世界最強の公爵様は娘が可愛くて仕方ない

猫乃真鶴

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王都編

5.お父様はお母様!?③

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「まあ。見て下さい、おと……お母様」
「ほう、いいじゃないか。こちらのも悪くなさそうだぞ」
「本当。これも素敵ね」

 最近若い女性に話題となっている店をシエラから聞き出していたアルベルトは、さっそくその店にリリアンを案内した。小物を取り扱う店で、小ぶりな宝石が使われたブローチや、複雑な刺繍の施されたリボンなど、乙女心をくすぐる品が多かった。夜会に使うものではなく、令嬢が普段着にちょっと着けられるものを取り扱っているようだ。公爵家の令嬢が使うにはやや物足りないが、リリアンは侍女やメイド達に土産として、いくつか見繕っていた。
 その間、これがいい、あれはどうか、それともこっちがいいかと話かけられ続けるアルベルトは、年相応のリリアンの姿に頬が緩みっぱなしだった。特にリリアンに似合いそうだと百合のブローチを差し出した時の、驚いた顔ときたら!
 いつもにこやかで穏やかなリリアンが、目をまん丸にして驚くのだ。その直後、花が開くように頬を染めて微笑むのだからたまらない。いたずらが成功した子供のように、アルベルトは笑った。

 次にやってきたのは川沿いにテラスのあるカフェだ。家でお茶をしてもいいが、それではいつもと違う感じが出せないと、アルベルトが提案したのだ。あらかじめ連絡をしておいたおかげで四つあるテラス席を独占だ。店の心遣いに感謝して、アルベルトとリリアンは案内に従う。
 案内されたのは、テラス席の中でもよく陽が当たる場所だそうだ。よく晴れた日なので、川べりを流れる風が気持ちいい。ほどよく陽を遮るパラソルも相まって、ゆったりとお茶が楽しめる環境になっている。
 治水の為に整えられたこの川は、さほど幅がない。深さも無く流れは穏やかなので、眺めるには最適だ。川底には街道の石畳と同じ石を敷き詰めている。だから川と道は一体となっていて、そのおかげで整然とした街並みは、王都に相応しい荘厳さを醸し出す。王都の東にある大河から引かれた水路、それら全てが同じように整備されている。整備する中で同じ石が採掘できず、使われている石が違ってしまい色味の異なる箇所があるが、それを利用して区画を分けている場所もある。王都に暮らす人の中には、住所より石畳の色のほうが分かりやすいと言う者もいる。
 ここは王都でも格式の高い場所なので、石畳に使われているのは白いものだ。店舗の外装はそれに合わせているようで落ち着いた色合いだった。リリアンは内装も店の雰囲気も気に入ったようだ。ひとつひとつをよく観察しており、目を細めている。
 テラスから見える対岸は、街道沿いになっている。川に近い方が歩道なので徒歩の人がよく見えた。

「この辺りは馬車で通りますけれど。こんなお店があったんですね」

 リリアンは街並みを見回す。いつも馬車で通るのは、一本先の大通りだ。ひとつ道を入っただけで見慣れない景色が広がっている。当たり前のことだが、なんだか新鮮に感じるのは、普段と違うことをしているからだろう。
 リリアンは普段街に出ることがない。家の者に言えば買い物は済むし、大抵のことは家でできるのだ。あるとすれば友人達とのショッピングだが、公爵家令嬢の友人ともなれば名だたる貴族ばかり、スケジュールも合わないし警護のこともあるのでなかなか難しい。レイナードはあの通り多忙であるし、アルベルトは街に出ると、どこからともなくその情報を仕入れたご婦人方に囲まれるので、そういう意味での外出はしなくなった。

「こちらへは、あまり来ないからな」

 だからこの数年では、純粋な外出、というのはほとんどこの日が初めてだった。アルベルトは女装の姿をしているが。
 運ばれてきたお茶を品よく飲む姿は洗練された貴婦人のもの、注目されることを意識している為か、普段より更に所作は美しい。
 リリアンはそれを関心して見ている。

