【R18】姫初めからのはじめかた

福永涼弥

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第四章 夏と花火と過去の亡霊

見えない不安

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 目の前に座るくーちゃんから発せられたあまりにも衝撃的な言葉に、私は思わずアイスコーヒーを噴き出しそうになった。相談があるってお茶に誘われて、結婚式の受付を頼まれてる件かと思っていたらまさかこんな話だったなんて。

「ちょ、く、くーちゃ……ゴホッ、何言って……っ」

 ギリギリ踏みとどまったけれどその分盛大に咽せてしまって言葉が続けられない。咳が治まったところで私は改めてくーちゃんに問いかけた。

「ヤッチが浮気してるかも、って、何それ。どういうこと!?」

 日曜午後二時、そこそこ混み合ったカフェに私の声が響く。普段なら「みーちゃん、声大きいよ」と窘めてくれるはずのくーちゃんは今日は何も言わない。

「……最近の翼、なんか変なの」
「変、って」

 先週五重奏クインテットの練習で顔を合わせた時はいつも通りだったよ、と言いかけたのをすんでのところで飲みこみ、私はくーちゃんの答えを待つ。

「冬の終わり頃からしょっちゅう実家帰ってるし、結婚式の打ち合わせの時もなんだかソワソワしてるし、それに」

 くーちゃんが一度言葉を切り、探るような目で私を見る。

「菅原くんがこっち戻ってきてから、『菅原と出かける』って言って日曜に用事入れることが何回かあって。だから、もしかして」
「……爽太を言い訳にして、浮気相手と会ってるんじゃないか、って?」

 アッシュブラウンのウエーブヘアがこくりと頷くのを見て、私は思わず机に突っ伏しそうになってしまう。
 くーちゃん、違うよ! 結婚式で演る五重奏の練習してるだけだから!
 爽太どころか私もマコも朋ちゃんも一緒だから!!
 打ち合わせでソワソワしてるのも、多分サプライズがバレないか心配してるだけだから!!!
 叫びたくなるのを必死で堪えながら私は頭をフル回転させる。五重奏の話をせずにくーちゃんを安心させるには一体どうしたらいいだろう。

「……ヤッチが爽太と出かけるって言ってたのって、先週でしょ? 野外ライブ見に行った次の日」
「うん」
「昼頃に、爽太とヤッチが一緒に車乗ってるの見たよ」

 あの日は皆でお昼ごはん食べに行こうって話になって男女別れて車に乗った。だから嘘は言ってない。本当のことも言ってないだけだ。ちなみに、その前日にくーちゃんをライブに誘ったのはヤッチが実家に帰ってドラムを練習する時間を確保するための朋ちゃん軍曹の作戦だったのだけど。
 ……ライブの日、まさか爽太や爽太の職場の人と会うなんて思ってなかったからすごく焦ったんだよなぁ。中高の部活で鍛えた、少々やらかしても動じてるように見せない舞台度胸と根性があんなところで役に立つとは思わなかった。

「爽太と会ってるのは本当だから、心配しなくても大丈夫」

 どうにかフォローしたつもりだけど、くーちゃんの表情は晴れない。

「……そうだといいんだけど」
「他にも何か気になることあったりするの?」

 考えすぎかもしれないけど、と前置きをしてからくーちゃんが小さな声で話し始める。

「私も翼も、お互いが初めて付き合った相手で」

 二人が付き合いだしたのはちょうど十年前の今頃、高校一年の夏休みに行われた林間学校の時だ。お互いなんとなく意識していたのを察知したクラスメイトが悪ノリして肝試しでペアを組ませ、幽霊らしきものを見てビビり倒したヤッチがくーちゃんの手を握ったのが決定打になったらしい。

「私はそれですごく幸せだって思ってるけど……翼は、どうなのかなって」

 あー、これがマリッジブルーってやつか。元々そう思ってたところに、側から見たらかなり怪しい雰囲気のヤッチの行動が重なって余計に不安になっちゃったのかも。
 ……この状況で五重奏を演って、本当にくーちゃんは喜んでくれるのかな。
 ヤッチに相談したほうがいいかも、という考えが頭をよぎる。でも、このタイミングで私がヤッチと連絡取ってるのがくーちゃんに知られたらまた新しい疑惑を呼びそうだ。
 とりあえず、安心できる材料を増やしておいたほうがいいかもしれない。

「大丈夫だよ、ヤッチに限って浮気なんてありえない。……ねえ、くーちゃん」

 私は少し身を乗り出し、周りの人に聞こえないように小さな声で問いかける。

「相手に他に好きな人ができた時って、なんとなーくアレの時の雰囲気変わる感じがするんだけど。そのへんはどう?」

 くーちゃんが何度かまばたきをした。
 こういう話は時々聞くし、私も身をもって経験している。初めて付き合った相手といつものようにラブホに行った時にうまく言い表せない違和感を覚え、しばらくしてから別れを告げられたのは二十一歳になる少し前の苦い思い出だ。
 二年しか付き合ってなかった私が気づいたくらいなんだから、ヤッチと十年一緒にいるくーちゃんがその変化に気づかないはずがないし。

「……それは、今まで通り」

 変化してないことにも、ちゃんと気づけるはず。

「じゃあ、安心していいんじゃないかな」
「ん。……ありがとね、みーちゃん」
「どういたしまして」

 くーちゃんの顔は話し始めた時よりもずいぶん明るくなっている。なんとか結婚式まで穏やかに過ごせますように、と願いながら、私は飲み物に手を伸ばした。
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