73 / 142
第3章 学試闘争編
第26話・・・壊れたい_湊の提案_暴走と決着・・・
しおりを挟む
「一応記録の上では知ってるよ。……『十元屍葬流』。一本の刀を持ち、九本の刀を風で操る剣技。…『十刀流のジスト』が扱う我流剣技だ。…質も同じ」
湊が苦笑と呆れ混じりに深恋の司力を説明する。そしてそれはどうでもいい、とばかりに小さく溜息を吐いた。
湊が、既に100パーセント確信しているとはいえ、しっかり言葉で確認を取ることがある。
「……淡里さんは、ジストの娘なんだね」
「…うん。そうだよ」
深恋が微笑む。何も読み取れないが、その微笑みが本物と直感する。
同時に、随分と態度が緩和されたな、と思った。
「……冷酷で有名なジストの子ね…。別に子供がいること自体は別段不思議ではないけど…、淡里さんみたいな心を持った子が生まれたっていうのが不可解だね」
「? どういうこと?」
湊が言っていることが本当に分からないらしく、首を傾げて素直に聞いてくる。
「淡里さんのように裏組織内で生まれる子供は珍しくない。…そしてそのほとんどが淡里さんのような環境で育つ。残念なことにね。
……人の性格は主に親からの遺伝と育つ環境で形成される。…裏組織内で生まれる子の親は大体ろくでなしで、環境も殺人教育とか飢餓で苦しんだりとか、そういった具合だ。…そんな最悪な遺伝子を持って、最悪な環境で生活すれば、大体の人間は壊れる」
壊れる。言われて、深恋はポーカーフェイスの下で息を呑んだ。
(正に私のこ……)
「でも淡里さんは違う」
「……え?」
自嘲気味な深恋の思考を、湊が断ち切る。
「さっき、淡里さんの瞳に僅かに映った感情、俺には理解できたよ。……「こんなことやりたくない」っていう思い。…壊れた人間はそんなこと考えない。絶望し、諦め、感情そのものが無くなっていく」
「……私に感情なんて…」
「あるよ」
深恋の言葉を遮る。
「淡里さんは感情を抑え込んでるだけ。…綺麗な、純粋な感情を小さい頃からずっと抑えつけてた所為で、自分でも自覚することが難しくなってるみたいだけどね」
深恋は無表情で読めない顔を貫くが、湊には手に取るように分かる。
戸惑っている。
『超過演算』でも心を読めないのは、深恋が心を閉ざしてるから。なぜ心を閉ざせるかと言うと、純粋な感情は邪魔だったから。
「淡里さんは納得できないかもしれないけど、傷付くことのできる心を無くすことなく持ち合わせてるっていうのは、中々ないんだよ?」
湊が優しさと無邪気さに満ちた微笑みを浮かべる。
それはとても自然に浮かんだ笑みで、年齢以上の貫禄を感じた。
深恋はそれを眩しく思いながら、湊もまた自分とは違うけど普通の環境で育たなかったのだと思わせる。
「………買い被りだよ」
そんな湊を見て、再度自分との根本的な隔たりを痛感した。
「…三歳の時、父に命令され初めて人を殺してから、何万人の心臓を貫いたか分からない。何万人の胴体を真っ二つにしたか分からない。何万人の首を刎ねたか分からない。何万人の血を見たか分からない。何万人の血の臭いを嗅いだか分からない。何万人の血を浴びたか分からない。何万人の内臓を見たか分からない。何万人の慟哭を聞いたか分からない。気付けば罪悪感なんて感じなくなってた。気付けば人をどう合理的に殺せるか考えるようになってた。気付けばどう斬れば返り血を浴びないか分かるようになってた。気付けば大勢を相手にどう同士討ちさせられるか考えられるようになってた。気付けば血を見ても内臓を見ても平気になってた。気付けば体が大きくなって初潮が来てた。気付けば当然のように人を殺すようになってた。気付けば簡単に人を殺せる力がついてた」
呪詛のように述べられる言葉は、声音も表情も平然としたものなに、人の心に刻み付ける力を持っていた。
湊視点では更に恐ろしいと感じている。どうして声も仕草も偽物なのに、真実の言葉が語れるのか、か。
「私のこと、壊れてないって言ってくれてありがとう。……漣くんが言うなら本当なのかもしれないけど、正直なところ、………壊れたい」
ぽつりと、本音を口にする。
「苦しみから解放されるなら、壊れたいな……」
深恋の尻すぼみの言葉は声だけでなく態度も表情も悲哀に満ちていた。…深恋の素顔を湊は真っすぐに見詰めた。
はぁっ、と深恋が息を吐き出す。
「ありがとう。漣くん。私の最初で最後の告白を聞いてくれて」
スッと深恋から読み取れる情報が一気に減る。
表情、仕草、目線、呼吸など、あらゆる面で素を抑えつけ、仮初のものとなる。
完全に心を閉ざした。
それを見た湊はふと数時間前に深恋と戦った時、愚直に愛衣の策を熟し、湊の精神的隙を狙った罠に引っ掛からなくて深恋に下した評価を思い出した。
『確か淡里さんは両親も健在だし、何かしらの辛い過去を経験したって記録もない。本人の反応も特に異常なところはない。……とすると、才能か』
(………あの時の俺をぶん殴ってやりたい、とか初めて思ったわ)
深恋は完全に戦う気だ。
殺気も何も感じないが、それだけは分かる。
