遺跡に置き去りにされた奴隷、最強SSS級冒険者へ至る

柚木

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一章

3話【スペトラード家へようこそ】

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 スペトラード伯爵と冒険者の朝食会は、暖炉のある広間で行われる。
 7セット並べられた食器は一切のズレも無く、テーブルの中央には華やかなフラワーアレンジ、それらは伯爵家に仕える使用人の完璧な仕事の賜物だ。
 テラスへ出る大きな窓から木漏れ日が差し込み、心地良い空間だった。

 美しい刺繍が施されたテーブルクロスをひいた長机に、伯爵家当主エドワードと息子のディーリッヒを迎え【紅の狼レッドウルフ】の面々が席に着く。

 エドワードの左隣の空席はミーアだ。まだ臍を曲げており父親が居るなら朝食会は出席しないと意地を張っている。

 スペトラード家当主は肥えた腹を摩り空腹を訴える。年齢は46歳、加齢に従って後退した髪の毛はブロンドで、首周りと腹囲はシャツの釦が悲鳴を上げていた。

 ディーリッヒは17歳になるエドワードの息子だ。父親譲りのブロンドはキノコを連想させるシルエット。
 何不自由なく過ごしてきたお坊ちゃんで、客人の前でも不遜な態度は崩さない。

 従者ヴァレット召使フットマンもそれぞれ割り当てられた冒険者の後ろに控え、伯爵にはいつも通り使用人筆頭の執事が付き添っていた。
 レインもナオが居る後方の壁際に控え、様子を見守る。

 そこへ1人の給仕係がワゴンを引いて近づいて来た。

 銀製の器に少量ずつ入れられた料理。

「今日は客人も居る。手早く済ませろ」 

『はっ、畏まりました旦那様』

 レインの仕事の1つに毒味がある。これは偶然、彼の生まれ持った能力、アビリティがそれに適していたからだ。
 毒を摂取しても症状が僅かに軽い。それが唯一レインが持つ周囲とは違う特異な能力だった。

 彼が召使時代、伯爵夫人と茶会を行った侍女が即効性の毒により命を落とした。それ以来、エドワードは過敏になり、伯爵家の者が口にする全ての食事に毒味役を設けると定めた。

 当時身重だったマルグリットが、安心して食事を摂れないのはレインにとっても辛かった。お腹に宿る命の為にも、彼女には食事を心から楽しんでほしい。
 生まれながらの特質アビリティを持つ彼は、他者より耐性がある筈だと夫人の制止を振り切って毒味役を買って出た。

 レインの能力アビリティは毒の無効化ではない。

 後に彼はエドワードとディーリッヒ、ニーアの毒味役も任される。
 それによって、生死を彷徨う経験もした。手足の痺れや腹痛、頭痛、吐き気を催したのは数え切れない。

 度重なる辛酸により、彼の毒に対する感覚は研ぎ澄まされている。少量の匂いと銀器の僅かな濁りで変化に気付き、味でその毒の種類を割り出す。
 毒の混入が分かっていて嚥下するのは、種類の特定の役に立つ為には仕方なかった。現在はいつも催吐薬を常備し、最低限の症状に抑えている。

 レインは注意深く料理を吟味し、手早く毒味を終わらせた。

『問題ありません』

「ふむ、そうか。…いや、はは。皇帝のレンヨウを保護していると、嫉妬による恨みを受けるものでな。皆さんを不安にさせるつもりはなかったのだが」

 招かれた彼らも何が行われたのか一連の流れで察した。

 従者を心配する者、レインの淡々とした様子に口笛を吹く者、当然の事だと無反応な者、奴隷になど関心すら持たぬ者と、反応は様々だ。

「さて、頂くとしよう。神獣レンヨウの恵みに感謝し、我が糧となさん。ノノアに更なる繁栄と実りを」

 伯爵の祈りを合図に朝食が始まる。冒険者達は豪勢な料理の数々に最初互いの顔を見合わせていたが、空腹には敵わず料理に手を付け始めた。

 レインは栗色の髪の少女の後ろ姿を見守りながら丹念に気を配る。

 ナオの向かいに座っているメンバーの飲み物が無くなったのを彼を担当する召使フットマンに伝えた。
 奴隷のグリフィスはレインに目で礼を言って、すさかず水瓶を片手に傅く。

