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第1話 踏みにじられた残像
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「やあ、愛しのモンモランシー。会いたかったよ」
「わたしもよフランク、会いに来てくれて嬉しいわ」
安物の香水の匂いが立ち込める商館の一室で、フランクは下卑た笑みを浮かべた。
ふらりと立ち寄った男は片手に土産――いや、領地の民から吸い上げた金で買い叩いた貢ぎ物を携えて、若く瑞々しい女性の隣に座る。
部屋の中には大きめのベッドが一つ。ここが商館であることを考えれば、つまりはそういうことである。
「ふふ、でもいいのフランク、奥さまに黙って来たのでしょう?」
「おいおい、せっかくの蜜月の時に萎えるようなことは言わないでくれよ。あれのことは今だけは忘れさせてくれ」
そういう約束だろ? と目で問いかける。ここに訪れるのは、家を守る貴族としての義務や、年老いた妻の視線から逃れるための、卑怯な現実逃避の意味合いもあった。
「それとも嫉妬かな? 安心してくれモンモランシー、今の僕にとっては君が一番だ。妻はまだ乗り気じゃないが離婚の可能性だって視野に入れている。そうしたらきっと君を迎えにくるよ」
「はいはい、期待しないで待っているわねフランク。……それじゃあ今日もたっぷりと愛を語らいあいましょう」
「ああそうだな」
言って、ベッドの上で一つに混じり合う。
そこにはただ、男女の生々しさだけが存在していた。
◆
――フランク・ローラン伯爵はろくでもない男だった。
妻帯者でありながら視察と称し、こうして夜な夜な入れあげた商売女相手に不貞行為にふけっていたからだ。
最初の頃はまだ、朝帰りすることにも妻を裏切ることにも、かすかな罪悪感があった。
しかしそれも時が経つにつれ、そして確信こそ突かれたわけではないものの浮気の疑念を抱く妻の姿に、むしろ「僕を不愉快にさせるのが悪い」と言わんばかりに堂々と開き直るようになった。
それでも甲斐甲斐しく、かつて愛し合っていた時のように振る舞おうとする妻。その献身が、今のフランクには自分の過ちを突きつけられているようで、いつしか逆恨みのイライラを募らせるようになっていた。
せめて子がいればまだ違ったであろう。
しかしどうやっても子宝に恵まれることもなく、日々老けていく妻に女を感じることもなくなっていたフランクが、愚かにも二十以上も年の離れた若い女に拐かされるのは、彼の浅ましさゆえの必定だったのかもしれない。
◆
今日もまた朝帰りとなった。
モンモランシーとやることをやってスッキリとしたフランクは、いまだ酒の残る体で侍従の肩を借りながら、だらしなくフラフラと屋敷に足を運んだ。
夜明け前後、屋敷の中は静まり返り、誰も迎えはないはずだった。
「――お帰りなさいあなた」
ちっ、と思わず舌打ちをするフランク。
玄関先、冷え切った空気の中で待っていたのは、他ならぬ妻だった。
「……わざわざ起きていたのかイライザ」
「はい、領地の視察から戻られた旦那様を迎えるのは妻として当然のことですから」
「だからいつも僕の帰りを待っていなくていいと言っていただろう。それともなにか、僕に対する当てつけか? なあ、お前から見て僕が遊び歩いているように映るのか?」
「いいえ、そのようなことは……。ただ、これが私の役目で――」
「お前の役目は世継ぎを産むことだろうが!」
アルコールのせいで、醜い本性が剥き出しのまま荒ぶる。
「貴族に嫁いだ女がするべき役目は一つ、ただ子を一人でも多く設けることだけだ! それがなにか、お前の母体に問題があるせいでいつまで経っても妊娠すらしない! この出来損ないが!」
一度吐き出してしまえば止まることのない、卑劣な暴言の数々。
「……っ!」
夫から矢継ぎ早に浴びせられたイザベラは、ただ唇を血が滲むほどに噛み、震える拳を握りしめて堪えるだけだ。
「お前のためにわざわざ腕のいい侍医まで用意立ててやったってのに、本当に使えない女だな! だから僕もつい魔が差して――ちっ!」
思わず言わなくていい浮気の告白まで口を突いて出そうになるのを、慌てて抑えるフランク。
「とにかく! 僕のやることにいちいちなにか思うところがあるのなら、いつだってこっちは離婚してもいいんだからな! それだけは覚えておけ!」
そう吐き捨てて、顔をうつむいたまま石のように動けないでいるイザベラの横を、風を切るようにすり抜ける。
それから、エントランスホールの真正面に、二人の絆の証として立てかけてあった彼女の肖像画を乱暴に剥ぎ取ると、そのまま憎しみを込めて勢いに任せて踏み抜いた。
キャンバスが裂ける嫌な音が響き、肖像画の顔の部分が無残にひしゃげ、原型も留めなくなってしまった。
だが、今の傲慢な全能感に浸るフランクにとって、かつての愛の象徴などどうでもいいことだった。
そう、どうでもいいこと。