(これだけ純粋で真っすぐな淡里さんのことだ。自分の中の揺るがない何かを、地獄の中に見付けたんだろうね)
すると、深恋の気の流れが変わったことに気付く。
浮かぶ九本の刀が滑らかに動いて配置が変動する。
「十元屍葬流『剣林』」
縦の刀が深恋の周囲をゆっくり周り始め、更に陽炎空で刀が何本も増える。
深恋の周囲を何十本もの刀が囲む。
ぎっしりと囲んでいるわけではないので、深恋の顔はよく見えた。
よく見えることはさすがにおかしい。おそらく罠なだろう。
「…ねえ淡里さん。一つ提案なんだけど」
しかし今の湊はそんなこと気にしない。どうでもいい。
歯牙にもかけず、自然で、柔らかで、決して敵に向けるものではない笑みを浮かべ、深恋に提案した。
「『聖』に入らない?」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………へ…?」
◆ ◆ ◆
瞬きを繰り返す深恋は、完全に意味不明という表情だ。『剣林』の陽炎空も少し薄れている。
「? 聞こえなかった? 『聖』に入らな…」
「いやあの! ……その、え? …………一体、何の冗談?」
思考停止から抜け出した深恋は、眉を寄せて奇怪な生物でも見るような視線を湊に向ける。それを見てクスッとあまり嫌味を感じない笑みを浮かべて。
「冗談なんかじゃないよ」
湊は頑張って素の状態を抑え込もうとしている深恋に、真剣且つ好意的な視線を向けて、告げる。
「淡里深恋さん。貴方を独立策動部隊『聖』に勧誘します」
「…ッッ」
深恋が目を見開く。
状況の整理が追い付かない深恋は、深恋が何か言うのを微笑して待つ湊としばらく見詰め合った後、ゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出した。
「……だから、冗談でしょ? 私は殺人鬼だよ?『憐山』の構成員だよ? ……そんな私を勧誘? 笑える冗談だね」
口を三日月にしつつも、笑ってない目で湊を見る。
湊はクスリと笑い、あっけらかんと、告げた。
「淡里さんみたいな殺人鬼なら、『聖』にもいるよ?」
「……っ」
眉を顰める深恋に、湊は少し畳みかけるように告げた。
「淡里さんのように、元裏組織の人間なら『聖』にもいるよ? 何千何万と人を殺した人もいる」
「…………正規組織でしょ? そんなことが…」
「もちろん、誰でも彼でもってわけじゃない。淡里さんのように望んで裏組織にいるわけじゃなかったり、望んで人を殺してるわけじゃないってのが一番重要。後は『聖』内で妙なしこりを作らないために『聖』の人間は殺してないって…まあうちは少数精鋭だから滅多に死なないけどねー。……という具合に、結構フィーリングなんだよね。緩いでしょ?」
そして最後に付け添えた。
「だから大丈夫。むしろ淡里さんは前例に比べれば大分マシな方だよ?」
深恋の瞳が揺れ、唇が震えている。突然の展開にまだ付いていけてないのもあるが、それ以上に突如現れた希望の光に、どう反応するべきか分からないのだろう。
「……いや、でも……っ、私……は…」
「確かに淡里さんは今までに多くの命を奪った」
「…っ」
惑う深恋に、湊が告げる。深恋の肩が少しだけビクリとなった。
「だったら償え」
「…………っ」
償え、そう言われて深恋が喉を鳴らす。
「俺が罪の償い方を教える。…『聖』に入って、『聖』の隊員として働き、『聖』に貢献しろ。……その力、望まないで手に入れたものかもしれないけど、紛れもない強大な力だ。これからは、正しい方向に使おうよ」
「…………………ぅ」
「?」
「ウルッッッッサイッッッッッッッッッッッッ!!!」
深恋を纏う気が、爆発的に上昇する。
「償うとかッッ!! 正しい方向とかッッ!! 綺麗ごと簡単に言わないでよッッッッ!!! 何様なのよッッ!! 何がしたいのよッッ!! ていうかもう遅いのよッッ!! 何もかもッッ!! もう既に私は裏の人間ッッ!! 今更表に居場所なんてないッッ!! 私なんかには似合わないッッ!! 汚れた自分の手と一緒に朽ち果てるだけの人間なんだよッッ!!」
「自分の生き方を、死に方を、自分で決めるの? へー、結局自分のやりたいようにやるんだー」
グッと深恋は唇を強く噛み、血を流しながら叫ぶ。
「黙れッッ!!!……………………殺す……ッッッ!!!!!」
深恋が殺気を放つ。完全に理性を失っているが、それでも隙のない構えだ。
完全な殺る気。
「…じゃあこうしようか。俺が勝ったら淡里さんを『聖』に連れてく。どう?」
「好きにすればッッッッ!!!」
深恋が叫びながら、技を繰り出す。
「十元屍葬流『串刺凶』ッッ!!!」
『剣林』として展開していた多数の刀を、縮地法で瞬時に突撃させる。
全力の縮地法だ。今までとはまた数段上。
しかし湊は避けない。どこにも動かない。音叉も構えない。
そして直撃、湊に触れた瞬間、
……陽炎空の刀と、その中に混じっていた本物の刀4本が消えた。
「ッッッ!!?」
(なんでッッ!? 凝縮の気をあれだけ詰め込んだのにッッ!? いくら消滅法でも…………ぁッッ!? まさか……ッッ!?『虚無法』ッッ!?)
