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崩壊の朝
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神戸市中央区。午前5時46分。
「ママ、こわい、ママァ!!」
翔太の声は、家の揺れにかき消されそうだった。
部屋の棚が倒れ、ランドセルが宙を舞い、ガラスの音が炸裂する。
押入れから落ちた布団がクッション代わりになったのは、偶然だった。
母・恵子は、足を引きずりながら翔太を抱きかかえた。
「大丈夫、大丈夫よ、翔ちゃん、ママがいるから!」
玄関は塞がっていた。裏口も開かない。
ベランダのガラス戸がひしゃげ、割れた隙間から外へ脱出したのは、震える手と母の判断だけだった。
空が、まだ夜のままだった。
でも、遠くの空が、赤かった。
同時刻・神戸市兵庫区 消防第3出張所。
「震度7!?……長田方面が大規模崩落!」
佐伯修平は、無線機からの情報を聴きながら既に防火服に腕を通していた。
隊員たちは眠気も寒さも忘れ、次々と車両に飛び乗る。
「佐伯隊長! 千歳団地、火災通報入りました! 電話繋がらず!」
「了解。車出せ!全速で向かう!」
出動命令が轟く。
エンジンの咆哮、サイレンの点灯、真っ暗な街に一筋の音が走る。
佐伯は、心の奥で何かが軋むのを感じていた。
(これは…ただの地震じゃない。戦場だ。)
同時刻・神戸市長田区 路地裏。
「……ぅ……ぐ……」
西本慎吾は、瓦礫の隙間で目を覚ました。
口の中が土と血の味でいっぱいだった。
動かない。足が動かない。
「誰か…っ、たすけ…っ」
声が、出なかった。
見上げると、空が赤かった。真っ赤だった。
火の手が、すぐ近くに見えた。
彼の手の中には、割れた缶コーヒーと、ライターの破片が握られていた。
—
足元には瓦礫、空には炎、空気には土埃と焦げた匂い。
恵子は翔太の手を握りしめながら、マンションを離れ、近所の小学校へ向かって走っていた。
近くの家では、誰かが「助けて!」と叫んでいる。
でも、立ち止まれない。
翔太の小さな手が、震えていた。
「翔太、前見て走って!転ばないように!」
「ママ……みんな、どうなっちゃうの……?」
恵子は言葉を飲み込んだ。
泣くのは、後にしよう。
「大丈夫。大丈夫よ。絶対、大丈夫だから。」
目の前に、小学校の校門が見えた。
だが、開いていない。誰もいない。
「……誰か、いませんか!? 避難です!!」
ようやく、教員らしき男性が鍵を開け、校庭に避難者が入り始めた。
冷たい朝の空気の中で、火災の熱と人々の動揺が渦巻いていた。
火災現場は地獄だった。
倒壊した木造住宅の隙間から炎が立ち上り、助けを求める声があちこちから聞こえた。
「第3班、右手のブロック!中に高齢者がいるぞ!」
佐伯は無線を片手に、自分の体を楯にしながら進んでいった。
ホースを構えた隊員が叫ぶ。
「水圧、まだかッ!?こっち死ぬぞ!」
隣の家の屋根が音を立てて崩れた。
佐伯は咄嗟に隊員を突き飛ばし、かわりに炎の熱を浴びた。
「くそ……全員、生きて帰れよ。」
そのとき、救急隊から声が飛ぶ。
「負傷者3名、搬送準備!子ども1名、心肺停止……っ」
佐伯は歯を食いしばった。
目の前で、何かが確実に“壊れて”いくのが分かった。
慎吾はまだ、瓦礫の下だった。
声は出ない。痛みはある。けど、どこか現実感がない。
耳鳴りが続く。遠くで犬の鳴き声と、救急車のサイレンが聞こえる。
──「慎吾、起きなよ。バカ。」
どこかで聞いた声。
目を開けると、そこには中学時代の彼女、明美が立っていた。
「…おまえ……なんで……」
「死ぬなって言いに来たんだよ。」
そう言って微笑んだ明美の姿は、煙の向こうに溶けていった。
(ああ、俺、死ぬのかな)
意識がまた、闇に沈んでいった。
避難所となった小学校の体育館には、次々と人が押し寄せた。
段ボールの上で震える子、持病の薬がない高齢者、泣き続ける赤ちゃん。
食料も、電気も、水もなかった。
翔太は、冷えた床の上で眠れずにいた。
「ママ、明日、どうなるの……?」
恵子は答えられなかった。
言葉の代わりに、持っていた小さなキャンドルに火を灯した。
