18 / 90
18 爆弾投下
しおりを挟む
突如、目の前に差し出された濡れタオル。
あまりのタイミングの良さに、私は驚いて動きを止め、それを凝視する。
「どうした? 遠慮なく使えばいい。ほら」
優しく差し出されるも、それを手渡そうとしてくる相手が王太子殿下であったため、更に驚いてしまう。
「えっ、あ、あの、どうして殿下が……」
相手が相手だけに、素直に受け取っていいのか、とか、受け取ったら寧ろ不敬にならないだろうか、とか、色々な考えが頭を巡り、どうしたら良いのか分からなくなる。
なのに、私がそんな風に考えている間も、殿下は私の手にグイグイと濡れタオルを押し付けてくるのだ。
「遠慮する必要はない。ほら」
最初は固辞しようとした私だったけれど、意外にも殿下は押しが強く──結果、躊躇いつつも私は彼の手から濡れタオルを受け取ってしまった。
従者や護衛の方からでなく、殿下から直接手渡されるなんて、後から不敬扱いされて罰を与えられたりしないだろうか。
不安になって殿下の背後に視線を向けるも、そこにいる護衛の方々はフルフェイスの兜を装着しているため、表情がまったく分からない。
でも多分……大丈夫よね?
せっかく渡してくれたのだし、使わずに返す方が不敬かもしれないと思い直し、よしっ! と意を決して私がタオルを握りしめると、何故か殿下がこちらへ向かって手を伸ばしてきた。
「で、殿下? どうかなさいましたか……?」
思わず身を引くようにして尋ねると、ハッとしたように殿下は動きを止め、サッと手を引いてくれる。
「いや、あの……なかなかタオルを使わないから、手伝おうかと思ったのだが──」
「い、いえ大丈夫です! ちゃんと自分でできますから!」
まさか手伝おうとしてくださったなんて……。
殿下の優しさが嬉しくて、濡れタオルを握る手に少しだけ力を込める。
「早く冷やした方が良い。せっかくの美しい顔が台無しだ」
重ねて彼から掛けられた言葉に、私は照れも相まって、濡れタオルを慌てて腫れた瞼の上に当てた。
私の顔は美しくないと思うけれど、殿下からの気遣いを無碍にはできない。
渡されてから少し時間が経っていたにも関わらず、濡れタオルはヒンヤリして気持ちが良かった。
「気持ち良い……」
思わず声を漏らすと、「そうか、それは良かった」と優しい声が返ってくる。
今まで殿下とは同じ学園に通っているとはいえ、お見かけしたことがあるだけで言葉を交わしたことはなかった。だから声を聞いたことはなかったけれど、彼はこんなにも優しい声をなさっていたのねと、少しだけホッとする。
今、キツい声で咎められでもしたら、きっとまた泣いてしまうだろうから。それがもし私を咎める言葉でなかったとしても、声がキツいという、ただそれだけで、耳を塞ぎたくなってしまうような気がするから。
それほどまでに、今の私の心は傷付いていて。
「……少し、触れても良いだろうか?」
その時、躊躇いがちに、殿下から、そう声を掛けられた。
目にタオルを当てたまま、何をする気なんだろう? と思いつつ、私は無言で頷く。
すると、不意に優しく頭を撫でられた。
こんな風に頭を撫でられたのは、いつぶりだろう。もう随分と前のことで、記憶にすら残っていない。
けれど、確かに感じる手の温もりに、私の目からはまたも涙が溢れてしまう。
久方振りに頭を撫でられたことが嬉しいのか、それともただ懐かしいのか、分からないながらも私がしゃくりあげると、ビクッとしたように殿下の手が慌てて離れた。
「ああ……すまない。泣かせるつもりではなかった。……おい、濡れタオルをもう一枚用意しろ」
殿下が誰かに命令する声を聞き、私は慌てて顔を上げる。
そんな、私なんかのために誰かの手を煩わせるなんて申し訳ない。私の顔など、少し目が腫れたところで大して違いはないのだから。
そう思って殿下を止めようとしたのだけれど、彼の顔を見た瞬間、透き通るような碧色の瞳と目が合った。
そのまま目を逸らせず──不敬になるから──にいると、殿下は少しだけ距離を詰めてきて。
「……サイダース侯爵令嬢、良ければ私に話してみないか?」
真剣な顔で、そう言われた。
一体なにを?