虚無法。
鎮静系特有法技で、消滅法を更に極めた超上級法技である。
空間そのもの消し、その空間内にある対象ごと一緒に消し去る。
理界踏破の一歩手前とされる。
湊は虚無法を施した気で自分の周囲を丸ごと囲ったのだ。超上級法技であり、扱いにくい虚無法を、器用に、正確に、ムラなく。
薄々分かっていたことだが、湊が先程まで本気をほとんど出していなかったことに戦慄する。
「いきなり六刀流になっちゃったね。…さすがに虚無法は強過ぎるか。今後使わないようにするよ」
ギリィィィィィィッッ!と歯が折れるくらいの勢いで歯軋りする深恋。
「なんなのよッッ!! 私をバカにしたいだけッッ!!? ふざけるんじゃないわよッッ!! 十元屍葬流『絶断鎌鼬』ッッ!!」
深恋が刀を上段に構える。同時に、浮いている他の五刀も同じように上段の構えのように、方向を変える。流れる風の気の濃度が増し、勢いよく振り下ろされる。同時他の五刀も振り下ろされる。
通常の鎌鼬より何倍もの威力で六つの鎌鼬が一斉に湊へ向かう。
「バカになんかしてないよ。ただこれから君がどれだけ強い人達の仲間になるのか、知ってほしいんだよ。………『超上激振』」
湊が大振りで音叉を振るい、カツンと当てる。単純に強く激しい振動が『絶断鎌鼬』六つを容易く撥ね退け、勢いがほとんど衰えないまま深恋へ向かう。
目を見開いた深恋は慌てて刀の配置を変える。
「十元屍葬流『円廻壁』ッッ!!」
五本の刀を高速回転させ、それにより渦巻く壁を作る。竜巻を横にしたような壁だ。
『超上激振』とぶつかる。結果的にそれは打ち消せたが、深恋の刀も一本失った。
「五刀流になっちゃったね」
「ッッ!?」
その声は、真隣から聞こえ、弾けて跳ぶように縮地法で距離を取る。
しかし余裕の表情で湊がそれに付いてくる。
縮地法は足の速さではなく、どちらかとスライドするように運ばれているような感覚なので、特に体に力を入れていない。そんな状態の深恋のすぐ目の前に口元に笑みを浮かべる湊がいるのは妙な感覚であり、恐ろしくも感じた。
深恋は反射的に浮く二本の刀を湊へ投擲する。それを湊は両手の音叉を叩き落すように振り、二本の刀を破壊した。
「三刀流~」
二本失ったが、そのおかげで数秒時間を稼げた。
距離を十分取って…というところで、湊の姿がないことに気付く。
パキンっ、という音が後ろ上から聞こえた。
振り向けば、浮いている深恋の刀一本を打ち割る湊がいた。いくらなんでも普通に自分の刀に近付いて気付けないわけがない。唐突に静動法で気配、物音を消して数拍気付くのが遅れる内に回り込まれたのだ。
そのまま降りた立った湊が、一見無邪気な笑みを浮かべる。
「二刀流…あ、勇士と同じだね」
深恋は頭に血が上りながらも、不可解な湊の発言に首を傾げる。
「…はぁ? 別に紅井くんは二刀流じゃ…」
「だって勇士、『紅蓮奏華家』の人間で紅華鬼燐流使うんだよ? 二刀流だよ~」
「はッ…え……紅井さん…が……ぐれ……」
あっさりと告げられた事実に深恋が少し目を白黒させ、キッと湊を睨む。
「なんなのッッ!? ほんとッッ!! 意味分からないッッ!!」
「だって淡里さんはこれから『聖』の隊員になってくれるわけだし、問題ないでしょ?」
「ッッッ!!」
もはや理屈ではなく、とにかく湊にムカつく。
深恋は気を操作したかと思えば、最後に浮いている刀をバキンッッと地面に叩き落として割った。
「あれ? いいの?」
「君相手じゃ邪魔なだけだからねッッ!!」
言ってから、両手で刀を持つ深恋は自身を纏う気を限界まで凝縮させる。今までとは桁違いの勢いでどんどん凝縮に凝縮を重ね、凝縮していく。
そうして発動した法技を見て、湊が目を細める。
「これは凄い…。『無敵法』も使えるんだ…」
無敵法。
凝縮系特有法技で、超上級法技だ。
極限まで気を凝縮させ、他の攻撃・干渉を完全に遮断する技術。
これも理界踏破一歩手前である。
深恋はもう力がほとんど残っていない。そもそも、深恋がA級中位レベルの気でS級レベルの法技を実現させていること自体がかなりの驚きだ。
深恋の才能もあるかもしれないが、断言できる。育った環境が大きな要因だと。
「十元屍葬流……」
気を抜けば意識を落としそうな深恋が、無敵法を体と刀に纏い、さすがに縮地法は使えないのか、加速法で突っ込んで来た。
「『死散歩』ッ!!」
散歩、と言っておきながら走って突っ込んでくる。本来は歩きながら無敵法を施した浮いてる九本の刀で向かい来る敵を殺す剣技なのだろう。
