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第四章 夏と花火と過去の亡霊
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「姉ちゃん、そろそろ出ないと電車間に合わないぞ」
「ありがと。それじゃ、行ってきます」
「くれぐれも菅原くんに迷惑かけないようにね」
念を押す母に見送られながら、私は弟の大河の車に乗り込む。浴衣の帯を潰さないように気をつけてシートベルトを締めるとすぐに車が動き出した。
今夜は爽太の家の近くで大規模な花火大会があり、渋滞がひどいしバスも混むから会場の最寄駅から一緒に歩いて行くことになっている。私の家から駅まで送ってくれるのは大河だ。
「本当に駅まででいい? 途中でスガさん拾って近くまで送ろうか?」
「あんまり長く車乗ってると帯潰れるし、渋滞ハマってイラつくのも嫌」
せっかく気合い入れて浴衣着たんだから、できるだけいい状態で爽太に見てもらいたい。
大河が嫌そうな顔をした。
「ちょ、俺これからその渋滞に突っ込んで仕事行くんだけどさあ」
「ごめんごめん」
大河の勤め先は花火会場の目の前、有料観覧席エリアの隣にあるホテルだ。今夜はホテルの前で出店の売り子をしてそのまま仮眠を取り、明日の早朝からキッチンのヘルプに入らされるらしい。入社二年目下っ端パティシエ、色々と大変だな。
「スガさんがどこで場所取りしてるか知らないけど、来れそうならこっちにも顔出して。この間の礼に奢るから」
「お礼なんていらないよ」
「姉ちゃんにじゃなくて、スガさんに」
この間野外ライブで爽太の会社の人と遭遇した時、さすがに挨拶だけというのは気が引けたので大河の勤め先の出店でアイスを買って差し入れにした。更に爽太が私達女子四人と朋ちゃんの知り合いの分まで買ってくれたおかげで売れ残りを回避できたらしく、大河達売り子の面々にものすごく感謝された。
「スガさん、ほんといい人だよな。この間も『酔っ払い多いから、美波達が車に戻る時付き添ってあげてくれないかな』とか言ってたし。めちゃめちゃ大事にされてるじゃん」
会社の後輩に絡んでいた男からの反撃を警戒して、爽太は大河にボディガードを頼んでくれた。プロレスラー体型の大河はいるだけで威圧感があるから牽制にはもってこいだ。
「姉ちゃん、絶対スガさん逃すなよ」
「いきなり何言ってんの」
「スガさん以上の男なんてこの先二度と現れないぞ」
「わかってる」
大河だけじゃなくて両親からも『あんないい人はいない』と言われているし、私自身そう思っている。
「姉ちゃんがあの人捕まえられたの、はっきり言って奇跡だと思うんだけど。なんでそうなったの?」
高校出てからだいぶ経ってるのに、と不思議そうな顔で付け加える大河に、私は軽く「さあね」と返事をする。くーちゃん達みたいな甘酸っぱいはじまり方なら人に堂々と話せるだろうけど、『浮気された直後に泊めてもらって勢いでヤッちゃったのがきっかけ』なんて言えるはずがない。
「ふーん。……はい、到着。行ってらっしゃい」
「ありがと。大河も、運転気をつけて」
車が走り去る音を聞きながら私は改札に向かい、やってきた電車に乗り込む。電車の中には浴衣を着た女の子達もいてその一角はとても華やかだ。
あの色合わせ、かわいいな。シースルー兵児帯をお花みたいにするのもあと十歳若かったらやりたかった。
そんなことをぼんやり考えながら電車に揺られているうちに、降りる駅まであと一つというところまで来ていた。
ドアが開き、次々と人が乗ってくる。隣の席に置いていたお泊まりセット入りのバッグを網棚に上げて振り返った瞬間、通路にいた人と目が合って息が止まりそうになった。
