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15 お船に乗ろう
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随分明るいな、と思って起きたらもうすぐお昼の時間だった。旅の疲れと夜のアレで、寝過ごしてしまったようだ。オルフェくんはまだぐうぐう眠っている。
お馬さんってショートスリーパーじゃなかったっけ。野生だと立ったまま一、二時間とかだったような。獣人さんだとそれは適用されないのかな。
さすがにもう起きないと夜眠れなくなりそう、と思い起こしてみた。『ねむい』と一言返ってきたあと『あれ? いま何時?』と言いながらガバッと飛び起きていた。びっくりするなあもう。
何故か、目の前の海は朝方になると綺麗な虹がかかるそうだ。晴れているときは大体かかる。虹とは確か、雨が降ったあと急激に晴れたときに見られる自然現象ではなかったか。
二種の海流と水生生物のおかげでそうなるらしいが、理屈は多分聞いてもわからなさそうだ。彼はそれを見せることができなかった、明日こそはと悔やんでいた。
今日は船に乗るという。こちらの人も色の違う海が気になるのは同じなようで、沖まで行って帰ってくる短時間のクルーズツアーだ。
──────
「カイ、もっと端に寄っても大丈夫だぞ。中の生き物は飛び出してきたりしない」
「いやその、わかっちゃいるんだよ。でもね、この手すりが怖いわけで。なんでこんなに低いの…」
クルーズツアーを舐めていた。なんか白い帽子を被った上品なおねえさんが船首のベンチに座って、帽子が飛ばされないように片手で抑えて微笑んでいる優雅なイメージしかなかった。船からはポンポンポン、とかいう音がしてゆっくりめに進むやつ。
漁船じゃないのこれ。漁がしやすいように、わざと気持ち程度の手すりをくっつけてあるだけのやつ。そこを足場にガンガン網を引き、テキパキと売り物になる魚を選別するタイプの船じゃないのこれ。ドドドドド、とかいわせながら結構なスピードで進んでるんだけど。うっ、ちょっと気持ち悪くなってきたかも。
「やっぱ寒い時期だからちょっと揺れるねえ」
「暑いときは日の光が痛いくらいだから、今くらいが丁度いいさね」
「おかーさーん、お船速いね! もっと速くなるー?」
──誰だ。もっと、とか言ってる子は。スピード狂の卵が乗船しているぞ。
なんでみんな平気で端っこにいるんだ。怖くないのか。ヒッ、覗き込まないで。こっちが怖くなる。僕は情けないがオルフェくんにしがみつかせてもらい、そこだけ夜の顔をした海へと向かった。
着いてからはさすがに飛ばしたりはせず、エンジンの音がゆっくり小さくなって止まった。
凄い。ここだけ本当に夜のよう。濃紺と淡い水色の絵の具を隣同士に塗って、境目を大きな刷毛でサッと撫でたような色の混じり方をしている。浜辺から見るともっとグラデーションがかって見えたけど、間近でみるとこうなんだ。
淡い水色の方は小さい魚がつい、つい、と泳いでいる。時々、鱗がキラリキラリと日の光を反射する。濃紺の方は色々な色の光が沢山見える。じっと見ていると、この光は時々点滅することがわかった。
「──海の色が違うことがよくおわかりになるかと思います。沖の海が暗いのは、底に沈んでいる植物が常に魔力を放出しているのが要因です。その放出された魔力を主食としている小型の魚がやってくるのですが、魚は食事のつもりでも植物は魔力を吸い取っている。知らぬが仏の魔力交換が、ここでは常に行われているのです。他者の魔力を栄養とするこの植物は、こちらに美味しいものがあるぞと魔力の気配だけではなく、視覚でも魚を誘います。それがこの美しい夜景のような光なのです。そしてその魚を食べるために────」
魔力、魔力交換、あと水生の魔獣ともガイドさんが言っていた。ごく当たり前のようにこの言葉を並べられると、異国に来た感をひしひしと感じる。
さっきまで端に寄るのが死ぬほど怖かったことも忘れてじっと光を見つめていると、すうっと大きな影が近づいてきた。なんだろう、と目を向けると、魚のようなものと目が合った。しかし、大きさがおかしかった。大皿くらいのサイズの、感情の読めない巨大な目玉と目が合ってしまったのだ。
「わああああ!! オルフェくん!! オルフェくん!!」
「あっ! 戦艦魚! くそー、写実魔道具がここにあれば!」
馬鹿みたいにしがみつく僕を支えてくれながら、オルフェくんは少年のように楽しそうな声を上げた。よく見るために覗き込むもんだから、しがみつく僕まで身体が傾いてしまって絶叫せざるを得ない。
後ろで『おかーさーん、あのおねーちゃん怖がりさんね』と子供が言っている。僕おねーちゃんじゃないけど、多分君より弱い気がする。
『カイ、もう行ったぞ。ほら見てみな』とオルフェくんが言うから恐る恐る海を見ると、戦艦魚の名に恥じない巨体が海中から浮かんでいた。これ本当に魚なのかな。鯨じゃなくて?