「…参った」
迫る深恋を見ながら、湊は笑んだ。
「これはさすがに虚無法じゃなきゃ無理だ」
刀を振り上げる深恋に対し、湊は全身に虚無法を纏い、音叉を放り落とした。
そのことに気付いてない深恋は刀を振り下ろし、…刀身が無と化す。
深恋の表情が悲しさと悔しさと、何かから開放されたような安らかさに染まる。
無敵法がプツリと解けた深恋が、力を使い果たしたようで、そのまま倒れ込む。
ぎゅっ、と湊がその体を抱き留めた。
※ ※ ※
完全に力を無くし、湊に抱き留められ、湊の肩に顎を乗せる深恋が、弱々しく呟いた。
「君……何者?『聖』ってみんなこんなに強いの…?」
深恋のショートヘアをくすぐったくて心地良く感じてる湊が「あー」とわざとらしく声を上げる。
「まだ言ってなかったっけ」
物忘れなどしない湊がそんなことを言い、告げた。
「俺のコードネームはクロッカス。『聖』の第四策動隊隊長やってますっ」
「ッッ……ぁあ、驚いたけど…なるほどって…納得しちゃう…」
ふふっと深恋が笑うのを全身で感じる。
「……で、私は…『聖』に連れて行かれちゃうの?」
「うん。約束だからね」
深恋の恐る恐ると言った感じの質問に湊が即答して、拍子抜けしたような笑いをまた感じる。
「私、今漣くんを本気で殺そうとしたんだよ?」
「本当に?」
「ぇ……」
湊の思わぬ返しに、深恋が戸惑う。
「こう言うと失礼かもしれないけど、淡里さんの刀は確かに本気だったと思うけど……どこかで俺には敵わないって分かってるような感情が時々見えたよ?」
「………そんな気もするけど、よく分からない…」
あはは、と湊が笑う。
「分からないならそれでいい。まずは『聖』でしっかり自己分析をしようね。………と、そうだ。これやっておかないとね」
「?」
湊の言葉にハテナになるが、体をまともに動かすこともできないので、倒れかかったまま聞く。
「何?」
「……辛かったね」
「? え?」
「取り敢えず今ここで、思いっ切り泣いときな」
ぽん、と湊が深恋の背中に手の平を当てる。
するとその手の平からジワっと、骨身に温かく浸み込み、心をも包み込むような温水のような感覚が全身を駆け巡る。
「…ぅ……ぇ……ぇ」
ジワジワと心から脳へ湧き上がるような心地いい感覚。
「……な、に………を…」
「『温心法』。鎮静の気を対象の精神に作用させ、緩和する法技。……淡里さんさ、ずっと心を抑えつけるのが当然になってるから、まずはしっかり感情を開放しよう。精神的によくないからね」
湊が再度、温心法を掛けた。
「ぅぐ……ぁぁ……」
もう止まらない。
「ぁ…ぁ………」
深恋が、大声を上げて、なんとか動かせる腕で湊に抱き着きながら、泣いた。
十年以上抑え込んで来た感情が、ダムの決壊の如く溢れ出てくる。『辛かった』『苦しかった』『悲しかった』『こんなこともうやりたくない』『誰か私を助けて』『私のヒーロー現れて』『一人でいいから友達が欲しい』『どうして私ばかりがこんな目に合うの?』『理不尽だよ』『こんな生活もう嫌だ』『死にたい…』。
そして、今、湊に『聖』へ勧誘された時の感情……無意識に抑えこんでしまった感情……『……嬉しい』。
それらの感情が堰を切ったように、全身へ流れ込んでいく。
どれもが思い出したくない感情だった。しかし、一番新しい感情にも出ているように、湊に、『聖』に、自分を受け入れてくれるという、その言葉だけで救われた気持ちになっている。まだどうなるか分からないけど、嬉しい。そこで罪を償えるなら償いたい。
これまでのことも忘れず背負い、新しい仲間と共に新しい人生を歩みたい。
その日を境に、深恋を取り巻く全てが変わることとなった。
湊が苦笑と呆れ混じりに深恋の司力を説明する。そしてそれはどうでもいい、とばかりに小さく溜息を吐いた。
湊が、既に100パーセント確信しているとはいえ、しっかり言葉で確認を取ることがある。
「……淡里さんは、ジストの娘なんだね」
「…うん。そうだよ」
深恋が微笑む。何も読み取れないが、その微笑みが本物と直感する。
同時に、随分と態度が緩和されたな、と思った。
「……冷酷で有名なジストの子ね…。別に子供がいること自体は別段不思議ではないけど…、淡里さんみたいな心を持った子が生まれたっていうのが不可解だね」
「? どういうこと?」
湊が言っていることが本当に分からないらしく、首を傾げて素直に聞いてくる。
「淡里さんのように裏組織内で生まれる子供は珍しくない。…そしてそのほとんどが淡里さんのような環境で育つ。残念なことにね。
