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重ならない影
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七里ヶ浜悟がサイダーを飲むのを確認すると、東堂涼は無意識に居住まいを正していた。
計画の第一段階は終了。
彼女の欲でいえば、先に悟にサイダーを飲ませて自分が間接キスをしたかったが、大は小を兼ねるという。
悟に間接キスをさせることで意識させる。
これが涼の狙いだった。
無からキスまで持っていくよりも、無から間接キスを経由して唇を重ねるほうが心理的負担も少ないはず。
もはやマーケティング的な思考になっていたが、ともかく、涼はゴールを見据えていた。
当の悟が鈍すぎるため、ほとんど間接キスを意識させられていないのは不運だったが。
「……そういえば、女の子のことを教えてあげるって、言ったわよね」
あたかも「いま思い出しましたけど?」というふうを装う。
下心を見抜かれたらおしまいだからだ。
「ん? そうだけど、今日は十分教えてもらったと思うよ」
「どうかしらね」
巻島葉音とのデートを「普通」に入れていいのか。
入れないのであれば、悟は二兎芽莉彩としかデートらしい事をしたことがない。
後輩に関してはデートにカウントしていないので、つまりは涼だけである。
「巷ではよく、三回目のデートで告白するなんて言われているわよね」
「誰が決めたんだろうな。別に一回目でも五回目でも、回数は重要じゃないと思うけど」
しめた、と涼は心中でほくそ笑む。
「いい心がけね。ただ、それには経験が足りないわよね」
「経験?」
「女の子はね、口ではモテてない男子が好きとかいうけど、本音は違うのよ」
「そ、そうなのか……」
「経験不足の男子と一緒にいてもつまらないもの。要は、色んな子を選べるけど自分だけをみてくれる人がいい」
「……なるほどな」
男性脳が求めている「理論」として納得できる。
女子の方が恋愛経験が厚くなりがちな現代において、残酷な真実だった。
「葉音とはどこまで言ったのかしら?」
何気なさを装って聞いた。
答えが返ってくるとは思わなかったが、悟の「それは……」という躊躇いを見て察する。
涼としては、今が踏みとどまる最後のタイミング。
しかし、悶えるほど恋焦がれる相手の快楽が親友の掌の上にあると理解して、ブレーキを選べるほど老いていなかった。
「…………そうね。やっぱり葉音はチャンスを逃さない子だから」
「涼ちゃん?」
悟が声をかけても涼の耳には入っていない。
その目からは光が消えかけていた。
「なんでもないのよ」
涼はにこりと笑顔を作る。目の奥は笑っていない。
「ただ、恋人同士なんだから自然なボディタッチを練習した方がいいと思うの」
そう言って、彼女は悟の手を柔く握った。
あまりに慣れた、というより何度も繰り返しているような動作で、悟はしばらく手を繋いでいることに気が付かなかった。
「り、涼ちゃんは……その、こういうのはいいと思ってるの?」
何度か聞こうと思っていた事を、思い切って聞いてみる。
だが、涼の内面はそれどころではなかった。
自分の「流れ」を再現することしか考えられていなかった。
「いいのよ。私たちは恋人同士なんだから」
「……それは練習で」
「練習でも、この瞬間だけは本物でしょ? だから……こういうのも」
涼が身を乗り出した。
心臓がはち切れそうなほどに鳴っている。
心の距離は物がなければ測れないけれど、今だけは、今だけは。
触れて実感できる距離になりたかった。
二人の影が急速に、しかし寂しさを帯びて近付いていく。
やがて、その端が重なり――
「――――」
掴まれたのは心ではなく、肩だった。
悟が涼の両肩を、紙風船に触れるように止めた。
少し首を伸ばすだけで望みを果たすことができる。
しかし、その数センチが何よりも遠く感じた。
「涼ちゃん、悪いけど俺はできないよ」
「…………なんで?」
涼が身体を引いた。
疑問と絶望が混ざり合った声。
「俺は巻島を大切にしたいと思ってる。リードできたらカッコいいなとも考える。でも――」
対する悟は、驚くほど芯が強く、それでいて友達に向けるような穏やかな声を発する。
「――涼ちゃんにだって好きな人がいるんだろ? だったら、二人のために俺はキスできない。たとえ巻島を失望させたとしても、涼ちゃんが身を削るくらいなら、俺は自分で正解を見つけてみせる」
いつかに聞いた言葉を覚えていた。
涼は色々な面で先輩だけど、一人の女の子でもある。
彼女が葉音のために親身になるのは褒められたことだが、涼自身の価値を下げるような行為は見過ごせない。
「……うん」
涼も納得していた。
自分とキスをしたくないというのが理由ではなくて。
それは良かった。
それで良かった。
だとしても――
「――そうよね。そうよね……っ」
大粒の涙が両の瞳から溢れ出す。
それが頬を伝うと、真っ白な雪が溶けるように赤く染まる。
「……えっ!? り、涼ちゃん!?」
ここまで自分をリードしてくれていた先輩が泣くというのも、感情を爆発させるのも予想外過ぎた。
悟は反射的に涼の手を握ろうとするも、それよりも早く彼女は立ち上がり、「ごめんなさい」という言葉と共に走り去っていく。
「ど、どういうことだよ……」
呆然と仕掛けていた悟。
しかし、脳裏に涼の言葉が過ぎる。
『あなたは、ベンチでじっと待ってるだけ?』