 グリフィスは3年前に伯爵家に来た、何事にも熱心に取り組む16歳の奴隷だ。
 くりくりと癖のある茶色の髪を持ち、右目の下に雀斑がある。蒼く大きな双眼は他の奴隷とは違い、希望の光を失っていない。

 レインは彼に仕事を教えていた。無邪気で明るい性格のグリフィスは使用人とも話している姿をよく見掛け、メイドにも可愛がられている。
 彼を悪く言うのは身分に拘る上流階級出身の従者くらいだ。

 視線を戻すと、ナオがぎこちなくナイフを動かしていた。

 暫し考えた後、水瓶を片手に彼女の横に付く。それ程減っていないグラスに水を注ぎながら『楽しまれておりますか?』と声を掛けた。

 ナオの席は伯爵とは1番離れている。

 彼女は聞かれた事は快く返答するが、進んで発言は行っていない。大体は話を聞いて相槌を打っていた。
 今朝見た彼女が素なのだとしたら、明らかに緊張していて表情が強張っている。

「ぁ…レインさん…」

『料理はお口に合いますか?』

「はい!とっても美味しいです」

『それは何よりです』

 ナオが笑ったのを見て、レインも小さく微笑む。
 サラダの野菜は領地で採れた物だと説明すると、彼女は目を丸くしていた。
 
『街に市場があります。そこに並ぶ野菜は大半が領地の物で、此処でお出しする食材は全て国産なのですよ』

「うわぁ…これ全部ですか」

 興味深く呟く彼女の横に座っていた男が話しに加わる。

「ノノアはよォ、土地が豊かで作物が実りやすいんだぜ」

 得意げに言うスキンヘッドの男はアンモス・ペトラー。鍛え上げられた筋肉が隆起し、強さを強調する刺青が全身に入った厳つい強面だ。耳には大きなピアスが輝いている。

「街に行くのも楽しみだなァ、ナオ」

「はい!レインさん、他に観光にお勧めの場所ってありますか?」

 屈託のない笑顔で尋ねられ、僅かに言葉に詰まった。

『…そう、ですね。街の時計台から見える景色は素晴らしいと窺った事があります』

 伯爵家に来てから十数年間、レインは屋敷の敷地から出た経験がない。
 与えられる備品に不自由はしていないし、身に余る待遇だと常々思っている。ただし、消耗品は全て使用人が使い古したもので廃棄する間際に譲り受けたものだ。

「時計台?それは良い事を聞きました」

 以前、ミーアのドレスを仕立てる名のあるデザイナーが言っていた言葉。彼はその景色に魅了され移住を考えたと語っていた。

「自然が多くて豊かな街だしなァ」

 アンモスの賛辞が聞こえ、気を良くした伯爵が「知っての通り我が領地は神獣レンヨウの庇護下にある故、干魃や日照りなど無縁。作物の実りも著しく、何より水が清く豊かなのだ」と誇らしく説明する。

 繋ぎ役は終えたと、レインは静かにその場を離れ再度ナオの後方に控えた。

「スペトラード卿、本当にあの伝説のレンヨウを保護しているのか?」

 【紅の狼レッドウルフ】パーティーを率いる、カイル・ラニエーヴ。類稀な生まれながらの技量アビリティを持つ事で有名な冒険者の1人だ。
 オレンジ色の短髪、深いターコイズの瞳をしている。若者ながら厳粛な雰囲気を纏う青年だ。

