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八章 冒険者編

117話 少女

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 その日は街道の外れの開けた平地で野営する事になった。
 近くに川が流れており見晴らしも良く突如魔物に襲われる心配も無い。

 カーベルは約束通りご馳走を用意してくれた。移動中にも関わらず温かい食事にありつけるのは珍しい。
 直火で焼いた川魚や大猪の燻製肉は脂が滲み出て光っている。脂がポタリと落ちる度に火が勢い立つのはまるで拍手のようだった。
 使用人が鍋にシチューを作っており、良い香りが食欲を唆る。

 焚べた火を囲んで、食事が始まった。

 配られた串肉に齧り付き、レティジールは貰った酒を飲み下す。

「カーーッ、生き返るぜぇ!」

「リーダー、飲み過ぎないで下さいね」

「お前達も飲めゼレス、アンドリュー。この旦那の酒を見る目は確かだぜ!」

「お褒め頂き大変光栄です」

 レティジールの勧めをアンドリューは「僕は飲めませんよ」とやんわりと断った。

「……嗚呼、そうだな。飲んで失敗したら台無しだ。頼んだぜ」

 鼻を赤くしたリーダーは白髪の青年を横目で見て口角を持ち上げる。

 暖色の光に浮かぶ皆の笑顔に囲まれ、アルバは冒険者の旅とはこういうものなのかと染み染み考えていた。

「シロ様、お味は如何ですか?」

『凄く美味しいよ』

 ニコの風呂敷に入っていた固形食料も悪くなかったが、やはり温かい食事が恋しかった。
 彼の横で革水筒の水を口元から零す少女はふぅ、と息を吐く。

『ニコおいで』

 びっしょり濡れた服をハンカチで叩くアルバを見て、カーベルはどっちが使用人なのか苦笑いをする。
 少女の服装は少し変わったメイド服で侍従の関係は見て明らかだが、青年が甲斐甲斐しく世話をする様子は真逆だった。

「シロ様はニコ様を大切にしていらっしゃるのですね」

『うん。彼女も僕の妹みたいなものかな』

「も、と言いますと他にも侍女か使用人を雇っていらっしゃるのですね」

『え、そ…そう、だね』

 カーベルは興味深そうに髭を弄る。
 妹との言葉に対し、ニコは不服そうに唇を尖らせた。

「シロ様は魔導師でいらっしゃいますか?」

『ううん。違うよ』

「左様で御座いますか、何分見事な魔法でしたので」

 ニコがアルバの膝の上に座り、熱々の魚に息を吹き掛ける。はぐはぐと大きな魚に食い付くと、パリッと皮の良い音がした。

「シロ様も私の店に来ては頂けませんか?」

『王都にあるなら行ってみたいな。どの辺にあるの?』

「中央の商業区画と西街に2店舗ずつあります」
 
『へぇ!服と雑貨か…、娯楽やゲームはない?皆で遊べるボードゲームやカードゲームとかが理想なのだけど』

 思いの外彼の屋敷は近くに在るようだ。アルバの要望にカーベルは真摯に頭を捻る。

「ゲーム、で御座いますか」
  
『スゴロクとか麻雀とか…』

「スゴろク?マーじゃん?」

 魔大陸にスゴロクがなかった事を思い出したアルバは、慌てて説明を挟む。

『…で、麻雀は決まった牌を揃えれば上がりなんだけど、そんな単純なものでもなくて…』

 アルバの拙い言葉を汲み取り、カーベルは必死に想像力を膨らませる。

「残念ながらそのような商品の取り扱いはありません」

 非常に言いにくそうにカーベルが伝えると、青年は肩を落とした。

『イーダをコテンパンにしたかったのだけどなぁ…』

 聖王にはチェスやヴァイス、トランプは惨敗している。情け容赦ない彼の戦法にアルバは地を舐めてきた。 
 散々おちょくられた挙句に大敗を喫するので、いつかギャフンと言わせてやろうとオルハと企てている。

 魔大陸に元々馴染みのあるゲームでは勝敗は目に見えているので、新たなゲームが必要だった。

「…ありません、が…シロ様さえ宜しければ店で詳しくお話を聞き、此方で作らせて頂きますよ」

『え、本当!?』

 思わぬ提案に驚く。
 カーベルは冗談を言っているようには思えない。

『や、やったー!これでまた女の子になってお酌しなくて済む!オルハの言う通りお酒をタダ同然にしてみせるよ!』

 メビウス聖王国が作る酒は格別だ。
 独自の手法で精製している特別酒はブルクハルトでも真似出来ない。それを良い事に、イーダは各国に高額で売り付けているのだ。
 イーダの回る舌に彼らが良いように丸め込まれてるとも言う。

『今度お店にお邪魔するねカーベルさん』

「はい!是非ともお待ちしております」

◆◇◆◇◆◇

 静かな夜に燦々と星が輝いていた。
 雇われ兵達が交代で見張りをしている中で、ある男も率先して見回りに加わる。
 自分以外が寝静まっている頃合いを見計らって、行動を開始した。

