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忠義の回想
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――10年前。
丁度お嬢様......リーゼロッテ様に初めてお会いした日のことでした。
世間では大豚令嬢などと不名誉な噂を流され、すっかり塞ぎ込んでしまったところ、丁度同じ年代の私がリーゼロッテ様のお世話役として任命されました。
私の年齢はこの時、12、リーゼロッテ様は8歳の時です。
当時、ひ弱でうじうじとしていた私は、リーゼロッテ様の侍女ということもあり、侍女たちの虐めの的でした。いい噂がひとつもない、醜い姿と罵られるリーゼロッテ様。不遜にも場違いな告白をした羞恥者。
当時の私はそれはもう、リーゼロッテ様の侍女というのがコンプレックスだったのです。
転職も考えましたが、女性がつける職業というのは限られてきており、実績もない人間が、別の貴族の屋敷で侍女として雇われるのは厳しい。
私はお金の為、生活していくために、アミュレット伯爵家で働くしか選択肢はなく、日々を不満と不安を抱いて過ごしていました。......そんなある日。
★
「......あなた、いつも傷を作っているけど。どうして傷だらけなの?」
私のお仕事は早朝から雑務をこなすことから始まります。他の侍女仲間たちに押し付けられた仕事、屋敷の掃除や洗濯なども含まれます。
冬なんて、手がかじかんで、あかぎれができてしまうほど、大変だし、苦労しました。
一人でこなせる量を超えているのに、言われた時間内に出来てなければ叩かれたり、暴言を図れてしまう。肉体的にも、精神的にも参った時。
ある日、リーゼロッテ様にそんなことを言われました。日中からリーゼロッテ様がお休みになるまでは、休憩時間を除いて、リーゼロッテ様の部屋の扉の前で待機し、申しつけられたことをこなすのが私の仕事。
自分の仕事を全うしている最中、8歳のリーゼロッテ様は、癖毛の赤毛の間から、碧眼をちらりと動かして、淡々とそんなことを私に問うたのです。
たしかに、私の頬には打撲痕に効く薬草が塗られたガーゼが。手や首元にはところどころ傷があります。誰だって気にしてしまうかもしれません。
「......転んだ、のです」
「嘘はつかなくていいわ。頬の後は誰かに殴られた後だって明白だし、手はあかぎれだらけで、擦り傷だらけ。まるで第三者にやられたような後だわ」
リーゼロッテ様は読んでいた本を閉じた。この時、初めてリーゼロッテ様とまともな会話をした気がする。お饅頭のようにふんわりとした体型、ふわふわと綿あめみたいな綺麗な髪の毛。ちょっと不摂生をしているのだろう。目の下にはクマがあって、暗い顔をしている。
リーゼロッテ様の的確な指摘に、なにも言えなくなる。否、本当のことを言ったところで、彼女を傷つけてしまうかもしれない。だって――。
(あなたのせいで、虐められてますなんて......人間関係で傷ついた彼女には言えない)
私にも人の心はありますし、自分の性格がほぼ原因なのはわかっています。口を開けば、誰かのせいにしそうで怖かった。
何度、侍女仲間に殴られた時、リーゼロッテ様の侍女に配属されなければ、と願っただろう。彼女自体は悪い容姿ではないのだが、噂が全て私の侍女生活の邪魔をする。
おどおどとした目でリーゼロッテ様を見て、翡翠の瞳と目が合う。澱んではいるが、どこか、生気の宿っている......そんな瞳だ。
リーゼロッテ様は私の顔色を見て盛大にため息をついた。......私、態度が顔に出てしまっていたのでしょうか? しかし、違うようでした。リーゼロッテ様はベッドから降りると、机の引き出しを漁って、高そうなハンドクリームを出してくれた。
「薬用のハンドクリームよ。そのあかぎれをまずは治しなさい。......後、洗濯とかしばらくやんなくていいから。私の傍についていて」
「え、......でも」
リーゼロッテ様の言うことに従う他はないものの、それはリーゼロッテ様の一存では決められないはず。侍女の仕事に口を出すなら、まずは侍女長を通すか、雇用主である伯爵様に話をもっていかないと行けないのに。
そういうと、リーゼロッテ様は腕を組んだ。
「私の専属侍女なんだから、何を命令しようと私の勝手でしょ。お父様も私が不便をしないように、専属侍女をつけてくれたわけなんだから。お父様もきっといいと言うわ。なんだかんだで、私に甘い人だから」
自分の発言に堂々とした物言い......これはあの、悪評高いリーゼロッテ様なのでしょうか?
根暗で自分の意見は言えず、しかし傲慢で身の程知らず。醜い身なりで、身分違いの恋に思いを馳せている勘違い大豚令嬢――というのが世間での彼女の印象だ。
しかし、そんな印象とは正反対の、少々強引な物言いだが、その言葉の節々には私への思いやりが感じられた。一塊の使用人である私に、だ。
リーゼロッテ様は机にあった呼び鈴をちりん、ちりんとならす。私が呆然としている間に他の侍女を呼んだ。
呼び鈴に応じた侍女は私を虐めていた侍女の一人。怪訝な顔でやってきた侍女仲間は派手めな顔をしかめて、「なんの御用でしょうか」と不遜にも、威圧的な態度でリーゼロッテ様に命じる。
「今後、起床から就寝まで、付きっ切りで私の世話をこの子にしてもらうから。無駄に雑務を押し付けないように頼むわね......あなた......ええっと」
「ブルーベル、です」
リーゼロッテ様に最初にお会いした時に名乗ったはずだけど、やはり、覚えていなかったようだ。苦笑しつつも、リーゼロッテ様は侍女に言葉を続けた。
「ブルーベルが現在抱えている仕事はあなたに任せるから」
「恐れながら、仕事の差配は私の一存でどうにかなるものでは有りません。仕事の割り振りは侍女長がしておりますし、雇用主はアミュレット伯爵様です。――お嬢様に命令されるいわれは......」
侍女仲間は、はっと嘲笑を浮かべる。傲慢無知に命令するお嬢様に向けて、馬鹿にしているのだと馬鹿な私にもわかる。しかし、お嬢様は怯むことなく、侍女の前に行くと、侍女に屈むように命令し、そのまま――
――バチンッ
「おまえはいつから貴族を小馬鹿にできるような身分の高い役職を頂いたの?それに、お父様はブルーベルを私の専属侍女に任命したのだから、その侍女をどう扱うかは私にも口を出す権利はあると思うのだけど」
「そ......それは」
たしかに、私の仕事の優先順位の第一はリーゼロッテ様のお世話であり、それは周知の事実だ。そのリーゼロッテ様が「自分の身の回りの雑務を優先する」という命令を下すのは当然だ。
言い返せない侍女に、さらにリーゼロッテ様は追い打ちを掛けるように、ぴしゃりと言葉を打った。
「おまえの言い分だと、仕事を割り振るのは侍女やお父様の仕事だというけれど、ブルーベルに無茶難題な仕事を押し付け、あまつさえ怪我をさせた件についてはどう思うの?おまえこそ、自分の言っている道理に反しているという自覚はあるのかしら」
まさしく、痛いところをつかれたと言わんばかりに、侍女は唇を噛んだ。侍女長が仕事を割り振ることを引き合いに出すなら、今自分が行っている行為は違反する行為だということを裏付ける発言。
リーゼロッテ様はわかりやすく、侍女に向けてため息を吐いた。
「おまえほど愚かな使用人を相手にするのは久しぶりだわ。......今回の件は色をつけてお父様に報告させてもらうから、楽しみにしていることね」
私に怪我をさせたことを含めて報告する気でいるリーゼロッテ様。このことが伯爵様に伝われば、目の前にいる侍女はただでは済まないし、それを見過ごしていた侍女長にも監督不足だと指摘されるだろう。
私に危害を加えた人間はただでは済まない、重い罰だ。最悪、解雇されてもおかしくはない。
女は就職するのに困難。さらには数少ない働き口である、貴族の侍女や使用人なんて......。そう簡単になれない。それに、経歴に傷がついたらどこにも雇って貰えない。
同じ職場仲間を傷つけ、あまつさえ、令嬢に暴言を吐いたとなればいい笑い者だ。
侍女はお嬢様の足元に縋りついて泣きついた。
「お許し下さい......!私が愚かでしたっ......!」
「......そう。物分かりのいい子ね」
リーゼロッテ様は冷ややかに侍女を見下ろすと、興味を失くしたように視線を逸らした。ベッドへ言って寝そべると、また本を開き、活字に視線を滑らす。
「もういいわよ。侍女長にはあなたから伝えておきなさい。......ブルーベル」
「は、はい!」
リーゼロッテ様は視線だけ、こちらによこして口を開いた。
「なにをしているの。紅茶とお菓子を持ってきて。お菓子は甘味堂のモンブランが厨房にあるはずだから料理長に言って出してもらって。茶葉はアッサムのミルクティー......あ、いや。ストレートでいいわ」
「えっ......あ!今すぐ持ってきます!」
私が返事をすると、リーゼロッテ様はほほ笑んだ――一瞬そんな気がした。すぐに無表情に戻ると、それ以上言葉を紡ぐことなく、視線を落とした。
ここまで、侍女に対して真摯に、思いやりのある対応をしてくれる人はいるのだろうか。侍女なんて道具のように使い潰されて当然だし、こういう侍女のいざこざはよくあること。
なのに、なんでリーゼロッテ様はまだ、数度した会話をしたことのない......専属侍女になったばかりの私にここまで優しくしてくれるのだろう。
......わからない。
私はリーゼロッテ様からいただいた、ハンドクリームを落とさないようにしっかりと握りしめる。......胸がきゅうっと、締め付けられる心地よい感覚が広がった。
★
リーゼロッテ様はお優しい。いや......無慈悲なところもあるが、自分に好意を向ける相手や、仕える相手に対しては無碍に扱わない。下々のものにもキチンと目を向けて、真摯に接してくれる。
私はそんなリーゼロッテ様の対応になれなくて、質問をした。
「リーゼロッテ様は、どうして私にここまでよくしてくださるんですか?私なんて一塊の使用人に過ぎないし、リーゼロッテ様のお役にもまだまだ立てていないのに......」
「悪意より、好意を向けられた方が仕事はしやすいし、私に仕えてくれているのだから、それなりの対応を取るのは当たり前でしょ。気持ちよく仕事をしてもらいたいもの。私の下についたから、その人が不憫な態度を取られるのって基本的に我慢ならないの。......だって、私が経験してきてるから。せめてよくしてくれる人間に対しては不利にならないように立ち回りたい」
リーゼロッテ様は眉を潜め、悲し気な表情を浮かべます。......こんな小さな子供にここまで言わせるなんて、世界はなんて残酷なのでしょう。
8歳の子供なら遊びたい盛りなのに、世間の噂のせいでリーゼロッテ様は外にでれなく、家でも気を使う日々。もしかして、外に出ない理由って、醜聞でお父上に被害が及ばないようにするため......。
私の想像だけど、彼女の言動や行動でそう感じざるを得ない。であれば、この人は......。
「お嬢様――いいえリーゼロッテ様」
「なに、急に大声出して......ちょ、スカート汚れるわよ」
本から視線を話こちらを見る。私は彼女のその思いやり、そしてその優しさに敬意を表したくて。最大限の礼を尽くそうと、床に膝をついた。
リーゼロッテ様は慌てて立ち上がり、私の腕を引っ張ってくれる。
「そういうのいいから。きちんと仕事をこなしてくれればなんも文句はないし」
「はい。精一杯......リーゼロッテ様の御恩に報いるためにも、誠心誠意尽くさせていただきます」
今日助けて頂いたことは絶対に忘れない。今日陰鬱な生活を抜け出した日を絶対に覚えておく。そして、リーゼロッテ様にかけられた言葉を頭に刻みつけておこう。
「もう、立ってってば!元はと言えば、あなたが口で言わないから今回のことが起こっただけで、私が彼女たちにムカついたから喝を入れてやっただけだし......!というか、ここで跪く暇があったら、虐めてきた使用人に反論できないくらいに強くなりなさいよ!」
「はい!強くなります!......例えばどう強くなればいいのでしょうか?」
「......身体的に強くなるとか?格闘術とか......?」
リーゼロッテ様は思案顔で提案してくれます。使用人の質問にここまで真剣に答えてくれるなんて、なんて慈悲深い人なのか。
リーゼロッテ様のお答えには答えなくては。......たしかに、身体的に強くなればリーゼロッテ様を守れるし、今後このようなことがあっても、自分で解決できそうな気がする!
「かしこまりました。…...格闘術を習います!そしてリーゼロッテ様を守れるくらいに強くなりますね!じゃあ、ここに置いてある使用済みの着替えを洗濯してきます!」
「......半分、冗談なんだけど。って......いっちゃった」
これが、私とリーゼロッテ様の出会い。そして、私がリーゼロッテ様を敬愛する事件となったお話です。私は、救ってくれたリーゼロッテ様へ御恩を返すために、一生涯を掛けて守ると誓ったのに......。
丁度お嬢様......リーゼロッテ様に初めてお会いした日のことでした。
世間では大豚令嬢などと不名誉な噂を流され、すっかり塞ぎ込んでしまったところ、丁度同じ年代の私がリーゼロッテ様のお世話役として任命されました。
私の年齢はこの時、12、リーゼロッテ様は8歳の時です。
当時、ひ弱でうじうじとしていた私は、リーゼロッテ様の侍女ということもあり、侍女たちの虐めの的でした。いい噂がひとつもない、醜い姿と罵られるリーゼロッテ様。不遜にも場違いな告白をした羞恥者。
当時の私はそれはもう、リーゼロッテ様の侍女というのがコンプレックスだったのです。
転職も考えましたが、女性がつける職業というのは限られてきており、実績もない人間が、別の貴族の屋敷で侍女として雇われるのは厳しい。
私はお金の為、生活していくために、アミュレット伯爵家で働くしか選択肢はなく、日々を不満と不安を抱いて過ごしていました。......そんなある日。
★
「......あなた、いつも傷を作っているけど。どうして傷だらけなの?」
私のお仕事は早朝から雑務をこなすことから始まります。他の侍女仲間たちに押し付けられた仕事、屋敷の掃除や洗濯なども含まれます。
冬なんて、手がかじかんで、あかぎれができてしまうほど、大変だし、苦労しました。
一人でこなせる量を超えているのに、言われた時間内に出来てなければ叩かれたり、暴言を図れてしまう。肉体的にも、精神的にも参った時。
ある日、リーゼロッテ様にそんなことを言われました。日中からリーゼロッテ様がお休みになるまでは、休憩時間を除いて、リーゼロッテ様の部屋の扉の前で待機し、申しつけられたことをこなすのが私の仕事。
自分の仕事を全うしている最中、8歳のリーゼロッテ様は、癖毛の赤毛の間から、碧眼をちらりと動かして、淡々とそんなことを私に問うたのです。
たしかに、私の頬には打撲痕に効く薬草が塗られたガーゼが。手や首元にはところどころ傷があります。誰だって気にしてしまうかもしれません。
「......転んだ、のです」
「嘘はつかなくていいわ。頬の後は誰かに殴られた後だって明白だし、手はあかぎれだらけで、擦り傷だらけ。まるで第三者にやられたような後だわ」
リーゼロッテ様は読んでいた本を閉じた。この時、初めてリーゼロッテ様とまともな会話をした気がする。お饅頭のようにふんわりとした体型、ふわふわと綿あめみたいな綺麗な髪の毛。ちょっと不摂生をしているのだろう。目の下にはクマがあって、暗い顔をしている。
リーゼロッテ様の的確な指摘に、なにも言えなくなる。否、本当のことを言ったところで、彼女を傷つけてしまうかもしれない。だって――。
(あなたのせいで、虐められてますなんて......人間関係で傷ついた彼女には言えない)
私にも人の心はありますし、自分の性格がほぼ原因なのはわかっています。口を開けば、誰かのせいにしそうで怖かった。
何度、侍女仲間に殴られた時、リーゼロッテ様の侍女に配属されなければ、と願っただろう。彼女自体は悪い容姿ではないのだが、噂が全て私の侍女生活の邪魔をする。
おどおどとした目でリーゼロッテ様を見て、翡翠の瞳と目が合う。澱んではいるが、どこか、生気の宿っている......そんな瞳だ。
リーゼロッテ様は私の顔色を見て盛大にため息をついた。......私、態度が顔に出てしまっていたのでしょうか? しかし、違うようでした。リーゼロッテ様はベッドから降りると、机の引き出しを漁って、高そうなハンドクリームを出してくれた。
「薬用のハンドクリームよ。そのあかぎれをまずは治しなさい。......後、洗濯とかしばらくやんなくていいから。私の傍についていて」
「え、......でも」
リーゼロッテ様の言うことに従う他はないものの、それはリーゼロッテ様の一存では決められないはず。侍女の仕事に口を出すなら、まずは侍女長を通すか、雇用主である伯爵様に話をもっていかないと行けないのに。
そういうと、リーゼロッテ様は腕を組んだ。
「私の専属侍女なんだから、何を命令しようと私の勝手でしょ。お父様も私が不便をしないように、専属侍女をつけてくれたわけなんだから。お父様もきっといいと言うわ。なんだかんだで、私に甘い人だから」
自分の発言に堂々とした物言い......これはあの、悪評高いリーゼロッテ様なのでしょうか?
根暗で自分の意見は言えず、しかし傲慢で身の程知らず。醜い身なりで、身分違いの恋に思いを馳せている勘違い大豚令嬢――というのが世間での彼女の印象だ。
しかし、そんな印象とは正反対の、少々強引な物言いだが、その言葉の節々には私への思いやりが感じられた。一塊の使用人である私に、だ。
リーゼロッテ様は机にあった呼び鈴をちりん、ちりんとならす。私が呆然としている間に他の侍女を呼んだ。
呼び鈴に応じた侍女は私を虐めていた侍女の一人。怪訝な顔でやってきた侍女仲間は派手めな顔をしかめて、「なんの御用でしょうか」と不遜にも、威圧的な態度でリーゼロッテ様に命じる。
「今後、起床から就寝まで、付きっ切りで私の世話をこの子にしてもらうから。無駄に雑務を押し付けないように頼むわね......あなた......ええっと」
「ブルーベル、です」
リーゼロッテ様に最初にお会いした時に名乗ったはずだけど、やはり、覚えていなかったようだ。苦笑しつつも、リーゼロッテ様は侍女に言葉を続けた。
「ブルーベルが現在抱えている仕事はあなたに任せるから」
「恐れながら、仕事の差配は私の一存でどうにかなるものでは有りません。仕事の割り振りは侍女長がしておりますし、雇用主はアミュレット伯爵様です。――お嬢様に命令されるいわれは......」
侍女仲間は、はっと嘲笑を浮かべる。傲慢無知に命令するお嬢様に向けて、馬鹿にしているのだと馬鹿な私にもわかる。しかし、お嬢様は怯むことなく、侍女の前に行くと、侍女に屈むように命令し、そのまま――
――バチンッ
「おまえはいつから貴族を小馬鹿にできるような身分の高い役職を頂いたの?それに、お父様はブルーベルを私の専属侍女に任命したのだから、その侍女をどう扱うかは私にも口を出す権利はあると思うのだけど」
「そ......それは」
たしかに、私の仕事の優先順位の第一はリーゼロッテ様のお世話であり、それは周知の事実だ。そのリーゼロッテ様が「自分の身の回りの雑務を優先する」という命令を下すのは当然だ。
言い返せない侍女に、さらにリーゼロッテ様は追い打ちを掛けるように、ぴしゃりと言葉を打った。
「おまえの言い分だと、仕事を割り振るのは侍女やお父様の仕事だというけれど、ブルーベルに無茶難題な仕事を押し付け、あまつさえ怪我をさせた件についてはどう思うの?おまえこそ、自分の言っている道理に反しているという自覚はあるのかしら」
まさしく、痛いところをつかれたと言わんばかりに、侍女は唇を噛んだ。侍女長が仕事を割り振ることを引き合いに出すなら、今自分が行っている行為は違反する行為だということを裏付ける発言。
リーゼロッテ様はわかりやすく、侍女に向けてため息を吐いた。
「おまえほど愚かな使用人を相手にするのは久しぶりだわ。......今回の件は色をつけてお父様に報告させてもらうから、楽しみにしていることね」
私に怪我をさせたことを含めて報告する気でいるリーゼロッテ様。このことが伯爵様に伝われば、目の前にいる侍女はただでは済まないし、それを見過ごしていた侍女長にも監督不足だと指摘されるだろう。
私に危害を加えた人間はただでは済まない、重い罰だ。最悪、解雇されてもおかしくはない。
女は就職するのに困難。さらには数少ない働き口である、貴族の侍女や使用人なんて......。そう簡単になれない。それに、経歴に傷がついたらどこにも雇って貰えない。
同じ職場仲間を傷つけ、あまつさえ、令嬢に暴言を吐いたとなればいい笑い者だ。
侍女はお嬢様の足元に縋りついて泣きついた。
「お許し下さい......!私が愚かでしたっ......!」
「......そう。物分かりのいい子ね」
リーゼロッテ様は冷ややかに侍女を見下ろすと、興味を失くしたように視線を逸らした。ベッドへ言って寝そべると、また本を開き、活字に視線を滑らす。
「もういいわよ。侍女長にはあなたから伝えておきなさい。......ブルーベル」
「は、はい!」
リーゼロッテ様は視線だけ、こちらによこして口を開いた。
「なにをしているの。紅茶とお菓子を持ってきて。お菓子は甘味堂のモンブランが厨房にあるはずだから料理長に言って出してもらって。茶葉はアッサムのミルクティー......あ、いや。ストレートでいいわ」
「えっ......あ!今すぐ持ってきます!」
私が返事をすると、リーゼロッテ様はほほ笑んだ――一瞬そんな気がした。すぐに無表情に戻ると、それ以上言葉を紡ぐことなく、視線を落とした。
ここまで、侍女に対して真摯に、思いやりのある対応をしてくれる人はいるのだろうか。侍女なんて道具のように使い潰されて当然だし、こういう侍女のいざこざはよくあること。
なのに、なんでリーゼロッテ様はまだ、数度した会話をしたことのない......専属侍女になったばかりの私にここまで優しくしてくれるのだろう。
......わからない。
私はリーゼロッテ様からいただいた、ハンドクリームを落とさないようにしっかりと握りしめる。......胸がきゅうっと、締め付けられる心地よい感覚が広がった。
★
リーゼロッテ様はお優しい。いや......無慈悲なところもあるが、自分に好意を向ける相手や、仕える相手に対しては無碍に扱わない。下々のものにもキチンと目を向けて、真摯に接してくれる。
私はそんなリーゼロッテ様の対応になれなくて、質問をした。
「リーゼロッテ様は、どうして私にここまでよくしてくださるんですか?私なんて一塊の使用人に過ぎないし、リーゼロッテ様のお役にもまだまだ立てていないのに......」
「悪意より、好意を向けられた方が仕事はしやすいし、私に仕えてくれているのだから、それなりの対応を取るのは当たり前でしょ。気持ちよく仕事をしてもらいたいもの。私の下についたから、その人が不憫な態度を取られるのって基本的に我慢ならないの。......だって、私が経験してきてるから。せめてよくしてくれる人間に対しては不利にならないように立ち回りたい」
リーゼロッテ様は眉を潜め、悲し気な表情を浮かべます。......こんな小さな子供にここまで言わせるなんて、世界はなんて残酷なのでしょう。
8歳の子供なら遊びたい盛りなのに、世間の噂のせいでリーゼロッテ様は外にでれなく、家でも気を使う日々。もしかして、外に出ない理由って、醜聞でお父上に被害が及ばないようにするため......。
私の想像だけど、彼女の言動や行動でそう感じざるを得ない。であれば、この人は......。
「お嬢様――いいえリーゼロッテ様」
「なに、急に大声出して......ちょ、スカート汚れるわよ」
本から視線を話こちらを見る。私は彼女のその思いやり、そしてその優しさに敬意を表したくて。最大限の礼を尽くそうと、床に膝をついた。
リーゼロッテ様は慌てて立ち上がり、私の腕を引っ張ってくれる。
「そういうのいいから。きちんと仕事をこなしてくれればなんも文句はないし」
「はい。精一杯......リーゼロッテ様の御恩に報いるためにも、誠心誠意尽くさせていただきます」
今日助けて頂いたことは絶対に忘れない。今日陰鬱な生活を抜け出した日を絶対に覚えておく。そして、リーゼロッテ様にかけられた言葉を頭に刻みつけておこう。
「もう、立ってってば!元はと言えば、あなたが口で言わないから今回のことが起こっただけで、私が彼女たちにムカついたから喝を入れてやっただけだし......!というか、ここで跪く暇があったら、虐めてきた使用人に反論できないくらいに強くなりなさいよ!」
「はい!強くなります!......例えばどう強くなればいいのでしょうか?」
「......身体的に強くなるとか?格闘術とか......?」
リーゼロッテ様は思案顔で提案してくれます。使用人の質問にここまで真剣に答えてくれるなんて、なんて慈悲深い人なのか。
リーゼロッテ様のお答えには答えなくては。......たしかに、身体的に強くなればリーゼロッテ様を守れるし、今後このようなことがあっても、自分で解決できそうな気がする!
「かしこまりました。…...格闘術を習います!そしてリーゼロッテ様を守れるくらいに強くなりますね!じゃあ、ここに置いてある使用済みの着替えを洗濯してきます!」
「......半分、冗談なんだけど。って......いっちゃった」
これが、私とリーゼロッテ様の出会い。そして、私がリーゼロッテ様を敬愛する事件となったお話です。私は、救ってくれたリーゼロッテ様へ御恩を返すために、一生涯を掛けて守ると誓ったのに......。
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