「屋敷の裏手に獣舎がある。お望みなら我が領地の守護神をお目に掛けよう」

「それじゃぁ…、是非」

 伯爵の提案に、カイルは努めて冷静に返答した。

「おいおい、リーダーよォ。ずっと憧れてた神獣に会うのは良いが、そりゃァ護衛依頼が無事に終わって、ギルドに報告した後にしてくれよ?」

 仲間のアンモスには声の抑揚で見抜かれている。
 カイルは幼い頃から、伝説とも云われる神獣の蒼、レンヨウをその目にしたいとかねてより思っていた。

「分かっているさ」

「分かってれば良いんだ。まァ、テオドラはどうせそういう事にゃ興味ねェだろーしよォ?」

 アンモスの横に座る男は会話を気にも止めず黙々と食事を続けていた。

 テオドラ・アルヴェ。黒い布で目を覆い、金髪を結んだ変わった風貌の男。
 冒険者は妙な輩が多いのでギルド内では溶け込む姿も、場所が伯爵家の屋敷となるとかなり怪しい。目隠しをしているにも関わらず、彼の動作は自然そのものだ。

 伯爵は笑みを絶やさず、レインを側へ呼び付けた。

「我がレンヨウを見学される際はこの者にお声掛けを」

 頷いたカイルは「宜しく頼む」とレインに告げる。
 『畏まりました。カイル様』と胸に手を当て、承った意を伝えた。

「お客人に呉々も失礼がないようにな」

 鋭い視線を送るエドワードの、その語気は有無言わさない程に強い。
 レンヨウは人に懐かない神獣だ。冒険者を傷付けるような事態になったら、罰されるのは神獣の世話係を務めるレインである。その事を肝に銘じておけ、と。

『はっ』

「うむ。…んん、ゴホンッ…後な…」

 軽く咳払いをした後、珍しく言い淀んでいた。

「嗚呼、いや…もし時間があれば午前の授業が終わる頃合いにミーアに菓子でも運んでくれ」

 伯爵の最愛の娘、夫人の忘形見のミーア。自ら下した命令により、レインが世話役を離れた件でこのまま愛娘に嫌われてしまうのを恐れているようだ。

『旦那様の御心のままに』

 レインはエドワードへ向け深く一礼して下がった。

 壁際の他の従者や召使と擦れ違う最中、不意に腕を掴まれる。

『…、』

「良い気になるなよ」

『…ドラコニス様…』

 嫌悪が宿る瞳。抑えた声には強い怨恨が滲んでいる。

 ドラコニス・ワグナー。奴隷レインとは異なり上流階級出身の貴族の従者だ。ワグナー子爵の次男で、事ある毎にレインに因縁を付けている。
 銀髪の長髪をオールバックにして1つに束ねた細身の男で、使用人の中では執事を除いて1番身分が高い。それを鼻に掛けるのが偶に傷だ。

 昨晩も、使用人全上長の執事から発表された冒険者の近侍の割り当てにも不満を漏らしていた。
 奴隷にその任を与えるべきではないと、皮肉混じりに強く非難した。

 貴族のドラコニスからすれば、奴隷と共に働いている事実が屈辱だった。更にレインは奴隷の中でも長く屋敷に仕えており、自分より責任ある仕事を任せられている。ミーアのお気に入りで、神獣の獣舎に出入り出来る唯一の奴隷。

 面白くない――。この一言に尽きる。

「奴隷のお前は本来従者にもなれない屑なんだ。身の程を弁えておけよスレイン」

 ――スレイン。幼い頃に貴族出身の使用人達に名付けられ定着したレインの呼称。奴隷スレイブと名を混ぜられた卑称だ。

 掴む手に力を込められ、痛みに眉を潜めた。それに満足したのか、ドラコニスは鼻を鳴らし彼を突き飛ばす。
 笑顔を張り付けて給仕に戻った彼の背中を暫し見詰め、掴まれていた手首を摩った。