考えることはしなかった。
悟は勢いよく立ち上がり、小さくなっていく涼の背中を追いかけた。
計画の第一段階は終了。
彼女の欲でいえば、先に悟にサイダーを飲ませて自分が間接キスをしたかったが、大は小を兼ねるという。
悟に間接キスをさせることで意識させる。
これが涼の狙いだった。
無からキスまで持っていくよりも、無から間接キスを経由して唇を重ねるほうが心理的負担も少ないはず。
もはやマーケティング的な思考になっていたが、ともかく、涼はゴールを見据えていた。
当の悟が鈍すぎるため、ほとんど間接キスを意識させられていないのは不運だったが。
「……そういえば、女の子のことを教えてあげるって、言ったわよね」
あたかも「いま思い出しましたけど?」というふうを装う。
下心を見抜かれたらおしまいだからだ。
「ん? そうだけど、今日は十分教えてもらったと思うよ」
「どうかしらね」
巻島葉音とのデートを「普通」に入れていいのか。
入れないのであれば、悟は二兎芽莉彩としかデートらしい事をしたことがない。
後輩に関してはデートにカウントしていないので、つまりは涼だけである。
「巷ではよく、三回目のデートで告白するなんて言われているわよね」
「誰が決めたんだろうな。別に一回目でも五回目でも、回数は重要じゃないと思うけど」
しめた、と涼は心中でほくそ笑む。
「いい心がけね。ただ、それには経験が足りないわよね」
「経験?」
「女の子はね、口ではモテてない男子が好きとかいうけど、本音は違うのよ」
「そ、そうなのか……」
「経験不足の男子と一緒にいてもつまらないもの。要は、色んな子を選べるけど自分だけをみてくれる人がいい」
「……なるほどな」
男性脳が求めている「理論」として納得できる。
女子の方が恋愛経験が厚くなりがちな現代において、残酷な真実だった。
「葉音とはどこまで言ったのかしら?」
何気なさを装って聞いた。
答えが返ってくるとは思わなかったが、悟の「それは……」という躊躇いを見て察する。
涼としては、今が踏みとどまる最後のタイミング。
しかし、悶えるほど恋焦がれる相手の快楽が親友の掌の上にあると理解して、ブレーキを選べるほど老いていなかった。
「…………そうね。やっぱり葉音はチャンスを逃さない子だから」
「涼ちゃん?」
悟が声をかけても涼の耳には入っていない。
その目からは光が消えかけていた。
「なんでもないのよ」
涼はにこりと笑顔を作る。目の奥は笑っていない。
「ただ、恋人同士なんだから自然なボディタッチを練習した方がいいと思うの」
そう言って、彼女は悟の手を柔く握った。
あまりに慣れた、というより何度も繰り返しているような動作で、悟はしばらく手を繋いでいることに気が付かなかった。
「り、涼ちゃんは……その、こういうのはいいと思ってるの?」
何度か聞こうと思っていた事を、思い切って聞いてみる。
だが、涼の内面はそれどころではなかった。
自分の「流れ」を再現することしか考えられていなかった。
「いいのよ。私たちは恋人同士なんだから」
「……それは練習で」
「練習でも、この瞬間だけは本物でしょ? だから……こういうのも」
涼が身を乗り出した。
心臓がはち切れそうなほどに鳴っている。
心の距離は物がなければ測れないけれど、今だけは、今だけは。
触れて実感できる距離になりたかった。
二人の影が急速に、しかし寂しさを帯びて近付いていく。
やがて、その端が重なり――
「――――」
掴まれたのは心ではなく、肩だった。
悟が涼の両肩を、紙風船に触れるように止めた。
少し首を伸ばすだけで望みを果たすことができる。
しかし、その数センチが何よりも遠く感じた。
「涼ちゃん、悪いけど俺はできないよ」
「…………なんで?」
涼が身体を引いた。
疑問と絶望が混ざり合った声。
「俺は巻島を大切にしたいと思ってる。リードできたらカッコいいなとも考える。でも――」
対する悟は、驚くほど芯が強く、それでいて友達に向けるような穏やかな声を発する。
「――涼ちゃんにだって好きな人がいるんだろ? だったら、二人のために俺はキスできない。たとえ巻島を失望させたとしても、涼ちゃんが身を削るくらいなら、俺は自分で正解を見つけてみせる」
いつかに聞いた言葉を覚えていた。
涼は色々な面で先輩だけど、一人の女の子でもある。
彼女が葉音のために親身になるのは褒められたことだが、涼自身の価値を下げるような行為は見過ごせない。
「……うん」
涼も納得していた。
自分とキスをしたくないというのが理由ではなくて。
それは良かった。
それで良かった。
だとしても――
「――そうよね。そうよね……っ」
大粒の涙が両の瞳から溢れ出す。
それが頬を伝うと、真っ白な雪が溶けるように赤く染まる。
「……えっ!? り、涼ちゃん!?」
ここまで自分をリードしてくれていた先輩が泣くというのも、感情を爆発させるのも予想外過ぎた。
悟は反射的に涼の手を握ろうとするも、それよりも早く彼女は立ち上がり、「ごめんなさい」という言葉と共に走り去っていく。
「ど、どういうことだよ……」
呆然と仕掛けていた悟。
しかし、脳裏に涼の言葉が過ぎる。
『あなたは、ベンチでじっと待ってるだけ?』
考えることはしなかった。
悟は勢いよく立ち上がり、小さくなっていく涼の背中を追いかけた。
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