愛していた『はず』の妻の顔が思い出せない~後悔して今更戻ってきてほしいと懇願しても遅かった~

日々埋没。

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​第2話 異変

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 イザベラとフランクは貴族同士にしては珍しい、政略ではなく恋愛結婚だった。
 初めて出会ったのはパブリックスクール時代の頃。たまたま同じクラブ活動に励んだことがきっかけだった。

 泥にまみれながらも、一つの苗を育てる喜びを共有した園芸クラブ。そこからお互い仲良くなったのだ。
 卒業を目前に控えた際、他ならぬフランクの方から、頬を赤らめてイザベラに告白し、晴れて二人は婚約を結ぶ。

 そうして二人は結婚し、時に「高貴な身分に似合わない」と周囲から苦言を呈されながらも、手を取り合う姿は誰もが羨むほど順風満帆に結婚生活を送っていた。

​ しかし、幸せな二人の間に唯一、重くのしかかる困難があったとすれば、それはなかなかどうして子宝に恵まれなかったということ。

 不妊治療に詳しいという医者を侍医に迎えてまで、なりふり構わず妊活に励んだが、効果はなかった。
 それでも当初、憔悴するイザベラの手を握り、フランクもこう言っていた。

​『もしこれからも世継ぎが作れなかったとしても気に病む必要はない。それならそれで親戚筋から養子を貰えばいいだけなのだから』

​ もちろんそれは言葉通りの慰めではなく、こちらを慮っての強がりだということはイザベラにも分かった。
 世継ぎ――つまり血を分けた我が子を持つことは、本来家を守る貴族としては当たり前の、そして絶対の責務なのだから。

 だからこそフランクの期待に応えるべく、イザベラもまた吐き気のするような薬を飲み、あらゆる努力を重ねたが、結果は空振りに終わった。

​ そうこうしているうちに残酷に月日が経ち、自身の女としての魅力が日々失われていくことに絶望していると、あれほど愛妻家だったフランクもまた心変わりをしていき――気がつけば、現状の通りだった。

 ◆

​「……さて、今日はどうかしら」

​ 昨日、愛の証であった肖像画を無残に踏み抜かれた一件から少し。
 またもや領地の視察と称し、帰るべき家を空けているフランクに代わり、イザベラが領民から寄せられた陳情などに目を通す。

 理由はどうであれ、本来するべき領主の仕事に穴を開けるわけにはいかないからだ。

 なにより、夫に代わって仕事を代行している時は、自分がまだこの家に必要とされている実感が持て、気が少しは和らぐ。
 どうせ今宵もまた、朝帰りに違いない。おおかた浮気相手の所で、私のことなど忘れているのだろう。
 
 ……そう、イザベラはこれまで見て見ぬ振りを続けながらその実、夫の裏切りに気がついていた。

 いや、むしろ、隠し通せるわけもない。

 これまで以上に身なりに気を使いだし、家にあるものとは異なる甘すぎる香水、ブラシに残った誰のでもない長い髪、宛名のない手紙に一喜一憂する姿。どこをとっても不自然極まりない。

​ それでもイザベラは何も知らない、気づかない無知な女を演じるしかなかった。

 一度口にしてしまえば、積み上げてきた思い出までもがたちどころに終わってしまうことに気づいていながら。
 もはや修復不可能なほどに関係がこじれてしまっていることに気づいていながら。
 端から見ても夫婦生活が破綻していると気づいていながら。

 そして、その逃げ場のない日々のストレスは予期せぬ病理を呼び、やがてそれはひそかに、そして着実にイザベラの体を蝕み――。

​ ◆

​「……さま、奥さま」
「ん……?」

​ ユサユサと侍女に何度も体を揺すられ、ようやくイザベラは深い泥から這い上がるように目を覚ました。

​「あら、いけない私ったら」

​ どうやら、いつの間にか自分は眠っていたらしい。
 手元にあった膨大な紙の束に目を通すと、かろうじて本日分の仕事は終えてあるようなのが不幸中の幸いだった。

​「良かった、とりあえずはお仕事の方は大丈夫そうね。」
「……差し出がましいようですが、どうも奥さまはお疲れでいらっしゃるご様子。今しばらくお休みになされてはどうでしょうか。そもそも本来なら旦那様が行う仕事のはず。だというのに半日で終わるはずの視察を何日にもかけるのはどうかと」
「ありがとう気を使ってくれて。でもそうも言っていられないわ。困っている領民たちには私たちの都合は関係ないもの」

​ 親身に寄り添ってくれる侍女に、力なく曖昧な笑顔を浮かべ、このくらいなんてこともないと手をふりふりと振る。
 その指先は、自分でも驚くほど冷え切っていた。

​「……でもそうね、確かにちょっと背中が凝るわね。申し訳ないけれど、お風呂の準備をしてくれるかしら?」
「かしこまりました。今すぐご用意いたします」

​ そう言って侍女はてきぱきと湯浴みの用意を調える。
 貴人の女性は決して自らだけで湯浴みはしない。全幅の信頼を寄せる侍女が手ずから手伝いをして、初めて入浴が許される。

​「先ほど奥さまはお背中に凝りがあると仰ってましたね。ではわたくしが確認を――」

​ 衣服を脱がせ、その背中を確認した侍女は、そこでヒュッと息を飲んだ。
 湯気の向こう側、あらわになったイザベラの背中は――。
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