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12 銀河のある海
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「兎のお嬢ちゃん。アメ食べるかい? あら遠慮するでないよ、いっぱいお食べ。どこから来たの?」
「可愛い子だねえ。あんたこんな可愛い子どこで見つけてきたんだい」
「二十五歳? あはは、嘘だろー。本当は十二、三歳くらいだろう。背伸びしたい年頃だもんなあ」
駅馬車はバスのような雰囲気の乗り物だった。前にお馬さんがいて、カポカポと蹄を鳴らしながら車体を曳いてくれている。手綱を持った御者さんはいわば運転手だ。
奥様設定は無理がある。これは出立前、早々に諦めた。オルフェくんが危ない男に見えてしまうからである。それでもいい、どう見られても構わないと粘るオルフェくんに、さらに粘って説得した。元から婚約者候補なんだからそれでいいだろ、と奥様設定とあまり変わらない彼の代替案を退け、義理の兄弟ということでやっと決着がついた。
義理、というのはまだ髪の長さが足りず、地の耳が隠せていないからである。観光客向けの商品としてつけ耳なんかもあることはあるが、つけ毛、つけ耳、土台としての何か。そんな飾りだらけなモノをどう作ろうとマウラさんが頭を悩ませていたので、とにかく頭部を隠せばよいとシンプルな作りの頭飾りに頼ることにしたのだ。
そう、この頭飾りというか、ヘッドドレス。これでもかというほどフリッフリなのだ。女装の極みである。愛らしいフリッフリがぐるりと頭部を囲み、サイドに兎の偽耳がついている。ベテルギウスの街にもいるらしいウサギさんを再現してあるのだ。
ピンと立つタイプのつけ耳はフードを被ると、どうしてもズレてしまう。ならこうしたらいいと兎の偽耳をつけた。マウラさんのアイディアだ。僕に試着させたときのマウラさんは会心の笑みを浮かべたあと、褒めちぎってくれた。
ところ変わっても僕の姿は変わらない。鏡に映った自分の姿を見て、正気か…? とみんなの審美眼を疑ってしまった。幼い顔をしている自覚はあるが、ほんのり離れ気味の黒い目と、大した主張のない鼻と口がついてるだけだぞ。うちのお母さんは『このちょっとだけ離れたパッチリおめめが可愛いのよー』などとわりと大きくなっても言ってくれてはいたが、親の欲目だと思う。
しかし、駅馬車に同乗したお客さんは僕に興味を持ってどんどん話しかけてくる。おばあちゃん、アメはもういいから。もうポケットはアメだらけです。おばちゃん、オルフェくんは誘拐犯じゃない。ちょっと疑い始めてるでしょ。おじさん、僕は本当に成人男性です。もう背伸びする年じゃないし、物理的にもこれ以上は伸びません。
アメ以外にも、小分けにしたクッキーやお守りなど、あれこれ貰ってしまった。車窓が見たくて、ちょっとフードを上げてしまったのが良くなかった。話しかけてくれるのはとても嬉しいし、旅の醍醐味なのだろうが、オルフェくんと話す時間がなくなってしまいちょっと困る。
──────
「僕、やっぱりみんなの感性がわからない。可愛いって誰のこと? みんなにはどう見えてるの?」
「今は可愛いウサギちゃん」
「ウサギちゃんはわかるよ。可愛いってなんなの? もう可愛いの概念がわからなくなってきた。可愛いとは何なのか。迷宮入り一歩手前だよ」
「うーん……そうだな、儚く見える。今にも羽根が生えて飛んでいきそう。何か見ているとしたらその先が気になるし、こっちを向かせて話してみたくてたまらなくなる感じ」
「そうなんだ…? 猫のおねえさんたちとはジャンル違いで、そのジャンルがたまたまここで人気だった…?」
「俺もよくわかってない。…品のないことを言うようだけど、その細い首は食べたくなるし、肌を舐めたらあちこち甘そうだし、その脚を持ち上げて自由を奪ったらどんな顔をするのか見たくなる。細いその声が色づくとどんな響きになるのか────」
「ちょっともう、もういいです、内容が公序良俗に反する」
真面目な顔をして卑猥なことを言い続けるオルフェくんを制して話題を変えることにした。さっきから潮の匂いがする。あとどれくらいで海に着くのか気になっていたのだ。
「もうすぐそこだぞ。そこの建物の裏かな」
着いたときから立ち並ぶ白い壁がオシャレな建物群を抜けたら、すぐ目の前に海が広がった。
青が、青がものすごく濃い。濃紺だ。波打ち際は見覚えのある薄い水色で、透明感が高くて美しいのだが、沖に進むとどんどん青が濃くなる。あの濃い青色のところまで泳いでいくと足がつかなくなるのかとオルフェくんに尋ねると、そうではないという回答が返ってきた。
「まんま水に色がついてるんだよ。あそこだけ海流も違う。あとあのキラキラした星みたいに見えるものは、生きた海の植物の群れ。いつも発光してる」
透明度の高い昼の海の奥に、突如として夜空が横たわっているような光景は感動的だった。真っ昼間なのにあそこだけ銀河がある。
「あそこでしか生きられない海洋生物もいる。なんだろう、って気軽な感じで噛み千切られるから遊泳禁止になってるよ。ほら、境目あたりに浮きが見えるだろ」
──銀河であり、死の世界への入り口でもあった。どこでも自然は厳しいものなのだ。
