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十章 ブルクハルトの魔王編

142話 過去

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 王都の外れに突如、雷が落ちた。
 蒼白の光が辺りを照らした、次の瞬間には轟音が大地を震わせる。

 城内は騒然とし、リリアスは状況を確認するため竜騎士に指示を飛ばした。野生の雷神龍の襲来か、はたまた別の何かか。

 落雷の位置はメイダール遺跡がある森の中だ。
 遺跡に何かあったのならば直ちに調査隊を派遣する必要がある。些細な変化でも、あの遺跡に関することならば調べねばならない。

 不意に、主人の顔が脳裏に浮かんだ。

「…アルバ様……?」

 妙な胸騒ぎがして、遺跡がある方角を見る。先程のけたたましい雷鳴が嘘のように、辺りは静けさを取り戻していた。

◆◇◆◇◆◇

 動く塔が荒れ地を闊歩していた時代、リリアスはまだ幼い少女だった。大陸南西の小さな街に生まれた、齢10歳と思えぬ程に賢く美しいと評判の娘。

 貴族カルラデルガルド家当主の父を持つ彼女は、貴族令嬢として育った。

「お父様」

 屋敷の玄関で、リリアスはスカートを浮かせて礼儀を尽くしたお辞儀をする。

「、…」

 彼女の父は久しく会っていなかった娘を前に息を呑んだ。少しばかり屋敷を留守にしていた間に、愛娘は立派なご令嬢へ成長していた。

「リリア!元気だったかい?ちゃんと勉強も欠かさずしていたかな?」

「勿論です。先生も褒めて下さるのですよ」

「そうかそうか!」

 この間まで父が歩く後ろを一生懸命ついてきて、まだまだ子供だと思っていたのに…。
 娘の成長を思うと感慨深い。同時に、その成長を間近で見守れなかった事に後悔に駆られた。

 長期の遠征から戻った父を出迎えたリリアスは、彼がそんな事を考えているとは露知らず小首を傾げる。

 その姿が生前の妻の姿と重なった。

 銀色の髪に、紫紺の瞳。女神と見紛う程の美貌と気品。リリアスの母は、フローリアと呼ばれる精霊に属する種族だ。彼らは女神に愛され嘗て祝福を受けたとされ、類稀なる加護を持っていた。
 残念な事に、彼女はリリアスが物心つく前に事故で帰らぬ人となった。

 故人を悼んだ父は、誤魔化すように笑顔を作り少女の頭を撫でる。

「はは、本当に大きくなったなぁ」

 子供扱いはもうやめてほしいと思いつつも、髪を梳く優しい指が心地よかった。

 リリアスの父は王国騎士団に所属している。魔物の討伐やその為の遠征はしょっちゅうで、家族との時間はあまりとれていなかった。

「今は大陸の歴史について学んでいます」

 彼女の手には分厚い本が抱かれている。よっぽど授業が楽しいのだろう。

「お父様、ルビーアイとは本当に存在したのですか?」

「そうさ。魔歴上でも3人しか確認されていないけど、実在した偉人だよ」

 膨大な魔力を秘めている者は、まるで美しいルビーのような瞳を持って生まれる事から、いつしかルビーアイと呼ばれるようになった。莫大な魔力に富む証の宝石眼だ。

 本当に実在するとしたら、実際に見てみたいと思った。

「それでは、そろそろ失礼しますね。また晩餐で」

「ララルカか。僕も後で会いに行くよ」

 近頃リリアスはある部屋に通い詰めていた。

 妻と死別した数年後、父は再婚した。継母になったのは貴族出身の黄金の髪を持つ穏やかな女性で、リリアスは適度な距離を置きながら良好な関係を保っていた。

 しかし、父と継母の間にララルカが産まれリリアスの世界は一変する。彼女にとって妹とは、可愛くて仕方がない存在だった。
 小さな手で指を握られた時の感動は今でも忘れていない。

 それから彼女は勉強の合間を縫ってララルカに会いに行った。その過程で継母との関係にも変化があり、本当の母親のように慕うようになったのだ。

 だが、妹は病弱で、年々僅かな時間しか会えなくなっていった。

 屋敷でも見晴らしが良い東塔。ララルカに与えられた部屋の扉を叩く。

「ララルカ、居る?」

「……リリア姉様?」

 近頃ララルカは風邪を引いており、感染防止のため会えていない。毎回扉越しのやり取りが続いていた。

「体調はどう?」

「…熱は下がったよ」

「何か欲しいものはない?」

「…」

 扉の向こうから声が戻って来ない。リリアスは耳を澄ました。

「…また姉様の話が聞きたい」

 貴族と言えどまだまだ5歳の子供。それに、体が弱っている時は心細くなるものだ。
 リリアスはそれらを見抜いた上で「良いわ。毛布を持って来て」と扉の前に座る。

 病弱で人との関わりが極端に少ない少女は刺激に飢えていた。
 勿論、母や使用人が見舞いや病状を見に頻繁に訪れてはいるものの、彼女の体を心配するが故に外の世界への関心を引かないよう心掛けているようだった。

