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43 シャム猫のおねえさん

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「カイくーん。わあ、綺麗な色の飛馬ちょうばだね。触ってもいい?」 

 治療院の近くの公園を散歩していると、女の人が数人でベンチに座っていた中から焦げ茶色の猫耳をピンと立てた誰かが急に近づいてきて、声をかけられた。

 シャム猫のおねえさんだ。今日は白い髪をすっきり結い上げたアップヘアー。首筋に細く絡む後れ毛が色っぽい。優しげに垂れた水色の瞳はまるで宝石のようだ。それを見た僕は早くも挙動不審になってしまった。

「ルーミイに聞いちゃった。誘惑したけど振られちゃったって。ふふっ、あの子どんなことしてきたの?」

 ──ルーミイ。黒猫おねえさんの名前だ。緊張しすぎて全然名前で呼べなかったが。

「ど、どんなこと…そうですね、オルフェくんに飽きたら、その、考えてって言われました…」
「やだー、積極的ー。でもずるーい、あたしもカイくんとお茶したい。ねえ、あたし今お昼休憩中なんだけど、良かったらちょっとお話ししない?」

「あっハイ、いいんですけど、少しだけ離れてで良かったら。あの、オルフェくんが…」

 んー、と唇に指をふにふにと当てて考える仕草をするおねえさんの唇は厚く、優しいピンク色だ。ぷるぷるしている。思わず目を吸い寄せられてしまった。

 いや待て、僕は学習したのだ。万が一このアイドルのようなおねえさんの匂いがついてしまえばその後どうなるか。反省したとは言っていたが、現在も絶賛発情期中である。すっかりあのことを忘れて飛びかかってくるに違いない。そして歴史は繰り返すのだ。僕はもう風邪をひきたくない。

「いいよー。さてはオルフェに襲われたんでしょう? 匂いつけたまま帰っちゃったね? 雄はその辺、ちょー敏感だから」
「そ、そうなんですね…怖いですね…」

「そうだよー。雄はみぃんな狼だよー。あたしたちいつもこの公園でお昼にしてるの。あそこのベンチに二人で座ろ! 飲み物買ってきてあげるよー」
「いえいえそんな、自分で…あっ、おねえさんっ」

 おねえさんは『いいんだよー』と言いながら屋台に向かって行ってしまった。大きい荷車の上に生成色のテントを張った屋台。テントの布の端っこにはタッセルみたいな色とりどりの房飾りがついていて、女の人が喜んで寄ってきそうな感じのお店だ。僕はおねえさんに促され、日当たりのいいベンチのひとつに座った。



「はい、蜜花茶。ここのはスウェート牛のミルクを使ってるからコクがあって美味しいよー」
「わあ、すみません。ありがとうございます」

「ルーミイがさあ。オルフェと付き合ったきっかけの話しちゃったーって落ち込んでたよ。あの子焦ると余計なこと喋りすぎちゃうの。ごめんね」
「いえそんな、いいんです、その…オルフェくんがあんな感じなのはよく知ってるんで」

『あんな感じってなによぉー』と、前を向いてコロコロ笑うおねえさんの細められた瞳が、日に当たってキラキラと輝いている。淡い水色の瞳は海辺の色そのもので、睫毛は焦げ茶色なんだなと見とれていたら、にこっと笑顔を向けられた。日射しのせいでその輝きは割り増しされ、かくも眩しい。

「あたしのときはね、もっとずっと平凡だったよ。あたしから付き合ってーって言ったの。そしたらいいよーって。全然ドラマがないでしょ?」
「それは学生のときですよね? 僕は学生のときに誰かとお付き合いしたことなかったですけど、そんなもんなんじゃ──」

「えっ!? ない!? 嘘でしょ、それはないでしょ絶対。誰かに妨害されてたんじゃないの? きっとそうだよ!」

 ──突然びっくりされてこっちもびっくりしてしまった。いや、こっちではどうであれ、事実なんだけど。

「あのっ、僕こっちに来てからなんかその、可愛い? とか言われるようになったんです。何でなんだかわからないですけど」
「えーどう見たって可愛いよ。カイくんの故郷の人たちって見る目ないね。あと、ちょーいい匂いするし」

「自分の匂いってわからないんですよね…人の匂いもあんまり。人間だからですかね」
「そうなの? あたしオルフェと付き合ってたときにさ、あたしにちょーしつこく付きまとってきてた男がいてさ。拒否ってたんだけどエスカレートしてきて、ついに抱きついてきたからキャーッて逃げたことがあるのね。次の日そいつ包帯まみれになってた。匂いでバレたんだよ。自分のって意識があったら特別バレやすいし特定されやすいよ。あっこれ昔の話だからね!」
「あっもちろんわかってますよ、お気遣いなく。おねえさんは愛されてたんですね」

