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11 意外な世話好き
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ぽかぽかと温かい日差しと腹部に当てている湯たんぽの温もりに、ベッドから出たくない気持ちが大きくなってくる。
毎度のことだが、生理中は眠気が強く、痛みが酷く、動くのが億劫だ。
それでも、お腹が空いたなと思った真白は、どうにか起き上がり、キッチンへと向かった。
こんな時のために、ゼリー飲料やバータイプの栄養補助食品が棚にしまわれている。
温かいお茶だけ欲しい気がしたが、次の瞬間にはめんどくさくなってしまう。
ひざ掛けを肩からかけて、ソファに座って栄養補助食品をかじりながら、常温の水を飲んで流し込み、そのまま横になってクッションに沈み込んだ。
本当は、血になるようなものや体を温めるものを食べたほうがいいのだろうが、キッチンに立ち続けるのは厳しかった。
もともと貧血気味の真白は、生理の時にはもっと酷くなる。
まだ少しめまいがするくらいだが、酷くなるかもしれない。
響夜には悪いことをしたが、酷い時期が土曜日と日曜日で良かった。
仕事の時は、無理して行くのがしんどいのだ。
座っている時間が長いし、立ち上がる時に感じるあのなんとも言えない感覚が嫌いだ。
その点、休みなら一人で耐えればいい。
横になっているうちに、うとうとしはじめたがチャイムが鳴って真白の意識を引き戻した。
(あっ、響夜が来るんだった)
はっと急に体を起こしたせいで、わずかなめまいを覚えたが、どうにか立ち上がりインターホンに出た。
「はい」
「響夜だけど、開けてくれる?」
言われた通りオートロックを外し、しばらく壁に寄りかかって待っていると、ドアホンが鳴った。
鍵を開けて扉を開けば、驚いた顔をした響夜が立っていた。
「わざわざありがとう……って、へっ?」
無言で膝がけに包まれた真白を抱え上げた響夜は、靴を蹴り脱いて部屋に上がると、ソファで優しく下ろした。
昨夜の電話では、顔を見て手渡したら帰ると言っていただけに、この行動がなんなのか分からなくて戸惑うばかりだ。
「どうしたんですか?」
「それ言う? 自分の顔色に気がついてないの?」
「顔色ですか?」
今日はまだ鏡を見ていなかった真白には、響夜がなぜそんなに深刻そうなのかが分からない。
「かなり顔色が悪い。それに、手先も冷たいじゃないか」
「私は冷え性なんですよ。だから、仕方がないんです」
会社ではどうにか自分を繕うことができるが、自宅ということで気を抜き過ぎたかもしれない。
でも、化粧をする気も、着替える気にもならない。
なんなら、心配するなら早く帰って一人にしてくれないかなとさえ真白は思っていた。
「荷物まとめて」
オートロックだから、最悪眠ってしまっても響夜は勝手に帰るだろうと、すこし微睡んだ瞬間、意味の分からない言葉が耳に飛び込んできた。
「どうしてですか?」
「ごめん。そんな顔色の悪さを見たら一人にしておけない。絶対にこれが必要ってものがあるなら用意して。それ以外は、後で買いに行くから」
「で、でも」
「今回は、真白の意見は聞かない。特にないなら、もう行くよ?」
真剣な面持ちで言われ、真白は慌てて寝室と脱衣所に愛用の品を取りに行った。
小さめのボストンバッグにそれらを詰め込み、ゆったりしているが外に出られる服装に着替え、リビングで待つ響夜に準備が出来たことを告げれば、無言で近づいてきて抱き上げようとされた。
「車まで自分で歩けるから大丈夫」
「でも、辛そうだよ?」
「さすがに、これからも住む場所で抱えられて運ばれるのは、さすがに恥ずかしいからやめて」
「別に気にしなくていいのに」
そう言いながらも、ボストンバッグを持ってくれるだけに留めてくれた。
響夜のマンションと違い、真白の住むアパートにはエレベーターはない。