だって、この人は。
「……美波」
「いっちゃ、ん」
初めてつきあった相手の、いっちゃんだ。
「久しぶり。隣、いいかな」
いっちゃんは私の返事を待たずに二人掛けの席の通路側に腰を下ろした。席を立てなくなってしまったけれどもう遅い。急行電車の終点まであと七分、このまま過ごさないといけない。
「見覚えのある浴衣だったからもしかして、と思ったら、やっぱり美波だった」
私は膝の上に置いた手に視線を落とす。白地に濃淡さまざまな青で描かれた桔梗柄の浴衣と、エメラルドグリーン、じゃなくて花緑青色の帯は六年前、二十歳の夏にいっちゃんと花火に行くために選んだものだ。母のお下がりを含めた手持ちの浴衣の中ではこれが一番お気に入りで、爽太に見てもらおうと思って着てきたのに。
――これじゃまるで、いっちゃんに未練があって着てるみたいじゃない。
「美波、あんまり変わってないな」
「……そっちも」
別れてから丸五年経つけれど、ちょっと長めの前髪も口元のほくろも、私の名前を呼ぶ声も変わっていない。
市川祐也、通称いっちゃんとは大学入学と同時に始めたバイト先で知り合った。同い年で大学も割と近くで、同じ路線の電車で通学することもあってすぐに仲良くなって、その年の夏休みに付き合い始めて二年近く一緒にいた。
「あのさ、美波」
「何」
「この間中学のツレと呑んだ時に、八代が高校の同級生と結婚するって聞いたんだけど」
ヤッチといっちゃんは同じ中学出身で、私がいっちゃんと付き合い出したと知った時は『世間は狭いな』と驚いていた。
そう、地方都市の世間は本当に狭い。だからこそショッピングモールで元彼の車とニアミスするし、普段乗らない電車に乗ったらこういうことが起きたりするのだ。
……爽太の家で浴衣に着替えるんじゃなくてわざわざ駅で待ち合わせにしたのはサプライズのつもりだったけど、大晦日といい今日といい、私がサプライズを考えるとロクなことにならないらしい。
「相手って、美波?」
「ありがと。それじゃ、行ってきます」
「くれぐれも菅原くんに迷惑かけないようにね」
念を押す母に見送られながら、私は弟の大河の車に乗り込む。浴衣の帯を潰さないように気をつけてシートベルトを締めるとすぐに車が動き出した。
今夜は爽太の家の近くで大規模な花火大会があり、渋滞がひどいしバスも混むから会場の最寄駅から一緒に歩いて行くことになっている。私の家から駅まで送ってくれるのは大河だ。
「本当に駅まででいい? 途中でスガさん拾って近くまで送ろうか?」
「あんまり長く車乗ってると帯潰れるし、渋滞ハマってイラつくのも嫌」
せっかく気合い入れて浴衣着たんだから、できるだけいい状態で爽太に見てもらいたい。
大河が嫌そうな顔をした。
「ちょ、俺これからその渋滞に突っ込んで仕事行くんだけどさあ」
「ごめんごめん」
大河の勤め先は花火会場の目の前、有料観覧席エリアの隣にあるホテルだ。今夜はホテルの前で出店の売り子をしてそのまま仮眠を取り、明日の早朝からキッチンのヘルプに入らされるらしい。入社二年目下っ端パティシエ、色々と大変だな。
「スガさんがどこで場所取りしてるか知らないけど、来れそうならこっちにも顔出して。この間の礼に奢るから」
「お礼なんていらないよ」
「姉ちゃんにじゃなくて、スガさんに」
この間野外ライブで爽太の会社の人と遭遇した時、さすがに挨拶だけというのは気が引けたので大河の勤め先の出店でアイスを買って差し入れにした。更に爽太が私達女子四人と朋ちゃんの知り合いの分まで買ってくれたおかげで売れ残りを回避できたらしく、大河達売り子の面々にものすごく感謝された。
「スガさん、ほんといい人だよな。この間も『酔っ払い多いから、美波達が車に戻る時付き添ってあげてくれないかな』とか言ってたし。めちゃめちゃ大事にされてるじゃん」
会社の後輩に絡んでいた男からの反撃を警戒して、爽太は大河にボディガードを頼んでくれた。プロレスラー体型の大河はいるだけで威圧感があるから牽制にはもってこいだ。
「姉ちゃん、絶対スガさん逃すなよ」
「いきなり何言ってんの」
「スガさん以上の男なんてこの先二度と現れないぞ」
「わかってる」
大河だけじゃなくて両親からも『あんないい人はいない』と言われているし、私自身そう思っている。
「姉ちゃんがあの人捕まえられたの、はっきり言って奇跡だと思うんだけど。なんでそうなったの?」
高校出てからだいぶ経ってるのに、と不思議そうな顔で付け加える大河に、私は軽く「さあね」と返事をする。くーちゃん達みたいな甘酸っぱいはじまり方なら人に堂々と話せるだろうけど、『浮気された直後に泊めてもらって勢いでヤッちゃったのがきっかけ』なんて言えるはずがない。
「ふーん。……はい、到着。行ってらっしゃい」
「ありがと。大河も、運転気をつけて」
車が走り去る音を聞きながら私は改札に向かい、やってきた電車に乗り込む。電車の中には浴衣を着た女の子達もいてその一角はとても華やかだ。
あの色合わせ、かわいいな。シースルー兵児帯をお花みたいにするのもあと十歳若かったらやりたかった。
そんなことをぼんやり考えながら電車に揺られているうちに、降りる駅まであと一つというところまで来ていた。
ドアが開き、次々と人が乗ってくる。隣の席に置いていたお泊まりセット入りのバッグを網棚に上げて振り返った瞬間、通路にいた人と目が合って息が止まりそうになった。
だって、この人は。
「……美波」
「いっちゃ、ん」
初めてつきあった相手の、いっちゃんだ。
「久しぶり。隣、いいかな」
いっちゃんは私の返事を待たずに二人掛けの席の通路側に腰を下ろした。席を立てなくなってしまったけれどもう遅い。急行電車の終点まであと七分、このまま過ごさないといけない。
「見覚えのある浴衣だったからもしかして、と思ったら、やっぱり美波だった」
私は膝の上に置いた手に視線を落とす。白地に濃淡さまざまな青で描かれた桔梗柄の浴衣と、エメラルドグリーン、じゃなくて花緑青色の帯は六年前、二十歳の夏にいっちゃんと花火に行くために選んだものだ。母のお下がりを含めた手持ちの浴衣の中ではこれが一番お気に入りで、爽太に見てもらおうと思って着てきたのに。
――これじゃまるで、いっちゃんに未練があって着てるみたいじゃない。
「美波、あんまり変わってないな」
「……そっちも」
別れてから丸五年経つけれど、ちょっと長めの前髪も口元のほくろも、私の名前を呼ぶ声も変わっていない。
市川祐也、通称いっちゃんとは大学入学と同時に始めたバイト先で知り合った。同い年で大学も割と近くで、同じ路線の電車で通学することもあってすぐに仲良くなって、その年の夏休みに付き合い始めて二年近く一緒にいた。
「あのさ、美波」
「何」
「この間中学のツレと呑んだ時に、八代が高校の同級生と結婚するって聞いたんだけど」
ヤッチといっちゃんは同じ中学出身で、私がいっちゃんと付き合い出したと知った時は『世間は狭いな』と驚いていた。
そう、地方都市の世間は本当に狭い。だからこそショッピングモールで元彼の車とニアミスするし、普段乗らない電車に乗ったらこういうことが起きたりするのだ。
……爽太の家で浴衣に着替えるんじゃなくてわざわざ駅で待ち合わせにしたのはサプライズのつもりだったけど、大晦日といい今日といい、私がサプライズを考えるとロクなことにならないらしい。
「相手って、美波?」
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