……人の性格は主に親からの遺伝と育つ環境で形成される。…裏組織内で生まれる子の親は大体ろくでなしで、環境も殺人教育とか飢餓で苦しんだりとか、そういった具合だ。…そんな最悪な遺伝子を持って、最悪な環境で生活すれば、大体の人間は壊れる」
壊れる。言われて、深恋はポーカーフェイスの下で息を呑んだ。
(正に私のこ……)
「でも淡里さんは違う」
「……え?」
自嘲気味な深恋の思考を、湊が断ち切る。
「さっき、淡里さんの瞳に僅かに映った感情、俺には理解できたよ。……「こんなことやりたくない」っていう思い。…壊れた人間はそんなこと考えない。絶望し、諦め、感情そのものが無くなっていく」
「……私に感情なんて…」
「あるよ」
深恋の言葉を遮る。
「淡里さんは感情を抑え込んでるだけ。…綺麗な、純粋な感情を小さい頃からずっと抑えつけてた所為で、自分でも自覚することが難しくなってるみたいだけどね」
深恋は無表情で読めない顔を貫くが、湊には手に取るように分かる。
戸惑っている。
『超過演算』でも心を読めないのは、深恋が心を閉ざしてるから。なぜ心を閉ざせるかと言うと、純粋な感情は邪魔だったから。
「淡里さんは納得できないかもしれないけど、傷付くことのできる心を無くすことなく持ち合わせてるっていうのは、中々ないんだよ?」
湊が優しさと無邪気さに満ちた微笑みを浮かべる。
それはとても自然に浮かんだ笑みで、年齢以上の貫禄を感じた。
深恋はそれを眩しく思いながら、湊もまた自分とは違うけど普通の環境で育たなかったのだと思わせる。
「………買い被りだよ」
そんな湊を見て、再度自分との根本的な隔たりを痛感した。
「…三歳の時、父に命令され初めて人を殺してから、何万人の心臓を貫いたか分からない。何万人の胴体を真っ二つにしたか分からない。何万人の首を刎ねたか分からない。何万人の血を見たか分からない。何万人の血の臭いを嗅いだか分からない。何万人の血を浴びたか分からない。何万人の内臓を見たか分からない。何万人の慟哭を聞いたか分からない。気付けば罪悪感なんて感じなくなってた。気付けば人をどう合理的に殺せるか考えるようになってた。気付けばどう斬れば返り血を浴びないか分かるようになってた。気付けば大勢を相手にどう同士討ちさせられるか考えられるようになってた。気付けば血を見ても内臓を見ても平気になってた。気付けば体が大きくなって初潮が来てた。気付けば当然のように人を殺すようになってた。気付けば簡単に人を殺せる力がついてた」
呪詛のように述べられる言葉は、声音も表情も平然としたものなに、人の心に刻み付ける力を持っていた。
湊視点では更に恐ろしいと感じている。どうして声も仕草も偽物なのに、真実の言葉が語れるのか、か。
「私のこと、壊れてないって言ってくれてありがとう。……漣くんが言うなら本当なのかもしれないけど、正直なところ、………壊れたい」
ぽつりと、本音を口にする。
「苦しみから解放されるなら、壊れたいな……」
深恋の尻すぼみの言葉は声だけでなく態度も表情も悲哀に満ちていた。…深恋の素顔を湊は真っすぐに見詰めた。
はぁっ、と深恋が息を吐き出す。
「ありがとう。漣くん。私の最初で最後の告白を聞いてくれて」
スッと深恋から読み取れる情報が一気に減る。
表情、仕草、目線、呼吸など、あらゆる面で素を抑えつけ、仮初のものとなる。
完全に心を閉ざした。
それを見た湊はふと数時間前に深恋と戦った時、愚直に愛衣の策を熟し、湊の精神的隙を狙った罠に引っ掛からなくて深恋に下した評価を思い出した。
『確か淡里さんは両親も健在だし、何かしらの辛い過去を経験したって記録もない。本人の反応も特に異常なところはない。……とすると、才能か』
(………あの時の俺をぶん殴ってやりたい、とか初めて思ったわ)
深恋は完全に戦う気だ。
殺気も何も感じないが、それだけは分かる。
(これだけ純粋で真っすぐな淡里さんのことだ。自分の中の揺るがない何かを、地獄の中に見付けたんだろうね)
すると、深恋の気の流れが変わったことに気付く。
浮かぶ九本の刀が滑らかに動いて配置が変動する。
「十元屍葬流『剣林』」
縦の刀が深恋の周囲をゆっくり周り始め、更に陽炎空で刀が何本も増える。
深恋の周囲を何十本もの刀が囲む。
ぎっしりと囲んでいるわけではないので、深恋の顔はよく見えた。
よく見えることはさすがにおかしい。おそらく罠なだろう。
「…ねえ淡里さん。一つ提案なんだけど」
しかし今の湊はそんなこと気にしない。どうでもいい。