三階建てだから仕方がないのだが、こうして体がしんどい時には上がるのも厳しいときもある。
部屋を出て二人で階段を下りきった所で、真白はあることに気がついた。
「車はどこに停めたんですか?」
「ん? 隣のコインパーキングだよ」
アパートには、限られた台数しか駐車スペースがなく、真白が入居する時には、全てが埋まっていた。
それでも、一台分は空いていたのだが、最近カーシェアリングの車が停まるようになって埋まってしまった。
真白は車の免許すら持っていなかったし、響夜は毎回電車だったため、すっかり考えておらず、訪ねてくる時の交通手段なんて頭になかったのだ。
「さあ、乗って」
精算機で料金を払った響夜に案内され、勧められるまま助手席に座り、ドアを閉めてくれた響夜を目で追えば、運転席から後部座席にボストンバッグを置いていた。
言われる前にシートベルトを装着して、質のいいシートに体を預けてひざ掛けをかけた。
「それじゃあ、行こうか」
乗り込んだ響夜は、真白がシートベルトをしているのを確認すると車を走らせ始めた。
以前に送ってもらったときにも感じたことだが、彼の運転は滑らかで心地よい。
速度を上げたり、急ブレーキを踏んだりしないからその安心感で、真白はウトウトしてしまった。
誰かの車に乗せてもらっているのに、寝るなんて失礼だとどうにか起きていようと努力するが、まぶたが重くなっていく。
生理の時は、決まって痛みと眠気が強く出てしまう。
「眠っていいよ。起きていなくちゃとか考えなくていいから」
その言葉を最後に、真白は真っ暗な海を漂い始めた。
車の揺れと車内に流れる音楽、陽の光も相まって勝てるわけがなかったのだ。
次に目を覚ました時には、ソファの上で横になっていた。
窓の外に目をやれば、さほど時間が経っていないことがわかる。
「響夜?」
部屋の中に人の気配がしなくて名前を呼んでみたが、返事が返ってくることはなかった。
トイレの場所を聞きたかったがいないのなら仕方がない。
真白は立ち上がると、一人掛けソファに置かれているボストンバックから生理用品を手にすると、トイレを探しに行こうとして、テーブルの上に一枚の紙が置いてあることに気がついた。
『少し買い物に行ってきます。真白が起きる前に帰るつもりだけど、起きてしまったらごめん。冷蔵庫の物は好きに食べたり飲んだりしてね。追伸、トイレはリビングを出て二つ目の扉だよ』
綺麗な字で書かれたメモにありがたく思いながらトイレを済ませた。
家主が居ない間に、他の扉を開けるのは良くないなと思った真白が、リビングに戻ってひざ掛けを手にしたところで、玄関の扉が開閉する音が聞こえてきた。
痛みがあったが、荷物が多かったら大変だろうと玄関に向かおうと動いたが、響夜の動きの方が早かったのか、リビングの扉を開くと、目の前に来ていた。
「お、おかえりなさい」
自分の家でもないのにと思いながらも、口から出た言葉をなかったことにすることはできない。
「ちょっ、響夜?」
どうしたものかと思ったが、どさっという音に驚けば、響夜は足元に手にしていた物を落として真白をぎゅっと抱きしめた。
「ただいま。いいな、真白におかえりって言われるの」
「そうなんですか?」
「うん。なんか、新婚みたいでいいね」
「そう……ですね」
真白にとっても、一人暮らしを始めてから「おかえり」と言ったのは初めてのことで、自然と口にしていたことが驚きだった。
だが、不思議と悪い気はしない。
「それよりも、起きていて大丈夫なの?」
「今は動けないほどではないです。メモに買い物に行ってくると書いてあったので、荷物が多いと大変かと思って」
「大丈夫だよ。ほらほら」
足元の荷物を拾った響夜は、そのまま真白を抱き上げ、リビングに入ってキッチンのカウンターに下ろすと、キッチンに入って買ってきた物を冷蔵庫にしまい始めた。
勝手に女性の家を渡り歩いているというイメージしか持っていなかった真白は、冷蔵庫の中やキッチンに並ぶスパイスの充実ぶりに目を丸くした。
よく見れば、調理器具に関しても、真白の家よりも揃っているくらいだ。