 荷馬車の横で毛布に包まる青年を見付け、唇で弧を描く。他の者は寝ている。見ている輩は居ない。
 男はそのまま、眠っている青年に手を伸ばした。

「触らないで」

 突如声がして体が跳ねた。
 青年は無防備な寝顔を晒している。彼じゃない。
 
 馬車の荷台の屋根に少女が座り脚を投げ出していた。月を背に紺色の瞳が此方を見下ろしている。

「な…、」

 アンドリューは狼狽えた。
 彼の仕事は回復と窃盗だ。依頼人が油断をしている隙に、貴重品など金目の物を奪う。

 今回の獲物は青年の指輪だった。

 万が一目を覚ましても、彼の人当たりの良い人相なら誤魔化せる。僅かな疑念さえ生まないよう神官服も用意した盗んだ
 そもそも人を疑う事を知らなそうな、世間知らずの青年などさして警戒もしていなかった。

「いやだなぁ、ニコさん。僕が一体何をすると?寒そうだったので、毛布を掛け直してあげようとしただけですよ」

「シロに、触らないで」

 感情の読めない静かな声で少女は続ける。

「…不敬」

「この青年がどれほど偉いって言うんです?君の物差しで測らないで下さい」

 使用人の彼女からしたら仕えるべき相手なのだろう。しかしアンドリューにとっては違う。依頼人で、貴族の息子だか知らないがそれがどうした。

「君は彼の親に雇われてるのでしょう?この際この青年がどうなったって」

 ピタリと、喉元に短刀の切先が当てられているのに気付く。
 馬車の屋根に居た筈の彼女が、いつの間にか目前に居た。スカートの裾がボタンで留められ、動きの邪魔にならないようになっている。

「君…戦闘ドールメイドか…ッ!」

 メイドは2種類に分けられる。
 1つ目はハウスキーパーなどを通常業務として主人の快適な暮らしをサポートする家政メイド。
 2つ目は通常業務の傍ら主人に仇なす輩を排除する役目を熟す戦闘メイド。通称ドール。

 思えば彼女が青年を世話する様子などなかった。
 幼い故に大目に見られているのかとも思ったが、では彼女の存在理由は?
 何を前にしても青年の落ち着いた姿勢が変わる事はない。裏を返せば、何が起こっても対処してくれる存在が近くに居たからではないか。

 アンドリューの足がゆっくりと後退する。
 するとニコは刀身が黒く短い刀を下ろした。もう一方の手にも同じような短刀が握られている。

「…シロは私を温存させた。きっと、来ると思ってた」

「なに?どういう…」

 アンドリューは眉を寄せた時、周囲に人の気配を感じた。驚いて振り返ると、四方を野盗に囲まれている。
 昼間に逃げて行った輩が、仲間を引き連れて夜襲に来たのだ。

 暗闇に紛れ低く行動していた男達が、嗤笑し躙り寄る。

 アンドリューが叫ぼうとした。その瞬間ニコは彼の頸を柄で叩き気絶させる。

「五月蝿い、迷惑」

 1人起きていたニコを野盗が取り囲んだ。

「なんだやる気かよ?」
「奴隷として売り払ってやるよ嬢ちゃん」

 ククリナイフを舐めた野盗の1人がニコへ突進した。戦闘メイドと言えど賊12人が相手では部が悪い。少女など子猫のように捕縛するつもりだった。

戦闘ドールメイド、ニコ・ジルクギール=ブルクハルト。シロ…邪魔する奴ら、掃除するのが仕事」

 ニコが言い終わると同時に、2人が倒れた。

「あ…?は?」

 並んでいた男も何があったのか分からない。隣に居た仲間が急に倒れてしまった。

 視線を戻すが少女の姿がない。
 恐怖と驚愕で動揺して汗が噴き出した。

「うわぁ!」 
「な、何だッ!?ひぃい」

 闇に乗じて音もなく移動する彼女に、野盗はなす術なく薙ぎ払われていく。

 ニコは王城でアルバの寝所への出入りが公認されている唯一のメイドだ。
 五天王とその統括により直接指導を受けている。
 リリアスに体術を習い、シャルルに魔法の基礎を学び、ララルカに素早く動く術を教えてもらった。
 彼女達はそれぞれ「自分以外の誰かが寝所に来たら制裁を下せ」と私情を挟みつつ熱心に教育してくれた。

 ペトラ直属の王専用戦闘ドールメイド。それもこれもアルバの側に居る為に、彼女が望んだ事だ。
 まだ発展途上だが、野盗如きでは相手にならない。

ーーえ?名字?ーー

ーーそうだな、じゃぁ僕の名字をあげるよーー

「………」

ーーお揃いだねーー

 彼女は忘れない。

 最後の1人も峰打ちで片付けた。
 騒ぎに気付いた雇い兵が起きてどよめいている。状況は分からないが一先ず縄を掛けてブルクハルトの憲兵に引き渡そうという話になっていた。

 ニコは欠伸をして、アルバの様子を窺う。端整な顔のまま穏やかに眠っていた。
 まだ夜は明けない。
 毛布を被ってその懐に潜り込み暖をとる。彼女はそのまま目を閉じて眠りについた。
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