歯牙にもかけず、自然で、柔らかで、決して敵に向けるものではない笑みを浮かべ、深恋に提案した。
「『聖』に入らない?」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………へ…?」
◆ ◆ ◆
瞬きを繰り返す深恋は、完全に意味不明という表情だ。『剣林』の陽炎空も少し薄れている。
「? 聞こえなかった? 『聖』に入らな…」
「いやあの! ……その、え? …………一体、何の冗談?」
思考停止から抜け出した深恋は、眉を寄せて奇怪な生物でも見るような視線を湊に向ける。それを見てクスッとあまり嫌味を感じない笑みを浮かべて。
「冗談なんかじゃないよ」
湊は頑張って素の状態を抑え込もうとしている深恋に、真剣且つ好意的な視線を向けて、告げる。
「淡里深恋さん。貴方を独立策動部隊『聖』に勧誘します」
「…ッッ」
深恋が目を見開く。
状況の整理が追い付かない深恋は、深恋が何か言うのを微笑して待つ湊としばらく見詰め合った後、ゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出した。
「……だから、冗談でしょ? 私は殺人鬼だよ?『憐山』の構成員だよ? ……そんな私を勧誘? 笑える冗談だね」
口を三日月にしつつも、笑ってない目で湊を見る。
湊はクスリと笑い、あっけらかんと、告げた。
「淡里さんみたいな殺人鬼なら、『聖』にもいるよ?」
「……っ」
眉を顰める深恋に、湊は少し畳みかけるように告げた。
「淡里さんのように、元裏組織の人間なら『聖』にもいるよ? 何千何万と人を殺した人もいる」
「…………正規組織でしょ? そんなことが…」
「もちろん、誰でも彼でもってわけじゃない。淡里さんのように望んで裏組織にいるわけじゃなかったり、望んで人を殺してるわけじゃないってのが一番重要。後は『聖』内で妙なしこりを作らないために『聖』の人間は殺してないって…まあうちは少数精鋭だから滅多に死なないけどねー。……という具合に、結構フィーリングなんだよね。緩いでしょ?」
そして最後に付け添えた。
「だから大丈夫。むしろ淡里さんは前例に比べれば大分マシな方だよ?」
深恋の瞳が揺れ、唇が震えている。突然の展開にまだ付いていけてないのもあるが、それ以上に突如現れた希望の光に、どう反応するべきか分からないのだろう。
「……いや、でも……っ、私……は…」
「確かに淡里さんは今までに多くの命を奪った」
「…っ」
惑う深恋に、湊が告げる。深恋の肩が少しだけビクリとなった。
「だったら償え」
「…………っ」
償え、そう言われて深恋が喉を鳴らす。
「俺が罪の償い方を教える。…『聖』に入って、『聖』の隊員として働き、『聖』に貢献しろ。……その力、望まないで手に入れたものかもしれないけど、紛れもない強大な力だ。これからは、正しい方向に使おうよ」
「…………………ぅ」
「?」
「ウルッッッッサイッッッッッッッッッッッッ!!!」
深恋を纏う気が、爆発的に上昇する。
「償うとかッッ!! 正しい方向とかッッ!! 綺麗ごと簡単に言わないでよッッッッ!!! 何様なのよッッ!! 何がしたいのよッッ!! ていうかもう遅いのよッッ!! 何もかもッッ!! もう既に私は裏の人間ッッ!! 今更表に居場所なんてないッッ!! 私なんかには似合わないッッ!! 汚れた自分の手と一緒に朽ち果てるだけの人間なんだよッッ!!」
「自分の生き方を、死に方を、自分で決めるの? へー、結局自分のやりたいようにやるんだー」
グッと深恋は唇を強く噛み、血を流しながら叫ぶ。
「黙れッッ!!!……………………殺す……ッッッ!!!!!」
深恋が殺気を放つ。完全に理性を失っているが、それでも隙のない構えだ。
完全な殺る気。
「…じゃあこうしようか。俺が勝ったら淡里さんを『聖』に連れてく。どう?」
「好きにすればッッッッ!!!」
深恋が叫びながら、技を繰り出す。
「十元屍葬流『串刺凶』ッッ!!!」
『剣林』として展開していた多数の刀を、縮地法で瞬時に突撃させる。
全力の縮地法だ。今までとはまた数段上。
しかし湊は避けない。どこにも動かない。音叉も構えない。
そして直撃、湊に触れた瞬間、
……陽炎空の刀と、その中に混じっていた本物の刀4本が消えた。
「ッッッ!!?」
(なんでッッ!? 凝縮の気をあれだけ詰め込んだのにッッ!? いくら消滅法でも…………ぁッッ!? まさか……ッッ!?『虚無法』ッッ!?)