ガイドさんが『船が邪魔だったみたいですねー。潜ってやり過ごしましたね』と呑気な口調で言っていた。戦艦魚にとっては道を歩いていたらボールが転がってたから避けて通りました、くらいのものらしい。
──────
「ああ楽しかった。カイ、気持ち悪くなってないか。抱っこするか?」
「い、いい……ちょっとしばらく休憩させて。魂がまだ帰ってきてない」
船酔いである。一大イベントが過ぎてちょっと気が緩んだ途端に酔いが襲ってきた。新鮮な空気を吸おうとフードを取ってその辺のベンチで休んでいたら、大きな犬を連れた獣人らしきご夫婦が向こうから歩いてきた。
バッ、と突然犬が走った。リードをジャラジャラ地面に打ちつけ鳴らしている。ご夫婦はお年なのか、慌てながらよたよたと走ってきた。犬がこっちにまっすぐ近づいてくる。あ、大変だ、と思った瞬間、犬が僕に飛びつこうとしてきた。
──やけに大きすぎないか。
体高が高すぎる。遠目からだとご夫婦の肘上あたりに背中があった。おかしいぞ、土佐犬やグレートデーンでもこんなにないぞ。
まるで白いポメラニアンを拡大したような幼顔のその犬は、白い綿毛をてんこ盛りにくっつけたような姿をしていた。超大型犬というより超絶大型犬である。
咄嗟に僕を抱き抱えたオルフェくんを潰さないようにするためか、身体の上には前足を置かず、ベンチに乗せて顔を近づけハフハフ言っている。
その時だ。僕は犬の声を聞いた。ハフハフではない。はっきりとした人間語が、頭の中に響いてきたのである。
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© 2023 清田いい鳥
お馬さんってショートスリーパーじゃなかったっけ。野生だと立ったまま一、二時間とかだったような。獣人さんだとそれは適用されないのかな。
さすがにもう起きないと夜眠れなくなりそう、と思い起こしてみた。『ねむい』と一言返ってきたあと『あれ? いま何時?』と言いながらガバッと飛び起きていた。びっくりするなあもう。
何故か、目の前の海は朝方になると綺麗な虹がかかるそうだ。晴れているときは大体かかる。虹とは確か、雨が降ったあと急激に晴れたときに見られる自然現象ではなかったか。
二種の海流と水生生物のおかげでそうなるらしいが、理屈は多分聞いてもわからなさそうだ。彼はそれを見せることができなかった、明日こそはと悔やんでいた。
今日は船に乗るという。こちらの人も色の違う海が気になるのは同じなようで、沖まで行って帰ってくる短時間のクルーズツアーだ。
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「カイ、もっと端に寄っても大丈夫だぞ。中の生き物は飛び出してきたりしない」
「いやその、わかっちゃいるんだよ。でもね、この手すりが怖いわけで。なんでこんなに低いの…」
クルーズツアーを舐めていた。なんか白い帽子を被った上品なおねえさんが船首のベンチに座って、帽子が飛ばされないように片手で抑えて微笑んでいる優雅なイメージしかなかった。船からはポンポンポン、とかいう音がしてゆっくりめに進むやつ。
漁船じゃないのこれ。漁がしやすいように、わざと気持ち程度の手すりをくっつけてあるだけのやつ。そこを足場にガンガン網を引き、テキパキと売り物になる魚を選別するタイプの船じゃないのこれ。ドドドドド、とかいわせながら結構なスピードで進んでるんだけど。うっ、ちょっと気持ち悪くなってきたかも。
「やっぱ寒い時期だからちょっと揺れるねえ」
「暑いときは日の光が痛いくらいだから、今くらいが丁度いいさね」
「おかーさーん、お船速いね! もっと速くなるー?」
──誰だ。もっと、とか言ってる子は。スピード狂の卵が乗船しているぞ。
なんでみんな平気で端っこにいるんだ。怖くないのか。ヒッ、覗き込まないで。こっちが怖くなる。僕は情けないがオルフェくんにしがみつかせてもらい、そこだけ夜の顔をした海へと向かった。
着いてからはさすがに飛ばしたりはせず、エンジンの音がゆっくり小さくなって止まった。