何もすることができずに座っている真白の前に食材を並べ、鍋とやかんでお湯を沸かし始めた。
「今、食べやすい野菜のスープを作るから、ちょっと待ってね。後は、ホッカイロも買ってきたから貼って」
「ありがとう」
手渡されたのは、普通のカイロではなく女性の冷えに特化した商品のものだった。
普段、ドラッグストアで目にはしていたが手に取ることのなかった品に、裏の説明を細かく読んでいき、一つ取り出して一枚多めに着ているシャツの腹部に貼り付けた。
「これ飲んで待ってて、すぐに出来るから」
差し出されたのは、カモミールティーだ。
戸棚から出したわけではなく、買い物袋から出てきたところから見ても、常備しているのではなくわざわざ買ってきてくれたのだろうか。
カップを両手で包みこんで、じんわりと指先を温める熱にほっと息を吐いた。
「ありがとう。後で、買った物の金額を、痛っ!」
わざわざ、ないものを買ってきているのだから、その料金を支払うのは当然だと思っていた真白が、金額について口にした途端、響夜は彼女の額にデコピンをした。
なかなか容赦のない力で指で弾かれ、真白は片手で額を押さえた。
「ちょっと、なんで」
「俺がしたくてしたことだから、金は受け取らないからね。真白は、俺にただ世話を焼かせてくれればいいんだよ」
カウンターに肘をついて、響夜は真白の顔を覗き込みながら、怒ったような顔をしてみせた。
親にさえ分かってもらえなかった生理痛の痛みは、いつだって一人で耐えてきた。
実家を離れてから、むしろ一人で耐えるという意味では気が楽で、こんな風に誰かに面倒を見られる光景なんて想像したことなどない。
じんわりと、カップの温かさと同じように、胸の奥にも温かさが染み渡っていく。
「食事はカウンターよりも、向こうのテーブルにしよう。このマットをセットしておいてくれる?」
青と紫色のランチョンマットを手渡され、何かしていないと落ち着かないといった様子の真白に、気をつかって仕事を与えてくれた。
いつの間にか暮れていた外が見える窓辺のテーブルに、向かい合う形でランチョンマットを敷くと、トレーに食器を乗せて運んでくれた響夜が、真ん中にパンの入ったカゴを置いて、マットの上にスープの入った白いスープボウルを置きスプーンをセットした。
「温かいうちに食べよう」
「いただきます」
「召し上がれ。食べられそうなら、パンも食べな」
朝も適当な食事しかしていなかった真白にとって、きちんと食事と呼べるものを食べたのは、今日はこの食事が初めてだ。
スープは生姜の味がするが辛すぎず、野菜の旨味が感じられる。
「……美味しいです」
「それならよかった」
白いパンもほんのりと温かく、ふわふわとした食感から二つもぺろりと平らげていた。
「ご馳走様でした」
「口にあったならよかった。なんだか、眠そうだね」
「そんなことない。子供じゃあるまいし」
と言ってみたものの、実は本気で眠くなっていた。
生姜のスープが利いているのか、体がポカポカしているし、生理の時特有の眠気が襲いかかっている。
「そこで寝てな」
「せめて洗い物は私が」
「手が冷えるからだめでーす。大人しく寝てなよ」
クッションまで用意され、横になるように促されてしまい、体には毛布を掛けられてしまえば、とうとう真白は目を閉じていた。
心と体、両方の温かさを感じながら眠った真白は、夢を見た。
普段はあまり夢を見ないし、見たとしても一人か、建物の中にいる夢しか見ないのに、今回は違った。
森の中を歩いていて、辿り着いた先には湖があり、木々の間にハンモックをかけたリオンが笑って手招きしていた。
森の中を歩いている時は不安感でいっぱいだったのに、見知った顔を見て真白は駆け寄った。
勧められるままハンモックに横になれば、リオンは美しい声で歌い始めた。
これまで歌っているところなんて見たことがなかったのに、彼ならこんな感じなのではないかと思わせるものだった。
その夢の中でも、心地よい風を感じながら真白は眠り始めた。
目を覚ませば、部屋の中は真っ暗で、体の下の感触はソファではなくなっている。
背中から腰にかけて、ピッタリと響夜がくっついていて、温もりが伝わってきて、すぐに真白を眠りへと誘った。
しかし、一度トイレに行っておきたかった真白が身じろげば、掠れた声が「どうしたの?」と問いかけてきた。
一瞬、抱きしめている腕に力が加わったが、トイレに行きたいだけだと伝えれば、腕の力は弱まって解放してくれた。
手早く済ませて戻れば、ベッドに近づくのに合わせて腕を上げて迎え入れてくれる。
「離れて眠ったほうが、疲れないんじゃないですか?」
「いいから、早く。二人で眠った方が温かいでしょ」
これ以上の問答は睡眠の邪魔だと、自分に言い聞かせて真白は迎える響夜の腕の中へと潜り込んだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一度なくなった温もりが戻ってきて、空白が埋まる安心感に浸ろうとしていたのに、不愉快な気配に目を開けた。
真白の寝息が聞こえてくるまで待ち、そっとベッドから抜け出す。
ベッドが揺れても起きないことを確認して、ベッドサイドテーブルに置いていたスマホを手に取り、リビングへと移動した。
夜も深い時間だが、今夜が満月だからか明かりを点けなくても支障はない。
窓辺に近づいて、ここ最近よく電話をする相手へと電話を掛けた。
普通ならこんな時間にと思われそうなものだが、すぐに相手は出た。
「雅、今いいか?」
「なに? まだ聞きたいことがあるの?」
めんどくさそうに話す雅の声の向こう側では、大音量の音楽と騒がしい話し声が聞こえてくる。
「真白とバーでいつも一緒にいるロリータファッションの男がいるだろ? そいつの連絡先が知りたい」
「はぁ? なんでよ」
「俺のテリトリー内のものに干渉したからだ」
「ったく……今、近くにいるから電話を変わるよ」
雅の声が遠くなり、誰かを呼んでいるのが聞こえる。
その待ち時間に、響夜は寝室を覗いて、真白が起きてしまっていないか確認した。
自然と口元が上がるのが分かったが、電話口の相手が変わったことに気がつくと、口角は下がっていった。
「電話変わったけど、何?」
どこか面白がるような声の気配に、響夜の声は低くなった。
「どういうつもりだ?」
「なんのことかな」
「とぼけるなよ。真白の夢に干渉してるだろ……夢魔」
「へー、そういうことに気がつくってことは、あんたもこっちの人間? 僕は、彼女が少しでもリラックス出来るようにしただけだよ」
「リオン、響夜は淫魔だよ」
少し離れた位置から、雅が響夜がどの種族なのかを説明する声が聞こえてくる。
まだ真白にも話せていないのに、周りに知られるのは不本意だが仕方がない。
「ふーん、淫魔ね。だったら、問題なくない?」
「は?」
「だって、淫魔って本命っていうか運命の相手は持たないんでしょ? 基本的に、渡り歩いて精気を得ていく。彼女のことだって本気じゃないってことじゃん。噂じゃ、いくらでも提供元がいっぱいあるみたいだし……本気じゃないなら、彼女から離れてくれない?」
「勝手に決めつけるなよ。部外者が」
「僕はただマシロに傷ついてほしくないだけだよ」
その言葉を最後に、電話は切られた。思わず舌打ちをしてからスマホはテーブルに置いた。
以前の香水の香りでも腹がたったが、今回はそれ以上だ。
同じ人外者が、響夜が自分のものだと思う存在に手を出したのだから。
腹立たしい気持ちを抱えたまま、寝室に戻って真白の隣に滑り込んだ。
忠告は聞いたのか、真白の中から夢魔の気配は消えていた。
ただ薄っすらと残っており、その発生元は真白の着けている革のブレスレットからだった。
恐らくは前回、プレゼントとして貰った物なのだろうが、心に醜い嫉妬が渦巻く。
愛する女が、別の者からのプレゼントを身に着けている。
真白の体をぎゅっと抱きしめ、次のデートの時には、絶対にアクセサリーを買いに行こうと頭の中にメモをして眠りについた。
毎度のことだが、生理中は眠気が強く、痛みが酷く、動くのが億劫だ。
それでも、お腹が空いたなと思った真白は、どうにか起き上がり、キッチンへと向かった。
こんな時のために、ゼリー飲料やバータイプの栄養補助食品が棚にしまわれている。
温かいお茶だけ欲しい気がしたが、次の瞬間にはめんどくさくなってしまう。
ひざ掛けを肩からかけて、ソファに座って栄養補助食品をかじりながら、常温の水を飲んで流し込み、そのまま横になってクッションに沈み込んだ。
本当は、血になるようなものや体を温めるものを食べたほうがいいのだろうが、キッチンに立ち続けるのは厳しかった。
もともと貧血気味の真白は、生理の時にはもっと酷くなる。
まだ少しめまいがするくらいだが、酷くなるかもしれない。
響夜には悪いことをしたが、酷い時期が土曜日と日曜日で良かった。
仕事の時は、無理して行くのがしんどいのだ。
座っている時間が長いし、立ち上がる時に感じるあのなんとも言えない感覚が嫌いだ。
その点、休みなら一人で耐えればいい。
横になっているうちに、うとうとしはじめたがチャイムが鳴って真白の意識を引き戻した。
(あっ、響夜が来るんだった)
はっと急に体を起こしたせいで、わずかなめまいを覚えたが、どうにか立ち上がりインターホンに出た。
「はい」
「響夜だけど、開けてくれる?」
言われた通りオートロックを外し、しばらく壁に寄りかかって待っていると、ドアホンが鳴った。
鍵を開けて扉を開けば、驚いた顔をした響夜が立っていた。
「わざわざありがとう……って、へっ?」
無言で膝がけに包まれた真白を抱え上げた響夜は、靴を蹴り脱いて部屋に上がると、ソファで優しく下ろした。
昨夜の電話では、顔を見て手渡したら帰ると言っていただけに、この行動がなんなのか分からなくて戸惑うばかりだ。
「どうしたんですか?」
「それ言う? 自分の顔色に気がついてないの?」
「顔色ですか?」
今日はまだ鏡を見ていなかった真白には、響夜がなぜそんなに深刻そうなのかが分からない。
「かなり顔色が悪い。それに、手先も冷たいじゃないか」
「私は冷え性なんですよ。だから、仕方がないんです」
会社ではどうにか自分を繕うことができるが、自宅ということで気を抜き過ぎたかもしれない。
でも、化粧をする気も、着替える気にもならない。
なんなら、心配するなら早く帰って一人にしてくれないかなとさえ真白は思っていた。
「荷物まとめて」
オートロックだから、最悪眠ってしまっても響夜は勝手に帰るだろうと、すこし微睡んだ瞬間、意味の分からない言葉が耳に飛び込んできた。
「どうしてですか?」
「ごめん。そんな顔色の悪さを見たら一人にしておけない。絶対にこれが必要ってものがあるなら用意して。それ以外は、後で買いに行くから」
「で、でも」
「今回は、真白の意見は聞かない。特にないなら、もう行くよ?」
真剣な面持ちで言われ、真白は慌てて寝室と脱衣所に愛用の品を取りに行った。
小さめのボストンバッグにそれらを詰め込み、ゆったりしているが外に出られる服装に着替え、リビングで待つ響夜に準備が出来たことを告げれば、無言で近づいてきて抱き上げようとされた。
「車まで自分で歩けるから大丈夫」
「でも、辛そうだよ?」
「さすがに、これからも住む場所で抱えられて運ばれるのは、さすがに恥ずかしいからやめて」
「別に気にしなくていいのに」
そう言いながらも、ボストンバッグを持ってくれるだけに留めてくれた。
響夜のマンションと違い、真白の住むアパートにはエレベーターはない。
三階建てだから仕方がないのだが、こうして体がしんどい時には上がるのも厳しいときもある。
部屋を出て二人で階段を下りきった所で、真白はあることに気がついた。
「車はどこに停めたんですか?」
「ん? 隣のコインパーキングだよ」
アパートには、限られた台数しか駐車スペースがなく、真白が入居する時には、全てが埋まっていた。
それでも、一台分は空いていたのだが、最近カーシェアリングの車が停まるようになって埋まってしまった。
真白は車の免許すら持っていなかったし、響夜は毎回電車だったため、すっかり考えておらず、訪ねてくる時の交通手段なんて頭になかったのだ。
「さあ、乗って」
精算機で料金を払った響夜に案内され、勧められるまま助手席に座り、ドアを閉めてくれた響夜を目で追えば、運転席から後部座席にボストンバッグを置いていた。
言われる前にシートベルトを装着して、質のいいシートに体を預けてひざ掛けをかけた。
「それじゃあ、行こうか」
乗り込んだ響夜は、真白がシートベルトをしているのを確認すると車を走らせ始めた。
以前に送ってもらったときにも感じたことだが、彼の運転は滑らかで心地よい。
速度を上げたり、急ブレーキを踏んだりしないからその安心感で、真白はウトウトしてしまった。
誰かの車に乗せてもらっているのに、寝るなんて失礼だとどうにか起きていようと努力するが、まぶたが重くなっていく。
生理の時は、決まって痛みと眠気が強く出てしまう。
「眠っていいよ。起きていなくちゃとか考えなくていいから」
その言葉を最後に、真白は真っ暗な海を漂い始めた。
車の揺れと車内に流れる音楽、陽の光も相まって勝てるわけがなかったのだ。
次に目を覚ました時には、ソファの上で横になっていた。
窓の外に目をやれば、さほど時間が経っていないことがわかる。
「響夜?」
部屋の中に人の気配がしなくて名前を呼んでみたが、返事が返ってくることはなかった。
トイレの場所を聞きたかったがいないのなら仕方がない。
真白は立ち上がると、一人掛けソファに置かれているボストンバックから生理用品を手にすると、トイレを探しに行こうとして、テーブルの上に一枚の紙が置いてあることに気がついた。
『少し買い物に行ってきます。真白が起きる前に帰るつもりだけど、起きてしまったらごめん。冷蔵庫の物は好きに食べたり飲んだりしてね。追伸、トイレはリビングを出て二つ目の扉だよ』
綺麗な字で書かれたメモにありがたく思いながらトイレを済ませた。
家主が居ない間に、他の扉を開けるのは良くないなと思った真白が、リビングに戻ってひざ掛けを手にしたところで、玄関の扉が開閉する音が聞こえてきた。
痛みがあったが、荷物が多かったら大変だろうと玄関に向かおうと動いたが、響夜の動きの方が早かったのか、リビングの扉を開くと、目の前に来ていた。
「お、おかえりなさい」
自分の家でもないのにと思いながらも、口から出た言葉をなかったことにすることはできない。
「ちょっ、響夜?」
どうしたものかと思ったが、どさっという音に驚けば、響夜は足元に手にしていた物を落として真白をぎゅっと抱きしめた。
「ただいま。いいな、真白におかえりって言われるの」
「そうなんですか?」
「うん。なんか、新婚みたいでいいね」
「そう……ですね」
真白にとっても、一人暮らしを始めてから「おかえり」と言ったのは初めてのことで、自然と口にしていたことが驚きだった。
だが、不思議と悪い気はしない。
「それよりも、起きていて大丈夫なの?」
「今は動けないほどではないです。メモに買い物に行ってくると書いてあったので、荷物が多いと大変かと思って」
「大丈夫だよ。ほらほら」
足元の荷物を拾った響夜は、そのまま真白を抱き上げ、リビングに入ってキッチンのカウンターに下ろすと、キッチンに入って買ってきた物を冷蔵庫にしまい始めた。
勝手に女性の家を渡り歩いているというイメージしか持っていなかった真白は、冷蔵庫の中やキッチンに並ぶスパイスの充実ぶりに目を丸くした。
よく見れば、調理器具に関しても、真白の家よりも揃っているくらいだ。
何もすることができずに座っている真白の前に食材を並べ、鍋とやかんでお湯を沸かし始めた。
「今、食べやすい野菜のスープを作るから、ちょっと待ってね。後は、ホッカイロも買ってきたから貼って」
「ありがとう」
手渡されたのは、普通のカイロではなく女性の冷えに特化した商品のものだった。