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© 2023 清田いい鳥
「可愛い子だねえ。あんたこんな可愛い子どこで見つけてきたんだい」
「二十五歳? あはは、嘘だろー。本当は十二、三歳くらいだろう。背伸びしたい年頃だもんなあ」
駅馬車はバスのような雰囲気の乗り物だった。前にお馬さんがいて、カポカポと蹄を鳴らしながら車体を曳いてくれている。手綱を持った御者さんはいわば運転手だ。
奥様設定は無理がある。これは出立前、早々に諦めた。オルフェくんが危ない男に見えてしまうからである。それでもいい、どう見られても構わないと粘るオルフェくんに、さらに粘って説得した。元から婚約者候補なんだからそれでいいだろ、と奥様設定とあまり変わらない彼の代替案を退け、義理の兄弟ということでやっと決着がついた。
義理、というのはまだ髪の長さが足りず、地の耳が隠せていないからである。観光客向けの商品としてつけ耳なんかもあることはあるが、つけ毛、つけ耳、土台としての何か。そんな飾りだらけなモノをどう作ろうとマウラさんが頭を悩ませていたので、とにかく頭部を隠せばよいとシンプルな作りの頭飾りに頼ることにしたのだ。
そう、この頭飾りというか、ヘッドドレス。これでもかというほどフリッフリなのだ。女装の極みである。愛らしいフリッフリがぐるりと頭部を囲み、サイドに兎の偽耳がついている。ベテルギウスの街にもいるらしいウサギさんを再現してあるのだ。
ピンと立つタイプのつけ耳はフードを被ると、どうしてもズレてしまう。ならこうしたらいいと兎の偽耳をつけた。マウラさんのアイディアだ。僕に試着させたときのマウラさんは会心の笑みを浮かべたあと、褒めちぎってくれた。
ところ変わっても僕の姿は変わらない。鏡に映った自分の姿を見て、正気か…? とみんなの審美眼を疑ってしまった。幼い顔をしている自覚はあるが、ほんのり離れ気味の黒い目と、大した主張のない鼻と口がついてるだけだぞ。うちのお母さんは『このちょっとだけ離れたパッチリおめめが可愛いのよー』などとわりと大きくなっても言ってくれてはいたが、親の欲目だと思う。
しかし、駅馬車に同乗したお客さんは僕に興味を持ってどんどん話しかけてくる。おばあちゃん、アメはもういいから。もうポケットはアメだらけです。おばちゃん、オルフェくんは誘拐犯じゃない。ちょっと疑い始めてるでしょ。おじさん、僕は本当に成人男性です。もう背伸びする年じゃないし、物理的にもこれ以上は伸びません。
アメ以外にも、小分けにしたクッキーやお守りなど、あれこれ貰ってしまった。車窓が見たくて、ちょっとフードを上げてしまったのが良くなかった。話しかけてくれるのはとても嬉しいし、旅の醍醐味なのだろうが、オルフェくんと話す時間がなくなってしまいちょっと困る。
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「僕、やっぱりみんなの感性がわからない。可愛いって誰のこと? みんなにはどう見えてるの?」
「今は可愛いウサギちゃん」
「ウサギちゃんはわかるよ。可愛いってなんなの? もう可愛いの概念がわからなくなってきた。可愛いとは何なのか。迷宮入り一歩手前だよ」
「うーん……そうだな、儚く見える。今にも羽根が生えて飛んでいきそう。何か見ているとしたらその先が気になるし、こっちを向かせて話してみたくてたまらなくなる感じ」
「そうなんだ…? 猫のおねえさんたちとはジャンル違いで、そのジャンルがたまたまここで人気だった…?」
「俺もよくわかってない。…品のないことを言うようだけど、その細い首は食べたくなるし、肌を舐めたらあちこち甘そうだし、その脚を持ち上げて自由を奪ったらどんな顔をするのか見たくなる。細いその声が色づくとどんな響きになるのか────」
「ちょっともう、もういいです、内容が公序良俗に反する」
真面目な顔をして卑猥なことを言い続けるオルフェくんを制して話題を変えることにした。さっきから潮の匂いがする。あとどれくらいで海に着くのか気になっていたのだ。
「もうすぐそこだぞ。そこの建物の裏かな」
着いたときから立ち並ぶ白い壁がオシャレな建物群を抜けたら、すぐ目の前に海が広がった。
青が、青がものすごく濃い。濃紺だ。波打ち際は見覚えのある薄い水色で、透明感が高くて美しいのだが、沖に進むとどんどん青が濃くなる。あの濃い青色のところまで泳いでいくと足がつかなくなるのかとオルフェくんに尋ねると、そうではないという回答が返ってきた。
「まんま水に色がついてるんだよ。あそこだけ海流も違う。あとあのキラキラした星みたいに見えるものは、生きた海の植物の群れ。いつも発光してる」
透明度の高い昼の海の奥に、突如として夜空が横たわっているような光景は感動的だった。真っ昼間なのにあそこだけ銀河がある。
「あそこでしか生きられない海洋生物もいる。なんだろう、って気軽な感じで噛み千切られるから遊泳禁止になってるよ。ほら、境目あたりに浮きが見えるだろ」
──銀河であり、死の世界への入り口でもあった。どこでも自然は厳しいものなのだ。
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