凄い。ここだけ本当に夜のよう。濃紺と淡い水色の絵の具を隣同士に塗って、境目を大きな刷毛でサッと撫でたような色の混じり方をしている。浜辺から見るともっとグラデーションがかって見えたけど、間近でみるとこうなんだ。
淡い水色の方は小さい魚がつい、つい、と泳いでいる。時々、鱗がキラリキラリと日の光を反射する。濃紺の方は色々な色の光が沢山見える。じっと見ていると、この光は時々点滅することがわかった。
「──海の色が違うことがよくおわかりになるかと思います。沖の海が暗いのは、底に沈んでいる植物が常に魔力を放出しているのが要因です。その放出された魔力を主食としている小型の魚がやってくるのですが、魚は食事のつもりでも植物は魔力を吸い取っている。知らぬが仏の魔力交換が、ここでは常に行われているのです。他者の魔力を栄養とするこの植物は、こちらに美味しいものがあるぞと魔力の気配だけではなく、視覚でも魚を誘います。それがこの美しい夜景のような光なのです。そしてその魚を食べるために────」
魔力、魔力交換、あと水生の魔獣ともガイドさんが言っていた。ごく当たり前のようにこの言葉を並べられると、異国に来た感をひしひしと感じる。
さっきまで端に寄るのが死ぬほど怖かったことも忘れてじっと光を見つめていると、すうっと大きな影が近づいてきた。なんだろう、と目を向けると、魚のようなものと目が合った。しかし、大きさがおかしかった。大皿くらいのサイズの、感情の読めない巨大な目玉と目が合ってしまったのだ。
「わああああ!! オルフェくん!! オルフェくん!!」
「あっ! 戦艦魚! くそー、写実魔道具がここにあれば!」
馬鹿みたいにしがみつく僕を支えてくれながら、オルフェくんは少年のように楽しそうな声を上げた。よく見るために覗き込むもんだから、しがみつく僕まで身体が傾いてしまって絶叫せざるを得ない。
後ろで『おかーさーん、あのおねーちゃん怖がりさんね』と子供が言っている。僕おねーちゃんじゃないけど、多分君より弱い気がする。
『カイ、もう行ったぞ。ほら見てみな』とオルフェくんが言うから恐る恐る海を見ると、戦艦魚の名に恥じない巨体が海中から浮かんでいた。これ本当に魚なのかな。鯨じゃなくて?
ガイドさんが『船が邪魔だったみたいですねー。潜ってやり過ごしましたね』と呑気な口調で言っていた。戦艦魚にとっては道を歩いていたらボールが転がってたから避けて通りました、くらいのものらしい。
──────
「ああ楽しかった。カイ、気持ち悪くなってないか。抱っこするか?」
「い、いい……ちょっとしばらく休憩させて。魂がまだ帰ってきてない」
船酔いである。一大イベントが過ぎてちょっと気が緩んだ途端に酔いが襲ってきた。新鮮な空気を吸おうとフードを取ってその辺のベンチで休んでいたら、大きな犬を連れた獣人らしきご夫婦が向こうから歩いてきた。
バッ、と突然犬が走った。リードをジャラジャラ地面に打ちつけ鳴らしている。ご夫婦はお年なのか、慌てながらよたよたと走ってきた。犬がこっちにまっすぐ近づいてくる。あ、大変だ、と思った瞬間、犬が僕に飛びつこうとしてきた。
──やけに大きすぎないか。
体高が高すぎる。遠目からだとご夫婦の肘上あたりに背中があった。おかしいぞ、土佐犬やグレートデーンでもこんなにないぞ。
まるで白いポメラニアンを拡大したような幼顔のその犬は、白い綿毛をてんこ盛りにくっつけたような姿をしていた。超大型犬というより超絶大型犬である。
咄嗟に僕を抱き抱えたオルフェくんを潰さないようにするためか、身体の上には前足を置かず、ベンチに乗せて顔を近づけハフハフ言っている。
その時だ。僕は犬の声を聞いた。ハフハフではない。はっきりとした人間語が、頭の中に響いてきたのである。
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© 2023 清田いい鳥
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