その小さな灯が、翔太の目に反射して揺れていた。
「ママ、こわい、ママァ!!」
翔太の声は、家の揺れにかき消されそうだった。
部屋の棚が倒れ、ランドセルが宙を舞い、ガラスの音が炸裂する。
押入れから落ちた布団がクッション代わりになったのは、偶然だった。
母・恵子は、足を引きずりながら翔太を抱きかかえた。
「大丈夫、大丈夫よ、翔ちゃん、ママがいるから!」
玄関は塞がっていた。裏口も開かない。
ベランダのガラス戸がひしゃげ、割れた隙間から外へ脱出したのは、震える手と母の判断だけだった。
空が、まだ夜のままだった。
でも、遠くの空が、赤かった。
同時刻・神戸市兵庫区 消防第3出張所。
「震度7!?……長田方面が大規模崩落!」
佐伯修平は、無線機からの情報を聴きながら既に防火服に腕を通していた。
隊員たちは眠気も寒さも忘れ、次々と車両に飛び乗る。
「佐伯隊長! 千歳団地、火災通報入りました! 電話繋がらず!」
「了解。車出せ!全速で向かう!」
出動命令が轟く。
エンジンの咆哮、サイレンの点灯、真っ暗な街に一筋の音が走る。
佐伯は、心の奥で何かが軋むのを感じていた。
(これは…ただの地震じゃない。戦場だ。)
同時刻・神戸市長田区 路地裏。
「……ぅ……ぐ……」
西本慎吾は、瓦礫の隙間で目を覚ました。
口の中が土と血の味でいっぱいだった。
動かない。足が動かない。
「誰か…っ、たすけ…っ」
声が、出なかった。
見上げると、空が赤かった。真っ赤だった。
火の手が、すぐ近くに見えた。
彼の手の中には、割れた缶コーヒーと、ライターの破片が握られていた。
—
足元には瓦礫、空には炎、空気には土埃と焦げた匂い。
恵子は翔太の手を握りしめながら、マンションを離れ、近所の小学校へ向かって走っていた。
近くの家では、誰かが「助けて!」と叫んでいる。
でも、立ち止まれない。
翔太の小さな手が、震えていた。
「翔太、前見て走って!転ばないように!」
「ママ……みんな、どうなっちゃうの……?」
恵子は言葉を飲み込んだ。
泣くのは、後にしよう。
「大丈夫。大丈夫よ。絶対、大丈夫だから。」
目の前に、小学校の校門が見えた。
だが、開いていない。誰もいない。
「……誰か、いませんか!? 避難です!!」
ようやく、教員らしき男性が鍵を開け、校庭に避難者が入り始めた。
冷たい朝の空気の中で、火災の熱と人々の動揺が渦巻いていた。
火災現場は地獄だった。
倒壊した木造住宅の隙間から炎が立ち上り、助けを求める声があちこちから聞こえた。
「第3班、右手のブロック!中に高齢者がいるぞ!」
佐伯は無線を片手に、自分の体を楯にしながら進んでいった。
ホースを構えた隊員が叫ぶ。
「水圧、まだかッ!?こっち死ぬぞ!」
隣の家の屋根が音を立てて崩れた。
佐伯は咄嗟に隊員を突き飛ばし、かわりに炎の熱を浴びた。
「くそ……全員、生きて帰れよ。」
そのとき、救急隊から声が飛ぶ。
「負傷者3名、搬送準備!子ども1名、心肺停止……っ」
佐伯は歯を食いしばった。
目の前で、何かが確実に“壊れて”いくのが分かった。
慎吾はまだ、瓦礫の下だった。
声は出ない。痛みはある。けど、どこか現実感がない。
耳鳴りが続く。遠くで犬の鳴き声と、救急車のサイレンが聞こえる。
──「慎吾、起きなよ。バカ。」
どこかで聞いた声。
目を開けると、そこには中学時代の彼女、明美が立っていた。
「…おまえ……なんで……」
「死ぬなって言いに来たんだよ。」
そう言って微笑んだ明美の姿は、煙の向こうに溶けていった。
(ああ、俺、死ぬのかな)
意識がまた、闇に沈んでいった。
避難所となった小学校の体育館には、次々と人が押し寄せた。
段ボールの上で震える子、持病の薬がない高齢者、泣き続ける赤ちゃん。
食料も、電気も、水もなかった。
翔太は、冷えた床の上で眠れずにいた。
「ママ、明日、どうなるの……?」
恵子は答えられなかった。
言葉の代わりに、持っていた小さなキャンドルに火を灯した。
その小さな灯が、翔太の目に反射して揺れていた。
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