 反対にリリアスは、両親には内緒で外の世界について様々な事を教えてやり、毎回、病気が治ったら一緒に見て回ろうと言って、妹の快復を願っていた。
 
「休みたくなったら直ぐに言うのよ」

「…ん」

 ベッドからのそのそと這い出てくる気配がする。扉を隔ててリリアスが居るすぐ近くに座る音がした。

 姉妹はこうして、扉を挟んで背中合わせに互いの話をする。好きなこと、嫌いなこと、昼食に出るビーツの味が苦手なこと、本の話や話題のドレスなど他愛無い会話だが、それが何より楽しかった。

「領地の収入源は主に工芸品と果物ね。それを王都の貴族や小売に流しているのよ」

「ふーん…」

 リリアスはララルカに知識を分け与える。妹が勉強が好きではない事は承知しているが、知っていて損はない。

「リリア姉様は勉強が好き?」

「、どうして?」

「勉強しなきゃいけないのは分かるけど…もっと自分の為に時間を使っても良いと思う」

 長女は押し黙った。勉強するのは嫌いではない。寧ろ見識を深めるのは必要な事だと思っている。
 それはカルラデルガルド家に恥じない娘になる為で、父が望む姿だと思ったからだ。

 暗にララルカは無理をしていないか聞いている。姉として微笑み、柔らかな声で返した。

「私は勉強は好きよ」

「そう?」

「ええ」

 いつか家の為に何処かの貴族に嫁ぐことになろうとも、カルラデルガルド家として胸を張れる自分でありたい。
 知識を溜める勉強も、お茶や刺繍、社交でさえ完璧にやり遂げる。

 それなのに彼女の胸にはぽっかりとした虚無感が居座っていた。

「…リリア姉様、最近人が増えてるのはどして?」

 普段窓から見ているのだろう、近頃の街や屋敷は慌ただしい。武装した大人たちが出入りし、物々しい雰囲気だった。

「私も詳しい訳ではないけど、メイダール城が近付いているらしいわ」

「メイダールじょう…?」

 リリアスはメイダール城について説明した。

 【動く塔】【殺人城】と呼ばれて広く恐れられるソレは、言葉の通り動き続ける巨悪の城だった。魔物を引き連れており、通った後には耕され何も残らない。

 城主のアメリア・メイダールは美しくも傲慢な女だと有名だった。強欲であり、目的のためなら手段を選ばない冷徹さを兼ね備えている。
 複数人の貴族と繋がりがあり、彼らの領地に入らない対価として莫大な金銭を受け取っていた。

「…怖い」

「大丈夫よ。いつものように荒れ地を過ぎるだけだもの。剥がれた魔物を残さないために、お父様が兵士を集めているのよ」

 メイダール城が連れている魔物とは、主に塔を包む腐肉のような肉塊が剥がれ落ち、残留する魔力により魔物化するものを言う。
 それらが人々を襲わないよう対処するのは、領地をおさめる者の責務だった。

 彼女たちの父は遠征を終えた後、カルラデルガルド家の領地にメイダール城が近付いている事を知り状況を確認する為、急いで屋敷に駆け付けたのだった。

 引き連れていた騎士たちの多くは、彼の人徳によりついて来てくれた者たちだ。
 召集した兵士と合わせても、大きな戦力になる。

 アメリア・メイダールの力は近頃増すばかりだ。街へ立ち入り踏み越える事も厭わない残虐な行いすら、王は黙認している。
 黙認と言うより容認されている気さえした。アメリアの動く塔に轢き潰されているのは王家を良く思っていない貴族派の者たちだ。

「…、…さま?」

「ッ、ごめんなさいララルカ」

 妹との話の最中、思案に没頭していたと知る。これ以上は王家に対して不敬罪に値すると考えを打ち払った。

「とにかく、貴女は何も心配しないで。今はしっかり休んで風邪を治すのよ」

「はい、お姉様」

「ベッドに入って、ゆっくり眠りなさい」

「…はい」

 もっと話したい欲求を押し殺したララルカは、離れて行く姉の足音を名残惜しそうに最後まで聞いていた。

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