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20.湖の異変

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 湖面に水しぶきが上がる。
 これはアークサンドの騎士ジャンが連れてきた共の者に裏切られ自ら陥没湖に飛び込んだ事によるものだ。
 ジャンを裏切った男達は暫く湖面を凝視していたが、ジャンが浮かんでくる様子は無い。
 魔の陥没湖に飲み込まれてしまったのだろう。

「恐ろしい湖だな」

「ああ、だがこれで任務を果たせた」

「悪く思わないで下さいよ。ジャン様」

「国に帰ろう……」

 用事が済んだ3人は陥没湖を去っていった。
 3人が去り、暫くするとまた誰かがやって来た。
 ジジとアーティアだった。
 2人はこれから買い出しに行く所だった。
 ジジの家は此処からは見えないが、陥没湖の接する森の中にある。
 ジジとアーティアの2人は4人の男が陥没湖に来ているのを確認し、森の中から様子を伺っていたのだ。
 少し距離が有るため、男達は2人に気付かなかった。


「ジジ様!」

「ティア落ち着きなさい」

「は、はい」

 アーティアは心なしか顔が青い。
 それはそうだろう、彼女自身も陥没湖に飲み込まれた経験があるのだ。
 アーティアは男が飛び込んだ場所の崖っぷちまでいくと、四つ這いで恐る恐る崖を覗き込む。
 まさにこの場所で自分も陥没湖に落とされたなど全く気付いていない様子だ。
 
 (飛び込んだ男の人も私と同じで騙されたんだわ。きっともう湖に飲まれて……)

 自分の時はジジに運良く助けられた。
 しかし、今の男の人はきっともう助からない。

「アーティア、フードをかぶりなされ」

 のんびりとした口調のジジ。
 今更男を助けられはしないし、確かに慌てても仕方がない。
 アーティアはジジが何故フードを被るように言ったのか判らなかったが言われるがままフードを被った。

 アーティアがフードを被るのを確認したジジは自身のローブの左袖に右手を突っ組むとロープを取り出す。
 とても袖にロープが入っていた感じはしなかったが、アーティアはジジの事を大賢者と思っている。
 だから普通ではあり得ない事もジジには可能なのだろうと納得した。

 ジジはロープをの一端を手に握ると湖面に向かってロープを放った。
 
「そろそろ出てきても大丈夫ですぞ」

 ジジは湖面に向かって話しかける。
 すると湖面から何かが浮かび上がって来て、先程飛び込んだ男、ジャンが顔を出したではないか。
 
「え?」

 アーティアはそれはもう驚いた。
 この湖で浮かんでいられるなんて、あり得ない事だ。
 そしてジジがフードを被るように言った理由も判った。
 ジジはこの男の人が生きているのをわかっていたのだろう。

「ロープをを伝って上がって来てくだされ」

 ジャンは吊るされたロープの元まで泳ぐとロープを掴み引っ張る。
 ロープはピンと張った。
 これなら登っても大丈夫そうだとジャンはロープを伝い、崖を登り始めた。
 崖を登りきり、ジャンが目にしたのは勿論ジジとアーティアである。
 本来はまずお礼を言うべきなのだろう。
 しかしジャンは絶句してしまう。
 ロープはてっきり近くの木に縛ってあると思ったのだが、目の前の老人が持っているではないか。
 それに近くに木はなく、ロープを固定できるようなものは何もない。
 つまり、この老人が手に持ってロープにかかるジャン自身の重みを支えた事になる。
 見た目は細い老人。
 しかしどうやら見た目に騙されてはいけないようだ。
 更に、一緒にいるもう一人の人物も怪しい。
 目深にフードを被っていて顔はよくわからない。
 小柄なので子供か女性かもしれないが、この老人の連れだとすると油断は出来ない。
 
 先程、湖に飛び込んだ時、少しでも軽くするため腰の剣は湖に捨ててしまった。
 ジャンはベルトに短剣がまだ有ることをちらりと確認し、油断なく二人に向き合う。

「助けて頂き感謝する」

 これが本当に助けられたのなら、こんなぶっきらぼうな感謝はしないだろう。
 しかし相手の魂胆が見えない。
 2人は何者か?
 何故 此処に居合わせたのか?
 先程裏切られたばかりなのだ、ジャンが警戒するのも当然だった。
 
 明らかに警戒している事を隠そうともしないジャン対し、ジジ対応はのんびりしたものだった。

「自殺、という事でも無い様でしたのでお助けしましたが、迷惑じゃったかの」

「いや、そんな事は……」

 老人の余りにのんびりした口調にジャンの警戒が少し緩む。
 二人の思惑は兎も角、助けてもらったのは事実。
 それにわざわざ助けたのに、今直ぐ殺しにかかることは無さそうだと思い直した。
 ジャンが非礼を侘び、お礼をいい直そうとした時、フードを被ったもう一人の人物が老人に話しかけた。