◆◇◆◇◆◇

 朝食会は食後の珈琲に差し掛かっていた。その際、伯爵家の意向という形で彼らの滞在中全力でサポートを行うと伝えられる。

「良いのか?」

「勿論だ。皆さんは帝国が誇る冒険者…不自由なく計らうのは当然。何か必要な物があれば用意させよう」

 【紅の狼】は互いの顔を見合う。カイルが代表して進み出た。

「…それなら近頃俺たちの仲間になったナオに家庭教師を付けてもらいたい」

 ナオが恐縮して肩を揺らす。

「彼女は凄腕の魔法の使い手だが辺境で修行をしていて世の中に疎い。算術や言語は習得しているので、一般常識や〈アノーラ〉の歴史に関する知識の教授をお願いしたい」

「ほぉ、お安い御用だ!」

 恩を売るには丁度良い。エドワードは声を弾ませた。

「最高の家庭教師をお呼びしよう」

 彼が【紅の狼】一人一人に世話係を任命し、これ程彼らを優遇するのには理由がある。

 ノノア地方は帝国の帝都オルティシアから離れており冒険者ギルドがあるのはこのリンドの街だけで、お世辞にも発展した地方とは言い難い。
 深い自然に囲まれたノノアを活動拠点に置く冒険者は少なかった。S級どころかA級すらいないド田舎で、それ故に上級クエストが溜まっていく一方だ。

 即ちこれは高額な宣伝料である。高ランク冒険者の情報は信憑性が高く信頼出来る。彼らがノノア地方のポジティブなイメージを帝都に持ち帰れば、誘発された冒険者がノノア地方を訪れるだろう。
 冒険者が集まるという事は、珍しい鉱石や素材、武具が流通する。商業が活発になり人々が集まる。
 冒険者は食い扶持を稼ぐ為に難易度の高いクエストを消化していく。正に一石二鳥だ。

「後は屋敷の中に図書室があれば彼女の為に解放をしてもらいたい。きっと入り浸るだろうからな」

「ふむ、仰る通りにしよう」

 快諾した伯爵に、ナオがギュッと目を瞑り「よ、宜しくお願いしますッ!」と勢い良く頭を下げた。

「ははは!その代わり息子の件はしっかり頼みますぞ」

 エドワードが寄越したクエストは、ディーリッヒの護衛と慣例に則った魔物討伐の遂行。

 帝国貴族において、17歳の成人の儀を迎えた良家の嫡男は魔物を自らの手で討伐する古くからの慣習、アップシートがある。
 生き物の死に触れて子供だった自らと決別アップシートし、貴族として一人前になる意味合いを持つ。

 毎年、帝都オルティシアで皇帝が主催する特別なパーティーがある。これには、一連の慣例を終えた若者が招待され、その年齢に達した良家の令息が一堂に会する。
 彼らにとっては初めての面立った大規模の社交の場であり、魔物を討伐した経験は良い酒の肴になる。

 困難に立ち向かった同じような経験をした彼らは自然に親近感を覚えて打ち解けるのが早く、その後の帝国を支える礎になる…というのは表向きな話で、実際は見栄の張り合いだった。

 プライドの高い貴族は、より強い魔物を討伐して注目を集めたがる。強大な魔物を倒したと周囲にアピールすれば、一目置かれた存在になれる為、伯爵家としては気の抜けないイベントだった。

 ノノア地方は長閑な平地で強大な魔物も少ない。唯一魔物の集まる場所といえば、彼らの向かうナタリア遺跡だ。
 森の湖に浮かぶ古代遺跡は地下の奥深くまで続いている。

「ディリーは大物を仕留めてくるに違いない!なんせ、私の自慢の息子だからな!はっはっは!」

 豪快な高笑いを上げながら右隣の息子の背を叩く。

 高額な指名料と依頼料を支払って帝都から呼び寄せたA級冒険者。ノノア地方の宣伝は勿論だが、エドワードは周囲が驚く程の獲物を息子が討伐するのを期待していた。

 暖炉の上に飾られた大きな絵画がある。そこにはスラリと美化されたエドワードが勇敢にドラゴンを打ち負かす姿が描かれていた。
 彼は嘗てのアップシートで単騎でドラゴンを討伐したと公言している。それを精密に再現し描かせたらしい。

 父親が上機嫌に話す一方、ディーリッヒはただ一点を見つめて惚けていた。彼の視界にはシルバーをきごちなく扱うナオが映っている。
 いつもへの字に曲がった彼の口元が弧を描くのを、レインは見逃さなかった。

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