瞬間、私の頭に浮かんだ言葉はそれだけで。
殿下に話す? え、なにを?
?マークがたくさん頭に浮かび、考えたところで分かりそうにないため、首を傾げながら殿下に尋ねた。
「あの……よく意味が分からないのですが……?」
すると、殿下は一瞬目を丸くした後、何故だかふっと微笑った。
「すまない、言葉が足りなかったな。貴女は何か悩んでいることがあるのだろう? 良ければ私に話してくれないか?」
「ええっ⁉︎」
予想外の申し出に、私は驚くしかない。
殿下に悩みを話す⁉︎ どうして? そんなこと、できるはずがないのに!
「え、ええと……お気持ちはとても有り難いのですが、殿下にお話するような大それた悩みではないので……」
さすがに、泣き顔を見られた手前『悩みがない』とは、口が裂けても言えなかった。
いくらなんでもバレバレすぎるし、王族を謀ったら死罪になる可能性だってある。だからといって、婚約破棄なんて当人──若しくは互いの家──同士の問題でしかないことを、殿下に話すわけにもいかない。
だから、大した悩みではないと押し切って、なんとか殿下に諦めてもらおうとしたのだけれど──。
「そうかな? 婚約破棄は、十分大それた悩みだと思うが?」
超ド級の爆弾を、殿下がこともなげに投下してきた。
「えっ⁉︎ で、殿下、今なんと仰いました……?」
どうか聞き間違いでありますように、と神様に縋る思いで殿下の次の言葉を待つ。
どうか、どうかお願いします。今の言葉は聞き間違いでありますように……!
時の流れる速さは変わらないはずなのに、殿下の口の動きだけが、いやに遅いように感じる。いや、殿下の言葉を受け入れたくない私自身が、無駄な抵抗をしているだけかもしれない。
それでも──。
どんなに抵抗しても時間は止められないし、殿下の口を塞ぐことは不可能で。
「貴女はレスターと婚約破棄がしたいのだろう?」
確かに彼は、そう言った──。
あまりのタイミングの良さに、私は驚いて動きを止め、それを凝視する。
「どうした? 遠慮なく使えばいい。ほら」
優しく差し出されるも、それを手渡そうとしてくる相手が王太子殿下であったため、更に驚いてしまう。
「えっ、あ、あの、どうして殿下が……」
相手が相手だけに、素直に受け取っていいのか、とか、受け取ったら寧ろ不敬にならないだろうか、とか、色々な考えが頭を巡り、どうしたら良いのか分からなくなる。
なのに、私がそんな風に考えている間も、殿下は私の手にグイグイと濡れタオルを押し付けてくるのだ。
「遠慮する必要はない。ほら」
最初は固辞しようとした私だったけれど、意外にも殿下は押しが強く──結果、躊躇いつつも私は彼の手から濡れタオルを受け取ってしまった。
従者や護衛の方からでなく、殿下から直接手渡されるなんて、後から不敬扱いされて罰を与えられたりしないだろうか。
不安になって殿下の背後に視線を向けるも、そこにいる護衛の方々はフルフェイスの兜を装着しているため、表情がまったく分からない。
でも多分……大丈夫よね?
せっかく渡してくれたのだし、使わずに返す方が不敬かもしれないと思い直し、よしっ! と意を決して私がタオルを握りしめると、何故か殿下がこちらへ向かって手を伸ばしてきた。
「で、殿下? どうかなさいましたか……?」
思わず身を引くようにして尋ねると、ハッとしたように殿下は動きを止め、サッと手を引いてくれる。
「いや、あの……なかなかタオルを使わないから、手伝おうかと思ったのだが──」
「い、いえ大丈夫です! ちゃんと自分でできますから!」
まさか手伝おうとしてくださったなんて……。
殿下の優しさが嬉しくて、濡れタオルを握る手に少しだけ力を込める。
「早く冷やした方が良い。せっかくの美しい顔が台無しだ」
重ねて彼から掛けられた言葉に、私は照れも相まって、濡れタオルを慌てて腫れた瞼の上に当てた。
私の顔は美しくないと思うけれど、殿下からの気遣いを無碍にはできない。
渡されてから少し時間が経っていたにも関わらず、濡れタオルはヒンヤリして気持ちが良かった。
「気持ち良い……」
思わず声を漏らすと、「そうか、それは良かった」と優しい声が返ってくる。
今まで殿下とは同じ学園に通っているとはいえ、お見かけしたことがあるだけで言葉を交わしたことはなかった。だから声を聞いたことはなかったけれど、彼はこんなにも優しい声をなさっていたのねと、少しだけホッとする。
今、キツい声で咎められでもしたら、きっとまた泣いてしまうだろうから。それがもし私を咎める言葉でなかったとしても、声がキツいという、ただそれだけで、耳を塞ぎたくなってしまうような気がするから。
それほどまでに、今の私の心は傷付いていて。
「……少し、触れても良いだろうか?」
その時、躊躇いがちに、殿下から、そう声を掛けられた。
目にタオルを当てたまま、何をする気なんだろう? と思いつつ、私は無言で頷く。
すると、不意に優しく頭を撫でられた。
こんな風に頭を撫でられたのは、いつぶりだろう。もう随分と前のことで、記憶にすら残っていない。
けれど、確かに感じる手の温もりに、私の目からはまたも涙が溢れてしまう。
久方振りに頭を撫でられたことが嬉しいのか、それともただ懐かしいのか、分からないながらも私がしゃくりあげると、ビクッとしたように殿下の手が慌てて離れた。
「ああ……すまない。泣かせるつもりではなかった。……おい、濡れタオルをもう一枚用意しろ」
殿下が誰かに命令する声を聞き、私は慌てて顔を上げる。
そんな、私なんかのために誰かの手を煩わせるなんて申し訳ない。私の顔など、少し目が腫れたところで大して違いはないのだから。
そう思って殿下を止めようとしたのだけれど、彼の顔を見た瞬間、透き通るような碧色の瞳と目が合った。
そのまま目を逸らせず──不敬になるから──にいると、殿下は少しだけ距離を詰めてきて。
「……サイダース侯爵令嬢、良ければ私に話してみないか?」
真剣な顔で、そう言われた。
一体なにを?
瞬間、私の頭に浮かんだ言葉はそれだけで。
殿下に話す? え、なにを?
?マークがたくさん頭に浮かび、考えたところで分かりそうにないため、首を傾げながら殿下に尋ねた。
「あの……よく意味が分からないのですが……?」
すると、殿下は一瞬目を丸くした後、何故だかふっと微笑った。
「すまない、言葉が足りなかったな。貴女は何か悩んでいることがあるのだろう? 良ければ私に話してくれないか?」
「ええっ⁉︎」
予想外の申し出に、私は驚くしかない。
殿下に悩みを話す⁉︎ どうして? そんなこと、できるはずがないのに!
「え、ええと……お気持ちはとても有り難いのですが、殿下にお話するような大それた悩みではないので……」
さすがに、泣き顔を見られた手前『悩みがない』とは、口が裂けても言えなかった。
いくらなんでもバレバレすぎるし、王族を謀ったら死罪になる可能性だってある。だからといって、婚約破棄なんて当人──若しくは互いの家──同士の問題でしかないことを、殿下に話すわけにもいかない。
だから、大した悩みではないと押し切って、なんとか殿下に諦めてもらおうとしたのだけれど──。
「そうかな? 婚約破棄は、十分大それた悩みだと思うが?」
超ド級の爆弾を、殿下がこともなげに投下してきた。
「えっ⁉︎ で、殿下、今なんと仰いました……?」
どうか聞き間違いでありますように、と神様に縋る思いで殿下の次の言葉を待つ。
どうか、どうかお願いします。今の言葉は聞き間違いでありますように……!
時の流れる速さは変わらないはずなのに、殿下の口の動きだけが、いやに遅いように感じる。いや、殿下の言葉を受け入れたくない私自身が、無駄な抵抗をしているだけかもしれない。
それでも──。
どんなに抵抗しても時間は止められないし、殿下の口を塞ぐことは不可能で。
「貴女はレスターと婚約破棄がしたいのだろう?」
確かに彼は、そう言った──。
2,892
あなたにおすすめの小説
【完結】貴方をお慕いしておりました。婚約を解消してください。
暮田呉子
恋愛
公爵家の次男であるエルドは、伯爵家の次女リアーナと婚約していた。
リアーナは何かとエルドを苛立たせ、ある日「二度と顔を見せるな」と言ってしまった。
その翌日、二人の婚約は解消されることになった。
急な展開に困惑したエルドはリアーナに会おうとするが……。
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ
曽根原ツタ
恋愛
オーガスタの婚約者が王女のことを優先するようになったのは――彼女の近衛騎士になってからだった。
婚約者はオーガスタとの約束を、王女の護衛を口実に何度も破った。
美しい王女に付きっきりな彼への不信感が募っていく中、とある夜会で逢瀬を交わすふたりを目撃したことで、遂に婚約解消を決意する。
そして、その夜会でたまたま王子に会った瞬間、前世の記憶を思い出し……?
――病弱な王女を優先したいなら、好きにすればいいですよ。私も好きにしますので。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
余命3ヶ月と言われたので静かに余生を送ろうと思ったのですが…大好きな殿下に溺愛されました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のセイラは、ずっと孤独の中生きてきた。自分に興味のない父や婚約者で王太子のロイド。
特に王宮での居場所はなく、教育係には嫌味を言われ、王宮使用人たちからは、心無い噂を流される始末。さらに婚約者のロイドの傍には、美しくて人当たりの良い侯爵令嬢のミーアがいた。
ロイドを愛していたセイラは、辛くて苦しくて、胸が張り裂けそうになるのを必死に耐えていたのだ。
毎日息苦しい生活を強いられているせいか、最近ずっと調子が悪い。でもそれはきっと、気のせいだろう、そう思っていたセイラだが、ある日吐血してしまう。
診察の結果、母と同じ不治の病に掛かっており、余命3ヶ月と宣言されてしまったのだ。
もう残りわずかしか生きられないのなら、愛するロイドを解放してあげよう。そして自分は、屋敷でひっそりと最期を迎えよう。そう考えていたセイラ。
一方セイラが余命宣告を受けた事を知ったロイドは…
※両想いなのにすれ違っていた2人が、幸せになるまでのお話しです。
よろしくお願いいたします。
他サイトでも同時投稿中です。
【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
今さら救いの手とかいらないのですが……
カレイ
恋愛
侯爵令嬢オデットは学園の嫌われ者である。
それもこれも、子爵令嬢シェリーシアに罪をなすりつけられ、公衆の面前で婚約破棄を突きつけられたせい。
オデットは信じてくれる友人のお陰で、揶揄されながらもそれなりに楽しい生活を送っていたが……
「そろそろ許してあげても良いですっ」
「あ、結構です」
伸ばされた手をオデットは払い除ける。
許さなくて良いので金輪際関わってこないで下さいと付け加えて。
※全19話の短編です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる