないかな」
矛盾した言葉の羅列。
彼は、私とどうなりたいのか。
聞くのも、嫌になるくらいだった。
言葉の端々に滲み出ている情欲を
嗅ぎ取れないほど子供ではない。
「明日からGW(ゴールデンウィーク)だけど、何か予定ある? 」
「……溜まった疲れを癒したいです」
「じゃあ、一緒に旅行でもどう?
宿泊先の予約も取ったし 」
課長はあまりにも、あっさりと口にした。
(新入社員歓迎会から、何も仕掛けて来なくてほっとしていたのに、旅行ですって! )
「……恋人でもない男に誘われてうなずくほど、軽くはないつもりです」
きっぱり口にすると課長は、顎をしゃくった。
「大事なことを伝え忘れてたね。
俺としたことが、情けない」
「はい? 」
「三島さん、好きだよ。俺と付き合ってほしい」
「……っ、駄目です。無理です! 」
「どうして? 」
甘く蠱惑的な眼差しが、私を落とそうとする。
近づいてはいけない男の誘惑に、
抗えない。
「……強固な否定は肯定と同じだよね」
その自分に都合のいい解釈はなんだろう。
陽射しが強い訳でもないのに、くらくらしてきた。
「三島さんは、とっくに俺を意識していたけれど、必死で否定しようともしていた。
危険を察知した女の本能は、分かるよ」
課長が、距離をつめる。
後ろに下がると、 建物内への扉にぶつかった。
逃げられない。瞼を閉じた。
長い腕が肩を掴む。
抱きしめられたことを悟った。
背の高い彼は、少し腰を屈めて、私を抱きしめている。半ば、踵(かかと)が浮いた。
「……は、離して」
「逃げようと思えば逃げられるじゃない」
「……っ、卑怯だわ」
「無防備に呼び出しに応じたのは、君だよ。
悲しい事実だが、本当のことだ」
鼓膜に伝わる声は、とんでもなく色っぽかった。
「三島さん……俺のこと嫌いじゃないなら、
付き合って。きっと、楽しいと思うよ」
「……考える時間をください。だから、離して」
「振りほどいて逃げたらいい。
しないのだから、俺も離さない」
さりげなく強引だった。
自分が、どれだけ魔力を放っているか分かっているのだろうか。
切れ長の端正な面差し。整った高い鼻梁、艶めいた薄い唇。
煙草の香りが、こっちに移るようだ。
胸を押してみたが、彼の力にはかなわない。
(逃げられないじゃないの! )
「好きな女には、しつこいよ。
君がうなずくまで、諦めないから覚悟しておくといい」
耳たぶをはまれた。じっとりと舐め上げる舌。
声が漏れそうになったが、こらえる。
「力づくで手篭(ご)めにするほど、悪い男じゃないから、安心して」
ぶるぶると震える体が、気づかれていないといいのだけれど。
「唇より先にしちゃったね。耳にキス」
「……っ」
耳元で言われてぞくりとした。
「震えてたら、守りたいと同時に、
いじめてあげたくもなるよね」
「はい?」
間抜けな声になっている。課長のせいで、
身体に熱が灯ってしまった。
「も、もう昼休みは終わりますから」
「残念だな。せっかく三島さんと
楽しく戯(たわむ)れていたのに」
腕の拘束がほどかれる。
扉に手をかけた時、
「待って」
低い声だが、通る声に動きを止める。
課長は、私の手を優しく掴んだ。
「……もし、イエスをくれるなら、
電話で教えて?」
握らされたものを見ると携帯電話の番号が、記されていた。
課長の名刺だった。
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