だから、背後で声を押し殺し、肩を震わせて嗚咽をもらすイザベラに対しても、なんら関心が向くことはなかった。
「わたしもよフランク、会いに来てくれて嬉しいわ」
安物の香水の匂いが立ち込める商館の一室で、フランクは下卑た笑みを浮かべた。
ふらりと立ち寄った男は片手に土産――いや、領地の民から吸い上げた金で買い叩いた貢ぎ物を携えて、若く瑞々しい女性の隣に座る。
部屋の中には大きめのベッドが一つ。ここが商館であることを考えれば、つまりはそういうことである。
「ふふ、でもいいのフランク、奥さまに黙って来たのでしょう?」
「おいおい、せっかくの蜜月の時に萎えるようなことは言わないでくれよ。あれのことは今だけは忘れさせてくれ」
そういう約束だろ? と目で問いかける。ここに訪れるのは、家を守る貴族としての義務や、年老いた妻の視線から逃れるための、卑怯な現実逃避の意味合いもあった。
「それとも嫉妬かな? 安心してくれモンモランシー、今の僕にとっては君が一番だ。妻はまだ乗り気じゃないが離婚の可能性だって視野に入れている。そうしたらきっと君を迎えにくるよ」
「はいはい、期待しないで待っているわねフランク。……それじゃあ今日もたっぷりと愛を語らいあいましょう」
「ああそうだな」
言って、ベッドの上で一つに混じり合う。
そこにはただ、男女の生々しさだけが存在していた。
◆
――フランク・ローラン伯爵はろくでもない男だった。
妻帯者でありながら視察と称し、こうして夜な夜な入れあげた商売女相手に不貞行為にふけっていたからだ。
最初の頃はまだ、朝帰りすることにも妻を裏切ることにも、かすかな罪悪感があった。
しかしそれも時が経つにつれ、そして確信こそ突かれたわけではないものの浮気の疑念を抱く妻の姿に、むしろ「僕を不愉快にさせるのが悪い」と言わんばかりに堂々と開き直るようになった。
それでも甲斐甲斐しく、かつて愛し合っていた時のように振る舞おうとする妻。その献身が、今のフランクには自分の過ちを突きつけられているようで、いつしか逆恨みのイライラを募らせるようになっていた。
せめて子がいればまだ違ったであろう。
しかしどうやっても子宝に恵まれることもなく、日々老けていく妻に女を感じることもなくなっていたフランクが、愚かにも二十以上も年の離れた若い女に拐かされるのは、彼の浅ましさゆえの必定だったのかもしれない。
◆
今日もまた朝帰りとなった。
モンモランシーとやることをやってスッキリとしたフランクは、いまだ酒の残る体で侍従の肩を借りながら、だらしなくフラフラと屋敷に足を運んだ。
夜明け前後、屋敷の中は静まり返り、誰も迎えはないはずだった。
「――お帰りなさいあなた」
ちっ、と思わず舌打ちをするフランク。
玄関先、冷え切った空気の中で待っていたのは、他ならぬ妻だった。
「……わざわざ起きていたのかイライザ」
「はい、領地の視察から戻られた旦那様を迎えるのは妻として当然のことですから」
「だからいつも僕の帰りを待っていなくていいと言っていただろう。それともなにか、僕に対する当てつけか? なあ、お前から見て僕が遊び歩いているように映るのか?」
「いいえ、そのようなことは……。ただ、これが私の役目で――」
「お前の役目は世継ぎを産むことだろうが!」
アルコールのせいで、醜い本性が剥き出しのまま荒ぶる。
「貴族に嫁いだ女がするべき役目は一つ、ただ子を一人でも多く設けることだけだ! それがなにか、お前の母体に問題があるせいでいつまで経っても妊娠すらしない! この出来損ないが!」
一度吐き出してしまえば止まることのない、卑劣な暴言の数々。
「……っ!」
夫から矢継ぎ早に浴びせられたイザベラは、ただ唇を血が滲むほどに噛み、震える拳を握りしめて堪えるだけだ。
「お前のためにわざわざ腕のいい侍医まで用意立ててやったってのに、本当に使えない女だな! だから僕もつい魔が差して――ちっ!」
思わず言わなくていい浮気の告白まで口を突いて出そうになるのを、慌てて抑えるフランク。
「とにかく! 僕のやることにいちいちなにか思うところがあるのなら、いつだってこっちは離婚してもいいんだからな! それだけは覚えておけ!」
そう吐き捨てて、顔をうつむいたまま石のように動けないでいるイザベラの横を、風を切るようにすり抜ける。
それから、エントランスホールの真正面に、二人の絆の証として立てかけてあった彼女の肖像画を乱暴に剥ぎ取ると、そのまま憎しみを込めて勢いに任せて踏み抜いた。
キャンバスが裂ける嫌な音が響き、肖像画の顔の部分が無残にひしゃげ、原型も留めなくなってしまった。
だが、今の傲慢な全能感に浸るフランクにとって、かつての愛の象徴などどうでもいいことだった。
そう、どうでもいいこと。
だから、背後で声を押し殺し、肩を震わせて嗚咽をもらすイザベラに対しても、なんら関心が向くことはなかった。
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