「ジジ様。このお方はたった今、お仲間さん達に裏切られたばかり。警戒するのも無理はありません」

 フードの人物はどうやら若い女性の様だ。
 しかし、何と美しい声だろうか。
 老人の異質さに警戒をしてしまったが、この女性もこちらを警戒しているとジャンは感じた。

 ジャンはこの女性は敵にならないなと判断した。
 彼女の身のこなし戦いに身を置くものではない。
 どちらかといえば動きに優雅さがあり、貴族のご令嬢と言われた方が納得する。
 こんな所にいる事情はわからないが、それはあちらから見た自分も同じだろう。
 それに老人の気配はどこまでも穏やかだった。
 
「ふ」

 何か必要以上に警戒していた自分が可笑しくなって、ジャンは思わず笑い声を上げる。
 ジャンは自ら警戒を解き、柔らかい雰囲気で改めてお礼を言うことにした。

「大変失礼しました。助けて頂いたというのに。私はアークサンドの騎士ジャンと申します。見ていたのでしょうが先程仲間に裏切られた為、疑心暗鬼に囚われていました。申し訳ない」

「いやいや、お気になさらずに騎士様。儂らはこの近くに住むものですじゃ。儂はジジ、こちらは孫のアーティアとですじゃ」

「あの、アーティアです……」

 アーティアはフードを深く被っていてジャンからはよく顔がわからない。
 ジャンにはアーティアと名乗る女性が人見知りかというよりは、こちらを怖がっているように見えた。 
 ジジの後ろに隠れるような位置取りである。
 
「アーティアさん、怖がらせて済まなかった」

 ジャンは誠意を込めて頭を下げた。

「いえ……大丈夫です」

 数秒後、アーティアはおどおどとした感じで返事をくれた。
 ジャンはアーティアの警戒を解こうとして話しかけようとするが、はて何を話していいのか判らず沈黙してしまう。 
 そんな沈黙の中、ジジはロープを束ねだした。
 そして束ね終えると左袖の中にしまった。
 その様子を見ていたジャンが驚きの声を上げた。

「ジジ殿、今のは一体?」

「おや、今のが解りましたか。まあそういう魔法といっておきましょうかの」

「そうですか」

 ジャンにはジジが一見ロープを袖の中に突っ込んだように見せて此処でない何処かに仕舞った様に見えた。
 ジャンはそれなりに魔法に精通している自負があったのだが、では今のがジジの魔法だったのかもよくわからなかった。
 ただ魔力の動きは軽微であるがあった。

 この国に賢者がいるという情報は得ていなかったが……
 
 ジャンがジジについて考えていると、そのジジから今後について訪ねられた。

「それで、ジャン殿はこれからどうするつもりですかな」

 ジジの言葉で現実に引き戻された。
 そうだ、これからの事を考えなければならない。

「このまま……国に帰るという訳にはいかなそうです。私は任務で死んだと報告されるでしょうから。戻るとしても手形も使えないないだろうし、対策を取らねば帰れません」

 この言葉が全ての真実ではないが、これくらいなら言っても構わないだろうとジャンは考えた。
 
 裏切った者達に命令をした者が誰かは容易に想像がついた。
 自分を殺す動機にがある者は多くはない。
 そして彼らに命令できた者でもある。
 恐らく帰ったら彼らは処分されるだろう。

 馬は連れていかれただろうから彼らより先に国境を抜けるのは難しい。
 それに手形が無効化される前に下手に国に戻って生きているのを敵に感付かれるのも得策ではない。
 かと言って敵をのさばらせる訳にもいかない。
 だとすれば、手は一つ。
 それで時間は稼げるだろう。
 その間に国に戻る手立てを考えなければならない。
 ならないのだが、それより何よりも先に解決しなければならない問題があった。
 ジャンは重しになって邪魔だからと財布ごと湖にくれてやった。
 つまりは無一文だった。
 こうしてみると中々厳しい状況である。

 こうなったら、とりあえず言うしか無いようだ。
 ジャンは覚悟を決める。

「ジジ殿、助けて頂いたついでにもう一つ助けていただけないだろうか」

 ジャンは爽やかに笑いながら言った。
 それに対して、ジジの返事では無くアーティアからの質問があった。

「あの……そのお話の前にお聞きしたい事があります。質問していいでしょうか」

「ふむ、何でしょう。答えられる事ならいいが」

 何を聞きたいのかはわからないが、お金なら後で10倍にして返すとしか今は言えないな、などと思っていたがアーティアの質問は思いがけない物だった。

「ありがとう御座います……ジャン様はどうして湖に飲み込まれなかったのですか?」

 その質問にジャンはアーティアの意図が判らず直ぐには答えられなかった。
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