普段、ドラッグストアで目にはしていたが手に取ることのなかった品に、裏の説明を細かく読んでいき、一つ取り出して一枚多めに着ているシャツの腹部に貼り付けた。
「これ飲んで待ってて、すぐに出来るから」
差し出されたのは、カモミールティーだ。
戸棚から出したわけではなく、買い物袋から出てきたところから見ても、常備しているのではなくわざわざ買ってきてくれたのだろうか。
カップを両手で包みこんで、じんわりと指先を温める熱にほっと息を吐いた。
「ありがとう。後で、買った物の金額を、痛っ!」
わざわざ、ないものを買ってきているのだから、その料金を支払うのは当然だと思っていた真白が、金額について口にした途端、響夜は彼女の額にデコピンをした。
なかなか容赦のない力で指で弾かれ、真白は片手で額を押さえた。
「ちょっと、なんで」
「俺がしたくてしたことだから、金は受け取らないからね。真白は、俺にただ世話を焼かせてくれればいいんだよ」
カウンターに肘をついて、響夜は真白の顔を覗き込みながら、怒ったような顔をしてみせた。
親にさえ分かってもらえなかった生理痛の痛みは、いつだって一人で耐えてきた。
実家を離れてから、むしろ一人で耐えるという意味では気が楽で、こんな風に誰かに面倒を見られる光景なんて想像したことなどない。
じんわりと、カップの温かさと同じように、胸の奥にも温かさが染み渡っていく。
「食事はカウンターよりも、向こうのテーブルにしよう。このマットをセットしておいてくれる?」
青と紫色のランチョンマットを手渡され、何かしていないと落ち着かないといった様子の真白に、気をつかって仕事を与えてくれた。
いつの間にか暮れていた外が見える窓辺のテーブルに、向かい合う形でランチョンマットを敷くと、トレーに食器を乗せて運んでくれた響夜が、真ん中にパンの入ったカゴを置いて、マットの上にスープの入った白いスープボウルを置きスプーンをセットした。
「温かいうちに食べよう」
「いただきます」
「召し上がれ。食べられそうなら、パンも食べな」
朝も適当な食事しかしていなかった真白にとって、きちんと食事と呼べるものを食べたのは、今日はこの食事が初めてだ。
スープは生姜の味がするが辛すぎず、野菜の旨味が感じられる。
「……美味しいです」
「それならよかった」
白いパンもほんのりと温かく、ふわふわとした食感から二つもぺろりと平らげていた。
「ご馳走様でした」
「口にあったならよかった。なんだか、眠そうだね」
「そんなことない。子供じゃあるまいし」
と言ってみたものの、実は本気で眠くなっていた。
生姜のスープが利いているのか、体がポカポカしているし、生理の時特有の眠気が襲いかかっている。
「そこで寝てな」
「せめて洗い物は私が」
「手が冷えるからだめでーす。大人しく寝てなよ」
クッションまで用意され、横になるように促されてしまい、体には毛布を掛けられてしまえば、とうとう真白は目を閉じていた。
心と体、両方の温かさを感じながら眠った真白は、夢を見た。
普段はあまり夢を見ないし、見たとしても一人か、建物の中にいる夢しか見ないのに、今回は違った。
森の中を歩いていて、辿り着いた先には湖があり、木々の間にハンモックをかけたリオンが笑って手招きしていた。
森の中を歩いている時は不安感でいっぱいだったのに、見知った顔を見て真白は駆け寄った。
勧められるままハンモックに横になれば、リオンは美しい声で歌い始めた。
これまで歌っているところなんて見たことがなかったのに、彼ならこんな感じなのではないかと思わせるものだった。
その夢の中でも、心地よい風を感じながら真白は眠り始めた。
目を覚ませば、部屋の中は真っ暗で、体の下の感触はソファではなくなっている。
背中から腰にかけて、ピッタリと響夜がくっついていて、温もりが伝わってきて、すぐに真白を眠りへと誘った。
しかし、一度トイレに行っておきたかった真白が身じろげば、掠れた声が「どうしたの?」と問いかけてきた。