「お母様はほんとうに所作が綺麗ですね」

 アルベルトはその言葉に視線を上げた。

「そうかね。勉強した甲斐があるよ」
「おと……お母様でも勉強をすることがあるのですか」

 ちょっと驚いたようなリリアンに、アルベルトは笑ってみせた。

「あるとも。さすがの私も、淑女の作法は学んだことがないからね。この二日間教師を付けたよ」

 リリアンは、まあ、と声を上げる。

「二日で、そこまでできるのですか」

 すごいわ、という声には呆れが混じる。リリアンが、物心付いてから何年もかけて教育を受け、自然にできるようになるまで今もずっと修行中なのだ。それを、二日で、見る限り完璧にやってのけるアルベルト。呆れるのも無理はない。
 でもアルベルトはにこりと笑って、

「リリアンの為だからね。その為なら私はなんでもするよ」

とそう言った。
 お前の為に頑張ったんだよ、と笑って言ってのける父に、リリアンは恥ずかしいやら嬉しいやら複雑だ。とりあえず褒めて欲しそうだったので、ありがとうという言葉を満面の笑みで伝えた。

(リリアンの全力の笑顔!! ありがとうございます!!)

 そんなアルベルトの内心は嵐が吹き荒れている。というのも、今日は朝からリリアンがずっと笑顔なのだ。家を出て城へ向かう間も、城で着替えが済んだ後も、ずっとそわそわしていた。これはもう確実だろう、今日が楽しみで仕方がなかったようだ。今日一番の笑顔を脳裏に焼き付け、アルベルトは大いに満足していたのだ。もう今日はこれで終わりでいい気さえする。
 とは言え、リリアンをずっと間近で観察するチャンスではあるし、何より普段より一層楽しげだ。これを逃す手はないと思い直し、あと一、二店舗回ろうかと画作する。側で控えているベンジャミンを呼び寄せ、それを伝えると、優秀な彼は頷いた後で店の中へ戻っていった。おそらく御者と、護衛の騎士へ伝言しに行ったのだろう。
 それと入れ替わりでやって来た店の者がケーキを置くと、それでまたリリアンの表情はきらめく。家でも素晴らしい出来映えのものを見るが、やはりそれとは意匠が違う。家では家人に合わせた好みになるが、街の店ではあらゆる人に向けたものになるから当然だ。華やかで、工夫が凝らされている。特に果物は蜜できらきらしており、それが瑞々しさを補う。なるほどこれは人気が出るなと、アルベルトは思った。実際リリアンが気に入っているのだから、王都の女性を虜にするのは当然だ。リリアンの趣味は相当に良いものであるからして。
 味の方もなかなか良い部類だった。リリアンはフルーツのケーキを味わっていたが、クリームとフルーツの酸味の加減が絶妙だという。アルベルトのカスタードのパイは、パイ生地がさくさくで美味しかった。添えられていたベリーで口直しできるのも良い。カスタードはとろとろで、パイによく絡む。どんな味なのかと興味津々でいるリリアンに、アルベルトは一口、フォークにパイを乗せて差し出した。いわゆる「あーん」である。

「あの、お母様?」
「街の人はこのようにして、自分のものを分けるようだ。ほら」

 アルベルトが視線を店内に向ける。するとガラスの向こう、いくつか離れた席ではたしかに、女性が同行者の男性にフォークを差し出していた。
 言わずもがなこの男女はカップルであり、通常こういうのは男女か、あるいは幼い子供相手にやるものであるが、アルベルトはそれをリリアンに伏せた。あえて本当のことを伝える必要はないから。
 リリアンはぱちぱちと瞬いたが、控え目にフォークを口に含む。咀嚼するとさらに頬を緩ませた。

「美味しい! クリームが甘すぎなくて、いい香りね」
「シンプルでいいな。うちのシェフにも作らせるか」
「まあ。お母様がそんなに言うだなんて、お気に召したのね」
「リリアンも気に入っただろう?」
「ふふ。ばれましたか?」

 言うなり、そうだわ、と呟いて、リリアンは手元のケーキを掬うと、それをアルベルトに向けた。

「はい。お母様もどうぞ」

 アルベルトは驚いてそれを見る。

「……いいのかね?」
「もちろん! とっても美味しいのよ、お母様にも味わって貰いたいわ」

 まさかリリアンに「あーん」をやり返して貰えるだなんて!
 感極まって叫び出しそうな己を抑え、フォークを口元に運んでもらい、恐る恐るそれを口にする。リリアンが嬉しそうに「美味しいでしょう?」と同意を求めるが、それどころではない。

(り、リリアンの手ずからケーキを食べさせて貰えるなんて……! この感動をどう表せばいいんだ。ああリリアン、そんなに瞳を輝かせて私を見ないでくれ、正気が保てない!)

