儀式の夜

清田いい鳥

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6 アボカドサラダ

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「……さてと。これで大丈夫かな。あと一週間もないわけだし、しばらく手荷物程度で暮らせるだろ」
「ごめんな友星。掃除までやってもらってさ。うちの親たちがやること全部なくなったかも」

「いやー、ひとり暮らしだからっていってもこれだけダンボール要るわけだし。前日になったらあれやってないこれやってないー、が出てくるかも。部屋を空にするのって大変だから。オレの姉ちゃんたちの引越しなんて——」

 以前よりずっと顔色が良く、肉付きも良くなってきた友星は昔のような動きやすい服を着て、業者かと思うほどにテキパキと働いてくれた。俺は何度も『寝とけお前は』『いいから休め』と手を止めさせられ、特に何かをした実感もないまま作業は終わった。

 せめて食事くらいはと用意をしておいたのだが、友星もすぐ食べられるものを持ってきてくれていた。協議の結果、友星が持ち込んだものは夕飯用にしようと冷蔵庫へ。こんなに食べられそうにないと言ったら、『どうせ泊まってくから』と返された。

 そっか、そうだな。……なんてサラッと言ったつもりではあるが、動揺を隠し切るのに大変だった。もちろんこれだけやってもらいながら、宿を提供しないなんて不義理である。そんなことは絶対考えていない。

 しかし『じゃあ帰るわ』と言われたときのメンタル降下の心配しかしていなかった俺は、まだ居てくれることが確定した高揚感の処理などひとつも想定していなかった。胸が痛い。病的ではなく心理的な意味での痛みを感じる。



「あれ? サラダがやたらとオシャレ。映えてるな。友星こういうの好きだっけ」
「ビーツとアボカド入ってるだろ? これは身体にいい食べ物なんだよ。ビーツはまずカリウムと、ビタミンミネラル硝酸塩。アボカドは不飽和脂肪酸ってやつがたっぷりだから」

「え、調べてくれたんだ。そんなの全然知らなかっ…………すっごい美味しい。なにこれ、ドレッシングが良いのかな。コース料理の前菜並みに美味しいんだけど。デパ地下惣菜?」
「そうそう。行くの初めてだったしさ、これくらいかな~って適当に詰めてもらったら五千円超えてびっくりした。あ、でも遠慮せず食えよ。もっと食え。ほらほら」

「食べてるよー。俺食べるの遅いだけだから!」
「テレビもなんも見てないのに遅いよな。食べ方が綺麗だからかなー」

 盛りが良く美しいサラダを懸命に咀嚼している間、おもむろに立ち上がった友星は窓を開けてベランダの方に出た。手には灰皿。一度大病を患ったくせに、やはりタバコは再開したらしい。

 吸うかもしれないと思って事前に灰皿は用意しておいたのだが、わざわざ外に出るのは身体が弱った俺に対しての気遣いだろう。キッチンで吸ってもいいとは言ったのだが『外でいいわ』と断られた。

 さほど好きだと思ったことが今までなかったはずのアボカド。和えてあるドレッシングのおかげか、コクがあり舌触りが滑らかで、奇跡のように美味しく感じて止まらなかった。これを栽培するには多量の水が必要になり、畑の栄養をたっぷり吸い込むため、環境的にはよろしくない作物であると知識だけでは知っている。

 よろしくはないが、畑を痩せさせるほどに水と栄養を吸い上げ尽くす生命欲の象徴のような果物を、友星が俺のためにと思って与えてくれた事実が嬉しかった。そんな魔法のかかった鮮やかなサラダを箸で突きながら、写真を撮っておけば良かった、と今更思いついて後悔した。

「お、全部食べた? 良かった良かった」
「ごちそうさまでした。お腹いっぱい……いやいや、片付けくらいできるって」

「お前がちょっとため息つくだけで怖いんだよ。食べたばっかだし、弱ってる奴はゆっくりしとけ」
「……うん。ありがと……あ、お風呂どうぞ。さっき俺が使ったからビシャビシャだけど。タオルはそのへん置いとくから。あと、その持ってきたやつって寝袋かなんか? 広げておくよ」

「そーそー。布団一式だとデカすぎるから。羽毛にしてみた! 寝るの楽しみ~」

 友星はキャンプに行くような趣味はなかったはずだ。これも今日のためにわざわざ買ってきたものらしい。なんだか一生分とは言わずとも、半生分の贅沢をさせてもらっているようで面映い。

 贅沢といえば大学時代に友星の部屋へ行ったときのことだ。まだ建っているのが不思議なくらいに古く狭いアパートの一室に案内されて驚いた。

 ここじゃないといけなかったのか、夏場や冬場は辛いだろうと考えた当時の俺は、家賃は浮くし快適だからという提案の仕方で同居に誘ったことがある。今考えれば、若いとはいえ短絡的で浅はかなことを言ったと思う。

