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三章
22話【死喰い人】
しおりを挟む次の日、家主が留守の住居を物色する事にした。この家には寝室兼自室の他に、ダイニングキッチン、風呂とトイレ、物置がある。
他の部屋を粗方見た2人は、強盗に襲われたような有り様の物置に足を踏み入れた。木箱や本、魔道具が乱雑に置かれた空間は散らかり放題だ。
こんな辺鄙な場所に家を建てるなど、よっぽど偏屈な人物だ。手掛かりはないかと散乱する書面に目を通す傍、クルルがガラクタで遊んでいる。
奥に小さな傾斜台があり、黒い本が1つ置かれていた。古めかしい本で、興味を惹かれパラパラ捲るが何も書かれていない。
好奇心が薄れ元の場所に投げ捨てると、布を被ったクルルが突っ込んで来た。彼女が物にぶつかる寸前で腰に手を回し、子猫のようにキャッチする。
棚に手を突いた拍子に、置かれていたインク瓶が落下した。
黒色の塗料を撒いて瓶が落ちる。スレインは抱き抱えた少女に怪我はないか目視した。
角に引っ掛かり目隠しをしていた布を取ると、首に腕を回して頬にキスされる。
「力強い…強引なレインも良い…」
猫であればゴロゴロと喉をならしているだろうか。惚気た顔で身を捩るクルルは宙に浮かび、スレインの背中にピッタリと寄り添った。後ろから首に腕をかけて抱き付いてくるが、一切の重みを感じない。
レンヨウは元々自由に空を駆ける魔獣として語られている。彼女が宙を飛べるのも当然だ。
この体勢は物色するスレインの邪魔にならないよう、少女なりに最低限の譲歩をしたつもりである。
青年は気にした素振りもなく、至極当然のようにクルルを受け入れ物色を続けた。傾斜台に戻した真っ新な日記にインクが掛かってしまっていた。
塗料が滴る日記を摘み、派手にインクをぶち撒けた床の惨状をどうするか考える。違和感を覚え、日記を二度見した。
見間違いか、日記は綺麗なままだった。
『あ?』
確かに黒い塗料がひっくり返った筈だ。その証拠に傾斜台や床は酷い有り様になっている。
『……』
「レイン?」
クルルも一緒になって注目した。日記の適当なページを開き、傾斜台に広がったインクに浸す。真っ黒く汚れたページを注視していると、インクは瞬く間に吸い込まれた。何事も無かったように真っ新な状態に戻る。
魔法が掛かってるのは間違いない。ただ、こんな魔法は聞いた事がなかった。
『…まぁ良いわ。取り敢えず、これで床拭くか』
屈んだスレインはまた適当に日記を開いて、床に押し当てようとする。すると、開いたページに文字が浮かんできた。
『…なんだこりゃ』
〔ちょっと待ってくれ。人様の日記を雑巾代わりにするつもりかい?〕
スレインの行いに対して抗議する文面が羅列される。非常に整った字で、手書きだが印字されているように綺麗だ。
怪訝そうに眉を顰めた後で、躊躇いなくインク溜まりに本を突っ込む。広げて確認すると、やはりインクは吸い込まれて消えた。代わりに文字が浮かぶ。
〔人の話を聞くんだ青年!〕
『気味悪ぃな』
此方のアクションに対して逐一返答する日記に、率直な感想を呟いた。
クルルが肩から身を乗り出して覗き込む。
「面白い」
〔やぁ〕
今度は少女へ向けて挨拶した。
『触るなクルル。呪物の類かもしれねぇ』
興味本位で手を伸ばした神獣から日記を遠避ける。汚物のように摘み上げると、元々あった傾斜台に無造作に投げ捨てた。
意思疎通がとれる本など聞いた事もない。
〔呪物?やだなぁ、違うよ〕
『じゃぁ何だ?』
腕を組んだスレインは日記を睨む。文字がサラサラと崩れて消え失せ、新しい文面が滲んできた。
〔ボクはこの家の主さ。賢者と言われていた事もある。宜しくね、レインくんとクルルちゃん〕
ピクリと、スレインの体が動く。こめかみに青筋が立ち、眉間に濃い皺が刻まれる。只ならぬ怒気が室内に満ちた。
名を知られている。いや、それよりも。
『テメー、次俺をそう呼びやがったら燃やす』
まるでガラの悪いチンピラの恫喝だ。
〔呼ぶな、じゃなく書くなでしょう、と返すのは意地悪だね?〕
『どっちも一緒だクソッタレ。俺をそう呼んで良いのはクルルだけだ』
特別なのは彼女だけだ。真名を呼んで良いのも、知っているのも彼女だけで良い。
青年の後ろで神獣が鼻息荒くコクコク頷く。真剣な顔とは裏腹に尻尾が千切れんばかりに振られていた。
〔分かったよ、スレインくん。これで良いかい?〕
やれやれ、と悪怯れもせずに文字が浮かぶ。
〔じゃ、改めてお祝いしようよ!おめでとう!〕
『はぁ?』
突然の祝賀に理解に苦しむ青年を他所に、スラスラ文字が並んだ。
〔誇って良い!君はマーレ洞窟から生還した、ボクが知る限り唯一の合格者だ!〕
『…合格者だと?』
ファヴレット帝国の最北西に広がる山脈地帯。
その周囲は広大な森が広がっており、鬱蒼と茂る豊かな自然は人の侵入を拒絶し、強大な魔物を育成した。
滅多に人も寄り付かず居住にも向かない、手付かずの大自然は【マーレの大魔境】として恐れられている。
マーレ洞窟はそんな地域の真下に位置し、詳細不明の洞穴だ。
大規模な地震が起こった際、洞窟の一端が地上にぽっかり口を開けた。過疎化が進む寂れた村から程近い場所に顔を出した洞穴はすぐに発見され、未知なる資源に期待を膨らませ国から調査団が派遣される事になった。
帝国騎士と魔導士の一大隊と調査班、更に集った冒険者で編成された総勢49名。
しかし、彼らは誰一人として戻らなかった。
定時連絡が途絶えて5日が経過した頃、洞窟の入り口から魔物が出現するようになる。
ヒトの匂いを手繰った魔獣が湯水の如く湧いて出た。大魔境を住処にする筈の桁外れに手強い魔物を相手に、帝国は痛手を負った。
調査団の生存は絶望的だと判断され、洞窟の入り口は残った魔術師達により固く埋め立てられた。
スレインがまだ産まれる前の話だ。
それらを総合しても、彼は確かに唯一の生還者である。
『何が合格だ…、テメーまさか…』
琥珀の奥に殺意が滾る。
『俺をあそこへ転移させたのも、…テメーだってのか?』
〔そうさ〕
洞窟で必死に生きた記憶が甦る。生きたまま貪り喰われる恐怖に怯え、劣悪極まりない過酷な環境下で息を潜めて過ごした。悪夢のような時間が、永遠に感じた。
命辛々辿り着いたのは更なる地獄の入り口だった訳だが…。
激情に胸が灼け、奥歯を噛む。
〔落ち着いてスレインくん。君は誤解しているよ〕
指先で黒い炎が燻る。これ以上読んでいても不快になるだけな気がした。
〔ボクは多くの人々に生きるチャンスを与えてたんだ。君が来たのはナタリア湖の水底からだろう?〕
一体何処まで把握しているのか。主導権を握られているようで、スレインは眉間に皺を寄せた。
人が生きていられない場所に転移魔法陣を配置し、マーレ洞窟に招待する。
死ぬ運命だった者に平等にチャンスを与えているのだと、日記は主張した。
〔寧ろ有り難うの一言でも、あって良いんじゃないかとボクは思うよ〕
『ふざけんな。あの洞穴も人が生きれる環境じゃねぇ。洋館まで辿り着いた奴らだって…』
〔それも運命さ〕
ジャミルの屋敷の貯蔵庫で朽ちていた亡者達も、スレインと同じように決死の思いで扉を叩いたのだ。
辛い責苦を味わう中、蜘蛛の糸に縋る思いで。
あの貯蔵庫に入れられた際、どれ程の絶望が彼らを襲ったのか想像に難くない。
〔仕方の無い事だよ。彼らは運命に抗える程強くなかった。君ならその意味が分かるよね?〕
『知るか。テメーが人を甚振るのが趣味の性悪じゃないなら、目的を言え』
意味無くこんな手の込んだ事はしないだろう。
〔目的?――ボクはただ、知りたかっただけだよ〕
日記にびっしりと文字が走った。
〔圧倒的脅威を前に、ヒトはどう立ち向かっていくのか。死ぬ運命からどうやって逃れるのか。興味深いだろう?
こんな言い方アレだけど、最初洞窟に転移させた時、君は一般的に言う弱者だったんだ。
でも、屋敷から出た君はとんでもない成長を遂げていた!心身共に強くなった!人間の可能性には目を見張るモノがあるよ。
君のお陰でボクはまた知る事が出来たのさ。これには潜在的な資質や精神力が伴わないと失敗するデータも取れてる〕
家の主人を名乗る何者かの興奮が、文字に表れているようだった。容易に1ページを埋め、2ページ目に侵蝕する。勢いは衰えず、整った文字の形が乱れていった。
〔君の場合重要なのは生まれ持った異能だ。
まぁ、これがなければジャミルも君にそれ程興味を持たなかったんじゃないかな?
君はアビリティのお陰で常人より毒の耐性があった訳だけど、気付いてたかい?恐らく毒を摂取する度に耐性が少しずつ上がってたんだ。
普通の人は毒肉なんて食べたらひとたまりもない。日常的に毒を摂取していたのかな?〕
『生まれ持った異能か…』
この謎の現象がアビリティに起因しているのは薄々気が付いていた。
〔転移の際に収集したボクのデータによれば、当初の君は体内で毒素を中和するので精一杯だった筈なんだ。
でも、ジャミルを倒した後のデータを見て吃驚したよ。今の君の体は、通常の毒物は全く効かない。魔石近くの猛毒にも耐えられる〕
〔何より興味深いのは食べた魔物の特性や能力を、自身の力に取り込む能力だ。
度重なる辛酸によりアビリティが進化したと考えるのが自然かな?その境地に至るまで苦しかったね〕
察するに転移魔法陣には解析か鑑定も二重掛けされていた。でなければ、スレインの変化を分析するなど不可能だ。
ステータスを覗き見て分析し、経過を考察するのに悦びを感じている。
日記の主は知りたいという欲求の為ならば手段を選ばない変人だと言える。
渇望する知識の為ならば、ヒトの命など幾つでも死地に送り込めるのだ。
何も感じていない。その証拠に共感を装った励ましの文字には何も篭ってない。
〔自分の持った能力に気付いていなかったみたいだね。それとも気付ける環境じゃなかった?
でもそれは幸運だ。猛毒に耐えられない内に、力を求めて魔物の毒素を摂取していたら、間違いなく命を落としていた〕
〔この能力の獲得に関して、相性が良かったのは黒炎帝龍とジャミルだね。彼らの力を多く引き継いだように思う。君は闇属性と相性が良いみたいだ〕
生まれ持った個性は、持つ者が唐突に自覚する。多くの者は神殿の古代魔道具によって鑑定を受け、授かった能力が具体的にどんな力なのか調査する。
スレインの場合、マルグリットに随伴していた召使時代に覚醒した。ただ漠然と、服毒しても症状が僅かに軽いかもしれない、と脳裏に浮かんだ。
気付いた時には彼女の毒味役に立候補していた。
エドワードが神殿で鑑定させる手間をとる筈もなく、アビリティは彼が感じるまま【毒ダメージの軽減】で、ありきたりな能力だとスレイン自身信じて疑わなかった。
だが、たった今それが覆された。
彼の生まれ持った資質は、毒を喰らい強奪する力【死喰い人】。
進化した結果、毒の無効と能力の奪取を併せ持つ、類稀なる個性――。
全てを喰らい尽くすと誓ったスレインには似合いの能力だった。
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