 嬉しすぎて正直味がわからない。
 でもなんとか舌が甘味を感じたので、「ああ、美味しい」と声を絞り出した。リリアンはそれに、満足気ににっこりと微笑んだ。それでもう、昇天しそうになる。
 街のカフェのテーブルは小さい。そのおかげで食べさせ合うことができたので、テーブルが小さいことに感謝するアルベルトだった。

 余韻に浸るアルベルトを満足気に見ていたリリアンは、お茶のおかわりを貰おうと、視線を上げた。と、対岸の川べりの手摺り、それをよじ登る子供が目に入る。
 転落防止のための手摺りだが、柱の間からだと川が見えにくそうだ。それでよく見ようとしたのか、子供は手摺りの一番下の段に足をかけて川を覗き込んでいる。周囲に保護者のような女性が居たが、その女性は手元を見ておりその子供の様子には気付いていない。

「大丈夫かしら」

 ついぽろりと声に出てしまったのを、アルベルトが拾う。

「どうかしたか?」

 リリアンは一度アルベルトの方に目を向ける。

「ああ、お母様。あちらを見て下さる?」

 そう言って、もう一度対岸を見やった、その時だった。視線を戻した先で、子供ががくりとバランスを崩したのが見えた。

「あっ!」

 言った瞬間、子供が頭から川に落ちそうになる。対岸で同じように驚く人がいたのが見えた。それでようやく女性が振り返り、慌てて手を伸ばす。が、彼女の腕だけでは子供を支えきれないかもしれない。付近には人が少なくて距離がある。間に合いそうにない。リリアンは青ざめて息を飲んだ。
 そのリリアンの隣、アルベルトは咄嗟に魔力を放出した。対岸向けて手を上げる。もちろん手が届くはずもない、だがこの距離ならば間に合う。
 一気に高めた魔力が渦を巻く。それを後押しする為に上流から風を呼ぶ。
 ごう、と突然湧きあがった突風は、竜巻のように川沿いを走り抜けていった。

「きゃあ!」

 リリアンをはじめ街の人々が驚いて目を閉じる中、アルベルトの起こした小さな竜巻は、子供の体を押し戻した。
 それを確認するとアルベルトは手を下ろす。がたがたと窓ガラスを鳴らしていた突風も同時に下流に消えた。戸惑う人々が、恐る恐るといった具合で辺りを見回している。

「なんだったんだ、今の」
「さあ……」
「おい見ろ、子供が!」

 男性の声に視線が集まった。あの手摺りから落ちそうになっていた子供は、きょとんとした顔で街道に立っていた。女性が慌てて駆け寄っているのが見える。さすがに子供は叱られていた。
 リリアンは、前髪が乱れたままそれを見ていた。

「なんともなくて良かったな」

 声の方に目を向けると、アルベルトが優雅にお茶を飲んでいる。

「今のは、お父様が?」

 思わず呼び方がいつも通りに戻ってしまったリリアンに、アルベルトは得意気にぱちんと片目を瞑った。
 すごいわ、と声を上げ、リリアンは心の底から父を褒め称えた。

 その後で訪れたのは、老舗の茶葉専門店。夜遅くなるレイナードのために、睡眠前に飲むといいというお茶を買いに来たのだ。それ以外にも、季節限定のものや珍しい種類のものを購入することにしたリリアンは始終笑顔で、アルベルトは大いに満足する結果となる。
 そんなわけで、リリアンとお母様(偽)の初めてのお出掛けは大成功であった。

 ところで、この国での銀髪、というのは、王族特有のものである。長い歴史の中で貴族にいくらか広まりはしたものの、純粋な銀髪というのは少ない。大抵は金髪が薄くなってなんとなく銀のようになるとか、その程度だ。ましてやこれだけ輝く銀で、しかも少女となると、今国内で該当するのはリリアンしかいない。だからこの日街で見かけた銀髪の少女、というのは、間違いなくリリアンということになる。
 だが、その隣にいる長身の女性。間違いなく彼女も銀髪なのだが、年齢から該当する人物は国内には存在しないはずである。
 その事に、その日茶葉専門店でリリアンを見かけた貴族の男性は混乱した。