 金銭感覚が俺よりはるかにシビアであった友星は『あんな立派なマンションの部屋の家賃なんて、半額でもちょっと出せないわ。オレは大人しくボロアパートに住んでおく。ノスタルジーを感じたくなったら遊びに来いよ』と、嫌な顔はひとつも見せずにユーモアを交えた断り方をしてくれた。

 家賃を取るつもりなんて、はなからない。しかしそれを言ってはいけない気がした俺は、すぐに身を引いて話題を変えた。余計なことを言った自覚は薄くとも、引き際だけは間違えていなかったと今でも思う。

 そもそも俺の部屋の家賃は親が出してくれていた。そこへ勝手に人を入れるというのは契約違反。合鍵だって勝手に複製禁止な上に、なにかあったら学生であり支払い能力のない俺ではなく、親が責任を取ることになってしまう。その辺のことは、社会人になり部屋を自分で借りたときにようやく知った。

 この好意には、憧れも含まれている。自分と他人の適切な線引きがまだ曖昧だった子供の俺に、態度と言動でそれを教えてくれた。良い思いをさせれば上手くいくのでは。もっと直接的な言い方をすると金を出せば好意が買えるのでは、という無意識下にあった下心を覚まさせてくれたのが友星だった。

 新しい寝袋の上で勝手にうつ伏せになり、端を握っては手を開くことを繰り返しながら俺は過去の恥を思い出していた。どんなに強く握っても、ゆっくりゆっくり空気を含んで元の形に戻る布団。その感触を楽しんでいたつもりが、戻る速度と同調するように目蓋がうつらうつらと落ちてきた。

 体力ゲージの底つき速度が通常よりも早いことと、腹いっぱいに食したことで、実はもうかなり眠くなっている。作業のためにあまり話せなかった時間を取り戻したいなどと考えていたが、歯を磨き終わった頃には既にヘトヘトだった。

「あっ。勝手に使ったなー。いいけどさ、床の硬さはごまかせないと思う。お前はちゃんと布団で寝ろよ」
「うん…………」

「おーい。けーいちろー」
「………………」

「……あのさ。絶対変なことしないから、安心して聞いてほしいんだけど。そもそもお前……なんかした? 俺の病気、治すために」
「……なんかって……?」

 新品の匂いがする羽毛布団に身体をふっくらと埋めながらも、どう体勢を変えても必ずどこかにフローリング床の硬さを感じることを少々不満に思っていたとき。左端の膨らみが沈んで戻らなくなった。友星が至近距離で寝転んだらしい。

 顔のすぐそばに友星の肘がある。一瞬息の仕方を忘れてしまった俺は、気付かれないようゆっくり吐いて、吸って吐いてを繰り返した。ほとんど空気の層で出来ている羽毛布団は、容易く俺の生温い息を通してくれた。

 それに集中していると肩甲骨の間が急に熱くなり、その熱は心地よい圧と共に行ったり来たりした。俺が相当疲れていると思ったらしき友星が、背中をさすってくれているようだ。

 そうされると余計に心拍数が上がってしまうのだが、束の間の厚意を味わう好機でもある。ありがたく頂戴しよう、と安心して目蓋を閉じた。

「……気持ち悪くなったら話すのやめるから、ちゃんと言えよ。オレ、すっげえリアルな夢見てさ。病室で」
「うん……」

「その日あんま調子良くなくて。やっと薬が効いてきたかなってとこで。多分深夜だな。十二時くらい。気がついたらお前んちの前にいた。ここじゃなくて実家のお屋敷の」
「うん……」

「玄関の前にお前のお父さんらしき人がいて。お前と顔そっくりだったから、そうかなって。戸が開いてたからそのまま入った。裸足だったけど、気になんなかった」
「うん…………え?」

 俺はすぐに儀式の夜のことだと察した。実家に招いたことはなかったが、でかいことで有名な家ではあるので俺に聞かずとも、マップか何かを使った確認だけなら誰でも容易にできるのだ。

 知られていてもおかしくはない。だから途中まで本当に夢の話なのだと思っていた。しかし、夜遅くに俺の父親が玄関前で待機するなんて状況は、あの儀式の夜以外にはあり得ない。しかも俺が父親似であることなんて、本当に一度も話していない。

 地元は一緒だが、俺が自ら話すまで友星は実家の存在すら知らなかったし、顔の話なんて知るよしもない。偶然マップに写っていたとしても、個人のプライバシーを守るために顔はぼかしてあるはずだ。

 それは嫌な予感というものなのか、はたまた期待という名がつけられるものなのか、判別が全くつかなかった。モヤのかかった掴みどころのないその感情は、胸の内側のどこからともなく雷雲のように発生し、渦を巻いて居座り始めた。
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