一瞬、抱きしめている腕に力が加わったが、トイレに行きたいだけだと伝えれば、腕の力は弱まって解放してくれた。
手早く済ませて戻れば、ベッドに近づくのに合わせて腕を上げて迎え入れてくれる。
「離れて眠ったほうが、疲れないんじゃないですか?」
「いいから、早く。二人で眠った方が温かいでしょ」
これ以上の問答は睡眠の邪魔だと、自分に言い聞かせて真白は迎える響夜の腕の中へと潜り込んだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一度なくなった温もりが戻ってきて、空白が埋まる安心感に浸ろうとしていたのに、不愉快な気配に目を開けた。
真白の寝息が聞こえてくるまで待ち、そっとベッドから抜け出す。
ベッドが揺れても起きないことを確認して、ベッドサイドテーブルに置いていたスマホを手に取り、リビングへと移動した。
夜も深い時間だが、今夜が満月だからか明かりを点けなくても支障はない。
窓辺に近づいて、ここ最近よく電話をする相手へと電話を掛けた。
普通ならこんな時間にと思われそうなものだが、すぐに相手は出た。
「雅、今いいか?」
「なに? まだ聞きたいことがあるの?」
めんどくさそうに話す雅の声の向こう側では、大音量の音楽と騒がしい話し声が聞こえてくる。
「真白とバーでいつも一緒にいるロリータファッションの男がいるだろ? そいつの連絡先が知りたい」
「はぁ? なんでよ」
「俺のテリトリー内のものに干渉したからだ」
「ったく……今、近くにいるから電話を変わるよ」
雅の声が遠くなり、誰かを呼んでいるのが聞こえる。
その待ち時間に、響夜は寝室を覗いて、真白が起きてしまっていないか確認した。
自然と口元が上がるのが分かったが、電話口の相手が変わったことに気がつくと、口角は下がっていった。
「電話変わったけど、何?」
どこか面白がるような声の気配に、響夜の声は低くなった。
「どういうつもりだ?」
「なんのことかな」
「とぼけるなよ。真白の夢に干渉してるだろ……夢魔」
「へー、そういうことに気がつくってことは、あんたもこっちの人間? 僕は、彼女が少しでもリラックス出来るようにしただけだよ」
「リオン、響夜は淫魔だよ」
少し離れた位置から、雅が響夜がどの種族なのかを説明する声が聞こえてくる。
まだ真白にも話せていないのに、周りに知られるのは不本意だが仕方がない。
「ふーん、淫魔ね。だったら、問題なくない?」
「は?」
「だって、淫魔って本命っていうか運命の相手は持たないんでしょ? 基本的に、渡り歩いて精気を得ていく。彼女のことだって本気じゃないってことじゃん。噂じゃ、いくらでも提供元がいっぱいあるみたいだし……本気じゃないなら、彼女から離れてくれない?」
「勝手に決めつけるなよ。部外者が」
「僕はただマシロに傷ついてほしくないだけだよ」
その言葉を最後に、電話は切られた。思わず舌打ちをしてからスマホはテーブルに置いた。
以前の香水の香りでも腹がたったが、今回はそれ以上だ。
同じ人外者が、響夜が自分のものだと思う存在に手を出したのだから。
腹立たしい気持ちを抱えたまま、寝室に戻って真白の隣に滑り込んだ。
忠告は聞いたのか、真白の中から夢魔の気配は消えていた。
ただ薄っすらと残っており、その発生元は真白の着けている革のブレスレットからだった。
恐らくは前回、プレゼントとして貰った物なのだろうが、心に醜い嫉妬が渦巻く。
愛する女が、別の者からのプレゼントを身に着けている。
真白の体をぎゅっと抱きしめ、次のデートの時には、絶対にアクセサリーを買いに行こうと頭の中にメモをして眠りについた。
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――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
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