「リリアン嬢と一緒にいるということは、彼女の知り合いなのだろうか? だがあの年齢、あの身長、あの美貌! あんな方、今の王族にいたか?」

 その声に同意したのは彼の弟だ。

「いいや、いないはずだ。だとしたら国外の方か? でも嫁がれた方もいないよな」

 二人は首を傾げる。

「あの美女は、誰だ?」

 その他にも、この日リリアンと同行する美女を目撃した貴族位の者が幾人もいた。が、その誰もが、彼女の素性を辿れない。その美貌も相まって噂が広まるのは早かった。彼女は一体全体どこの誰かと、話が王城へ届くまでにそう時間は掛からなかった。


 五日後、所用で城へやってきたアルベルトを引き止める者があった。アルベルトの兄で国王のグレンリヒトその人である。

「なあ、アルベルト。先週、リリアンが街に居たと聞いたんだが」

 また小言を貰うのかと、ぎゅっと眉を寄せていたアルベルトは、「なんだそのことか」とそれを緩めた。

「それが?」
「銀髪の女性と一緒だったって話でな、その美女が誰なのかっていうのが、最近話題になっててなあ」
「ふうん」

 少なからず見られていることは想定していたから、アルベルトはどうでもいいと言わんばかりに聞き流す。見た目は化粧と服でどうにでもなるが、身長と声だけはどうにもならない。身長はまあ、でかい人だなあで済むかもしれないが、この低い声をどうにかする手段は用意できなかった。会話をするのはリリアンと事情を知る従者だけ、その為にベンジャミンとシルヴィアを伴っていた。周囲には気を配っていたから、声を聞かれたりはしなかったはずだ。現に王の耳に届いたのは「銀髪の美女」という部分だけ。とりあえず思惑通り事を運ぶことができたようだと確認できた。
 どこの誰が見たとか、美女がどんなファッションだったかと聞いた話を披露するグレンリヒトに、へー、ほー、ふーんと適当に相槌を打つアルベルト。正直なところ、要件はなんだろうと思っている。
 一通り聞いた話を話し終わると、グレンリヒトは切り出した。

「お前なら誰か知っとるだろ。どこの誰なんだ?」

 なるほどそれが聞きたかったのか、とアルベルトは眉を上げる。

「私だ」
「は?」
「その美女は私だ」
「……美女? お前が?」
「ああ」
「何言ってるんだお前」

 お前は美女でもなんでもないだろう、と続けるグレンリヒト。だがそうとしか言えないので、アルベルトはそれ以上言うことはなかった。
 呆れて「何言ってんだこいつ」という顔をするグレンリヒトを前に、それ以上語る気のないアルベルト。双方沈黙したまま硬直が続く。
 それを破ったのは、扉を開けて入ってきた王妃シエラだ。黙って真顔のまま顔を突き合わせる夫と義弟に、「なあに、おじさんが二人見つめ合っちゃって。気持ち悪い」と毒気たっぷりの言葉を投げかける。

「なんでそうお前は口が悪いんだ」
「わたくし、思ったことは正しくそのまま口にすることにしているの」

 にっこり笑む妻の言葉に、グレンリヒトは眉を下げた。王妃ともあろう者がとんでもない発言である。彼女の凄いところは、これを政治の場でも行うところだ。どうしてだかそれが上手くいっているから、今のところ誰も文句が言えなくなっている。
 それはともかく、シエラ曰く見つめ合ったおじさん二人はむっとした表情に変わった。今度はそれで揃ってシエラの方を向くのだからたまったものではない。

「で、何をしていたの?」

 グレンリヒトは肩をすくめて、事情をかいつまんでシエラに話した。
 聴き終わると、ああその事ね、と、彼女はなんでもないことのように言う。

「なんだ、知っていたのか」
「ええ、わたくしもその場に居ましたからね」
「……初耳だ」
「言っていませんもの。あの時マクスも居ましたけれど、まあ、わざわざ言うことでもありませんわね」

 さらりと言ってのける妻にグレンリヒトは除け者になった気分だった。別にそこに居たかったわけではないが。

「アズール公爵夫人からのお願いを叶えたのだけど、そこで客人がリリアンに暴言を吐いてね。手を出さない代わりに、アルベルトの女装に手を貸したってわけ」
「なんでそれで女装を……?」
「それはわたくしにもわからないわ」

 詳しくは本人に聞いてちょうだい。そう言うように、シエラはアルベルトを見た。グレンリヒトも、事情がよく分からないものだから、妻と同じようにアルベルトを見る。二人の視線を受けるアルベルトは、ただ事実を述べた。

「リリアンが『お母様とショッピングとお茶をしてみたい』と言ったから、それを叶えただけだ」

 やっぱりか、とグレンリヒトは肩を落とし、女装までする理由がわからないと、シエラは首を振った。

「どうしてそれで母親になろうとするんだ? 母親役ならシエラに頼んでも良さそうなものだが」
「それは単純になりきれないだろうと思ったからだな。叔母と姪、という立場にしかならなそうだったから」
「それはそうかも知れんが」
「あとは王妃という立場で街にショッピングに行くのは難しそうだったからな」
「ああ、それはそうだな。無理だったろうな」

 なるほどなあと、グレンリヒトは納得だと言わんばかりに頷く。が、シエラの方はどこか胡乱げだった。じとりとアルベルトに視線を向けたまま、夫に一言伝える。

「あなた。だからと言って女装するという発想になるのは、おかしいと思うの」
「ううん、そう、そうなんだよなぁ……」
「だが理に適っているだろう?」
「そう……なの、かしら……?」

 自信たっぷりなアルベルトの様子に、国王夫妻はだんだんと自分達の感覚がおかしいのではないか、という気分に陥った。普通はこうなった場合、どうするのだろうか?
 うーん、と唸る二人に、元凶となったアルベルトは無関係のような顔をしている。

「確認したいことは確認できたようなので、私はこれで。ああ、シエラ様、リリアンから伝言が。『ご協力ありがとうございました、お土産は次のレッスンの時にお持ちします』と」
「あら、そう、わかったわ」

 まだなんだか納得がいっていないような二人にそこそこの挨拶をして、アルベルトはその場を去った。冷静になったらまた何か言われそうで、めんどくさかったのである。


 そうして屋敷に戻ったアルベルトは、愛しのリリアンの元へ向かう。今日のリリアンは薄い桃色のシンプルなドレスを纏って、庭に出ていた。数日前に水遣りをした花壇を見ていたらしい。

「リリアン。『お母様』とのお出掛けは楽しかったかい?」
「ええ、とても! お父様、ありがとうございます」

 弾けるようなリリアンの笑みに浄化される思いだ。行って良かったと、アルベルトは心の底からそう思った。
 その時偶然、屋敷に戻っていたレイナードが、リリアンとアルベルトの姿を見つけて庭に出た。二人に声を掛けようと駆け寄る。アルベルトはそれを見つけると、ふといたずら心が湧いた。

「リリアンのためならなんでも。そうだ、また今度出掛けようじゃないか。次は『お母様』と『お姉様』と三人で出掛けるのはどうだい?」
「まあ、『お姉様』も?」
「えっ」

 レイナードはアルベルトの言葉にぴたりと足を止める。いきなり聞こえた声に、リリアンは後ろを振り返った。

「お兄様! お帰りなさい」
「あ、ああ、ただいま、リリー」

 それと父親に向かっても挨拶をするレイナードは気もそぞろだ。直前に聞き捨てならないことを聞いたのだから無理もない。レイナードは先日、リリアンが誰と出掛けたのか、その相手がどんな格好だったのかを知っている。直接は見ていないが、その様子を見たリリアンとマクスウェルから「すごい美人だった」という話は聞いていた。我が父ながらどうしてそんな手段を取ったのかは分からないが、やりかねないなとは思った。が、『お母様』と一緒にリリアンとお出掛けする『お姉様』とは、一体誰のことだろうか。
 レイナードはちらっとアルベルトを見た。

「……冗談ですよね?」

 アルベルトはどこまでもにこやかに、こう言った。

「それは、リリアン次第だな」

 ごくりとレイナードの喉が鳴る。彼としても、リリアンの願いは叶えてやりたいものだが、でも。
 それで今度はリリアンに視線を向けた。

「リリー……」

 そのリリアンは、ぱちぱちと目を瞬かせると、にっと口角を上げた。淑女の立ち振る舞いが染み付いたリリアンにしては珍しく、悪巧みをしている、という表情をしてみせる。レイナードはそれに嫌な予感がした。

「お出掛け、楽しみにしていますわね。『お姉様』」

 ふふふ、と笑うリリアンの声に、青褪めるレイナード。楽しそうな子供達の様子に、アルベルトもまた笑い声を上げるのだった。
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