虚無法。
鎮静系特有法技で、消滅法を更に極めた超上級法技である。
空間そのもの消し、その空間内にある対象ごと一緒に消し去る。
理界踏破の一歩手前とされる。
湊は虚無法を施した気で自分の周囲を丸ごと囲ったのだ。超上級法技であり、扱いにくい虚無法を、器用に、正確に、ムラなく。
薄々分かっていたことだが、湊が先程まで本気をほとんど出していなかったことに戦慄する。
「いきなり六刀流になっちゃったね。…さすがに虚無法は強過ぎるか。今後使わないようにするよ」
ギリィィィィィィッッ!と歯が折れるくらいの勢いで歯軋りする深恋。
「なんなのよッッ!! 私をバカにしたいだけッッ!!? ふざけるんじゃないわよッッ!! 十元屍葬流『絶断鎌鼬』ッッ!!」
深恋が刀を上段に構える。同時に、浮いている他の五刀も同じように上段の構えのように、方向を変える。流れる風の気の濃度が増し、勢いよく振り下ろされる。同時他の五刀も振り下ろされる。
通常の鎌鼬より何倍もの威力で六つの鎌鼬が一斉に湊へ向かう。
「バカになんかしてないよ。ただこれから君がどれだけ強い人達の仲間になるのか、知ってほしいんだよ。………『超上激振』」
湊が大振りで音叉を振るい、カツンと当てる。単純に強く激しい振動が『絶断鎌鼬』六つを容易く撥ね退け、勢いがほとんど衰えないまま深恋へ向かう。
目を見開いた深恋は慌てて刀の配置を変える。
「十元屍葬流『円廻壁』ッッ!!」
五本の刀を高速回転させ、それにより渦巻く壁を作る。竜巻を横にしたような壁だ。
『超上激振』とぶつかる。結果的にそれは打ち消せたが、深恋の刀も一本失った。
「五刀流になっちゃったね」
「ッッ!?」
その声は、真隣から聞こえ、弾けて跳ぶように縮地法で距離を取る。
しかし余裕の表情で湊がそれに付いてくる。
縮地法は足の速さではなく、どちらかとスライドするように運ばれているような感覚なので、特に体に力を入れていない。そんな状態の深恋のすぐ目の前に口元に笑みを浮かべる湊がいるのは妙な感覚であり、恐ろしくも感じた。
深恋は反射的に浮く二本の刀を湊へ投擲する。それを湊は両手の音叉を叩き落すように振り、二本の刀を破壊した。
「三刀流~」
二本失ったが、そのおかげで数秒時間を稼げた。
距離を十分取って…というところで、湊の姿がないことに気付く。
パキンっ、という音が後ろ上から聞こえた。
振り向けば、浮いている深恋の刀一本を打ち割る湊がいた。いくらなんでも普通に自分の刀に近付いて気付けないわけがない。唐突に静動法で気配、物音を消して数拍気付くのが遅れる内に回り込まれたのだ。
そのまま降りた立った湊が、一見無邪気な笑みを浮かべる。
「二刀流…あ、勇士と同じだね」
深恋は頭に血が上りながらも、不可解な湊の発言に首を傾げる。
「…はぁ? 別に紅井くんは二刀流じゃ…」
「だって勇士、『紅蓮奏華家』の人間で紅華鬼燐流使うんだよ? 二刀流だよ~」
「はッ…え……紅井さん…が……ぐれ……」
あっさりと告げられた事実に深恋が少し目を白黒させ、キッと湊を睨む。
「なんなのッッ!? ほんとッッ!! 意味分からないッッ!!」
「だって淡里さんはこれから『聖』の隊員になってくれるわけだし、問題ないでしょ?」
「ッッッ!!」
もはや理屈ではなく、とにかく湊にムカつく。
深恋は気を操作したかと思えば、最後に浮いている刀をバキンッッと地面に叩き落として割った。
「あれ? いいの?」
「君相手じゃ邪魔なだけだからねッッ!!」
言ってから、両手で刀を持つ深恋は自身を纏う気を限界まで凝縮させる。今までとは桁違いの勢いでどんどん凝縮に凝縮を重ね、凝縮していく。
そうして発動した法技を見て、湊が目を細める。
「これは凄い…。『無敵法』も使えるんだ…」
無敵法。
凝縮系特有法技で、超上級法技だ。
極限まで気を凝縮させ、他の攻撃・干渉を完全に遮断する技術。
これも理界踏破一歩手前である。
深恋はもう力がほとんど残っていない。そもそも、深恋がA級中位レベルの気でS級レベルの法技を実現させていること自体がかなりの驚きだ。
深恋の才能もあるかもしれないが、断言できる。育った環境が大きな要因だと。
「十元屍葬流……」