 おねえさんは『ちがうよー』と細い肩をすくめた。僕はてっきり大切にしていたからちょっかいを出す相手をボコボコにしたんだと思ったのだが、何が違うんだろう。

「あたしはオルフェに雑な扱いされたことはないけど、それでもどっちかというと筋が通ってないことしたそいつが嫌いって感じだった」
「そうですか? おねえさん、び、美人だから、オルフェくんが怒るのも無理ないと思いますけど」

「やだー! ありがと! でも別れるときはちょーアッサリだったよ。執着心はなかったんだよ 」

 ふわりと風が吹いておねえさんの後れ毛が揺れた。襟元が少し開いたデザインのブラウスから、ほんのり肌が透けて見える。…おっぱいが大きい。こんなに色っぽくて美しい女の子に執着心がなかったなんて、あり得るのだろうか。

「カイくんのことは最初、まだ小さいから守ってあげてるんだって思ってたよ。でも噂によると、日に日にオルフェの匂いと気配が強くなってる、ちょード級の執着してるって言われてて。あいつロリコンだったのかって噂も立ったけど、カイくんもう成人してるんだよね? 全然見えないけど。じゃあ本命だ、あんなにいい匂いの可愛い子なら仕方ないって言ってる派と、いいやそれでもダメだ派に別れてるよ。女の間では、ダメだ派は自分がオルフェに成り代わりたいだけじゃんねって話してるけど」

 いたずらっぽく目を細めて『拐かされないように気を付けなよー』と、おねえさんは人差し指を立てて揺らした。まだ狙っている奴はいると。そう言われても実感が沸かない。

「…女にも気を付けなよ。カイくんは男の子なんでしょ? これもあんまり見えないけど。君の匂いはね、見た目年齢とか性別とか、そういうことどうでも良くなっちゃう匂いだから」
「あっ、おねえさんっ、ダメっ」

「いいじゃない、手に触るくらい。後で洗えばいいんだよ」

 優しげな声でそう言い、おねえさんは手を伸ばしてきた。彼女の指が僕の指をなぞるようにして、ゆっくりと重ねられ、指の間を指で上下に擦る艶めかしい動きに変わる。僕の心臓は大いに跳ねて、活動を早めている。ドキドキと音を立てているのが、もう手から伝わっているんじゃないか。

 ふふ、と小さく笑ったおねえさんはやっと手を放してくれたが、次はその大きな胸に手を伸ばし、胸ポケットからペンを取り出した。それを何にどう使うかなんて、このときは全く想像だにしなかった。

「……っ!! ……おねえさっ…!!」
「さっきからずぅっと緊張してるのはわかってるよ。あたしのこと美人だと思ってくれてるからだよね。嬉しい」

「……ここ公園ですからっ、……お昼だしっ…!!」
「誰も見てないよー。あたしにこうされてこうなってるんだよね? 違う?」

「……っ!! ……ごめんなさいっ、ゆっ、許してくださいっ」
「あたしね、カイくんの子供が欲しいの。あたしはオルフェに飽きたら、なんて悠長に待ってられないな。あたし治療院に勤めてるから、お昼休み長いんだ。で、この近くに個室茶屋があってね」

 僕は俯いたまま、許してください、ごめんなさい、お断りさせてくださいと何度も何度も繰り返した。おねえさんはペンの腹で僕の股間を上下にゆるゆると擦ったり、先の方にくるくる触れたりしてなかなか離れてはくれず、頭の中がめちゃくちゃになったが、懇願を続けているうちにやっと解放してくれた。座っているのに全力疾走したようになってしまった。

「ええー? ほんとにダメなのぉ? 絶対秘密にするのにー。じゃあ治療院まで送ってよ。乗せてくれなくていいからさ、一緒に来て。一人歩きはいけないからねっ」



 僕は歩きにくくなった自分の身体を引きずって、半ばルート号にもたれ掛かるようにしておねえさんを送っていった。彼女は『ありがとー!』と言って両手を可愛くふりふりしながら治療院に帰って行った。



 ルート号はやはりしばらく黙ったあと、『カイの周りは…すごい女の子ばっかりだね…』と言われてしまった。

 …うん、そうだね。今回もすごかったね。



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© 2023 清田いい鳥
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