帰りたいワタシの帰れない噺

Rentyth

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四つ目の命

12 日目

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 ひっそりと静まり返る住宅街を斜陽が照らしている。

 息を潜めているのか、本当にもぬけの殻なのか。自分の靴底が、砂利をアスファルトへ擦り付ける音だけが規則的に響いた。『閑静な住宅街』とはよく聞く言葉だが、ここに足を踏み入れてから、人どころか化物の気配さえ欠片もない。

 はて、と頭を傾げた。

 いや、勿論あの化物には会わない方がいい。しかし、こうも何もないと、外に出る手がかりすら掴めない。ジレンマを抱えつつ、立ち並ぶ家々を見やる。そこで、ふと思いついた。

 以前ガレージに匿ってくれた彼らのように、この付近一体で手を組んでいたとしたら…?

 範囲を狭めれば、化物が入ってこないように侵入路を防ぐこともできるかもしれない。もしくは、猫避けのように化物が避けるものがあるとしたら…?
 たどり着いた推測に少し気分が高揚する。幸い、角以外に目立つ『異形』はない。話を聞いてくれる可能性は大いにある。
 あたりを見回し一番小綺麗に手入れされた家へ歩を進めた。門の前に立ち、少し日に焼けたインターホンへ指を伸ばす。そっとボタンを押し込めば、久方ぶりに聞いたような、少し間の抜けたチャイムの音が響いた。

ぴぃーーんぽぉーーーん…………
ぴぃーーんぽぉーーーん…………

 一、二歩下がって、僅かな後悔と共に返答を待つ。…チャイムの余韻が待って、そっと肩を落とした。ダメ元で、もう一度鳴らそうかと腕を持ち上げた瞬間、

「--------!!!」

「えっ…!?…何……!?」

 背後から、金切り声と共に何かが降ってきた。咄嗟に門の前から飛び退いて距離を取る。
 来襲者に対峙し、思わず目を疑った。

 そのスラリと伸びた華奢な脚は、夕日を映す毛皮で覆われ、ボロ切れのようになったシャツの下には親指の先程の鱗がズラリと並ぶ。爛々と燃える瞳孔は縦に長く、側頭部からは2対の大きな耳か生えて周囲を警戒するように忙しなく向きを変えていた。
 たった今駆けてきたかのように荒い呼吸を繰り返しながら、此方に向かって文字通り牙をむく。低い唸り声が彼女の怒りを表しているようだった。

「…っ、あの、敵意はないんですけど…」

 両手をそっと上げ、降伏の姿勢を取るが、相手の態度は一向に変わらない。4枚ある獣の耳のうち必ず一枚はこちらに向けられ、警戒心を顕にしていた。

「と、とりあえず話を……」

離れたほうがいいかと一歩下がろうとした刹那、

「…っガァぁぁあァァアぁあ!!」

 鋭い牙をむき出しにして彼女が襲いかかってきた。咄嗟に腕を上げて顔を守ろうとするが、庇った腕の肉を持っていかれた。一瞬の違和感の後、激痛が腕を這い上がる。ゴクリと、彼女が齧りとった『ニク』を嚥下した。

(あ、食われる。)

 グッと口を拭う仕草に、痛みで痺れかけている脳髄が状況を飲み込んだ。それと同時に、恐怖が湧き上がる。
 背中には壁。相手の素早さには叶わないだろう。隠れたところで、あの大きな耳は僅かな音さえ聞き落とすとは思えない。

 勝つしかない。

 ストンと腑に落ちた結論に、頭の中が冷える。拳に力をこめれば、腕から無数の棘が飛び出した。傷口の奥からも頭を出したソレに眉をひそめながら、次の一撃を狙う彼女に視線を固定する。

 ゆらり、と彼女が動いた。

 的確に喉笛を狙う牙を避け、無事な腕で細い首を捉える。そのままのしかかり、地面に渾身の力で押さえつけた。
 藻掻く手足が腹や胸を殴打し、押さえる腕を爪が掠めるが、力自体はあまり無いようで、いたずらに腕に赤い線が増えていく。手の下では気管が必死に空気を求めて嗚咽を繰り返すが、この手を離せばもう捕らえられる隙など与えてはくれないだろう。

「…ごめん、なさい……」

 思わず、誰に乞うでもない謝罪が溢れた。
 苦しそうに彼女が胸を掻きむしる。大きく開いた口の傍からは泡が溢れ、抵抗する力が徐々に弱くなる。

「っ、ごめ、なさい、ごめん、なさ…」

ゴメンナサイ

 そう繰り返しながらも、押さえつける手は緩められなかった。見開かれた瞳から逃げるように目をかたく瞑り、また同じ言葉を吐く。

 いつまでそうしていただろうか。
 ヒクヒクと掌の下で僅かに喉が跳ねる感覚を最後に、ぱったりと抵抗が止んだ。生暖かい塊はもう脈打つことはなく、あたりに静寂が戻ってくる。

 目を、開けなければ。

 手を、離さなければ。

 そう思うものの、そこにあるであろう光景を想像すると、身体が動かない。

 コロシテシマッタ

 『殺してくれ』と、頼まれたあの時とは違う。生きようとしていた相手を、この手で、他でもない、自分が、

『殺した』

 遅れたように恐怖が体を支配する。指一本動かすことができない。自分の呼吸音と脈動が瞼を閉じた暗闇の中で響く。

 その中に、僅かな、ほんの僅かな音が混じった。

 砂時計のような、小さな粒子が擦れ合う音。
 音とともに、体の下の肉塊が、ふと質量を無くす。

 思わず目を開けた瞬間、何処からか一陣の風が吹いた。

 金色の粒子が風に舞い上げられ、あっという間に散っていく。後には呆然とヘタりこんだ自分だけが残された。

(……殺した…。)

 死体はない。実感もない。ただ、命の途絶える瞬間がまざまざと掌に残されている。
 奪われて、奪って、削って、削られて…。
 ここで『生き延びる』道がそれしかないのならば、…慣れなければ、いけないのだろう。それが『正しい』のかは別として…。

 何かが軋むような感覚を覚えながら、ゆっくりと立ち上がる。…また、手がかりを探しに行かなければ…。

帰らなければならないのだから。


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