気を抜けば意識を落としそうな深恋が、無敵法を体と刀に纏い、さすがに縮地法は使えないのか、加速法で突っ込んで来た。
「『死散歩』ッ!!」
散歩、と言っておきながら走って突っ込んでくる。本来は歩きながら無敵法を施した浮いてる九本の刀で向かい来る敵を殺す剣技なのだろう。
「…参った」
迫る深恋を見ながら、湊は笑んだ。
「これはさすがに虚無法じゃなきゃ無理だ」
刀を振り上げる深恋に対し、湊は全身に虚無法を纏い、音叉を放り落とした。
そのことに気付いてない深恋は刀を振り下ろし、…刀身が無と化す。
深恋の表情が悲しさと悔しさと、何かから開放されたような安らかさに染まる。
無敵法がプツリと解けた深恋が、力を使い果たしたようで、そのまま倒れ込む。
ぎゅっ、と湊がその体を抱き留めた。
※ ※ ※
完全に力を無くし、湊に抱き留められ、湊の肩に顎を乗せる深恋が、弱々しく呟いた。
「君……何者?『聖』ってみんなこんなに強いの…?」
深恋のショートヘアをくすぐったくて心地良く感じてる湊が「あー」とわざとらしく声を上げる。
「まだ言ってなかったっけ」
物忘れなどしない湊がそんなことを言い、告げた。
「俺のコードネームはクロッカス。『聖』の第四策動隊隊長やってますっ」
「ッッ……ぁあ、驚いたけど…なるほどって…納得しちゃう…」
ふふっと深恋が笑うのを全身で感じる。
「……で、私は…『聖』に連れて行かれちゃうの?」
「うん。約束だからね」
深恋の恐る恐ると言った感じの質問に湊が即答して、拍子抜けしたような笑いをまた感じる。
「私、今漣くんを本気で殺そうとしたんだよ?」
「本当に?」
「ぇ……」
湊の思わぬ返しに、深恋が戸惑う。
「こう言うと失礼かもしれないけど、淡里さんの刀は確かに本気だったと思うけど……どこかで俺には敵わないって分かってるような感情が時々見えたよ?」
「………そんな気もするけど、よく分からない…」
あはは、と湊が笑う。
「分からないならそれでいい。まずは『聖』でしっかり自己分析をしようね。………と、そうだ。これやっておかないとね」
「?」
湊の言葉にハテナになるが、体をまともに動かすこともできないので、倒れかかったまま聞く。
「何?」
「……辛かったね」
「? え?」
「取り敢えず今ここで、思いっ切り泣いときな」
ぽん、と湊が深恋の背中に手の平を当てる。
するとその手の平からジワっと、骨身に温かく浸み込み、心をも包み込むような温水のような感覚が全身を駆け巡る。
「…ぅ……ぇ……ぇ」
ジワジワと心から脳へ湧き上がるような心地いい感覚。
「……な、に………を…」
「『温心法』。鎮静の気を対象の精神に作用させ、緩和する法技。……淡里さんさ、ずっと心を抑えつけるのが当然になってるから、まずはしっかり感情を開放しよう。精神的によくないからね」
湊が再度、温心法を掛けた。
「ぅぐ……ぁぁ……」
もう止まらない。
「ぁ…ぁ………」
深恋が、大声を上げて、なんとか動かせる腕で湊に抱き着きながら、泣いた。
十年以上抑え込んで来た感情が、ダムの決壊の如く溢れ出てくる。『辛かった』『苦しかった』『悲しかった』『こんなこともうやりたくない』『誰か私を助けて』『私のヒーロー現れて』『一人でいいから友達が欲しい』『どうして私ばかりがこんな目に合うの?』『理不尽だよ』『こんな生活もう嫌だ』『死にたい…』。
そして、今、湊に『聖』へ勧誘された時の感情……無意識に抑えこんでしまった感情……『……嬉しい』。
それらの感情が堰を切ったように、全身へ流れ込んでいく。
どれもが思い出したくない感情だった。しかし、一番新しい感情にも出ているように、湊に、『聖』に、自分を受け入れてくれるという、その言葉だけで救われた気持ちになっている。まだどうなるか分からないけど、嬉しい。そこで罪を償えるなら償いたい。
これまでのことも忘れず背負い、新しい仲間と共に新しい人生を歩みたい。
その日を境に、深恋を取り巻く全てが変わることとなった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
31
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる