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6、腕と首に欲望のキス
しおりを挟むあなたとなら何処までも堕ちていけると信じた。
闇の中に一筋の光がつかめればいい。
彼は使用人で私はその屋敷の主の妻。
相容れない関係だが、この関係の利点もあった。
人前では主と使用人の顔しか見せなければ、側にいられる。
主のもとに仕えるのが使用人。
決してそれ以上はどうにもならないけれど。
馬車で出かけるときも共に行ける。
馬車の中から外の様子は見えない。
馬に鞭を振るう屋敷の青年執事こそ、許されざる恋の相手だった。
物思いに耽っていると馬車がゆっくりととまる。
「奥様、着きました」
馬車の扉が開き、差し伸べられた手を取り降りる。
ここは、教会。
歴史を感じさせる古い建物は見ているだけで圧倒される。
中に入れば荘厳な印象を受ける。
青や赤の色合いのステンドクラスが美しい。
神に祈りをささげる場所、神に将来を誓い合う場所。
私たちにはどれほど似つかわしくない場所だろうか。
口元を押さえて密かに笑った。
手を引いてくれる彼ーイアンーはまっすぐ歩いていく。
祭壇中央の女神像は神々しい印象だ。
この場所に来ている時点で後ろめたい気持ちなどない。
二人きりで誰にも知られることはないのだ。
堂々としていればいい。
立ち止まった私をイアンが振り返る。
眼鏡の中で鮮やかな青い瞳がこちらを映している。
離されることのない手の力がいささか強くなった。
見つめればふっと笑った。風にかき消されてしまいそうな。
一人で祭壇に向かう私をイアンは立ちすくんだまま見ている。
取り出したマッチでキャンドルに火を灯す。
室内を朱色の光が照らし出した。
ステンドグラスが炎を反射して眩しいくらいの明るさだ。
煌々と照らし出された明かりにイアンの瞳も髪も燃えているように見えた。
戻る前に、彼が私の隣にいた。
「ねえ。どこかへ連れて行って」
うつむき加減になりながら、見つめる。
「神に祈りますか。奥様?」
冗談ぶってイアンは笑った。
辛辣で現実主義でいて、ロマンティストな部分もある。
だから私を愛してくれた。
「二人の時は名前で呼んでと言ったでしょう」
軽い冗談のつもりの言葉も距離を感じてしまう。
恨みがましい目を向けた私に、イアンは手の平をひらひら振った。
無造作に眼鏡を外した彼は更に近づいてきた。
息が触れ合いそうな距離で、こちらを覗き込んでくる。
しばらく無言のままで瞳に捕らえられていた。
「俺は神など信じていませんよ」
「じゃあ何故ここに一緒に来てくれたの」
「貴方の願いなら何でも叶えて差し上げたいから。
……可能な範囲内でですが」
付け加えることを忘れない所が、憎らしい。
「ありがとう……正直なイアンが好きよ」
顔を上げて抱きつくと、ふいを突いてしまったのか
イアンがバランスを崩した。
縺れたまま床に倒れこむ。
しっかりと背中に回された腕が熱く、縋るように私も腕を重ねた。
「神が願いを叶えてくれるのならば、あなたと永遠を誓いたい」
病める時も健やかなる時も互いを敬い……。
「願っても、罰せられませんよ」
今の今まで何の罪の報いも受けてはいない。
必要以上の温情も与えられていないけれども。
「……真に罰せられるべきはあの人だと」
「俺でもそこまではっきりとは言えませんが」
イアンの腕の中はあたたかい。
「どうしてイアンと先に出会えなかったのかしら」
世間的には地位も名誉もあるけれど、乱暴で傲慢で一方的な主人より
一途に愛してくれて誰よりも思いやってくれるあなたに出会いたかった。
「世間にどう言われようが、これは純愛だと断言できます」
いつまでも暗い気持ちに閉じ込められている私を
イアンは光の先へ連れ出してくれる。
「泣かないで、ジュリア。俺はあの方に感謝もしているんです。
屋敷で雇われなければ貴方と出会うこともなかったのだから」
頬に触れたのは、イアンの口づけだった。
涙を啄ばんで離れる唇。
イアンの腕から逃れて立ち上がると
未だ伏したままのイアンに腕を差し出した。
腕を取って立ち上がった彼が、こちらの腕を離す。
「あの時私を誘ったのは愛情だった?」
承知していることをわざと問いかけるのは
いつだって不安と隣り合わせだから。
「紛れもなく。貴方への愛が抑えられなくなったのです。
貴方も応じたのは私の気持ちを受け入れたからでしょう」
ジュリアはイアンに微笑んで返す。
愛していると言葉にしたのを覚えているだろうに、
試すのは不安定な関係ゆえ。
「貴方を愛してしまったから、欲情が芽生えた。
必然の流れだと思いませんか」
すがすがしいほど清廉な答えだった。
一片の疑いようもない。ジュリアを気遣い、愛情に溢れていたあの夜。
宣言通り激しかったが、優しさを伴っていた。
「イアン、誓って」
強く眼差しをぶつけると彼も強気に笑う。
「形あるものなんていらない。目に見えない証がほしいわ。
敬虔でなくても、誓うことくらい許されるでしょう」
すうと息を吸い込んで吐き出したイアンが、口を開いた。
「たとえ何が起きてもこの気持ちを違えることはありません。
ジュリア、貴方を愛し守ります」
信じるも信じないのも自由。
押しつけがましい愛など互いに嫌っているから口にはしない。
「私も同じ気持ちよ」
目にも留まらぬ程の速さで腕を引かれ抱きしめられる。
髪を指に巻きつけて梳かれる。
熱い口づけに、胸に嵐が巻き起こった。
唇を重ねあって、吐息を交わす。
深くなる口づけに、イアンの背中に回した腕の力が緩くなる。
濡れた唇が、妖しく、互いを誘う。
体から力が抜けそうでもう一度しがみついた。
気づけば襟元が乱されていた。
指先が頬を滑り首筋を伝い降りてゆく。
体を抱きとめたままイアンが、首に唇を寄せた。
音をたててきつく吸い上げられる。
「イ、アン……」
首筋に情熱的なキスが、続く。
後で隠さなければならないのに。
火をつけた後で、突き放さないでと貪欲に願う。
赤く炎の華がうっすらと浮かび上がる。
イアンの指先に唇で触れて、背に爪を立てた。
はっとした時には腕に唇があった。
衣服の袖をそっと捲られて白い肌が露出している。
熱い感触が、移動してゆく。
いとおしむ仕草が、どうしようもなくうれしかった。
唇から、想いが伝わる。
イアンは邪笑していた。
恐ろしく彼に似合う表情だ。
淡く笑ったりもするけれど、満面の笑みを見たことはない。
私も見せたことはない。
でも今なら笑える気がする。
これまで見せた中で最上の笑みを咲かせられる。
満ち足りた気持ちがこの心を支配している。
つ、と唇でなぞられて、身をよじった。
今この時の自分の表情が手に取るようにわかる。
うっとりと目を閉じて、彼の誘いに応じているのだ。
「イアン、愛しているわ」
「ジュリア」
涙は拭われても溢れ続ける。
イアンの首筋にキスをする。
袖を捲(まく)って、腕にもキスをした。
さっきくれた想いを返すように。
手の平を持ち上げられて口づけられる。
全部の指先にキスの雨。
炎は勢いを弱め、静かに揺らぎ続けている。
馬車の中で指輪を外しておいてよかった。
どれだけ立派でも束縛の象徴でしかない。
「愛しているよ……俺の花嫁」
耳元でささやかれた言葉に胸が高鳴った。
今日は私たちの結婚式だ。
けれどヴェールも指輪もドレスもない。
神聖な場だけを用意して、真実の愛を心から誓った。
この想いに偽りはない。
イアンに腰を抱かれて歩く。
神の御許でもう一度キスを交わした。
固く握り締められた手の平に心強さを感じた。
「何物にも代えられぬぬくもりを捧げましょう」
「ありがとう」
帰り際、屋敷とは逆方向に馬車を走らせたイアンは
突然、馬車を止めて、車内に入ってきた。
目を瞠った私をいきなりきつく抱き寄せて耳元で息を吐き出した。
「俺に幸せをくれたのは貴方だ」
「俺にとってジュリアがすべてなのだということを忘れないで」
言葉を重ねて、髪をかき分けた。
額に降りた口づけは、甘くてどこか気恥ずかしくてはにかんでしまう。
屈託なく笑えたのは久しぶりだ。
「さあ帰りましょう、奥様」
ぼうっとしているとイアンはすっと表情を戻して、馬車の中から出て行った。
今日の日を過ごせてよかったとしみじみ感じていた。
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