【完結 R18】ほかに相手がいるのに

～見えない境界～

私の問い

「ご注文は何になさいますか？」スタイリッシュな制服を着た女性店員が尋ねてくる。

「えっと、ホットコーヒーとアイスコーヒーをお願いします。」杉崎さんが答える。

店員がお辞儀をして去った後に杉崎さんが向かいにいる私を見る。

「…水無月さん、本当に良かったの？ケーキとかプリンとか、甘いものも色々揃っていたみたいだけど…セットとか…」

…杉崎さんにとってはやはり、私は子供なのかもしれない…。私はそんなものを食べたくて、杉崎さんをお茶に誘ったわけではない。
仮に注文したとしても、今のこの状況では、絶対に味なんてわからない…。

「いえ…大丈夫です、お腹、すいていませんから…夜の食事もありますし…」そう答えると、

「そうだね、ここでお腹に入れてしまうとせっかくの料理が台無しだ…うん…」

… コポコポコポ… 

珈琲を抽出しているであろう音と、コーヒー豆の良い香りが、店内にふわりと漂ってきた…

ただ、私たちのテーブルの間では、どちらも何も話さない静かな時が、ただ、流れていた…。

このままではいけない…
このまま、あの日のことをないものとして毎日を過ごすのには、無理がある…
杉崎さんはともかく、少なくとも私には無理で…

今ここでその話に触れないと、杉崎さんを勇気を出してお茶に誘った意味がない…

杉崎さんにいたっては、席に着いた後
「雰囲気の良い店だね…」といった一言を発して以降、注文の時を除いて何も話そうとせず、

水を飲みながらなんとなくぎごちない素振りで窓の外を眺めている…。

私は意を決して、口を開いた。

「杉崎さん…あの、すみませんちょっと、確認させていただきだいことが…。」

杉崎さんが私を見る、
黒縁眼鏡の奥が、光った気がした。

「あ…あ、はい、どうぞ…。」
それだけ言って、組んでいた長い足をほどき、椅子に座り直して居住まいを正した。

「あ…あの、…この前の、夜の…あの…公園での…あれのことです…けど…」
段々と小さくなっていく私の声の音量…思わず周りの席を振り返る。

店内は混んではいたが、幸い、職場の顔ぶれはいないことを確認し、続ける。

「…あの、あの日のキス…のことですけど…あの、あれって…杉崎さんにとって、遊び…みたいな、そんな、感じ…なんですよね…？さっきのバスでの…あれも…」私は自分の膝を…眺める。

杉崎さんの顔をもはや、まともに見ることもできない。今、どんな顔をして彼は私を見ているのだろう…。

「お待たせしました。」

話の途中で、コーヒーが運ばれてきた。カチャカチャと小さな音をたて、互いの注文した飲み物がテーブルに並べられ、店員が小さくお辞儀をして去っていく。

私は下を向いたまま、話を続ける。
もう、杉崎さんの表情を見ず、このまま一気に話した方が気が楽だ…咄嗟にそう思った。

「あの…つまり、あれは…あの行為は、杉崎さんにとって、お酒に酔ってしただけの、一時の気の迷いというか、その…遊び…というか、私をからかって…みた…みたいな、そういうこと…なんですよね？」

そのまま、続ける。

「あ…の…ごめんなさい…。私、なんだかそういうことに…あ、あの、恋愛とか男女の、そういう話なんですけど…あまり経験もなくて杉崎さんほど大人でもないし、全然慣れてないので、本当にわからなくて…」

下を向いたまま、さらに続ける。

「杉崎さんが、何を考えているのか…あの、…とにかく、キス…とか、他も怒ってるとかじゃなくて、もしからかいとかなら…私、冗談とか軽く流せるような性質ではないので、早目に教えて欲し…あっ…！」

気付けば…

テーブルの上に置いていた手…、手を強い力で、上から覆い被さるような形で、杉崎さんの大きな手で…つかまれていた…。

驚いて、杉崎さんを見る。
そして咄嗟に、周りを見る…。

「…ごめんね、水無月さん…色々、悩ませちゃったみたいで…でも、違うんだ…からかいとか遊び…とか、気の迷いとか… そんな風に…言われると…俺もどうしていいか…あの…さ、俺だって…」

「あ…の、手…離して…ください…人目が気に…なります…」思わず小さな声でそう告げると、慌てて手を離す杉崎さん…。手を解放されて、熱が…少しづつ冷めていく…。

「ごめんっ！！俺…色々、やばいね…ごめん…今の俺の気持ち、…話すから…聞いてくれるかな…」

杉崎さんの、真っ直ぐな視線…真剣な眼差し…

私は、ゆっくりと、頷いた…。